第一章

「おい、起きろ」

 誰かが僕を覗き込み、身体を揺する。

「ここは……?」

 僕は目を覚まして、辺りを見回す。

 床には高級そうな絨毯が敷かれ、天井にはシャンデリアがぶら下がっている。

 豪華としか言いようがない、屋敷の中に僕はいた。

 いや、僕たちはいた。

 僕を遠巻きに見るように、七人の男女がこちらを見つめていた。

 僕に話かけたのは、タバコの臭いが染みついた無精髭のおじさんだった。有名な警察映画の主人公が着ているようなモッズコートを羽織っている。

「ここは?」

「さあな」

 おじさんは首をかしげて、

「俺も知りたいさ。いや……」

 僕の意識が戻ったのを確かめ、立ち上がる。

「ここにいる全員が知りたがってるさ」

二江したながえ……くん、だよね?」

 そんなとき、遠巻きに僕を見ていたひとりがおそるおそる話しかけてきた。

 僕は声の主を見て、そして驚いた。

「本田さん……!」

 本田さんはとても可愛らしくなっていた。僕が知っている頃の本田さんはもっと地味だったように思う。

 地味の象徴のひとつだった、メガネをコンタクトに変えたことが印象をガラリと変えた一因だろう。

 高校のときから変わっていない、愛らしい声でなかったら、きっとわかってない。

「おれ達も覚えてるッスか?」

 本田さんの近くにいた金髪の男がそう言った。

「もしかして……四谷くんか……」

 髪色が違うとこうも印象が違うのか、と思わず感じてしまう。

 それでもわかったのは、身に着けているタンクトップが絶望的にダサいだからだろう。残念な筋肉イケメンは今も健在のようだった。

「それに三国くんに海藤くんもいるとは……」

 視線を横にずらすと、口と鼻にピアスを嵌めた海藤くんと、その後ろでおどおどしている三国くんが目に入った。三国くんはどんな季節であろうと長袖とニット帽を手放さなかった。4月も半ばだというのに今もやはり、ニット帽を被っている。

「オイオイ、ついでのように言うなよ? ついでなのは三国と四谷。メインは俺だろぉ?」

 意味がわからない人には意味がわからないだろう。

 でも僕は、彼らと同じ高校の出身だ。だからその意味はわかる。

 海藤くんは三国くんと四谷くんが自分の取り巻きだと言いたいのだ。

「ああ、ゴメンゴメン。三人は同じ大学だっけ?」

「おう。にしてもホント、なんなんだろうな。ここ」

「誰かが同窓会を開いたってわけでもなさそうだよね?」

「ああ? 三国てめぇ、ふざけてんのか?」

 何が気に食わないのか、三国くんを殴ろうとする海藤くん。

「わわ、違うよ、違う!」

 必死に謝って、怯える三国くんだったが、海藤くんはその程度で許すような人間じゃなかった。

「やめろ、海藤」

「す、すいません。先輩」

 海藤の拳を止めたのは、見た目は細い体つきの男だった。

 それでも海藤くんの本気の拳をたやすく止めれたということは、まるでボクサーのようにかなり身体が引き締まっているってことだろうか。

「やっほー、すごいっしょ。北島先輩は?」

 戸惑う僕に話しかけてきたのは、

「東尾……さん? 随分と変わったね?」

「そう? 具体的にはどう変わったと思う? 言ってみ?」

「まず話し方が慣れ慣れしいよ。もっとトゲトゲしかったよね?」

 昔の東尾さんは気に食わない人には容赦なかった気がする。

「ひーどーい。ドイヒー!」

 今は頭が悪くなったように見えるよ、って言ったら怒るのだろうか。

 東尾さんは頭が冴えていたわけじゃなかったけど、こんなことを言うような人でもなかったような気がする。

 まあ、三年も経てば人は変わるか。

「どうやら知り合いが多いみたいだな」

 そう言って、無精髭のおじさんは海藤を一瞥する。

「かと言って、何かが変わるわけじゃない。ここはどこか? というのも大事だが、まずはここを脱出しよう」

「おい、おっさん。何を仕切ってんだよ? 仕切るのは北島先輩か海藤さんに決まってるだろ」

「悪い悪い」

 卑下た笑いをして無精髭のおじさんは手帳を見せる。

「俺は八島敬吾。こう見えて、刑事だ」

 警察手帳を見て、四谷くんの顔が強張る。

「まあ、不意打ちで気絶させられてここに連れてこられたから、実力はその程度。あまりビビらないでくれよ」

 などと言いつつ、鋭い眼光で周囲を睨みつける。

「で俺が仕切る、で問題ないか?」

 その視線にビビった三国くんが何度も首を縦に振る。

 こういうときに噛みつきそうな海藤くんは、何も言わない。

「じゃあまずは自己紹介といこう。知らない連中ばっかりだからな」

 八島さんに促されて、それぞれが名乗っていく。

「僕は二江夕樹。明応大学二年です」

 最後に僕が自己紹介すると、

「……へぇ。明応大ね」

 刑事の八島さんは意味ありげに声を出す。

「何か、おかしなところでも?」

「いや、悪い悪い。頼りになりそうだと思ってね」

「頼りって……ここがどこかもわかってないのに、そんな……」

「ははは、それもそうだな」

「で刑事さん、このあとどうするんだ?」

「探索してみるしかないだろう?」

 子どもじみた無邪気な笑顔で八島さんはそう答えた。

「それって危なくないんですか?」

「大丈夫。先頭は俺が行く。キミたちは後ろから怪しいものがないか、見ていてくれ」

 そう言って八島さんは歩き出す。

 反論する暇もなかったためか、海藤くんが軽く舌打ちして、八島さんに続く。

 海藤くんが歩き出すと後ろに三国くんと四谷くんが続き、僕を一瞥した本田さんが後ろに続く。

 東尾さんは北島さんに腕を絡めて歩き出す。

 その姿を見続けるのも癪なので、僕は二人を追い越して、本田さんの横に並ぶ。

「私さ……」

 僕が隣に来たことを察した本田さんが、小さな声で語りかける。

「今、海藤くんと付き合ってるんだ……」

「……意外だね」

「うん。半ば強引なんだけどね」

「どういうこと……?」

「ごめん。それは話したくないかな……」

「そっか……じゃあ聞かない。でもひとつだけ聞かせてよ。今は……楽しい?」

「ごめん。それも言いたくない」

「そっか……。僕は余計な質問してばかりだね」

「そんなことないよ。今日、二江くんに会えて嬉しかった」

 そう言って本田さんは笑顔を見せる。無理して作ったのがバレバレだった。

 本田さんに何があったのか、僕にはわからない。

 何とかしてあげたい、そう思うのは簡単だが、他人のプライベートにどこまで踏み込んでいいのか僕には判断しかねていた。

 こういうことには中途半端が一番ダメなのだ。

 中途半端に踏み込めば後悔するだけということを僕は身に染みてわかっていた。

「僕も本田さんに会えて嬉しいよ」

 そう言って本田さんに笑顔を返す。僕も無理して作った笑顔だった。

 あの日以来、まともな笑顔を作れずにいる。

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