第10話 メッセージ
水野先輩が歌ったのは尾崎豊の「シェリー」だった。
洋楽にかぶれていた僕だったけれど、時々、ラジオで流れたその歌が尾崎豊の歌だということはわかったし、もちろん共感と言う意味でも曲の良さという意味でも熱くさせるものがあった。
ギターを滑らかなタッチでストロークしつつもシャウトする姿は、いつものただただ優しい雰囲気の先輩の違う一面をみているようで…素直にカッコイイと思った。
おまけに歌詞の端々が水野先輩の置かれている状況と重なり、尾崎のように絞り出すように歌うものだから、ものすごい気迫と、説得力を感じさせた。
後に尾崎が26歳の若さで死んでしまったとき、水野先輩も死んでしまっているのではないか少し不安になったぐらいだ。
若さゆえの危うさ、と片づけてしまうには美しすぎる想い。
つまらない大人になるぐらいだったら、むしろその場所にとどまり続けよう。
自分自身、そんな決意を固めながら、僕は恍惚と聴き入っていた。
…あわれみなど受けたくはない…俺は負け犬何かじゃないから…俺の笑顔は卑屈じゃないかい…俺は誤解されてはいないかい…俺はまだ馬鹿と呼ばれているか…俺に愛される資格はあるか…いつになれば 俺は這い上がれるだろう…
結局、先輩は馬鹿なガキたちの陰湿な陰口や暴力とたたかっていたんじゃないんだ。
もっと大きな何かと、向き合っていたのだ。
だとすれば。僕もそんな人間になりたい。
聴いているだけでも胸がいっぱいになる。
だけど、聴いているだけでは物足りない。
この胸にたぎる想いを形にして、そして表現して、それが人の心を打つとしたら、どんなにすばらしいことだろう。
そうやって僕は、バンドを結成することを決心したのだった。
歌い終わった水野先輩は、いつもの落ち着いたたたずまいにもどりながら言った。
「みんな、俺のことはもういい。でもくだらない人間として終るのだけはやめよう。それが一番の悲劇だし、俺も哀しくてならない」
当時の僕には、その言葉がイジメグループへの痛烈な皮肉に感じられた。が、今になってみるとそれは、彼が心の中で持ち続けている矜持であり、自分自身の哲学だったんだと思う。
水野先輩の優しさやしなやかさは、とてつもない強さに裏打ちされているものであり、それは今もなお成長して続け、堂々と胸の中に鎮座しているのだと思った。
そして。シェリー。
僕は生きてゆく中でそんな存在と巡り合えるのか。
14になろうとする胸の中で、期待と不安が交錯しながら着地点を探す。
やがて自分がいかに未熟であるかを痛感するのだった。
我に返ったとき、水野先輩はいつの間にか壇上から消えており、卒業式はその後何事もなかったように、いや、何事もなかったことに「するかのように」つつがなく進行した。
僕には理解できなかった。
これだけのインパクトを以てしても、必死に既成概念に固執する大人がいるということを。そういうのを目の当りにすると、無力感はピークに達するのだった。
ここにある音楽 蒼居 @stay_blue
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