第9話 熱


その頃の僕は、ビートルズ熱に端を発した洋楽への傾倒から、一ヶ月3000円の小遣いをやりくりしつつ、3か月に一回のペースでアルバムを買っていた。

当時、とりあえず入部していた陸上部の部活が終わった後、僕だけが早めに切り上げて家に帰った。他のメンバーと、暗黙の了解のようにジュースやアイスを買い食いするのも惜しかったが…。

家に着くと着替えもせずに、真っ先に父の書斎で音楽を聴く。もちろん、そのことはまだ誰にも言っていなかった。


7月にはエルトン・ジョン。

10月にはギルバート・オサリバン。

1月にはエリック・クラプトン。

そして、4月にはイーグルスを買おうと思っている。

その時の僕はポップスとかソフトなロックに凝っていったのだと思う。

その一つ一つを擦り切れるのではないかと思われるほど、繰り返し、繰り返し聴いた。


「いったい何に使ってるの」

母親から聞かれても、

「色々あるんだよ」

とはぐらかす。母親がどちらかというと放任主義だったこともあり、問い詰められることはなかった。もちろん、息子が毎日、帰宅後に父親の書斎に忍び込み、CDをかけているなんて、ゆめゆめ思っていないのだろう。


インターネットなんてまだない。 情報源はラジオだった。

FM放送で流れた曲で、いいものがあると曲名とアーティスト名を急いでメモする。

そうやって集めた情報をもとにできるだけお気に入りの曲のたくさん入ったアルバムを吟味してゆく。3か月のサイクルはちょうどその計画にもマッチしていた。


90年代であるのに、70年代の曲ばかり聴いていた。

なぜだかは自分でもよくわからなかったけど、やはりビートルズから芋づる式に興味が波及したからだろう。正直、そんな趣向を持った人間は少ないだろう、という特別感もあったのかもしれない。


それだけに、3月を迎えた上級生の卒業式でのちょっとした事件は不謹慎ながらも強く印象に残ったのだった。



水野先輩がイジメにあっている―そんな噂が聞こえてきたのは、中学1年時の新年を迎えた頃だった。はじめはあまり関心が向かなかったし、そのうち終わるだろうと高をくくっていた。

だが、2カ月が経ってもなお、その噂は消えなかった。

むしろエスカレートして、彼と仲のよい生徒までもが巻き添えをくらうなど、陰湿化していったようだった。見るからに優しい人だったし、もともと下級生に人気がある水野先輩だったが、僕を含め、多くの1年生は3年生を恐れるあまり、傍観者に成り下がってしまっていた。


そして迎えた卒業式―。水野先輩は校長先生の挨拶がはじまっても現れなかった。

誰もがどこか、彼の欠席に納得しているところがあったと思う。


その時、式が進行している体育館入口のドアを乱暴に開ける音がした。

現れたのは水野先輩だ。アコースティックギターを高らかに頭上にかざすと壇上に向かい走り出した。何人かの教師が捕まえようとした。

が、不意の出来事だったこともあり、結局捕まらない。

ついに彼は壇上に上り、マイクを手にし、言い放った。


「みんな、聞いてくれ!」


ざわついていた体育館は、鶴の一声で、やがて水を打ったような静けさに包まれる。

イジメを解決できないことの後ろめたさから、もはや教師たちも成り行きに任せているようだった。


皆があっけにとられたように見ていた。

イジメのグループの中からは「あいつ、頭おかしくなったんちゃう?」などとひそひそと冷笑するいかにも意地の悪そうなつぶやきもあった。

確かにある意味、滑稽な光景だったのかもしれない。悪気もなく笑っている生徒もちらほらいた。だが、中には共感のあまり涙を拭う生徒もいたくらいの迫力があった。


僕はと言えば、内心、自分でも意外に思えるくらい、熱くなっていた。


彼が―歌いだしたのだ。

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