第7話
四月十四日
昨夜の影響下で春雨がしとしとと降り始めました。暫く雨が続くみたいです。
洗濯物が乾かないとブリッツエン兄さんが苛々病に蝕まれ始めました。何とかしてあげたいと思い僕は自腹を切り、乾燥機を秋葉原に買い求めに行きました。勿論買出し途中ですよ皆さん。偶々通ったヴィクセン姉さんに相談すると、二十万円の大金を預けて、これをお使いなさいなと言います。微かに血の臭いが付いています。何処で手に入れたお金なのか聞くまでもないので、敢えて尋ねませんでした。昨晩も朝帰りでちたから……
父さんも一緒に付いてきてくれました。秋葉原まで歩く僕と父さん。三太さんも一緒にと誘いましたが、白兎かぐやを愛で毛並みを繕うのに白昼から夢中熱中気味。耳の遠くなったご様子であんだってぇ? よく聞き取れん、最近歳の成果耳が遠くなり筋が強張ってのぉ。あぁ筋肉が悲鳴をあげている。と耄碌爺全開で買出しには梃子でも動きません。
――マッタク。都合の良い時だけ爺に変身するんだから手に負えません。
普段は老いも若きも何処知らずの性格で通そうとしているってのに、むしろ若作りに余念がなく諸々の結果諦めて爺に胡坐を掻いて居座っている性質の悪いお方ですから此処は一つ僕達が諦めましょう。偏屈傲慢変稚気の耄碌爺の相手は疲れますから。
なので僕達トナカイ親子はとことこ歩き秋葉原に向かいました。道中裏手で親の敵と対決しているかのようにして通りを清めている梅さんに出会い、僕の掌を無理矢理開かせほかほか作り立ての薄皮饅頭を山盛り渡され、老舗喫茶芭婆バーバーの店内で笑いながら皿を磨きこちらの様子を見守っていた松さんと眼が合い、帰りに寄りますと僕は外から口パクで伝え、微笑しながら同じく口元で待っているわ。と応えてくれました。父さんと出来立てほかほかの湯気が立っている薄皮饅頭をもぐもぐと食べながら歩くと、道中で知り合いの方に出会いました。
西洋料理キッチンイチロー店のひとりっ娘木偶坊芽衣。病み付き伽哩カレー店のひとりっ娘大宝萌。本格西洋菓子のひとりっ娘王子美弥。三人は併せて一人。三人揃って一人の子供達です。一人っ子の為に親に溺愛されすぎて他人の痛みが分からないので皮肉ると容赦がないです。自分さえ愉しければどうでもいいので迷惑行為を繰り返します。にしても最近の小学生は手足がすらりと細く長く伸び、痩躯体系でひょろひょろに痩せていますね。成程之がもやしっ子っでえすか、時代の流れとは凄まじいものです。なんにせよ彼女たち三人は気が強く、そんじょソコイラの小学生では相手になりません評して神保町虎町三人娘です。祭子ちゃんも入れると四人です。その虎町っ子達が代わる代わるに尋ねてきます。
コメット何処行くの? 泥沼の昼ドラ関係しない? 駄目駄目、今の時代はうっふんハーレムごっこじゃないと視聴率が取れなくて打ち切りよ! じゃあカッコイイ女の時代到来は? 駄目駄目、それじゃあ気が強くって結婚できないって! でもそれなら被虐性の高い世の男性に受け入れられるのではなくって? 確かにねえ。
やんややんやの嬌声を張り上げる、小学生を尻目に僕は溜息吐き出しながら言ってやりました。君達そんなマーケティングはもう少し大人になってからでも晩くは無いよ。まだまだやることが沢山あるよ。と言ってみました。何言ってんのコメットの馬鹿。今時の子供は現実主義なんだから。不安な年金上がる消費税、無駄に使われる税金に不安定な政治、弱肉強食の国際問題に弱小外交。未来が見えない若者の夢。お先真っ暗じゃないのさ!
ははっ小町じゃなくて虎町ですか納得です。……なんか色々と残念ですねえ。
兎に角僕は忙しく先を急ぐ身でもあります。肩を落として昔日の自分と比べている暇はありません。なので誘いの手を振りきりお兄さん口調で叱ります。
夜勝手に忍び込んじゃあ駄目だよ。また我のヤットウの腕前見せてやるとか言って、三太さんが怒るから。血管が切れて現世とお別れの要因を作るのも寝覚めが悪いでしょ?
確かにね今は季節の変わり目、葬式が多い季節。ぽっくり逝かれると後々厄介。そうねぇじゃあ三太宅襲撃は取り止めにしましょうかぁ。そうしましょう。僕もそうしましょうと言ってほっと安堵しました。思ったとおりです。小学生の流行である三太さん宅肝試しは蔦を伝って侵入してくる、スパイごっこなので危険極まりない行為だからです。無事警察沙汰事件になるところを穏便な話し合いで回避されました。僕もたまには大人の対応が出来嬉しかったです。祭子ちゃんと遊びに行くの? と尋ねるとうん。と虎町の揃った返事が返ってきます。薄皮饅頭を持て余していた僕は皆に三個ずつ渡すと、今度は各々方の店で使用できる半額券を貰いました。ランチに行くよと約束し、僕は満面の笑みを浮かべながら手を振り分かれると父さんが呟きます。
――なんともまぁお前の交友関係は子供だな。
憤懣発言ですが所詮僕はちゃんです。血色の良い頬を益々赤く染めて、団栗を溜め込んだ栗鼠みたいに、頬をぷっくりと膨らませ吐息に怒りを混ぜて物言わぬ抗議を代弁しましたが、雑多な都会の微風に吹き飛ばされてしまいました。
まあ僕の性格では之が精一杯です。こう見えて勇気を振り絞ったんですと言いたいですが、それに気付かぬ父さんは既に先を歩んでいます。僕はまってよぉう父さん。と情けない声を出して置き去りにされないように後をトコトコと追い駆けてゆきます。お約束で日常茶飯事の光景ですね。皆さん不甲斐無い僕を存分に笑ってください。僕は自分を卑下して溜飲を収めますから。
何時しか僕達親子一行は靖国通りの繁華な通りを抜き去り、万世橋のたもとをとことこと渡っております。万世橋のアーチ橋な石畳を一歩歩む度に、ずるずると疲れきった足音を立てて歩き、滔々と流れる神田川の濁った水面を見詰めつつ欄干も眺めながらあれこれと心底でどうしようもないことを逡巡しています
何で僕達親子は秋葉原まで歩いたんでしょうかね? 甘く見ていました、バスに乗車してくればよかったです、どれ程楽ちんだったことか。すっかり足腰が鈍り足首が重たく鉛のようです。ははっ、鈍りと鉛をかけてみました。疲れているんですかね僕の肉体は、病んでいるみたいですね僕の精神は。早く買い物して帰らないと。
異常な寒波を通り越し乗り越えて、春の陽気が活発に垣間見え始めたとは言えども如何せん神保町から秋葉原まで動けば汗を掻きます。過ごしやすくなった季節といえども日頃の暴飲暴食に運動不足が祟っている父さんは、大汗掻きつつ拭いながら、たもとおる足元が覚束無くなった父さんは欄干に凭れ掛かり、動く気配を見せません。常世の国にでも辿り着けそうな緑色の水面をじいっと覗き込みながら顔に翳を見せつつ語ってきます。
コメットもう疲れた、俺はどうやら此処までの人間のようだ、後はお前に任せたしっかり頼むぞ。そんなぁ馬鹿なこと言わないでよ、まだまだ父さんは若いよ。よう言ぅてくれたコメット、然しな俺は駄目だ、気持ちは若くしようと思い普段から豪気に構えているが体の衰えは隠しようが無い、老兵は去り行くのみだ、コメット後は若いお前に任せた。そんな今から死ぬモブキャラみたいな切ない台詞をいわないでよぉ、父さんはまだまだ働き盛りじゃないか。僕は鼻水垂らし泣き喚きながら予期せぬ親子のドラマティックな展開に付き合っています。父さんはふんと鼻息吐き出し、残った薄皮饅頭を水面に投げ飛ばしました。見る間に鳩や鴨に烏に魚が群がって食し始めています。父さんはちびちびと薄皮饅頭投げ、餌付けしながら後を紡ぎマス。然しなコメット之は現実なのだよ、俺はもう歳だ、お前はそろそろ独り立ちしてみろ漢なら踏ん張ってみろ、荒波に揉まれて来い! 父さん! おお、息子よ。二人は号泣し濃厚に抱き合い抱擁を交わします。分かったよ父さん、僕、頑張って買い物に行ってくるね、父さんは疲れているだろうから先に帰って待っててね。うむ、任せたぞ息子よ! 言うが先か既にタクシー捕まえて乗り込んでいます。タクシーのふかふか座席にどっかりと胡坐をつくり、眉間に皺寄せ腕組みしながら父さんは神保町まで、と運転手さんに伝えるやそれでは先に帰るぞ息子よ。と言い残しタクシーは排煙をもうもうと排出し光陰矢の如し勢いであれよと言う間に芥子粒になりました。ぽつんと残された僕の心に湧いてきた疑問があります。
あれれっ? 僕って又やっちやったの? 仕出かしちゃったのかしらん?
結局雑用を押し付けられたの?
いや違うんだ、父さんは言っていたじゃないか、之は漢なら踏ん張って荒波に揉まれて来いと! 僕は決意を固め、口を真一文字にギュっと結び鼻水と涙を袖元で拭い去り、見物が終わった通行人からは痛々しげに痛恨な目付きでじろじろと見られています。気にしちゃぁ駄目だ、之は僕が勇者になるための聖なる儀式なのだ。
――イザ成し遂げん、秋葉クエストを!
だけれどこうして独りになると思うと足がガクガクと震え、心胆が寒らしめられます。
……と思っていたら案外平気でした。なんてことはありません。日常と同じ僕一人の買出しになったのですから。
道中携帯ショップで、お客さんの携帯と展示してある模造品の携帯を摩り替えている悪質な悪戯している小さな川獺を見つけ、いけないよぅと思い、そっと僕のポケットに忍ばせました。万引きだと思われたのでしょうか、店員の方に睨まれましたがポケットを見せて何とか開放されました。勿論常人に妖怪は見えないからです。キーキーと人語では解せぬ文句を言う川獺には、残りの薄皮饅頭を食べさせて何とか折衷案で妥協しました。
大きな電気屋を何軒か梯子して、お店の販売員から乾燥機の説明を色々と教えてもらいました、最近の家電は凄いんですねぇ。どのメーカーにするかで彼是と悩み、胃が痛くなり決められなくなった所を販売員さんの巧みな話術に引き込まれ、最後はスタイリッシュでいながら白銀の光沢を放つ、いぶし銀の乾燥機君が最善の判断だと思い込まされて、一目惚れした気になり、之下さいと即決しました。
本当に之でよかったのかなぁ?
と思いながら疲れた頭では正常な判断が出来ず、もうどうでもいいやと思い会計して発送してもらい、最後はおもちゃ売り場で虹色戦隊戦場の思春期! のコーナーで小一時間ほど時間を潰していたら、弊社の玩具を発見しました。少々高価ですが飛び出す絵本形式、特殊技術で印刷する際に仕掛けしたインクで印刷した箇所を擦ると、草木の匂いや場面に合わせて特殊効果音が出てくる随所に工夫が施された絵本商品が売れ筋らしく、最前列の直ぐに目に付く場所に陳列されていて、見つけた時には少し嬉しくなり相好を崩しました。耳朶に届くのは子供達の親にせがむ声変わりのしない声量。無垢で熱い綺羅星の如き視線で彼是と品定めしている様はこそばゆい感じで、思わずお尻がむず痒くなりました。長く扱えて親子で長年にわたり橋渡しの如く愛される定番物になれたら、商品に携われた人間として冥利に尽きます。
最も僕達は人間ではないですけれど――
でもなんか今日こそはいいことありそうだな。
子供に囲まれながらあれこれと笑顔で玩具を物色していたら、大天狗の愛宕次郎さんとお嫁さんの禰々子ねねこさんが傍らに立っていました。二人は僕に気付いていなかった御様子でしたが、腕組みしながら熱々の熱愛でぐぐっと周囲から浮世離れしている様は見ていて厭きれかえるほどです。
然しながら事情が違うのは、次郎さんがお嫁さんの禰々子ねねこさんにあれが欲しいこれが欲しいと駄々捏ねていたところでした。腕組みしていたのは禰々子ねねこさんの手を次郎さんが引っ張っていたからです、熱々の空間は逃がさないと言わんばかりに次郎さんが発していたからです。口上はこうでした。従兄弟の娘にあれを。親戚のあの子にこの商品を。ついでだからこの際に師匠の兄弟子の兄弟で友人の息子夫婦の子供の友達に其方の商品をと強請っています。そんな無茶な駄々なんて産まれてこの方初めて聞きました。ですが三太さんも時折之に近い駄々を捏ねます、何々産の何処其処のこだわり抜き厳選された為に限定生産数のあれが今すぐ欲しいと。なんで僕の周囲の人間には頭の螺子が二本、三本足りない方達ばかりなのでしょうか? 困っちゃうよぉ。
いい大人が駄々捏ねる姿は周囲の空気をどん引かせていました。駄々捏ねていた子供もここまでやられると逆に天晴れ! といった面持ちで、こんな大人になってはいけないと思ったのでしょうか、お母さん僕もういらないやと悟った表情を見せ始めました。マッタク営業妨害だよ! 弊社の大事なお客様を逃がさないでください! と思っていましたが声を掛けたら僕も仲間入りになります。ですので遠くから粛々と見守り禰々子ねねこさんに声援を送りましょう。次郎さん大人なんですからもっと分別の付く行動をしてください。禰々子ねねこさんさん他人顔して御免なさい。僕は二人に悟られぬようにしてそっと消え去り其の場を後にしました。結局禰々子ねねこさんが渋々買い与えるのは眼に見えていますから。
何だかんだで結局は愛されているんですねぇ。恋愛って難しいですね皆さん。
買い物を済ませたので今度は帰宅です。道中で買い食いをしました。ガンダムの金型で作られるホクホク熱々のガンダム焼きをはむはむと食しながらバスを待っています。流石に歩くのは疲れました。昔は日に何十里も歩き通せた物ですが昨今は文明開化の影響で車の偉大さに打ちひしがれ、強靭な脚力と取って代わられたので、足腰がめっきり弱りはて買出しに難渋します。三太さんみたいに昔の誉れ高い栄光ある面影は忘却の何処かへと消え失せ、取って代わったのは機械です。
文明開化万々歳!
もう僕は歩かなくてもいいんだ! 声高に叫びたいところですがそこは人の目が気になる小心者の僕です。バスが到着したので慌てて乗車し混んだ車内を掻き分けて、吊革に掴まり道中振動でゆらゆらと揺られていたら、肉体が筋肉の固まりで達磨みたいに厳つい岩のような男性に目的地に着くまで永遠ずっとお尻を撫でられるといった不快感もありましたが、僕はあまりの恐怖に声も出なかったのでここだけの秘密にしておきます。ですが僕のお尻を∞の動き撫でていた毛むくじゃらの指先に気付いた川獺が、突如として奇怪な声量をキュピーと発し、がぶりと齧り付き悪質な痴漢を追っ払ってくれました。
いぶかしんだ筋肉達磨の痴漢さんは逃げるようにして離れ、僕はこれ幸いと慌てて降車した僕は川獺にお礼を言って開放してあげました。手を振りながら悪戯しちゃあ駄目だよおう。と忠告しましたが聞こえて居なかったご様子です。神田川にざぶんと豪快な音を立てて潜りました。独りになり少々悲しくなった僕は小石を投げて川獺の波紋に波紋をぶつけてみました。衝突しては反発し併合してゆく幾重もの波状波紋を創り出し、幾何学模様を描いていた水面を手摺りに掴まりながらぼんやりと眺めていたら川獺がひょっこり顔を出して手を振ってくれました。悪戯しちゃあ駄目だよう。と心の中で幾度も反芻していた僕でしたが明るい気持ちに包まれ元気を取り戻しました。笑顔を取り戻し其の場を去る僕です。にしても予定外の場所で降りた為に又もや徒歩で歩く破目になりまして、遠くにいる三太さんのせせら笑っている声が聞こえそうでした。僕は之がお似合いなのでしょうかね? 彷徨する破目になるとは之如何に?
道中歩いていると少し肌寒くなり身震いしました。春が盛りを見せ始めたとは申せども夕方の時刻では寒いです。お蔭でくちゅんとくしゃみを連発してしまいました。僕は雑多な色を見せる東京に暮らし始めてから蓄膿症と鼻炎という厄介な病気と居候しているため常にお鼻がもじもじとむず痒い毎日です。ティッシュでちーんと鼻をかみ再び徒歩で歩き始めました。我が家を目指して歩きます、何時しか闇が押し迫り茜色一色に染まる空模様は思わず詩人にさせてしまいますね。歩いていると体もぽかぽかと温まり健康によさそうです。あれこれと考え事をしていたらいつしか黒須玩具店近くまで迫っていて見慣れた光景に束の間ですがほっとしてしまいます。ああ、帰ってきたんだなって心境です。
ですがそんな心境は知らないであろう三太さんが鬼の形相で異彩を放ち、店先で仁王立ちし、急に洋杖振り回し奇声の大音声で喚き散らしながら早口で誹り罵っています。
何事? と思いながら慌てて駆け寄ると、悪餓鬼四天王と三太さんが呼称命名している今春ほやほや小学生に生りたての子供を相手に居丈高な声音で気勢を上げています。
現われおぅたな、江戸前四天王メえいッ! 寿司屋の倅仙石英久、蕎麦屋の倅藪八一雄、鰻屋一二三の倅一二三重蔵、天麩羅屋の倅木島平八。四人合わせて要約一人前の半端者。虎町娘に其々が惚れているために泣く泣く手下に成り下がって、小心者の四人はやりたくも無い襲撃の汚れ仕事を押し付けられているとは江戸前四天王の異名が泣くほど情けない悪餓鬼である。漢を見せんかい! 三太さんは解説を入念に行いながら口角に泡の飛沫を飛ばし激昂しながら怒り狂っています。我の家にちょくちょく悪戯しに来る悪餓鬼共めらめ。天誅を及ぼす格好の機会なり。我のヤットウの腕前に皆の衆活目せよ! 聖剣の威力見せてやる。かかって来い! と洋杖をぶんぶんと頭上で振り回し突撃体制に移行しています。剣ではなく戦斧に見えるのは変ですが、おちおち見ていたら怪我します。勿論三太さんがです、大方筋断裂でしょうね。今にも飛び掛らんとする三太さんの体制に僕は大慌てで止めに入りました。むっ、コメットめぃ放さぬか粗忽者が! 三太さん落ち着いてくださいよぉ。相手は子供ですよ。ならぬ勘弁できぬ我の怒りは既にリミット越え、で(馬)れ(鹿)すけ(者)共に一泡吹かせねばならんのだ。高笑いしながら談合し遠巻きに見詰めてる虎町三人衆ならぬ四人衆は好きな言葉を発しています。
見た見たあれ三太の糞爺が怒ったよ。ってかありえないっしょ今時ヤットウだってさ、剣道って言えよ。何時の時代の武士だよ似非外人が。ちょっと皆言いすぎだよ、あれでも三太さんはいいお爺さんだよ、私の将棋に付き合ってくれるもん。性格は少々我侭で自己中だけれどね……ナイス祭子ちゃん。
唯一祭子ちゃんだけは三太さんには優しいのです。お爺サンタに憧れでもあるのでしょうかね。なればこそ早くこの場から居なくなってよおう。収集がつかないから。
おのれいっ、祭子貴様も我を裏切るのか、にしゃあ(貴様)こっちゃあ来んかい!
喚き散らしながら昂ぶる感情を抑えきれない御様子の三太さんです。マズイですね、先に切れるのは筋肉でもなく堪忍袋でもなく祭子ちゃんとの友情かもしれないです。溜息一つ吐き出すとやおらに決意し、僕は三太さんの鳩尾目掛けてふんと拳を放ちました。仕方ないのです事態を収拾するには静かになってもらわなくてはならないのですから。申し訳ないです三太さん。うっと呻き声を上げた三太さんがどうっと僕の両腕に倒れこみやっと静寂な世界が訪れました。静かになりぐったりと寝ている三太さんを背負って皆に言いました、皆早く帰らないとお父さんとお母さんが心配するよぅ。皆が静かになり泡食らった顔で僕の言葉に頷いています。返事が無いので返事はどうしたのぉ? と尋ねると皆が一斉に威勢良くハイ! と答えました。走って逃げるようにしていなくなる子供達は一様にコメットって怖いよ。と言っています。……はて僕の何処が怖いのでしょうか? 謎ですね? 皆が消え失せた後はしんと静寂な気配に支配された少し寂しい空間に言い知れぬ不安を抱きました、なんとなればまだ遊んでいたいのに御飯だよと親に呼ばれて帰る友達を独りぼっちで見届けている寂しい子供みたいな感情です。まぁ仕方が無いかと思いながらよいしょっと気合を発し、僕よりも体重が軽い三太さんを担いで屋上の簡易式仮設住宅に運び込みました。茜色から漆黒の色に変わっていた空は益々僕の心を恐怖で埋め尽くさんばかりの勢いです。何人も立ち入り許さず! と看板が掲げてある扉を開けると主の帰宅を待ちわびていた白兎かぐやは顔を僕に向け鼻梁をひくひくと動かしています。鈴の音を雅にちりんと鳴らしながら、トットッと跳ねて近寄り踝の辺りで体を擦り付けます。何時見ても可愛い獣ですね。
束の間の安らぎに心を奪われましたが長居は無用です。何時起きて暴れだすか知れたものではないからです。三太さんを布団に寝かせ毛布をかけてあげると少々加齢臭に埃の匂いが混じりあい、澱んだ空気がくしゃみを誘発させました。
へくちとくしゃみを三連発したらかぐやが駆け寄り舐めてくれました。相変わらず君は優しいんだね。と呟きながらかぐやを玉のようにころころと撫ぜる僕。歩き疲れたのか急に睡魔が訪れごろりと横になり、転がっていた座布団枕にして天井を眺めます。ようやく到来した晩い春一番の余波で、豪快にかつ甚大な被害を齎した爪痕がまざまざと残り、吹き飛ばされた屋根の無い天井を見詰めると、小さな星が幾つか視界に映し出されました。
――綺麗だね。僕の生まれた遠い故郷も同じ星が見えるのかな。
なんて浪漫ちっくな言葉が思わず出てきます。しかしいかんせん三太さんの部屋の雰囲気に馴染めず落ち着かなくて、眠気が吹き飛びむくりと起き上がり座布団からお尻を浮かせてモジモジと動かしながら吃音気味の口調で尋ねてみます。
三太さん長生きしてくださいね。
鼻息荒くフンと返事が返ってきます。
僕は面映い笑みを浮かべるしか出来ませんでした。狸寝入りも程々に。かぐやに餌をやりながら撫ぜまわし御飯になったら起こしますと言い残し其の場を去る僕です。
屋上の手摺りに掴まり階下の景色を見ていたら玄関前で人影が動くのが眼に映りました。泥棒か又悪戯に来た小学生かなと思い、闇世の中目を凝らしよおっくまじまじと見てみると祭子ちゃんでした。やっぱり獣はこういうときは便利ですね。ははっ。取り敢えず尋ねてみましょうか。
祭子ちゃんどうしたのお?
三太さんに御免ねって伝えておいて。
わかったよ、三太さんも悪気があった訳じゃあないからね。
うん知ってるじゃあ又ね。と言い残し去ってゆきます。簡易式仮設住宅の奥からは又もや荒い鼻息の音が聞こえてきます。この後人知れずひっそりと泣くかもしれないので僕は静かに立ち去り頭上に瞬く数多の星々を見上げます。
見上げる星空の瞬きは砂金を撒き散らかしたのような美しさです。どれをとっても甘いお菓子がまるで星に変化したみたいな光景です。
多彩な街綺羅菓子は誰のものでもなく、誰のものでもあります。暖かく熱い言葉や人の魂が宿っているのかもしれませんね。物体には温度があります。それをどう感じるかは結局人次第です。僕の今日感じたのはほのかな温もりと寒さでした。
今日は松さんのお店に行くのは遅いから明日にしよう。
――コメット
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