第4話

四月十一日


ぐんと気温が上昇し始め遅い春の息吹が日増しに強くなる今日この頃。僕は朝からご飯をもぐもぐと頬張り咀嚼の連続でした。卵焼きが苦かったです、この味は母さんのお手製ですね。ダッシャー兄さんが作ったらもっと美味しいはずですから。本日は三太さんが朝から上機嫌の一日でした、口に合わなかったらしく何時もよりも食が進んでいませんでした。輪にかけてかちんと来たのでしょうか、不機嫌気味な母さんが開口一番社長三太の来月給料は全額削除カットザマス。今回は許しませんからね。と言い残してぷりぷりと怒りながら茶碗を乱暴に流しに持って行きました。後を引き受けたプランサー兄さんが経費で飲んだ額は給料から差し引きますから、と小言の連続を言って三太さんを叱っています。

皆は我関せずの神妙な面持ちで黙々と箸を動かし、知らん振り。機械仕掛けの人形みたいでした。魍魎は隠れて出現しません。三太さんも兄さんに一睨みされた途端に箸を再び動かし始め、ご飯を無理やり口に詰め始めました。ダンサーの作る飯は美味いと余計な一言を滑らせたので母さんの遣る瀬無い怒りの炎に油を注始末。納豆ご飯を食していたので、いつしか口元も滑らかにしたのでしょうね。凄まじいオーラがひしひしと伝わるので、皆は急いでご馳走様と言って仕事場に慌てて向かう破目に。鈍い三太さんは一人寂しく、摂りたくも無い食事をもそもそと不味そうに食べています。女心が分からない方ですね。

その日一日三太さんは透明な硝子窓で区切られた執務室に篭り、日がな一日意味の無い仕事をしていました。白紙のコピー用紙に隅々までペッたんペッたんと判子捺し作業。小さいパソコン相手に眼を剥き、しょぼしょぼさせ瞬きしながら目薬差し込んで、海外の卑猥なネットに繋ぎ支払いの決済を済ませ興奮する始末。消しゴムに何本もシヤー芯突き刺して、戦艦大和とビスマルクを作り、玩具に見立てて戦わせる子供の遊び。時折上がるバギューんや、ドギューんにドォン、ドォンの効果音にうんざりします。早く大人になって仕事してください……

そうそう仕事といえば黒須玩具店は基本、自社で設計から販売まで一貫して営んでいます。当社はアフターケアもばっちりしています。子供に夢を与える仕事で食べていけるなんて幸せ者ですね僕達は。最近の流行商品は絵本です。飛び出す絵本に匂いがついている本。音が出る絵本。はたまた玩具開発で精巧な極小城が大成功。当社は小さいながら一躍世界の大巨人となり名を馳せました。うはうはの高笑いが止まらないみたいです。邪まであざとい三太さんは嬉しいでしょうが、実質会社を運営しているのは僕達です。

商品の開発製造の担当者はキューピッド姉さんで、毎日二階の研究室に引き篭もってぶつぶつとドゥンダー兄さんを悪し様に罵っているか、恨み辛みの怨念を込めて魔の呪詛を繰り返しています。その成果が半分は爆発物か、奇抜で世に出るには新しすぎる商品が造りだされてしまいマス。基本職人気質な引き篭もりなので、気分が乗らねえやってらんねぇや、とか、合点でぇい、とか口は悪いのですが性格はさっぱりしている男前な性格です。ですが所詮は引き篭もりです、井の中の蛙で内弁慶です。外に出たのはここ数年見たことが有りません。一張羅しかない紫色の作務衣を着こなし洗いすぎて、昔の漫画に出てくる山篭り武者修行中の空手無頼漢みたいに肩がボロボロに擦り切れています。引き篭もり同士の共通点を僕は見つけましたね。そうそう、最近姉さんは近場にあるコンビにアイドル目指して頑張る、XYZ百式なる、都市伝説狩猟狙撃手との連絡通信手段みたいな名前の、仲が剣呑そうな弱肉強食勝ち抜き戦の大所帯アイドルに憧れて、紆余曲折し、現在は西友を目指しているらしいです。何も都心でスーパーのレジ打ちに憧れなくてもいいと思わないのでもないのですが。ん? 声優の間違いでしたね……うっかりです。確かに最近の声優は歌って踊れるアイドル顔負けの八面六臂の大活躍ぶり。然も今はプログラミングされた機械音までもがアイドルになっている時代、次代のアイドルは貴方達でぇす! と声高に歌うが、だがその前に姉さんは痩せなくてはならないのでは?

一緒に居ると澱む室内。上がる室温。増える湿気。維持できない気力。そして下がるモチベーション。太っちょ体質の丸々とした指。ふくよかに肥えた腹回りに弛んだ顎周辺。それじゃあアイドルになるのは無理ですよキューピッド姉さん。まずは現実とむきぁう事から始めましょう。それでも細かい小手先の技術は神業の冥利。日本に来るまでは痩せていたんですから昔を思い出してください。

定時間際、頑張って帳簿ソフトのキーボードを打ち込む僕に、ドゥンダー兄さんが仕事を押し付けてきます。この書類をキューピッドに渡してくれ、俺は今から外回りの営業に出掛けるからと言い残し大事な鞄抱えて雑用仕事丸投げしていなくなりました。

もう、僕だって忙しいんだからそのくらい自分でやってよね!

とは思っていながら、口が裂けても言えないので黙って与えられた新たな仕事を遣り遂げます。渋々書類持って二階に上がると、そこには小太りの幽鬼が住み着いていました。恐ろしい顔付きで試験管片手に、白煙吹き上げて、怪しげな黄緑色のどろりとした、とろみのある液体を注いでいた所でした。あの姉さん……ちょっといいかな? ドゥンダー兄さんから書類を渡すように言われたんだけど……と尻を半ばむずむずさせ、モジモジしながら訊ねる僕でしたが香ばしい匂いに気付きました。成程あの怪しげな液体は葛湯でしたか。甘いものは太るよ姉さん。と言うと姉さんは、

おめえさんも呑むかい?

と朗らかに尋ね気風良く手渡します。キューピッド姉さんは何時も試験管で紅茶とか飲んでいるので見慣れていますが、知らない人が見たら、きっと一目散に逃げ出すでしょうね。でも僕はこの場所が案外気に入っていますのでちょくちょく息抜きに訪れます。キューピッド姉さんは、その都度何かしらのお茶を出して歓待してくれるので僕は姉さんが好きです。刻み生姜でぴりりと味が引き締まり、試験管で呑む葛湯は格別の味でした。

糞ったれのドゥンダーからの仕事カイ?

そうだよ姉さん。

まーたあいつの事だ裏で何かしらの取引でもしてヘマっぴしたんだろうな。

姉さんそう言わず何とかしてあげないと。

んあこたぁ百も承知さ。あの腐れ野郎はあたしと真っ向から顔を合わせんのが嫌だからこうしてあんたを寄越したのさ。どうせクレーム関係の書類だろうね、いいさあたいがやってやるよ。

とふうふうした息遣いで、吐息なのか、冷ましているのか判別がつきませんが、なんだかんだ言いながら遣り遂げる姉さんは素敵ですよ。家族だから見捨てないのも僕は姉さんの美点だと思います。微笑ましい光景ですね。血の繋がりとは素敵ですね。

姉さん今日の夕御飯は何かな?

僕が尋ねるとくんすかと鼻を動かし、ああ、今日は辛い物だねと苦笑いしながら言いました。姉さんも素直じゃありません。やっぱり家族の絆は見捨てられないようです。

ダンサー兄さんが今日は麻婆豆腐を作ってくれました。そこかしこで遊んでいた妖怪に魑魅魍魎の連中は集まり、愉しげに宴を始めます。この光景が我が家の日常です。草鞋の九十九神は麻婆を初めて食べたのか、辛~いと言って、それっきり姿を現さなくなりました。この辛さが好いんですけれどね。すっかり朝の出来事を忘れている三太さんは上機嫌です。久々に御飯を完食し、麦酒をがばがばと飲んでいます。と言ってもよる年波には勝てません、茶碗半膳分に瓶ビール一本です。そうそう三太さんが上機嫌で自室に戻ってから母さんが教えてくれました、三太さんは朝、誰も居なくなった時を見計らい、一大事と思い、凄まじい勢いで土下座体制に移行。次いで申し訳ない我が悪かった。と殊勝な言葉をつらつらと紡ぎ出してきます。何とか間とか一万円を手に入れるとそそくさと逃げ出し、退散する情けない後姿には、ほのかな憐憫の情さえ浮かびました。

――自業自得ですね。

――コメット

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