第2話 今日も今日とて
今日も今日とて、僕はマシュマロを頬張りながら窓際で頬杖をついている。今日は苺のジャム入りなのでいつもよりちょっとリッチな気分だ。
「今日の夕飯は何だ、召使いA」
アーニャは相変わらずノソノソとそこらじゅうを這いつくばりながら掃除全般をはじめとした雑務をこなしている。僕にかかれば指先一本だって動かすことなく終わる仕事だが、それがあいつの生業だというのだから黙ってやらせてやろうではないか。慈悲深い僕の御心を知っているのかいないのか、アーニャは目尻を吊り上げて僕を睨み付ける。
「召使いじゃなくてメイド。そこんとこ混同しないでほしいわね」
ツンとすましてそんなことをのたまうメイドに、
「そうは言うが、具体的に何が違う?」
と問いかけると、暫く押し黙った後で「……気分よ!」と怒鳴りつけてきた。頭の悪いメイドだ。
「ところで僕は今日の夕飯を聞いているのだが」
重ねて問いかけると、アーニャは溜め息をつきながら答える。
「今日は街の方にチキンを頂いたからソテーにするわ」
「ふむ」
僕は若々しい鶏の肉汁が口の中でじゅわっと広がるところを想像した。アーニャは粗暴な女だが料理の腕はなかなかだ。特に何といっても肉料理が美味い。
「当然トマトソースだろうな」
僕は人差し指と親指で顎を撫でながら言った。
「……塩コショウにしようと思ってたけど」
「トマトソースだろうな!」
僕のコトラはアーニャに通用しない。だが、だからといって言うことをきかせることができないわけではないのだ。何せ僕はアーニャの主人で、僕の言うことは絶対なのだから。
「わかったわよ!」
こうして今日の夕飯はチキンのソテー(トマトソース)に決定した。アーニャは溜め息をつきながら立ち上がると、膝の埃を軽く払う。
「あんたは本当にワガママね」
「当然だろう。この世の何もかもが僕の『我が侭』なのだから」
「……」
僕の言葉にアーニャは少しだけ俯くと、何かを言おうと口を開いて、しかし何も口にせず唇を噛んだ。
「夕飯ができたら呼ぶように。僕はもう暫くこうしている」
黙ったままのアーニャにそう命じて、僕は再びマシュマロを口いっぱいに頬張る。苺の甘酸っぱい香りが広がって、耳の下がきゅんと痛くなった。
「……わかったわ」
アーニャはそう言うと静かに部屋の扉を閉めてその場を立ち去った。彼女はこういう時の僕が誰にも邪魔されたくないことをわかっているのだ。
地上十二階。遥か高みにいる僕のあずかり知らないところで平々凡々平穏無事にたくさんの人間が暮らしている。ここからはそいつらがどういう表情をしているのかなんてわからない。
幸せ、なんだろうか? 僕にはそれがどういった感情なのか見当もつかなかった。だからこうして観察している。人間とは、いかなるものか? その答えには十と四年の時をもってしても未だに辿りつけずにいる。
空は少しずつ暮れ、街の至る所に明かりが灯り始めた。人の影がひとつまたひとつと少なくなっていくのを確認しながら、僕はただひたすらに、口の中で溶ける甘酸っぱいマシュマロを時間をかけて咀嚼している。
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