ことばの魔法のすむところ

あだがわ にな

第1話 かくも優雅な午後

 マシュマロをもぐもぐと頬張りながら窓の外で蟻のように蠢く人間を見下ろすのが僕の趣味だった。ここは地上十二階。人がゴミのようだとはまさにこのことではないか。


「人間とは……かくも小さきものか」


 ふふふと笑う僕は、さながら城の最奥に潜む魔王。あるいは最強の勇者。あるいは――。


「恐れながらあんたの小ささに勝る人間はそういないわ、リドル」


 後ろから余計な茶々が入った。僕はチッと舌打ちして振り返りもせず答える。


「そう言うお前は無駄に成長しすぎだ。縦にも横にもにょきにょきにょきにょき鬱陶しい」

「横には伸びてないっ!」


 空を切る音と共にティーカップが飛んできた。とんだ乱暴女だ。僕はきゅっと眉根を寄せながら、力を籠めて呟く。


「“散れ”」


 その言葉と共に、空中のティーカップは木端微塵に砕けて床へと落ちた。まるで物理法則を無視したその動きに驚く者はこの場にいない。


 アーニャは大仰に溜息をついて、「掃除が面倒臭いのに、ムカついてついやっちゃうのよね」とスカートを翻らせる。


「御託はいいからさっさと掃除しろ。お前仮にもメイドだろう」

「仮には余計よ」


 そう言ってアーニャは部屋の外に出て行った。恐らく掃除用具を取りに行ったのだろう。


「……不便だな」


 何もかもが思い通りにならない生活というのは。


 僕は椅子に腰かけたまま足を組んで、箒とちりとりを手に部屋へと戻ってくるアーニャを迎え入れる。


「別にわざわざ掃除なんぞしなくても、僕に頼めば一瞬で片付けてやらんでもないのに」

「あんたさっきと言ってることが真逆よ」


 僕の魅力的な誘いを一蹴して、アーニャは少しだけ目を細めた。


「……コトラの力を無闇に使うのは感心しないわ」


 アーニャの声は予想外に真剣だ。だけど僕はそのことに気付かないふりをしながら、両手を広げてふんぞりかえる。


「何故だ? この世の何もかもが僕の思い通りだっていうのに!」

「……あんたって本当に馬鹿ね」


 アーニャはそう言ったきり黙ってしまった。


 彼女が悲しそうな顔をしているのに気付かないふりをして、僕は今日もこの部屋でマシュマロを貪る。


 十四歳の僕がここに引きこもり始めて十と四年。生まれてから死ぬまで僕の力が外の世界に影響を及ぼすことは無い。それは、コトラを継ぐ者が代々守り続けている掟だった。





 昔々の話をしよう。この世界に唯一無二の魔力、コトラを持つ一族は、ひっそりと森の奥で暮らしていた。

 

 コトラの力は言葉のままに全ての事象を操ることができる。

 命じるだけでこの世の全てが何もかも、思い通りになるのだ。

 けれど、だからこそ多くは望まずに、ひっそりとつつましく穏やかに暮らしていた。


 ある日、森を訪れた探索者により、コトラの存在は明るみになった。

 人々はこぞってコトラの力を欲しがり、やがて大きな争いが起こる。

 血みどろの惨状にコトラの民は嘆き悲しみ、高くそびえる屋敷を作ってそこに閉じこもった。

 二度とこんな悲劇が起こらないように、力の継承者はこの屋敷から一歩も外に出るべからずという掟を作って。





 だから僕はこの部屋で、こうして日がなマシュマロを頬張る優雅な生活を楽しんでいるのだ。

 幸いこの町(そういえば名前もよく知らない)にはいつの間にか『コトラ信仰』なるものが根付いていて、献金やらお供え物やらで食うに困らない。大して役には立たないがメイドもいるし、悠々自適の毎日だ。


 そうそう。あの小生意気なメイドはアーニャという。コトラの民に代々仕えてきた一族の娘で、俺とは所謂幼馴染みだ。

 アーニャの一族はコトラの民と生活を共にすることによって、ある能力を手に入れた。自分自身に向けられるコトラの力を無効化する、『破魔の力』。万能で比類なき俺の力も、アーニャの前では効力を無くしてしまうのだ。

 まぁコトラの力が無くてもあんな小娘に言うことをきかせるぐらい訳も無いので全く問題は無いのだが。


 好きな時に寝て好きな時に起き、腹が減ったら飯を食って気が向いたら風呂に入る。

 こんな毎日を素敵以外の何という言葉で表そう。

 この狭い部屋の中で俺は自由だった。遥か地上で蠢く有象無象の人間とは違って。

 だから俺はあいつらを見下ろしている。この部屋の窓から、暇さえあればいくらでも。

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