第3話 招かれざる客人

 ぼんやりとした意識の遥か遠いところで、僕を呼ぶ声がする。僕はそれを手繰り寄せるように目を開けて、二、三度瞬きした。


「やっと起きた!」


 目の前では小うるさいメイドが僕の顔を覗き込んで眉を吊り上げている。どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。


「……晩飯か?」


 右目の端を擦りながらそう尋ねると、「何呑気なこと言ってるの!」と叱咤された。心外である。


「リドル、とにかく大変なの! 今すぐこっちに来て!」


 言うが早いが腕を引っ張られて、最早立ち上がるしかない状況だ。僕はしぶしぶ身体を起こすと、アーニャに導かれるまま歩き出す。小走りになっている彼女の様子から察するに、何か重大な異変が発生しているらしい。少なくともチキンのソテーを焦がしてしまったとか、そういうレベルの話ではなさそうだ。


 彼女に導かれたのは屋敷のエントランスホールで、僕がその場所に立つのは実に十年ぶりだった。そしてそこに僕達以外の人間が立っているのを見たのは、生まれてこの方これが初めてである。


 そこには白銀の鎧を身にまとった見目の美しい男と、数人の町人らしい大人が厳めしい顔をして鎮座していた。


「どうしたメイド! 俺は早くコトラを騙るイカサマ野郎を連れて来いと言ったのだぞ! 何だそのガキは」


 鎧の男はそう言って拳を振り上げる。男の言葉に呼応するようにして、町人たちもそうだそうだと囃し立てだしてもう手に負えない。アーニャが迷うような視線を向けてきたので、僕は小さく頷いてやった。それを目で確認したアーニャが、こほんと咳払いをして厳かに告げる。


「この方が、コトラの継承者であらせられるリドル様です」


 一瞬しん、と辺りが静まり返った。そして暫くすると、それが次第に屋敷の壁を震わせるようなざわめきへと変わっていく。


「なんだと!」

「こんな子供が……!」

「今までこのガキを神だと崇め奉っていたのか!」


 町人たちが口々にそう叫んで、頭を抱え始めた。僕はそれをひどく冷めた目で見つめている。これだから、下の人間に関わるとろくなことにならないのだ。今までのコトラの歴史が、それを物語っている。


「静粛に!」


 鎧の男が勇ましく声を張り上げ、腕を水平に振る。


「我こそは、真にコトラの力を継ぐ者、シド・ウェンデル!今こそ我が力を皆に示さん!」


 シドと名乗った男はそう言うと、胸の前で拳をぐっと握りしめた。


「……“花よ”!」


 シドはぴんと張り詰めた声でそう命じると、握りしめた手を開いてみせる。


 何もなかったはずのそこには、どこからか現れたピンク色の可憐な花が一輪。うぉぉっ、と町人たちがどよめくのが耳障りだった。


「すげぇや!」

「やっぱりシドさんは本物のコトラなんだ!」


 ふふん、と得意そうに笑むシドと名乗る男を、僕は鼻で笑う。隣にいるアーニャだって、わかっているのだろう。こんなものただの子供だましにすぎないということを。本当のコトラの力を見た者なら誰だってすぐに気付く。魔の力がこんなに可愛らしいものであるはずがないのだ。


「……馬鹿らしい」


 そう言ってくるりと踵を返した僕に、シドは挑戦的な言葉を投げかける。


「……逃げるつもりか?」

「……何だと」


 再びシドと向かい合った僕を、アーニャが心配そうな顔で見つめていた。甲冑をカシャンと鳴らしながら腕を組んで、シドは続ける。


「自分がコトラの力の持ち主だと証明しなくていいのかと聞いている」


 シドの深い緑色をした瞳が、僕を試すように見下ろした。


「俺はこうして力を示した。次はお前の番ではないか? 今こそ見せる時だろう。コトラの真の力を!」


 シドはそう言って町人の方を振り返る。視線を向けられた人々は「そうだそうだ」と賛同し、自分勝手な声と共に拳を振り上げた。


「本当にコトラの力の持ち主だというのなら、うちをもっと金持ちにしてくれよ!」

「俺の家の屋根が壊れちまったんだ。直してくれるだろ?」


 我先にと願いを口にして騒ぎ出す、愚かな人間たち。


 こういう輩がいるから、自分達コトラの民は平和に暮らすことができないのだ。いつだって我儘な欲望に巻き込まれ、利用され、傷つけられる。


 僕の拳は震えていた。腹の底から怒りのような悲しみにような感情が湧き上がってきて、抑えることができない。


「……るさい……!」


 唸るような声で、僕は吠えた。


「五月蠅い五月蠅い五月蠅い五月蠅いっ! 何も知らない癖に、たわ言ばかりほざくな!」


 僕は目を瞑っていたが、それは決して泣きそうだったからではない。こんな輩を視界に入れて不愉快になるのが嫌だった。ただ、それだけなのだ。


「……今日のところはお引き取り下さい」


 アーニャが有無を言わせぬ口調でそう言って、町人と鎧の男を玄関口まで追いやる。


 なんやかんやと文句や罵り言葉を口にしながらも、この寒空の下に追い出されてしまったら為す術も無い。


 そうやってはた迷惑な来訪者たちはすごすごと立ち去って行った。


 このシドという男を除いて。


「俺は帰らん……帰らんぞ!」


 男はドアの縁に必死でかじりつき、一人きりになっても尚抵抗している。


「……いい加減隙間風が寒いんですけど、出て行ってもらえます?」

「嫌だと言っている!」


 シドはそう言って、アーニャの隙をついて屋敷の中に再び飛び込むと、僕の元まで凄まじいスピードで駆け寄ってきた。鎧が擦れる金属音がひどく耳障りだ。


「頼む!」


 ガシャン、と一際大きな音がしたので視線をそちらにやった。僕はそのまま目を剥いて暫く動けない。これは恐らく、土下座というやつだ。


 シドは床に手を付き、膝を付き、頭を垂れていた。


「非礼は詫びる! この町の人間が、あんたは人と会わないって言ってたから、こうするしか無いと思ったんだ。頼む! コトラの力で、成し遂げて欲しいことがある!」


 頼む。頼む。


 何度もそう言ってシドは額を地面に擦り付ける。アーニャが珍しく困った顔をして慌てていた。


 僕は少し考えて、口を開く。


「おい、男」


 シドはおずおずと顔を上げて、僕の顔を見上げる。


「僕達コトラの民は、人の願いを聞かないことにしている。お前もさっさと帰った方がいい」


 僕のすげない言葉に、シドは悲痛な叫びをあげた。


「そんな! 話だけでも!」

「聞く必要は無い」


 そう言うと僕は今度こそ踵を返して、エントランスを後にする。


「アーニャ、そいつを追い出しておけ」

「リドル!」


 アーニャが何かを言おうと口を開くが、それを邪魔するようにして僕は『絶対の効力』をもつその言葉を付け加えた。


「これは命令だ」

「……わかったわ」


 アーニャの返事を確認してから、僕は自室への道を辿って行く。明かりの灯ったエントランスからは、「俺は帰らん! 帰らんぞーっ!」という往生際の悪い男の声がした。

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