第2話 ダメダメ麻生洋明! 男はこうしてダメになる!!

「…………………」



 彩香が駅で突然倒れた日から一週間の月日が流れた。


 その時間は短いのか長いのかわからないが、少なくとも洋明を変えてしまうには十分な時間だったらしい。



 「グビグビグビグビグビグビ」



 今日は日曜日。気持ちよさそうな日光が外を照らすが、洋明は外出する気になど全くなれなかった。

 布団に潜ったまま動かず、時折手を出してはそばに置いてあるウィスキーのビンを掴んで布団の中へと持ってくる。未成年がなんだというのか。飲みたい物を飲んで何が悪いというのか。法律などクソクラエである。


 その行為を何度繰り返したか、洋明の部屋には様々なビンを所狭しと転がっていた。


 さらに、部屋の隅には天井に届きそうなくらい積み上げられたウィスキービンのピラミッドがある。専門家が見れば、その積み方に感嘆の息を漏らすだろう。洋明が一週間で飲んで空にした素晴らしき芸術(アート)である。


 そのピラミッドの周囲は、その芸術を崇めるように大量のゴミも散乱していた。現在進行形で洋明の心の荒み具合を現しており、それはまだまだ増え続けている。



 「へへへ……酒だ……もっと酒だぜ………」



 彩香はすぐに病院へ運ばれた。当然、その日洋明は彩香につきっきりだ。


 彼氏という事で医者は洋明に彩香の容態を告げてくれた。



 『彼女が目覚めるのはいつかわかりません。もう天命を待つしか…………ギギギ……なんたる我が身の未熟……ッ!』



 洋明は医者の襟首を掴もうとする衝動にかられたが、そんな事をしても意味はない。言いようのない虚脱感だけが次第に洋明を蝕んでいった。


 眠り続ける彩香の傍にいたが、時間が過ぎていくと胸が張り裂けそうにな痛みに襲われ洋明は病院を出て行った。その後見舞いに何度か行くも、眠る彩香を見るのは自己満足にもならず精神ダメージにしかならなかった。


 洋明が堕落してしまうのは当然の結果だった。彩香は愛する存在であると同時に洋明の命そのものとも呼べる存在にまでなっていたのだから。



 「酒……ウグ! グググググググ! ギギギギギィィィ~~!」



 棚にしまっていた最後のウィスキーを出そうと布団から出た瞬間、洋明に襲ってきた不意の頭痛。それは頭痛と呼ぶには生温く、自身を消そうとする歪みに他ならない。


 すぐに洗面所へ行き自分の顔を見つめ呟く。



 「オレハアソウヒロアキダオレハアソウヒロアキダおれはアソウひろあきダおれはあそウヒロアキダオレはあそうひろあキだおれは麻生洋アキだオレは麻生ひろ明だオレは麻生洋明だオレは麻生洋明だオレは麻生ヒロアキだ」



 ブツブツと自分の名前を洋明は言い続ける。


 あの事故があった午前八時三十五分。事故の翌日から洋明はこの時間に発作を起こすようになっていた。トラウマというヤツなのかもしれない。


 この時間になると自身が消えていく感覚に襲われるのだ。それは自身への警告として酷い頭痛を起こし、放っておけば自分が誰かわからなくなると訴え始めるのだ。


 これを防ぐにためには、自分を見ながら自身の名を呟かねばならない。本能がそう告げていた。



 「ハァ……ハァ……ハァ……ゼィゼィ……」



 頭痛が消えるとフラフラと歩き、棚からもう一瓶ウィスキーを取り出しラッパ飲みする。


 この調子だと第二のピラミッドが完成するのに長い時間はかからないだろう。



 「誰かオレを転生させてくれ! 彩香の消えない人生によぉ!」



 グビグビと酒を飲みながら叫ぶ墜ちた男の姿は滑稽で最低以外の何者でもなかった。



 ぶっちゃけ、見苦しすぎて哀れである。



 「ちくしょう……ちくしょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ…………」



 カーテンを開けると、気持ちの良い日光が消え曇り空へと変わっていた。


 ふと視線を下ろすとベランダに広がる小鳥達の死骸が目に入る。


 すでに白骨化している。麻生が餌をあげないので餓死してしまったようだ。



 「絶望! 絶望! 暗黒! 暗黒!」



 ダン! ダダン! ダン! ダン!


 懐いていた小鳥達の死を見て足踏み、一層惨めな気持ちが洪水のように溢れてくる。


 風の噂だと、最近吉野のおばちゃんは離婚やら何やらで全く近所に顔を出しておらず、可憐だった佐中幸恵は反抗期に入りヤンキーと化してしまったらしい。




 これは不幸に満ちている。




 絶対マイナスに満ちている。




 避けられぬ終焉が始まっている。




 「ギヒヒィィィィ! シャルアアアアアア!」



 なぜそんな現状になっているのかと麻生は考えた事がある。


 答えはすぐに解った。


 自分が不幸を周囲に振りまいてしまったからだ。己の不遇が周囲に伝播してしまったのである。我が身に訪れた絶望が周囲へ飛び散ってしまった結果なのである。


 第二の命とも言える彼女がああなってしまったのだ。自身が抱えた闇は内包しきれず、溢れ出してしまったのだろう。それなら今起こっている周りの不幸は説明できる。空が曇ってしまった事だって、不安定な世界情勢だって、新種の疫病が蔓延したって、若者が反抗的態度を取るのだって、何だって説明できる。


 洋明は確信した。



 「ガリガリガリガリガリ」



 知らず知らずの内に部屋の柱を噛んでいた事に洋明は気づいた。たしか、さっきまでベランダに出て意味もなく叫んでいたはずだったが、その間の記憶がない。


 最近このような記憶の消失がよくある。おそらく、心のショックで自身を闇が蝕んでしまった事によるものだろう。



 「ググググ……なんで……ナンデ……ナンデ」



 どうして彩香がああならねばならなかったのか。


 考えれば考えるほど彩香と過ごした甘い時間が頭の中を流れていく。



 「洋明さぁーん。ウフフフフ」



 「おいおい待ってくれよー」



 そして、そんな記憶が浮かんでは沈没していく。



 「ぐぐ……ウギ! ウギギギギギ!」



 不意に来た頭痛に洋明は奇声を上げた。


 甘い時間が頭の中を流れては耳から零れ落ちていく。洋明の本能が彩香を忘れろと強制的に記憶を消しているのだ。このままでは死(し)人(びと)決定とわかっている本能は彩香の記憶を消す事で自身を保とうとしていた。



 「ち……くしょう……本能のヤロウ……」



 あまりにも酷い仕打ち。それが最良の選択肢だったとしても、本能許すまじ。



 忘れる事はできない。


 忘れる事などできない。


 彩香の事を忘れてたまるものか。


 耳から流れ落ちていく記憶をかき集める。集めた思い出をあたふたと口に流し込み、満ち足りていた過去を取り戻す。


 傍からみれば空中犬かきでもしているような光景だった。



 「忘れるか……忘れるモノカ……グギィィ……」



 床に散らばった記憶を集めては口に流し込む事を続ける。


 これは気休めな行動だ。零れた記憶全てをすくい取る事はできない。しかし、ちょっぴりだけでも帰ってくるのだ。無駄な行動と切り捨てる事はできない。


 洋明は空中犬かきを必死の形相で行い。


 その後、再びウィスキーをラッパ飲みする。



 「ウヒヒヒッヒ! ウッヒヒヒヒ!」



 バタリと布団に倒れ、そのままカタツムリのようにモゾモゾと中へと侵入すると何度目かわからないため息を吐く。



 「………………」



 洋明は思う。


 このままではダメだ。

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