第5話 妄想男
「はああああ? なんでだよ!」
男女こと麗は机をドンと叩き、僕に掴みかかろうとする。それを正人ことゴリラが必死に「麗君、ここ喫茶店だから!」と抑える。
「てか、なんであんたが一番切れてんだよ! あんたが一番僕を歓迎してなさそうだったのに」
麗はゴリラに水を勧められ、それを一気に飲むと捲くし立てた。
「切れんだろ、そりゃ! 飛鳥と成が認めたんだ。どんなに気に食わないことでも自分はそれに従う。なのにてめえが従わないとは、どういう偉い身分だ? どうしてそんな言葉が吐ける!? せっかく飛鳥が認めてくれたのに」
麗は目に涙をいっぱい浮かべていた。いきなりの涙に狼狽えざるおえなかった。
「いや、それは確かにありがたいけども―――」
必死に弁明しながら、心の奥底では早く逃げなければとダラダラ汗をかいていた。やっぱ、やばいよ、この集団。飛鳥さんを盲信しすぎてイッちゃってる人が多い。確かに、彼女を守りたいって想いは一割くらいは分かるけど、後をつけるとかやりすぎでしょ。
「なんでだ、秀君」
必死こいて麗に弁明していると、駿さんが口を挟んできた。
「もしかしたら、警察に捕まるかもとか考えているのかね? だったら心配は無用だよ。この僕が付いているのだからね」
と言って、弁護士バッジを指さす。てか、弁護士の癖に何でこんな危険な集団にいるんだ? 一歩間違ったらバッジ失くすだろ。
「そういう事だったら、安心しろよ。何せ駿は大学在籍中に司法試験に受かった秀才だし、関わった裁判全てに勝ち続けているような優秀な弁護士なんだから」
麗は自分の事でもないのに誇らしそうに駿について語った。麗の話を聴いていると、駿さんがなぜこのグループの一員なのかますます謎に満ちてきた。
「いや、そういうわけじゃなくてですね」
もう、ほんとこの集団ヤバすぎ。誰か助けてくれ、と思いながら、必死にこの場を穏便に抜ける方法を考えていると、成の
「わかった」
という鶴の一声でその場が静まった。
「こういうのは本人の意思が大事だ。無理矢理仲間に引き入れても、意味ないよ」
「けど、せっかく飛鳥が認めてくれたのに」
麗はブツブツと文句を言い続けていた。しかしだからといって僕が「仕方ないから入ってやるよ」と言うことは無く、あっけなく僕は彼らから解放された。ただ、「もしかしたら入りたくなるかもー」とか絶対ありえないことを成は言いながら、LINE交換を無理矢理やらされたが。帰ったら早々に消そう。もう疲れた。
どうやってあの場から帰ったのか、全くわからないが、いつの間にか自分の部屋にいた。徒歩だったのかどうかさえもうろ覚えだ。しかし、何はともあれあの嵐から抜け出すことが出来たのだ。それを実感すると、急に体の力が抜け、ベッドに倒れ込んだ。
「疲れた」
電気も付いていない夕日だけが差し込む部屋の中に、その言葉は飲み込まれた。濃密すぎたこの数時間の中から飛鳥さん以外の記憶を取り除きたい。現実から逃げるようにそのまま深く眠りについた。
あれから何週間も後のこと。昼近くに目を覚ましたために頭がボーっとしてなかなか冴えない。とうに二限目は始まっている時間だった。タカに三限から行くことをLINEした。LINEの友達のところに『なるりん』とか気色悪いラインネームが気色悪い斜めから写した顔写真と共に載っていた。そういえばこれを消すのを忘れていた。まあ、あとでいいか。スマホをベッドの上に放り投げると、ゆっくりと学校に行く準備を始めた。
学校に着くと、遠くの方で女子と仲良く歩いている飛鳥さんの姿を見かけた。これは話しかけるべきだろうか。しかし、滅多に擦れ違うことも多くないこの広いキャンバス内では、今は千載一遇のチャンスのように思える。それに話題も決まっている。あの変態集団のことについてだ。この話なら飛鳥さんは嬉々として乗ってくるだろう。この間のあの集団に対しての辟易とした態度を見れば一目瞭然だ。寧ろ大いに盛り上がり、僕があの変態どもから飛鳥さんを守ると誓い、それに感動した飛鳥さんと僕は流れで付き合うことに・・・。
よし。シミュレーションは完璧だ。こんな完璧なシミュレーションが出来ているのに行かないのは、
僕は手を軽く挙げ、「飛鳥さん!」と呼んだ。すると、向こうはこちらに気付き、友人に何か話して、友人と別れた。そして、こっちにくるっと向きを変えた。その瞬間、僕は心底後悔した。彼女の表情を一言で表すならば『超・不・機・嫌』、この四文字だ。彼女は僕に声を掛けられたのが、相当嫌なことが一瞬で伝わった。
「あ・・・あの」
仁王立ちで僕の前で立ち止まる飛鳥さん。まるで決闘にでも申し込まれたみたいだ。
「何? 何か用でも?」
飛鳥さんは怒り気味の声で、問い質してきた。ただ世間話を少々致そうとしただけなのに、なぜこんなプレッシャーを感じなければならないのか。まるで用が無ければ話してくるな、とでも言いたげだ。黙ったままでいる僕に対して、飛鳥さんは痺れを切らしたのか、大きくため息を吐いた。
「私とあなたって、何も接点無いわよね? 成から聞いたわよ? 結局、例の集団には入らなかったこと」
『例の集団』とは、あの変態集団の事だろう。彼女はあの集団を疎ましく思っていたのではないのか? 疑問が満ちるばかりだ。
「あの集団の一員でもない、私と学科も違う、まして一緒に受けている授業があるわけでもない。あなたが私に話しかける理由って何かある?」
「いや、この間の事とか・・・」
「あの件に関しては、あの時点で謝罪した。また、あの集団についての説明も成がしたはずだし。第一、あの集団に入る事を拒否したあなたが今更何を訊くというの?」
すごい剣幕で『話しかける理由の無さ』を説明され、僕は思わずたじろいだ。―――これが魔王か。話に聞いたときよりも何千倍の威力を増して心をグサグサと抉る。攻撃をする前から味わうこの絶望は、対峙しないと分からない。例えこの手に聖剣エクスカリバーが装備されていたとしても、玩具の剣にしか思えない。魔王の小指で、僕は倒されそうな勢いだった。しかし、僕はここで食い下がらないわけにはいかなかった。
「け、けど、飛鳥さん、僕の事知ってましたよね? それについて知る義務すら僕には発生しないのですか?」
そう。彼女はあの日、僕と同じ大学だという事を知っていた。彼女の言う通り、同じ学科でも同じ授業を取っているわけでも無いのに、だ。入学式で挨拶をしていた飛鳥さんとは違い、僕は(悲しいことに)無名だ。ということは、彼女自身が何らかの興味を僕に抱いていてくれたという事だ。恐怖が心の三分の二が支配していたが、残りは淡い期待を抱いていた。・・・もしかすると、もしかするかもしれない。
「・・・まあ本人からすると気になる事ではあるか」
ぼそりと飛鳥さんは口を開いた。よし。まだ会話は続いている。首の皮一枚だけど。
「あなたがよく一緒にいる、平野君、あのグリーンの髪の男子だけど、同じ高校でね。髪型とか目立つし、良く目に付くのよ。それでふと横を見たとき、いつも同じ男子がいるなと思ってただけ。それで同じ大学の子だと分かったの。別に深い意味はないわ」
つまり、僕はタカのおまけだと。薄々そうかな、とは思ってたけど、本当にそうだとは。くっそ。今度から髪、青にでも染めようかな。
「そういうわけだから、今後私に話しかけないでね。さようなら」
飛鳥さんは踵を返し、スタスタと僕から遠ざかっていった。引き止めようにも何を言えば正解なのか分からないし、「あー」でも「うー」でも何か言葉を発せと命令しても、何も出てこない。当然、彼女は振り返りもしなかった。
なんてざまだ。
何が「付き合うことになるかも」だ。飛鳥さんにとっては、僕なんて累々と死体になっていった野郎どもと同類。甘やかな夢を見て、現実に打ちのめされた『憐れな男その①』であった。
「ふふ・・・ふふふふふふふふふふふふふふふふふ」
僕の隣をすれ違ったカップルがギョッとし、「あれ、やばくね?」とかヒソヒソ話していたが、「何かとあると『やばい』しか使わない偏差値底辺のリア充爆発しろっ!」といつも思う事を全く思わず、寧ろ僕はある一つの選択を取るべきか、取らざるべきかの迷いに全身全霊を使っていた。いや、迷っていたふりをしていただけかもしれない。ただ、これ以外の可能性は無いか、と最後の希望を見出そうと足掻いていただけであった。その証拠に、スマホを弄る右手はLINEを開け、ある名前を必死に探し、見つけるとすぐさま無料通話をタップし、電話を掛けた。
「もしも~し。成デース」
ゆるゆるとした声が雑音と共に入ってくる。LINE電話はこれだから嫌なんだ。しかし、成の連絡先はこれしか知らないし、緊急に伝えたいことでもあるしで仕方がない。
「やっぱ、入るよ」
僕はひとことそう述べた。僕はここでゲームオーバーだとは認めたくなかった。もう後戻りできないことは分かっている。しかし、これしか僕と飛鳥さんを繋ぐものはないということも大いに分かった。たとえ醜くても、天から降ろされた蜘蛛の糸にしがみつく。飛鳥さんの近くに居ることができるのならば、たとえ変態だろうが犯罪まがいだろうが何だってやってやる。魔王を倒せるチャンスを失うことの方が僕には耐えられなかった。
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