第12話 大手町

 この「日本」にはインターネットが無い。

 とは言っても、この世界でも「日本」以外の世界においてはやはり最も大きなネットワークはインターネットであるのだが、日本においてだけは違うのであった。

 でも、それでは「この」日本が全国的なネットワーク環境を持っていないのかといわれると——それは違った。

 この「日本」には、君らの世界のインターネットに比する全国的なデータネットワークは存在した。しかしそれは日本の独自企画の網——一九九○年代、バブルの行き場の無い金を公共投資で実経済に還流させようと思った当時の政府が企画し、世界に先駆けていち早く完成させた家庭までの光ファイバー網がそれであった。

 ただしその上に乗る通信プロトコルは——非同期通信モード(ATM)をベースに開発された——日本独自方式であり、インターネットを始めとした世界の他の地域の網とはその接続にずいぶんと制限がかかってしまうのだが。

 それでも問題は無かった。

 のろのろとしか発展しない日本以外の世界の標準に従うよりも——何事でも——日本の中で最適を目指した方が効率が良かったからだ。

 そしてその巨大な閉域ネットワークは、その効率の追求の果て、この二十一世紀最初の世界でのもっとも進化した網を形作っていた。

 それは「この」世界で初めての実用化された高帯域ネットワーク、そして果てしない欲望を乗せて届けるにたる世界で初めてのネットワークであった。

 それはある意味「君ら」の世界よりも進んでいるのかもしれない。

 回線はすべて管理され統制されていた。必要な通信は優先制御がなされ、リアルタイム性の求められる通信は込み合う事の無いように先に処理されてネットワークを用いた新たなテレビ電話システムが動いていた。

 放送も日本独自の同放通信技術によりネットワークに乗るようになっていたし、ネットワークを用いたショッピングサイトや情報サイトも花盛り。ありあまった金をふんだんにかけてシステムを構築してはすぐに次のシステムを構築して行く企業の姿はポトラッチのようでもあり、そのような無に金を捨てることにより、そこにある何かも一緒に捨て去ることを期待する——まるで浄罪を願っているかのようにさえ見えた。

 それはもちろんこの時代、システムに限ったことではないのだが……ともかく、この通信分野でも超ど級の資金が投入され続けた結果、大手町、「この」世界の「この」地は、世界中より情報が集まる超弩級の通信ハブとなっていたのだった。

 それは始まりは、日本の情報でなく、金にひかれて始まった事だろう。

 この世界でも「日本」のライバル足る金融センターとなっている米国や英国のような国家戦略があってこのハブができて行ったわけではない。

 しかし、それは始まってしまえば、情報が先か金が先か等はどちらでもよい——情報は金を生んで金は情報を集めた。両者が互いに引き付け合い、相互に贈与を行い、その過程で両者に余剰が付け加えられて行く。

 そして余剰——そのすべてがこの大手町を通り過ぎて行った。善も悪も世界中のなにもかもが、幸福も不幸も、喜びだけでなく、ねたみもつらみもなにもかも通り過ぎる——そんな街ならばできるだけ殺風景にならざるを得ないのだった。

 余計な感情も感傷もいらない、少しでもここを流れる世界の澱と反応してしまう感性を持っているならば、それらはまたたくまに腐食されてしまうだろう。そうすると通りは四角いコンクリートの箱となる。

 無反応で無個性で、それがバブルの中でもこの街にきらびやかなビルの建たない理由で——それはここで働く人間も同じことだ。なるべく無反応で無個性であることが望ましい。流れるデータの異常性に一々反応していたら身体が持たないということだ。

 職業上の秘密の中で除き見る、数々の栄光を示すデータの影に、その何倍もの悲惨の前兆が見えてしまう、その一々に不安になってしまっていたら人間のひ弱な精神などとても持ちはしない?

 だから、無視をすればいいのだ——いや無視でさえなく、無意識にも昇らないように、「それ」と触れ合う感性を徹底的に削除するようにするのだ。

 水でだって岩に穴をあけられる。空気にだって触れていれば鉄をぼろぼろにできるのだ。一見何げない無味乾燥のデータだって、そこに触れた者の心を破壊してしまう事ができる。

 だから、今プリントアウトされて来たデータをチェックするオペレータは、アフリカの小国の国家予算並の振込が生じた男の人生の、余計な詮索などをしたりはしない。

 サーバの異常動作と疑われる高額の支払いをピックアップしてチェックしようとしているのがオペレータの今の役目なのだが、一通りのサーバのチェックをして、このデータが既存の不具合によるものでは無いとチェックをしたら、レ点を付けてこの話はそれで終わり。それで良いはずだ。

 ——しかし、とオペレータは少し深入りしてしまう。

 このプリントアウトからみ取れるプロファイルからは、この高額の負債の主は法人でもないしヤクザ等のブラックリストに乗っているような人物でもないことが読み取れる。そんな男がなぜこんな負債を持つ? そしてそれを支払っている?

 いったいどんな人生がここに? これは隠れた英雄の栄光の一部であるのか、それとも人の身では支え切れない不幸を指し示しているのか。

 その考えに少し捕らわれただけなのに、なにかねっとりとした巨大な闇のようなものに自分が落ちかけているような感触に彼は気づき、はっとした表情で、余計な考えをやめて次のデータのチェックに移る。

 そのとおり人は人自分は自分だ。仕事は仕事としてやってればいい。享楽は享楽として薄く付き合うからこそ価値がある。この世界の後ろを除き見るのは危険で意味の無い行為なのだ。

 そう思うと彼は次に打ち出されたプリントアウトはほとんど見ることさえせずにチェックをつけて、ファイルに閉じて終わり。

 しかしもしここで彼がこのプリントをもう少し興味の目で見ていたならば歴史は変わっていたかもしれない。

 数十億にも上る謎の振込の謎を——もし簡単な操作でその振込主のプロファイルを検索していたら、彼はきっと災厄を止めることができた。

 それは日本を転がり行く崖の直前で止める事が出来ただろう。

 彼がもう少し好奇心に狩られていたならば——しかし、投げられた骰子の目はそのようには出なかった。

 つまり——「日本」はもう戻れないのであった。


   *


 アキラとトウコがのるベントレーは日比谷通り、大手町の交差点から大手門に向かって曲がった直ぐの辺りで路上に停車をしている。

 二人は、ここで客人を待っているところだった。

 その客人とは、この後しばらくの間一緒に都内を移動しながら、車中での会談となる予定であったが——その会談こそがアキラの今回の計画の実行へいたる最後の仕上げとなるはずものであった。

 それは、この企みを実行する為の最後の難関であり、このアキラにしても、その表情には緊張の色が見え、足は軽く貧乏ゆすりをしている。

 それをみたトウコが、運転席から振り返りながら、

「柄にも無いわね」と少しからかったような口調で後部座席のアキラに向かって言う。

「いや僕は臆病だからね。自分の限界もできる事も分かった上で、怖れるべきとこは怖れる」

「だから緊張しているってわけ? 今日の会う相手が自分の限界を超えた相手だから?」

「正直に言えばそれももちろんあるが、しかし一番は、今日が賭けだからだ。計画には不確定要素をなるべく排除するようにしてきたし、プランの冗長性もできるかぎりとり続けて来たが——今日の会談だけはどうしようもない。シングルポイントだ。今日の会談がうまく行かなければ計画は大幅な修正をしなければならなくなる。それは、すべてやり直しといっても良いような程の変更となってしまうんだ」

「でもあの人は今日の朝には協力の意を伝えて来たんだと思っていたけれど。だからこうやって会う事になったのだと思ったけど」

「そうだ——なのでレイカが彼らに捕まる事を許した。彼らが本当にレイカを返してくれるかは不安ではあったが」

「下手に彼らの誘拐を妨害しちゃって、私達がレイカちゃんの近くに潜ませていた連中ともみ合いになってもっと大きな騒ぎになるのが嫌だったと言う事?」

「そうだ。昨夜の青山の騒ぎでももうかなり目立っていて、さすがに警察に圧力かけるのも限界だしな。頼んでいる懇意の議員達も少し疑問に思い出しているようだし」

「あなたがいったい何を企んでいるのかって?」

「レイカの件だけじゃなく、あちこちでいろいろと騒ぎを起こしているんだ、まあそろそろ少しは企みがばれる頃だとは思うさ。しかしもうすこしだけ秘密は保たれる必要がある」

「今日の夜にやるんだから、そのくらいは大丈夫……?」トウコの質問に否定的な顔つきのアキラ。「と言うわけでははなさそうね」

 頷くアキラ。

「色々な連中がもう動き出している。今の所、揺動のテロ組織の方に公安含め引きつけられている所だが……今日、何かある事は少なくとも感づかれてしまってる。遅かれ早かれではある」

「遅かれ早かれにしても。そっちがブラフなことに気づかれたら?」

「テロ組織への資金の流れからある男が容疑者として上がるだろう。彼自身は何もしらないうちに口座を使われていたある小さな会社の社長と言う事がすぐに分かるだろうが、それからこっちが用意した偽の犯人まで行き着くには早くても数時間かかるだろう。そして、そいつは計画の事も僕らの事も知らない。そいつが知ってる海外のコーディネイター経由でテロ組織にまではたどり着くだろうが、その後に、そこから僕の所までたどり着く事はまずはないだろうね。——テロ組織と僕の交渉にも間に色々入れているので」

「なら心配はしなくていいと?」

「そうでもない。資金の流れから僕とのつながりがばれる事はないかもしれないが、途中の秘密保持は完璧とは言えないだろう。事が起きるのがスカイタワーな事に気づいてる者はいる——そこで何をするかの詳細は知らないにしても——カンの良い奴はかならずいるもんだ」

「これから会うあの人のように?」

 頷くアキラ。

「この件に巻き込んでいる政治家や企業家が何人もいる——いや彼らは信用できるさ——この計画の結果自分達に巨万の富が得られる事を知っている——崩壊すする時でもそれに逆張りすれば利を得るのがこの市場社会だ——その時が何時なのかさえ知っていれば——またその富は決してその事を口外しない事により保たれる事も——だから……僕は人間の良心は信じなくても欲望は信じているんでね。しかし……」

「それでもばれる?」

「嘘はばれる。協力関係の政治家や企業家には計画の半分しか言っていない。残りの半分が彼らにとっても望まぬ事に、彼らは薄々感づいてくるだろう。それはすでに探られていると思った方が良いだろう。もしかしてすでに気づいて、怖くなって、事後の保身ため警察にチクろうとしている奴だっているかもしれない」

「それじゃ結局、どうなるのかしら? 私達の計画は達成できるのかしら?」

「そのためのこの会談だ——あの老人の後ろ盾があれば実行までは誰も動かない」

「なるほどね、やっとあなたが緊張しているわけがわかったわ。でも臆病っていうより武者震いのたぐいよねそれ。もう決心はついてるんでしょ」

「いや僕は臆病さ——臆病だからここまでこうやってここまでやってこれた。決心なんてずっとできやしない。この瞬間も——何事も——最後の瞬間まで、決断ができずにずっと怖れて考え続けるのが僕さ」

「まあ、そうなのかもね。でもいくら迷ってもやる事はもう決まってるんでしょ」

「ああ、いくら考えてもやる事は一つさ——老人にはすべて話そして許しを得る。あの人には嘘は通用しない」

「なら、やることは……あら」

 トウコがアキラに目配せをする。

 アキラもトウコの視線の方向に振り返る。

 後ろから角を曲がってきた黒塗りのトヨタセンチュリーがスピードを落としアキラ達の車の前にウィンカーを出しながら止まる。

「お着きのようだ」

 アキラはそう言うと、ドアをあけ車からでると、同じように車から出て来た老人に向かって深く礼をする。

 老人は強面で究竟なSP二人に挟まれながら、しかしその男達がかすんでしまうような、強力なオーラを出しゆっくりと歩いて来た。

「アキラくん久しぶりだね」

「はい、ご無沙汰しております。しばらくご挨拶もできず申し訳なく思っております」

 アキラは先ほどまでの緊張は嘘のように、落ち着いた雰囲気で話していた。彼は「本物」を目にして、それ以上どうしようも無い諦めを——自分の今の力の限界を感じたのだが、そうすると自分でもびっくりするくらい落ち着いたのだった。

 全力で当たるしかない。そう思えば、心は全く揺らがなくなったのだった。

 それならば何かを不安に思っていてもしょうがない。やるべき事をやるだけだった。

 アキラは彼の全力を、その身体からみなぎらせながら会釈をした。

 老人はそんなアキラを嬉しそうに眺めながら、 

「よいよい、君のような若い優秀な人が次の日本を作って行くんだ。こんな老い先短い老人のところにわざわざ用もないのにわざわざ挨拶に来るようなことはあるまい」

「いえ、そんな……」

「いやいや、儂に取り入れば、なにか良い事でもあるだろうと、おこぼれにあずかろうとおべんちゃらを使いに来る者は山ほどおるけどな——君はそんな事はしないだろ」

 アキラの顔にまた一瞬緊張が走る。

「いえ——私もいつもお願いばかりで、本日もそんな私どもの為にお越し頂き……」

「よいよい、君のお願いは儂のおこぼれをもらいに来てるのとは違うからな——いつも本音で私と対決に来てくれている……今日もそうだろ」

「……はい」

 老人の少し挑発的な言葉に、アキラは決心を固めたような顔になる。

 それを見た老人はにやりと笑い、

「それならば今日は双方にとって有用な話し合いになりそうだな」と腕を差し出しながら。

「はい……そうなる事を私も確信しております」と差し出された手を握りながらアキラ。

「儂もそうなる事を信じているよ……それじゃさっそくだが出発するとするか」

 そう言うと老人はSPに着いてこなくて良いと手を振り指示をすると一人でベントレーの後部座席に乗り込む。アキラも直ぐにそれに続き、ドアを閉めると車は出発した。


 車は内堀通りまで来ると左折して、そのまま皇居の周りを進む。

 老人も、アキラもしばらくは無言だった。

 老人はじっと皇居の堀を見つめ、何か物思いに耽っている様だった。

 アキラもそんな老人にあえて無理矢理に問いかける事はしない。

 なぜなら、アキラは、この無言ですでに会話は始まっている事を知っていたからだった。話す事ばかりが会話ではないのだ。

 なにもしゃべらずとも、緊張感のある空気を通したこの無言の会話だけで、老人はアキラの事を心の奥の奥までしっかりと見定めているのだ。

 なので、何も話さずともアキラは気を抜く事はない。

 そんなアキラをしっかりと見定めた後、さきに口を開いたのは老人の方であった。

「近頃はこの辺も随分高いビルが建って来たもんだな」

 老人はいつの間にか、前方、半蔵門付近にそびえる数棟のビルを眺めている。

「十年前まであった自主規制も事実上保古になってますから。内堀通りに面したビルででもなければ、建築基準法の範囲内ではやり放題になってますね」

「……気に入らんな」

 何も言わずに、曖昧に頷くアキラ。

 前方遠くのビルの屋上の巨大スクリーンにはエロティックな広告が見える。

 公共道徳を歌いながら産めや増やせと語りかけるサブリミナルのメッセージを伝える広告だった。

 家族団らんの中、交わる色彩の中、カーテンの後ろで重なるシルエット。

 それはこの暗喩に満ちた「東京」に張り巡らされた罠のうちでも分かりやすい物の一つだが、分かりやすいからこそ、それは下品なものに見え……

 アキラは顔を少し顰めるが、

「ああ皇居の周りだから不敬だとかどうとか強く言いたいわけではないぞ。儂は世間に思われてるほど国粋主義者じゃないのでな。ここいらも都心の限られた土地だ——必要があるものはその時代の必要に応じて変えて行けばよいと思うのだ」と落ちついた声で老人。

 また曖昧に頷くアキラ。

「だが……何事にも節度と言うのはあると思うのだよ」

「はあ」

「今の日本少しはやり過ぎだ——そうは思わんかねアキラ君」

 アキラは、今度は大きく頷いた。

「なので今回の君の事は儂は干渉しないと思ってるんだよ。君が節度を越えた日本をたしなめてくれると言うのならば、儂はその邪魔をしないつもりだ」

 息を飲み、次の言葉を待つアキラ。

 しかし、一瞬の沈黙。

 そしてその後、老人は、アキラの心の奥まで読み取ろうかと言う鋭い視線で、彼のの目をじろりと睨みながら言う。

「レイカさんのことも君に預けようと思う——ここまでは朝に伝えさせた事だ。その後に中目黒で勝手に動いた連中がいたのは申し訳なかったが——儂は言った約束は儂は必ず守る。君はその事を心配しなくても良い」

「はい。それは全く心配して降りませんでした」

 アキラの言葉に、うむ、と言った感じで老人は頷くと、

「どうも昨日の夜も、君の計画を知ったうちの連中が勝手にレイカさんを捕まえにいったみたいでの……儂も終わってから話を知ったんだが——ともかくうちの者が勝手に突っ走ってしまったようでな。申し訳ない」

「いえ……そんな」

「もっとも、そう言う連中が来る事を予想して君は対策は打ってたようだがな」

「対策があの探偵の事なら——夜に彼がうまくレイカを逃がしたのは予想外でしたよ。彼はレイカの最後のわがままのおもりにつけただけで」

「ほう——ずいぶんと手練をつけたのかと思ったが偶然か」

 頷くアキラ。

「でももちろんいざと言う時の用意はしておいてましたが、中目黒はもう約束の後でしたので無用に争うよりはそちらにレイカを確保していただこうかと……」

「……中目黒で騒ぎの後始末を手際良く片付けて行った連中がいたらしいしな——その探偵とやらもそいつらに連れ去られたと言うし——君が不用心にレイカさんをノーマーク泳がすわけはないと思ってるよ。昨日の夜もこちらに渡す気はなかったんだろ」

「ええ、レイカだけ逃がすのにはわけ無かったですが……」

「——それじゃ彼女は見張られていたのに気づいてしまうかも知れない?」

「……そうです。それで心変わりも困るので」

「なるほど、彼女には最後の休日を楽しんでもらいたいとな——まるであの昔の映画みたいに」

「まあ、そんなところです」

「——可哀想な子だな。せめてこの二日を楽しんでくれたなら良かったが……」

「はい……そう思います。少しでも長く楽しんでやらせたかったですが、しかしもう時間はありません。可哀想ですが……」

「君はそんな子を自分の為に利用しようとしているわけだ」

「ええ。言訳はしません」

「——隠し事はしてもか?」

 老人の目がさらにギラリと光る。

 アキラはその目に決して気おされることはないが、さすがに困ったようなため息をつきながら、

「いや——隠せるとはおもってませんよ」と。

「なるほど」

「なので、話します。僕は……」

「——やりたまえ」

 唐突な老人の言葉に、びっくりとしたような顔のアキラ。

「えっ……」

「やりたまえと言ったんだよアキラ君。荒っぽい連中を使うのも、あの子の持った秘密を使うのも構わん。そして日本を殺してみろ」

「……すべて、お見通しですか……」

「君の、空売りの儲け話に乗っている、馬鹿な金の亡者どもと一緒にされても困るな、儂を甘く見ておったか」

「いえ、そんなことは決して無いのですが——私の心まで読まれてるようでびっくりしてしまいました」

「物そのものを見ないで、欲にかられて虚像ばかり見ている馬鹿者達でなければな——君の心のうちなどお見通しだろう」

「確かにそうかもしれませんね——でもそんな者はいままでほとんどいませんでしたが」

「儂が『ほとんど』に入らないとはこの怪人もずいぶんと甘く見られたな」

「いえ、すみません、そう言うわけではないですが……良いのですか、あなたは僕が進めてしまっても……」

「儂は止めないといったが?」

「いえ、僕が聞きたいのは止める止めないではなく——あなたは僕のする事が許せますか?」

「ああ、それこそ——許す許さないではない。儂は止めないのだ。許す許さないで語るわけではない」

 また頷き、沈黙するアキラ。

 老人は少し柔和な顔つき、微笑みさえ浮かべたような顔で話し始める。

「君が何か企んでるのを掴んだとき、儂はまずは君が凡人どもがやるようなしょうもない儲け話を企んでいると思った。そして、少し調査をして、それが思ったよりも派手にやらかす——反社会的と言っても良いような……そんな連中もつかってやる大規模な話だと知った時は——それを止める為に君の事をずいぶんと調べさせてもらったよ。しかし、更に調べて詳細の結果が上がって来たら——うちの連中はその意味がちゃんと理解できてない様だったが——儂は……それは儂を久々に驚かせてくれるものだったよ。アキラ君。まったく、老いて、これほど驚く事がまだあるのかと——感心したよ……」

「感心?」

「君にだよ、アキラ君。なぜ君はそんな事を考えた」

「それはあなたと同じですよ。ものには節度があると思いまして、この辺で誰かが日本に灸をすえなければならないと……」

「ほほう? 先ほど隠し事は無しと言ったのではないか?」

 何か言いかけてだまる、アキラ。

 それを柔和な表情のままだが、鋭い目でにらむ老人。

 一瞬の沈黙。

 しかし、何か決意した目でアキラが話始めようとした瞬間、

「時に、アキラ君。こちらの運転手は」とアキラの発声を遮って、運転席のトウコを差しながら言う。「もしかして、九雲さんの……」

「あっ、はい……」

「——大人になってから始めてお目にかかります。お久しぶりです、麻布のおじさま。トウコです」

 トウコは少しだけ横を向き、軽く会釈をする。

「おお、やっぱりそうか——君が小さい時には、九雲さんのところに行ったおりには、無邪気にあそぶ君の相手をずいぶんとさせてもらったもんだ」

「私も覚えておりますよ、おじさま。おじさまがやって来た時はとても楽しかったでした」

「ああ、儂もじゃよ、君はとても可愛らしい子で、将来はとてつもない美人になるから、変な男がよってこないように今のうちから気をつけろと九雲さんに何度も注意したのだが……ほうアキラくんのところにおったのか、とびきりの変な男にひっかかったようだな」

「彼女はそんな……」

「アキラくんにいつも一緒にいる美人秘書がいるとは聞いていたが、名前も変わってたし、あの無邪気な君がこんな怖いくらいの美人になってて——こうやって会うまではさっぱり気づかなかったよ」

「九雲の家は無くなりましたので、私は親戚に引き取られておりまして、その時名字もかわりました」

「ああ、そうだ。それは聞いた事があったな——すっかり忘れておった。やはり年取ると物忘れが激しくなっていかんな……すまんな」

「いえ……そんな、畏れ多いですわ。思い出して貰えて光栄ですわ」

「——いやいや、しかし、運命とは面白いものだな。九雲の君が、九雲家をつぶした仇敵である深泉のアキラ君と協力関係とはな——いやびっくりした」

「いえいえ、おじさま違いますわよ」

「ほう? 違う」

「深泉アキラは仇敵ではありません。幼い頃から知り合った腐れ縁にして、同じ仇敵と戦う仲間ですわ」

 トウコの言葉を聞いて大きな声で笑い出す老人。

「なるほど、そりゃ、そうじゃ。アキラ君にとっても父親は仇敵じゃったな。しかしな、アキラ君……」

「はい?」

「敵と言うのは状況と目的応じてかわるものだ——今は仲間でも——果たして君たちはいつまでも同じ状況を共有していることができるのかな」

 ハルオも、トウコも、何も答えずに、冷たい笑い声を浮かべるのみであった。

 二人とも知っていた。

 老人の言葉が正しい事を。

 二人はたまたま目的地が同じだと言う事で同じ船に乗り合わせた旅の道連れに過ぎない事を。

 いったんの目的地に至れば二人の向かう場所はまた違う所となるに違いない。

 そしてその目的地はもう間近にせまっているのだった。

「ところで——申し訳なかった。懐かしいお嬢ちゃんにあえて——話が随分とずれてしまった。アキラ君」

「はい」

「もうすぐ目的地だ——今日はこんな移動途中しか時間が取れなくてすまなかった」

 車の前方には、老人の今日の目的地である靖国神社の姿が見え始めていた。

「いえ、無理矢理時間をとってもらって謝るのは私の方です」

「まあ、それじゃ、お互い様と言う事にして置こうか」

 アキラは深く礼をして、

「ありがとうございます」と。

 老人も軽く会釈を返しながら、しかし今までのにこやかな顔から一転厳しい顔つきになると、

「着いた所ににレイカさんもすでに運んである。そこからは我々は敵同士だ」

「止めないと言われたのでは」

「君の計画は止めないよ。思い残す事なく存分にやるがよい。しかしその起きた結果に関しては我々は秩序の側としてその役目を果たして見せる」

「僕達がシヴァであなた方がヴィシュヌと言うわけですね」

「そう言うわけだ。これは破壊と秩序の戦い、そしてもしかしたら世界の再創造へいたる戦いとなるだろう。それが望むと望まざるに関わらずに我らの持たされた運命と言うわけだ」

「はい」

 老人の言葉を聞いて決意に満ちた目で頷くアキラ。

 それを見てまた不敵な笑いを浮かべる老人。

「よし——それじゃこれから二手に分かれたなら——正々堂々始めようじゃないか——我々の神話を!」


 アキラ達を乗せた車は内堀通りをそのまま九段下方面へと走り、ほどなく靖国神社の前に着く。

 その直ぐそばの路上に止まる、警備の警官に囲まれた黒塗りの車の後ろにアキラ達は車を止める。

 トウコが路上に出て、後部座席のドアを開けると中からゆっくりと姿を現す老人。その後ろから着いて出て来るアキラ。

 すると、前の車のドアが開き、中から出て来るのは二人の男と、その間に挟まれた、夏美——ではなくレイカ。

 レイカは歩き出すが、両側の男達はそれを止めない。

 レイカは、ゆっくりとアキラ達の所まで歩いて来ると、深く礼をしながら、

「お兄さん……」と。「あの人達に捕まった時は、あんな大それた計画は私には無理だ、このまま捕まってそれはやめてしまえばよいと思ったのですが。しかし……」

 思い詰めたようなレイカの顔。

「これが運命ならば——私はやります」

 アキラは、後悔と決意が入り交じったような目でレイカの事を見て、

「……少しの時間しか与えられなくて申し訳なかったが——楽しかったか」

「それは——もう。これで思い起こす事はありません。後は……」

「……すまない」

「もう何も言わないでください。私の心はもう決まっているのです。それでは行きましょうお兄さん……」

 レイカの決意の満ちた目を見て、深く礼を返すアキラ。

 何も言わずにその場から歩き去って靖国神社の中へ向かう老人。

 運転席のドアをあけ車の中に入るトウコ。

 その後に続き後部座席に入るアキラとレイカの兄妹。

 走り出す車。

 分かれる運命。

 今ここで——ここでこそ——この「日本」を巡るアキラの大きな賭け——その最後の骰子が振られたのであった。

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