第10話 神田

 この「日本」では、何もかもが商売に向かって最適化されていた。

 世界に先駆けて、全国津々浦々まで張り巡らされた広帯域の通信ネットワークもその例外でなく、その流す情報の最後の一ビットまでも無駄にはすまいと、あらゆるジャンルの商売がその上に構築されていた。

 それは、どんなニッチな趣味の分野でも多い尽くしていたので、古書のごとき、それなりに愛好家も多いだろう分野ともなればネットワーク上に必要にして十分な入手経路が確保されていたのだけど……

 ——それでも本を求めるものはこの神田に足を運んだ。

 それは理屈では無いようだ。彼らは、この街を偏愛する者達は、少しかび臭い本の匂いをかぎたいからここに来るのであって、本当に求めるものは、その触感を通じてしか手に入れることが出来ないと思い込んでいるかのように、本の森の間をうろつきまわっていた。

 「君ら」の世界同様に、どんどんと電子化されてゆくこの「日本」のコンテンツの中で、紙の本の寿命は、尽きかけているようにもみえるのだが、この森を刈り尽くすにはまだ少し時間がかかりそうであった。

 隣の御茶ノ水にでも行けば、この十年ですっかり郊外移転した大学のかわりに立ったビルの間を電子端末をかかえたビジネスマンが闊歩する、人種がすっかり入れ替わった街とすでになってはいたが、この森は、昼すら薄暗い茂る言の葉の下、神田古書街はまだ神田古書街のままであった。

 そんな、この街の喫茶店。間違ってもカフェとか言う名前で呼ばれるのは似つかわしくない喫茶店の奥のテーブルに座り、男は今日の成果物をじっくりと観察をしているのだった。

 コーヒーは三杯目。タバコはすでに灰皿一杯になり、飲みつくしたお冷の氷を齧りながら、男は今日買った謎の本のページを、集中してめくり続けているのであった。

 男の座るソファーの横に積み上げられているのは今日買ってきた他の本。昭和初期から戦後高度成長期あたりまでの都市風俗や文化を解説した希少本ばかり。著名人のゴシップに猟奇犯罪、エログロナンセンス——それらは趣味が良いとはとてもいえないが、男はもとより趣味が良いなどと言われようとは思っていない。

 男は好きなことを好きなだけするために今ここにいるのだ。

 普段はさる大きな建設会社の多忙な部長である、彼の、たまの休日。誰に邪魔などさせようか。

 男は、持ってきたバック一杯になるまで、彼一流の触感にピンと来た本を、手当たりしだい買い込むと、家に帰るのも待てずに中身の検分をこの喫茶店で始めたのだが、まずは取り出したのが、今日一番気になったこの本であった。

 それは、何よりも謎の本であった。趣味の領域を大きく越えていると自負をする彼の古書の知識を総動員しても、その本の出所が良く分からない。

 出版社はまったく聞いた事は無い。もちろん素人ばなれした書誌学の知識を彼にしても古今東西、弱小、地方すべての出版社まで網羅していると思っているわけではないが、まったく知らないと言うよりも、頭の隅の何処かにその記憶が隠れていそうに思えるのに見つからないもどかしさ、それが彼を余計にイライラとさせる。

 ともかく、読み始めれば何かヒントでも出てくるだろう、頭の隅にでも眠っている記憶がいきなり起き出しやしないかと、ページをめくり始めるが、読みはじめて直ぐに彼は失望する。それは、その内容に対してであった。

「偽物だ」

 それが、男が思わず漏らした一言だった。

 偽者、それは、男にとって、その本がフィクションであることを意味していた。ノンフィクションの古書を専門に収集している彼にとって、内容がどんなものであっても、フィクションであるということだけで、もはやそれは手元に置く価値のないものとなるのだった。

 彼はそのまま本を閉じ次の本に手を伸ばそうとしたが、もともとの、内容を一瞥してさえも、思い出せない出版社とそのタイトルに、自らのプライドが邪魔をする、もう少しだけ中身を見てみようとまたページを開く。

 それは第二次大戦日独が破れた世界の事を書いた小説であった。アメリカの本の翻訳のようだった。

「馬鹿らしい」

 リアリストを持ってする彼の口からは侮蔑のつぶやきが漏れるが、しかし、骨董無形といくら思っても、その内容に正直惹かれてしまっているので——途中で止めることもできずに、コーヒーをもう二杯おかわりしながら、一気に読みきってしまっていた。

 読み終わって、ため息をつきながら、本を閉じる男。

 そして、

「まあ良い」

 男はそう呟くと、テーブルの上の本を片づけ、席を立った。

 思わず、本に夢中になってしまい、時間をずいぶんと使ってしまった。

 外はもう少し暗くなり始めているじゃないか。

 貴重な休日なのに、この本を読むのにずいぶんと時間を使ってしまっていた。急いで外に出て他の本を探さねば。

 彼は、そう思い外に出る。勢い良く、焦って早足で……

 しかし、ドアを開けた瞬間、不思議な匂いの風が吹き、それを吸った彼は思わず立ち止まる。そして、目眩がして道路に転がりそうになり——慌ててつかんだ店の入り口の脇の、テーブルの上に載っていたものを、なぎ倒して道路に散らばらせながら、その端をつかんで彼はやっと体を支える。

 道路に散らばった棒状の物体を彼は注視した。

「筮竹?  なぜ……いや」

 筮竹か……店の入り口に易を行うため置いておくのは、当たり前の事なのに、なぜ自分が今不思議に思っていたのかを彼は思い出すことができない。

 男は、心の中で道(タオ)に謝罪の言葉をつくしながら、落ちた筮竹を拾い集める。

「どうしたんだ……いや」

 何か男は違和感を感じながら、でもそれが何かは分からない。

 もやもやした気分。

 でも、それならば、と男は、筮竹を拾い終わると、ついでなので、そのまま易を行う。

 筮竹を持ち、慣れた様子で次々に分け、爻を繰り返し、

「沢火革か」

 でた卦はあまり男には心当たりも無いものであった。

 何か変化でも起きるのだろうか。

 近頃、仕事でもプライベートでも、忙しい割に大した変化も無い状態なのだが、なぜこんな卦がでるのだろう。

 男は不可解に思ったが、しかし道の導きは絶対なのだ。

 ともかく、この場所からはもう早くいなくなれと言う事だと男は理解して、脇においていた自分のバッグを掴み、その中で一番上に乗っている本の題名が目にはいる。

「あれ? 『蝗身重く横たわる』?」

 男は思った。

 俺ともあろうものがなぜこんなベストセラーを買ってしまったんだろうと。


   *


 紅葉は神保町の地下鉄駅から古書街に上る階段にいる。彼女がこの街にやって来たのは久々だった。元々仕事が忙しくてさっぱり時間が取れない上に、今週末に控えた大仕事を前にしてこの数ヶ月くらいはさらなる多忙が続きさっぱりと時間が取れなかったのだ。

 ——何か月ぶりだろう。

 ——あの頃、まだ歩く人々の服装は軽装だったような気がする。

 ——でも太陽の光はこんな感じだったかしら。

 紅葉は、地下鉄の入り口から外に出て、差し込む太陽のまぶしさに思わず目をつむりながら、前にこの街に来た時の事を思い出す。

 たぶん前に来たのは秋の始まりのころあたり?

 同じような光に照らされる同じ街。

 でも同じ光でも、秋の始まりと、春の始まりは全く違った気候なことに戸惑う。

 同じ光に照らされ同じような質感で輝く街に踏み出した時の空気の感触が違う事に、眩暈のような感覚を感じてしまう。

「もしかして違った世界に来ちゃったのかもね」

 と呟く。

 いや、紅葉はもちろん分かっている。

 同じ強さの太陽が照っていても、その前に夏で大地の暖まった秋と、冬で冷めた春では気温から、風から何もかもが変わってしまうことは。

 でもそんな理屈とは別に、同じ太陽のもとで違った世界が目の前にあると言うそのこと自体が何か妙な感覚を彼女の中に生み出してしまうのだった。

 それはこれから彼女がしに行こうとしている事にも関係あるだろう。

 この古書街に、彼女が見つけに行こうとしているもの、それはそんな眩暈のような感覚そのものであるとも言えたのだから。

 ——この街自体に現実感の喪失を感じてしまってもしょうがない。

 そんな事を考えながら紅葉は、地下鉄出口から一番近い古本屋に早足で向かう。

 あまり人通りの無い、閑散とした古書街であった。平日の午前、こんな時間にこんな所をうろついているのなんて、リタイアした老人か、マイペースの世捨て人のような連中しかいないように見えた。そんな中で、紅葉の焦ったような足取りは少々周りから浮いていた。

 そもそも、こんな時間にこんな場所を、やり手のキャリアウーマン然とした美人が闊歩しているだけでもかなり彼女は目立ってしまっているのだが、その何かにせつかれてるような表情も合わさって、道の反対側を通り過ぎる人が振り返るほどの注目を浴びてしまっているのだが……

 ——かまいはしない。

 紅葉は周りの目等気にする事なく歩いた。今日は珍しく午前いっぱい時間があるのだが——いくら比較的時間の取れている日だとしても——それに限りがあるのには違いない。「それ」がどこにあるのかは、出会いは、偶然に頼るしかないのだから、少しでも多くの古本屋を回るため、歩みはどうしても早足になるのは……

 ——しょうがない。

 紅葉は、まずは目についた古本屋に入ると、床にも本が積まれた狭い通路を抜け、奥の経済書の欄を眺め、彼女は感覚を研ぎ澄まし探す。

 探すのは背表紙に感じるちょっとした違和感。

 上から下までざっと集中して眺めて……

 ——あった。

 あっさりと「それ」はあった。

 探していた本であった。

 紅葉は書棚からその本を抜き取って、中をちらりと見て確認したならば、そのまま会計に持って行く。

 ——今日は幸先がよさそう。

 そんな事を思いながら会計をすました紅葉は、店を出ると足早に次の古本屋に向かい……

 そこは空振りでもすぐに次に向かい……

 そんな風に古書街を廻り、午前いっぱいをかけ、 

 ——戦果品は三冊だった。

 紅葉は、ビジネスマンの昼食で混む前に何処かに入って本の中身を確認しようと、十二時ちょっと前で古書街の探索を切り上げたのだった。


 紅葉は、古書店街から少し歩き、大学の移転跡地に建ったビジネス商業共用ビルの最上階の展望レストランに入る。

 そこでコーヒーだけ注文すると、買った本の中身を詳細に確認し始めた。

 ——一冊目。

「……特に目新しいものは無いようね」

 と紅葉は小声でつぶやきながら、ページをめくる。

 彼女が読んでいるのはサラリーマン向け経済書のようだった。新書版で経済動向に着いて経済学者がどうせ読者は経済学なんて良く分からないだろうと思ってか、好き勝手に自分の考えを述べているような、良くある、毒にも薬にもならないような本のはずであった。

 その本の内容は、しかし、この「日本」の話ではない。

 まるで君らの日本のような……

 デフレの止まらない日本の経済分析。

 失われた二十年と呼ばれ、ずっと委縮して行く日本経済事情をを淡々と述べた後……

 結論は、人のつながりだ、真心だとしめる。

 江戸時代の自給自足経済の話も述べられて……

 それをざっと流し読みした紅葉は、

「内容に特に文句あるわけじゃないけれど——ああ、こんなのあっちの『日本』ではいったい何冊出てるのかしらね。この手の遭遇率が半端じゃないわ」と嘆息まじりに呟く。

 きっと出口のない経済状況でなんとか可能性のある逃げ道として、真心だなんだと似たような話ばかり出てきてしまうのだろうが……

 紅葉はそんな事を思いながら、そんな日本の事を、そこに住む人々の事を思いやって、もう一度深い嘆息をついてから、ゆっくりと本を閉じる。

 そして残りの二冊に取りかかる。一冊目はクールジャパンとか言ってアニメとか輸出しようとしている日本のサブカルチャーの解説の本。二冊目は去年起きた原発事故と放射能の恐怖をあおる本。どちらもこの手の本、「それ」の収拾者たり彼女にとってはあまり目新しくはない物であった。

 なので、

「ああ、今日はあまり収穫無いわね。とは言え中身をちゃんと見てみないと何とも言えないけど……」と紅葉。

 いやそれでも、紅葉に取って異世界である君らの日本のようなどこかの世界の物語は、彼女にとって興味深く夢中になってしまう物ではあった。

 しかし、午後一番で大事な商談もあるので、昼にあまり夢中になるとそっちの用意が間に合わない。

 紅葉は本を見るのは家でにしようと思いながらバックの中に三冊ともまとめてしまう。

 ——すると丁度コーヒーがやって来たところだった。

 一緒に置かれたレシートには三千円の数字。

 上等な豆のようだが、一杯でこの値段は流石に高いなと思いながら、この間見つけた「あっち」の本に、「向こう」では手頃な価格で品質の良いコーヒーを出すプレミアムコーヒーチェーンが大流行りと言うのが書いてあったのをを思い出す。

「それなら、こっちでもそう言うのやると流行らないかしら、でも……」

 一瞬考えた新ビジネスは、この「東京」の場所代では採算を取るのでは難しいのではないかと紅葉は思い直す。

 ——ならばしょうがない。

 この値段も……

 と思いながら、紅葉はコーヒーを飲みながら、窓の外を見る。

 眼下には神田の古書街。

 彼女にとって特別な街。そして特別になったその理由、たまたま入った古本屋で謎の本を見つけた時のことを思い出していた。


 それは数年前の事——何の気なしに手に取った本が、この世界とあまりに違う長引く不況の日本を舞台にした小説でああったため、所詮骨董無形のフィクションなのか思い、気分転換に良いだろうと軽い気持ちで読み始めた時の事だった。

 どうと言う事のないラブストーリーだった。少女が少年に会い、成長して、別れ、また出会い……どこにでもある平凡な小説であった。

 しかしそれを読んでる間、紅葉は不思議な感覚に捕われ続けていた。

 小説の背景として設定されている不況下の日本——それがはとても作り物とは思えないくらいリアリティがあったのだった。

 いや、とは言っても、所詮は小説の話——一流の作者ならそんな世界創造などお手の物なのではないか。

 紅葉はそんな風に考え、納得して、その小説の事は忘れていたのだが……

 次に彼女は、またたまたま手に取った古書のビジネス本で、同じような不況下の日本を前提に書かれているのを発見して、愕然とする。

 前は小説だからと深くは考えなかった長期不況下の日本。それがそのビジネス書でも前提とされているのである。そしてその日本は、彼女がたまたま見つけ出した本の中に眠る異なる日本は——二つの古書の背景になっているそれは——各著者がでたらめに作ったとしたらあり得ないほどの偶然で——同じものであった。

 バブル経済の崩壊の後、不良債券の処理に終われ出口の見えないまま、新興国に製造業のお株を奪われ、アメリカのような産業転換もできないまま、少子高齢化で活力のそがれて行く日本。この狂躁の「日本」とはまったく違う日本だった。

「誰かが手の込んだ悪戯をしているのでは?」

 紅葉が考えたのは、最初はそんなことであった。同じような日本を想像して、その偽史をこっそりと本にして古本に紛れ込まして手に取った人をぎょっとさせると言う悪戯をしている連中がいるのではと思ったのだった。

 しかし、その後も気になって折に触れて集めた、この「日本」とは異なる日本の本は、悪戯にしては度が過ぎるほど、装丁などは綿密に作られ、相互に整合性とリアリティが保たれていた。

 それに、それらの本には、悪戯にしては、遊びや、悪ふざけな所が感じられない。極々、ど真面目に、その日本の現状を、当たり前の描写として描かれる、論じられていて、異世界の偽造により何か読者を驚かせてやろうと言う部分が全く感じられなかった。

 どんな本を読んでも紅葉は同じ感覚を得た。

 これは本物——少なくとも本気で書かれた本だ。

 であれば……

 次第にこれらの本の中にでてくる日本は、彼女にとって「本当」の日本ではないにしてもなんらかの存在を示している——その日本は何処か異世界に存在するのではと思えて来たのだった。

 それはたとえ想像の世界の物にしても「在る」のだ。

 彼女はそう確信した。ある日、仕事で、そんな異世界からの混入物に見える経済本の作者(この「日本」での同一の人物)に直接会う機会のあった時、尋ねたが本人にそんな本を書いた覚えが全くなかったと言う答えを聞いたとき——紅葉は確信したのだった。

 「それ」は違う世界のその人が書いたのだ。

 その世界は、もしかして実在しない想像の中であったにしても、矛盾なくリアリティをもった何物かとして、きっとどこかにあるのだ。

 ならば、それはもはや実在と言って良いのではないかと。

 何年にも渡ってあちこちの古書店に偽の本をばらまく大規模な悪戯を、装丁や奥付等も緻密に模倣する手間をかけてやって喜んでいる者がいるのでないのなら(そんな事をなんの為にやる?)、そんな異世界があり、その世界の本がこの「日本」に紛れ込んで来ていると考えれば全てがつじつまが合う。

 もちろん確証はないし、そんな事を本気で思ってると誰かに話したらメンタル系のカウンセリングでも受けに行かされかねないと思うから、ベラベラと人に話したりはしなかったが……

 紅葉は「それ」に、その異世界のアイテムに、リアリティに取り付かれ、その世界に入り込む。

 そこはシャトー・ディケムの七四年が出荷されずに幻となっている世界。ソビエトが崩壊し、中国の台頭する世界。この「日本」とは少しずつずれた歴史を持つ世界。

 そこは、「それ」はきっと存在するのだった。

 そして、「それ」はこのような場所、神田だからこそ現れたのだろう。


 ——紅葉はコーヒーを飲み終わると、回想を一時止め、また窓の外を眺める。

 さっきまで彼女がいた古書街は、高層ビルから俯瞰してみると何ともちっぽけな一角であった。

 噂によると、ずっと地上げに対抗してきていたあの一帯も、しかし今度は逃げようがない政府による大規模開発計画により立ち退かされる事が決定したようだ。

 そうしたらこの場所も他の均質な東京と同じ。

「つまらなくなるな」

 紅葉は小さな声で呟いた。

 開発後も古書店はビルにテナントとして入る可能性もあるが、開発されたその後の無機質なビルの中には、あの異世界からの侵入者——謎の本——たちはきっと現れることはできないのでは、なぜか理由も無くそんな事を確信している紅葉の言葉は、とても残念そうな口調であった。

 でももしかして、間に合うかも知れない。

 今週末のアキラの企みが成功したら、そんな都市計画なんて全てが無い事になってかもしれない。

 相変わらず古書街は古書街のままで異世界の入り口としてここにあることができる……

 いやもしかして、アキラはこの「日本」を異世界その物にしてしまうかも知れない。

 それならばそれで紅葉個人的にはわくわくする——変わる世界でひと暴れしようと相場師の腕がうづくのだが……

 でも、そのためにどれだけの犠牲が払われるのか?

 そう考えると、紅葉の思考は混濁してしまう。

 性急な破壊と創造の途中、様々な破滅と悲劇が起きるだろう。

 そのほとんどはこの「日本」のあぶくをうまく掬って小汚く生きて来た連中の悲劇となるだろうが——この「日本」の人々なんて多かれ少なかれそんな生き方に足を突っ込んでいるようなものなので——誰もが何がしかの犠牲を負うことになる。

 投資した株やゴルフ会員権がゴミ同然となり家族の計画が崩れる、時には破滅的な一家離散のようなものも?

 ただ時代に流されただけの善良な魂が破滅するのは、この先にもっとひどい破滅が待っていたのだにしても——当然の報いと切り捨てて良いのだろうか?

 何事も——人の命を賭して行う程の価値があるものなのか?

 ましてやあの子、レイカは巻きもまれる必要が果たして……

「しかし、私は選べないのよね。何もかも欲しがってしまう。そのせいで、いつも、私は大切な物をどっちも失う……私じゃだめなのよね。金儲けとかじゃない、本当に大事な事は、いつも迷って失敗してしまう。——今もハルオ君がこんな話から手をひいて無事に帰ってくれる事も期待して……私じゃだめ。何もかもを欲しがって、なんでもやろうとしてしまう。もう私はハルオ君に仕事の依頼をした日の私でなく、悩み、答えも出せず……君を巻き込んだ事を後悔している、君を取り戻そうと考えている。でも……私じゃない、あなたなら……私にできない事が——あなたならきっとできると思ってるから。だから——期待してるぞハルオ君。きっと君ならばできるのだから……」 

 紅葉は希望と確信に満ちた声で語るのであった。

「まかせたわよ」

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