第10話 勇者菌
「勇者殿、お久しぶりなのね……おやどうしたね」
日曜に別れ、今は金曜日の夜。久しぶりといえばそうとも言える。
そしてどうしたというのは体中にある痣や怪我のせいだろう。
服から出ている部分でこれだ。その下はもっと酷い。捻挫や骨折をしていないだけマシだ。
ボコボコにされたからなぁ。まあそれは別にいいんだが。
「いや、大したことじゃないよ」
「ふぅん。いいんだけどね」
そう言ってちとえりは馬車へ向かった。
「勇者様、お久しぶりです!」
馬車の前にはごくまろととくしま、そしてゆんな様がいた。
それにしても、やはりゆんな様はいい。超キレカワである。
……じゃなくて、後ろにある新型馬車だ。なかなかでかい。
今までのが軽自動車だとしたら、こいつはアメリカンサイズワゴンだ。
これでゆんな様と並んで乗れる。正面から堪能するのもいいが、やはり肩を並べたい。
やがて睡魔に襲われたゆんな様は俺にもたれかかり、俺にも襲われる。
……いや、襲わない。多分、恐らく、きっと、ひょっとしたら。
「さあとっとと乗り込むのね」
ちとえりはとくしまを乗せ、その後ゆんな様を押し込んだ。
俺もとっとと乗らないと、いい席が取れない。
しかしちとえりはそれを妨害するかのようにさっさと乗り込んでしまった。
中を見ると、ちとえりととくしまがゆんな様の両側に座っている。なんてことだ……。
俺がうなだれていると、服を引っ張られる感覚が。
振り向くとごくまろが、いつもの少し困ったような笑顔で見上げている。
うっ……、まあいいか。
別にごくまろが嫌いなわけではないし、正面からゆんな様を凝視できる。あの美しい黒スト様を──。
「おいこらちとえり」
「ん? なんね?」
「なんでゆん……その子はストッキングをはいてないんだ」
「はぁ?」
途端、ちとえりは怪訝な顔をした。何を言っているんだこいつとでも言いたいのだろうが、女のちとえりに黒ストの魅力はわかるまい。
女としては実用的に履いているのだろうが、男からしたら違う。
ロマンである。
そういやごくまろの名前ってマローンだったな。似て非なるものだ。つまりニセモノってわけだ。
少しこいつらにわからせてやらないといけないかもしれないな。
「いいか、ストッキング──特に黒ストというのは、女性の足をより美しく見せるための最強アイテムだ。ニーソも別に悪くない。俺は好きだ。しかしあれは少々幼く感じられる。そしてガーターストッキング。これはケバいというか、魔性のアイテムだ。度が過ぎてひいてしまう。過ぎたるは及ばざるが如しというやつだな。つまりパンストこそが至高。黒スト最高!」
うわぁ……みんないい感じにドンびきだ。ガーターストッキングってこんな気分なんだろうか。
俺は悪くない。あくまで一部男性の趣向を説明してやったまでだ。
だけど少しやり過ぎたかもしれない。
俺は恐る恐るごくまろを見る。
きっとまた困ったような笑顔で俺を見上げて……。
ごくまろは、目の前で盛大な屁をかましたおっさんを見るような顔をしている。
俺は信じていたものから裏切られた気分になった。
「まあまあまあみなさん。聞いてくださいヨ」
「なにかねこんな場所で突然性癖を披露したさすがの勇者殿」
……俺はくじけない。負けない子だ。
「今のはほれ、一般男性の気持ちになるのです。というやつで、決して俺の意見じゃないってね」
「つまり勇者殿はみんなに黒ストを履けと申すわけね」
違う。俺はそんなことを決して思っていない。
だというのに皆は感情の一切篭っていない、人形のような表情で俺を見る。
ゆんな様だけは何かわからない顔をしている。これだけが救いだ。
「俺はみんなに履けなんて微塵も思っていないからな!」
「怪しいね。ごくまろ、勇者殿はストッキングを所望しているのね。履く?」
ちとえりは訊ねた。
俺はこっそりとごくまろの顔を見る。
とんでもなく苦いものを食べた後みたいな顔で俺を見上げていた。
「お前らいい加減にしろよ! いいかよく聞け。黒ストとは成長した女性のおみ足にこそ映えるものであり、お前らのような発展未満の体じゃ惨めになるだけだ!」
「言いたいことはそれだけね?」
「まだ足りねぇよ。いいか残念な体型たち。女性の美しさというのはだな」「フォーカス」「すみませんごくまろ様素敵です」
謝ったんだから俺に向けた魔法陣を早く消してください。
「ごくまろ、その危険人物から離れたほうがいいのね」
「はい」
ごくまろは向かいの席へ行ってしまった。
あちらは窮屈そうに4人が座り、俺は1人で悠々と座る。
なんだこの孤独感は。目の前にいる連中が果てしなく遠く感じる。
俺は1人、馬車の外にある流れる景色を眺めていた。
いいんだ。俺は孤独の勇者。寂しい1人旅さ。
ワゴオオォォォォンマスタァー いぃそげよほぉろばしゃー
ワゴオオォォォォンマスタァー うれーしいたよーりのぉせてー
気分を紛らわすため、つぶやくように歌ってみた。
そしてちら見。
さらにキモい奴を見るような目で俺を見ている。
いや違う。キモい奴を見る目だ。こいつら俺をキモいと認識しはじめている!?
「おいてめぇら!」
「うっわ、声かけられちゃったのね」
「ちとえり様、どうします?」
「陵辱されるですか! 陵辱されるですね!」
俺、なんでこいつらのためにがんばってるんだろう。
「なあ、俺本気でやめていいか?」
「えっ……それは……うむぅ」
いつもみたいに止めてくれよ! なんだその中途半端に生々しい対応!
「もうさ、やめようぜ。そうやって俺を貶めるのが楽しいんだろうが、やられている方はたまったもんじゃないんだからさ」
ぐったりしている俺の手に、そっと触れる小さな手が。
はっとしてその手を辿っていくと、そこには何故かとくしまが。
「ごめんなさい勇者様。その……がんばってください」
「ああ、ありがとう……」
がきんちょなのにいい子じゃないかとくしま。俺の荒んだ心が清められる気がする。
そしてとくしまは振り返り、自分の席に──
「ゆ、勇者様にさわっちゃったあぁぁ!」
「え、えっぴー! えっぴーなのね!」
「とくしま! ちゃんと手を洗いなさい!」
さらにどん底へと落とそうとするこいつらを馬車から落としてやろうかと考えた。
「ごめん、ごめんねぇ勇者殿。ほら機嫌直してぇぇ」
「知るか!」
半べそになって黙りこくっていたら、ちとえりがしがみついてきた。
悪趣味にも程がある。自分たちが楽しむために他人を犠牲にする奴には吐き気がする。
「もうしないのね! あっ、そうだ。お詫びに勇者殿のチンチラドラゴンさんを悦ばせてあげるのね」
「やめろ! お前がやりたいだけだろ! それと謎の新種を創るな!」
ふてくされ検定準2級の俺を甘く見るなよ。とことんここの空気を悪くしてやる。
俺は再び窓の外の景色を見る。
闇夜のせいで全然見えない。馬車の中の明かりのせいで余計に遠くが見通せない。
「ほらほら見て見て勇者殿」
ちとえりが何か言っているが、そんな程度で俺のふてくされをどうにかできるとでも思っているのか。
「あーあ、せっかく勇者殿のためゆんなちゃんにストッキング履かせたのに」
「まじで!?」
俺は即座に凝視できるポイントへ顔を向けた。
生・足
そう、そこにあったのはゆんな様の生足だった。
はっと気付き、周囲に目を向けると、そこにはいやらしい笑顔の3人が。
「てめぇ謀りやがったな!」
「ち、違うのね! 私の話を聞いて欲しかったのね! ほらごくまろ。ちんしゃぶしてやるのね!」
「わ、私は見る専なんで触るのはちょっと……」
「じゃあとくしまね! あんたこういうの好きでしょ!」
「く、首輪。首輪と鎖つけてくれたら是非!」
「うるせぇ!」
チクショウ、やっぱりガキと一緒じゃないか。騒がしいし喧しい。
結局ここにも安寧の場は無かったようだ。
また外の闇を見ながら、もうここに来るのをやめようかと思っていた時、隣に誰かが座った気配がした。
俺は少し顔をずらし、ガラスに反射するその姿を見ようとする。
ごくまろだ。
いつもの少し困ったような笑顔で俺を見ている。
そして俺の服の腰辺りをつまんだ。
「勇者様、ごめんなさい。それでちとえり様のお話を聞いてあげて欲しいんです」
「……なんだ?」
「今更で悪いんだけど、結構深刻な話なのね」
ちとえりの話を簡潔にするとこうだ。
最初に行った町での出来ごと。つまり魔物に襲われた話。
赤道を越えた向こうが魔物のテリトリーだ。それはつまり内側へ向かうほど魔物はいなくなる。
なのに何故あんな大群がこれほど内側まで入り込んできたのか。
そう言われればその通りだ。あまりにも侵攻しすぎている。
これは放置していられる状況ではない。
パワーバランスが崩れかかっているのかもしれない。さもなくばもう既に……。
ほんと今更というか、この雰囲気で話すことではない。もっと早い段階で言ってもらいたかった。
「勇者殿、あれを見るのね!」
いきなりちとえりが叫ぶ。
また俺をだまそうとしている、というわけではない。声が必死だった。
俺はちとえりが指す方向を見た。それは馬車の進行方向──俺たちが目指す場所の辺りだ。
赤く、まるで燃え上がっているように光っている。
いや、あれは確実に燃えている。
「あれやばいんじゃね?」
「勇者殿、ちょっとどいて! 御者さん、急ぐのね!」
ちとえりは俺の後ろにある小窓を開け、御者に叫ぶ。
馬車は加速し、先へ進んでいった。
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