第15話 未知なるカダスを現に求めて(前編)
父も、母も、嫌いだった。家族なのに血の繋がりがあるだけの異質な関係だった。
生まれ育ったこの町はもっと嫌いだった。
だから、郡是という退魔師が僕の両親を殺してくれたことが、とても嬉しかった。彼は僕を町から連れ出してくれたばかりか、新しい名字と生活の場を与えてくれたのだ。
そうして僕は羽丘家の人間になった。周囲の環境もそれまでとは一変して晴れやかになり、これがほんとうの家族というものなんだろうと思った。
数年後、僕を迎え入れてくれた郡是お義父さんが病で亡くなった。原因不明の病は、きっと僕の生まれた町の、夜刀浦の祟りだったのだ。僕は、自分の血脈から逃れられないことを理解した。
だからこそ、羽丘家の人間であり続けようと思った。家族であり続けようと。
この想いだけは僕のものなのだから。
薄霧たちこめる広大な縞瑪瑙の床に、三つの人影が矮小な存在感を示していた。
「夜刀浦の鬼子と忌避されたこの僕が……ついにこんなところまで」
言い知れぬ感慨を鳶色の瞳に宿して、隆志は、モノクルをかけた灰色髪の男へ顔を向けた。
「アルカへストさんの訃報はまことにご愁傷様です」
「死んでしまってはどうしようもない。私は、悲願が成就するなら誰が成そうとも構わんのだ。それが私から君になっただけのこと」
鋭い眼光を途切れさすことなく、マグヌスは淡々と冷酷な言葉を口にした。彼はネフレン=カの墓所を守護する神官の末裔であり、目的はネフレン=カの復活ただひとつ。
ネフレン=カは、聖書時代の古代エジプトにおいて、ナイアーラトテップを崇拝する邪教集団を率いて王の座を奪還し、人肉屍食が横行する血生臭い時代を築いた暗黒のファラオである。ネフレン=カは一部の配下と共に秘密の地下埋葬所で深い瞑りについており、七〇〇〇年後に目覚め、世界を支配すると伝えられている。マグヌスは、現代こそが七〇〇〇年後であり、ネフレン=カ復活による治世の時期が今に他ならないと思っているのだ。
「では私は地上で邪魔者どもの足止めをすることにしよう。送ってくれ、隆志」
「ご健闘を」
隆志が「銀の鍵」を回転させると、マグヌス・オプスの姿は空間の鍵穴に吸い込まれるように消えた。
「ネフレン=カの復活ですか……実現するとは思えませんけどね」
静かにつぶやく隆志。〈輝くトラペゾへドロン〉と「銀の鍵」の力で人類の歴史が大きく変わろうとしているが、最終的に何が起こりえるのかは、彼にもわからない。それを知っているものがいるとすれば、ナイ神父のみであろう。
「隆志さん……」
ミィエがそっと近づいた。青白い輝きに照らされ、いっとき見つめ合うふたり。するうち少女が眼を閉じた。隆志が優雅に身をかがめ、顔を近づけていく。淡いシルエットが重なって、幻燈的な光がまたたいた。
「さて、僕も地上へ降ります。ここは頼みましたよ、ミィエ」
澄みわたる純粋な瞳を揺らめかせたミィエがこくんと頷くと、隆志は、このうえもなく優しい微笑を返したのだった。
「しっかし、えらいことになっちゃったわねー」
ゴシック様式の洋館の居間でルイボスティーを口にしながら、ヴィエが現状を一言で語った。
向かいのソファには、突然の事態に驚いて駆けつけたリアが座っている。途中で電話しようかと思ったが、急ぎすぎたあまりスマートフォンを家に置き忘れてきてしまった。
「それで、どういうことか説明してくれるんでしょうね」
住宅街以外の見渡す限りが、名状しがたき黒々とした山脈と悍ましい凍てつく荒野と化しており、住民のほとんどは眠りについている。
「状況的には去年の秋に起きたものとだいたい同じだけど、その深刻さは比較にならないわね。なにしろ伝説の未知なるカダスが現実世界に擬似具現されてるんだもん」
カダスとは、地球の神である大地の神々が住まう伝説の地で、その所在は大きな謎とされている。〈夢の国〉においては北方の恐るべきレン高原を越えた先に存在するらしく、遥か北のひときわ高い巨峰の頂には大地の神々の居城が聳えているという。
「このままだと何が起きるの? どうなるわけ」
「それはわたしにもわからないけど……大変なことになるのだけは間違いないわね。それこそ人類と世界の存亡にかかわるくらいの」
「止めるにはどうしたらいいの」
「さっきド・マリニーの時計を使ってみたけど、天空に一つ、地上に一つ、あわせて二つの最重要反応があったわ」
「そこに行って打破すればなんとかなるってわけね」
「そうだね。ちなみにわたしたちが向かうのは天空のほうだよ。たぶんカダスの居城」
「私の同行は決定事項かい。もうひとつのほうはどうするのよ」
「そちらは私が向かう」
「お父さん!」
隣室から入ってきたのは羽丘権化であった。
「この状況では協力してしかるべきだからな。だが手を取り合うのは遠慮する。猫の手も借りたい状況であっても、餓鬼の手ほど厄介なものはないからな」
「二手に分かれたほうが顔もあわせないですむしねー」
こんな事態でもこの二人の心は交わらないんだなあとジト汗を浮かべるリアだったが、どうやら仲が悪いというだけの理由でもないようだった。天空の反応は女のもので、地上の反応は男のものらしい。つまり、ミィエと隆志である可能性が高いことになる。それならば権化が隆志のほうへ向かうのは当然だろう。
「……リアさんもタカくんのところへ行きたい? わたし、リアさんの気持ちなら考慮してあげるよ?」
確認するように訊いてくるヴィエ。彼女がわざわざそんなことを口にするのは、リアへの友愛の情か、権化へのあてつけか、その両方か。
リアの逡巡は一分とかからなかった。
「隆志のことはお父さんに任せるわ。たぶん私よりもお父さんのほうが、あいつのことを深く考えているだろうから」
「わーい、リアさーん♪」
リアに抱きついて頬をすり寄せるヴィエ。そんな二人を、権化はやれやれと眺めた。
それからヴィエは、サイモンの部屋へ入ると、寝相の悪い状態で眠りつづけている恋人をじっと見つめた。彼は「夢見る人」の資質は持っているが、まだ覚醒していないために目覚めることができないのだ。
愛おしそうにサイモンの頬に手を添えると、ヴィエは彼の唇にキスした。
「行ってくるね、サイモンくん」
北方の暗澹たる領域に繋がる街路を駆けていくヴィエとリア。山脈のふもとが見えてきた頃、行く手をさえぎるように、そこかしこから異形のものどもが溢れだしてきた。蟇蛙のような唾棄すべきムーン・ビーストと、その奴隷である亜人間。空にはビヤーキーが舞っている。
「簡単には通してくれそうにないわね」
「しょうがない、なんとか突破口を開きましょ」
かくして戦闘の火蓋は切って落とされた。
戦いが始まってから十数分が経過したが、なにしろ敵の数が多い。倒しても倒しても次々と湧いて出てくるため、なかなか埒が明かない。強行突破したいところだが、集中砲火を浴びて撃墜される確率が高いので、うかつな手段はとれないのだ。
そのとき、突如、住宅街のほうから三つの物体が猛スピードで突っ込んできた。
新たな敵かと注意を向けた二人は、それを視認するや、思わずぽかんと口を開いた。人間、予想外のことに出くわすとどうしていいかわからないものである。
――食い倒れ人形が、かに道楽のカニが、グリコの看板が、あらわれたのだ!
そして、意思を持っているかのように各々が動き出したかと思うと、怪物どもを攻撃し始めた。食い倒れ人形が太鼓を叩くと崩壊音波が亜人間どもを吹き飛ばし、かに道楽が巨大なハサミでムーン・ビーストを切り裂き、グリコの看板から放たれた一粒三〇〇メートルのレーザーがビヤーキーを貫通する、世にも異様な光景が展開された。
「はーっはははははははははは!」
彼方より響き渡る少女の高笑い。
何かが空中を走破してきた。まさしく走り抜けてくるという表現にふさわしい、天駆けるそれはペガサスにあらず、二人の少女を乗せたそれこそは、現代の利器――自転車。
しかもあろうことか、ライト部分では巨大なドリルが偉容を誇らせているではないか!
そのあまりにも場違いで滑稽な登場に、怪物たちまでも空気を読んだのか、その場が呆気に取られたように静まり返る。
自転車が空中で停止した。
「大阪の発展は新時代を切り開く便乗の風! 大阪の敷居の低さとなれなれしさは馴染み深さと知れ! 信号が変わる前に渡るとか、不動のひったくり件数一位とか、また大阪かとか、そんなの関係ないっ」
セミロングの黒髪を頭の左右で下ろした明朗快活な少女が、威風堂々を意識した腕組みポーズで、後部荷台に仁王立ちして熱のこもった声を発した。
「ひとたび住めば、東京人も京都人も地方人も三国人も外国人もおしなべて大阪人の仲間入り。すべての道は大阪に通ず! 大阪の魂が凝縮されたこの轟天号のドリルは、あまねく夢を貫くドリルなれば――「夢見る人」麻生香月、ここに参上!」
「リアっちー、ヴィエちゃーん、助太刀に来たで~」
サドルに跨ってハンドルを握る明石焼きが、後部で前口上を轟かせた親友とは対照的な、ゆったりした声を間延びさせた。
「明石焼き! それにえーと……麻生さん? いったいどうして」
「これは私の自転車、轟天号です!」
「いや、そんなことはきいてないんだけど……」
「あたしと香月ちゃんはな?、夢見る人になってん」
「そうみたいね。確かに覚醒した「夢見る人」の波長を感じるわ。でも……その不思議な自転車と大阪三名物は?」
「それはですねえ」
滑舌よく香月が事情を説明しだした。
明石焼きは目が覚めて町の様子を見てびっくりした。家族は眠ったまま起きないし、リアに電話しても繋がらず、こんがらがった頭で何事か念じていたら、へんなものが創り出された。あわてて親友である麻生香月に電話して状況を説明した。こんな事態だが電話は繋がったのだ。
明石焼きからの電話を受けた香月は、自身も「夢見る人」に覚醒していたとはいえ、電話で聞かされた内容はにわかに信じられず、半信半疑で御納戸町に向かった。町に一歩足を踏み入れた途端、新世界の神事件の記憶を思い出した。それでも茫然とせざるを得ない町の状況に驚きながら明石焼きの家へ駆けつけると、明石焼きはどういうわけか強く思い浮かべたものを創造することができるようになっていたが、どう見ても原型とはかけ離れた不完全な代物だった。そこで香月は思案をめぐらせ、明石焼きに触れてイマジネーションの補佐をしてやると、驚くほど明確なイメージの産物が創り出されたのだ。
そうして香月は、自分の愛用の自転車をドリル装着&空中飛行機能つきで明石焼きに創造させると、二人して乗り込み、異界化した御納戸町を空から見回しはじめたところ、リアたちの姿を見つけたというわけである。
「そっか……奇跡的な複合効果が空想具現化なんてものを可能にしているのね」
ヴィエは感心げにつぶやいた。いくら夢見る人でも「空想具現化」という超自然的な能力を行使できるはずはない。明石焼きの身体と融合しているレン高原の縞瑪瑙と、「夢見る人」の力、そして幻夢境の物理法則に浸食された町の影響だと考えると納得がいった。
「さあここは私たちに任せて、いったんさい、いったんさい♪」
「いや、でも……」
「わかった、ありがとー」
戸惑うリアだったが、ヴィエは彼女を引っ張ってナイトゴーントの背に乗った。そのまま上空へ飛翔したので飛び下りるわけにもいかず、やむなく体勢を整えるリア。
「ちょ、ヴィエっ」
「あのふたりのことなら心配要らないわよ? 今の状態なら反則レベルのことが可能だと思うし」
「そ……そうなの?」
「たぶんね。だからわたしたちは、未知なるカダスの居城目指してゴーゴー!」
「いってらっしゃーい」
少女二人を乗せた夜鬼が遥かな北方の峰々へと遠ざかる。明石焼きがほがらかに手を振って見送った。
「さあ気張るわよー。これだけ好き放題できる機会はまずないやろーし」
空気を読み終えて動き始めた怪物たちを見渡して、麻生香月は、それはもう愉しそうに後部荷台に立ったままポーズを決めるのだった。
「だいぶ片付いてきたかなー。いやしかし、それにしても酷いにおいやねー」
思わず鼻をつまむ香月。怪物の数はまばらになってきたが、おびただしく散らばるムーン・ビーストやレンの亜人間の死骸から漂う悪臭は胸のむかつくほどであり、顔をしかめるばかりだ。
「あたしら臭い目にあわされとるー」
明石焼きも線目で涙を流していた。
「うーん、もうこのへんが頃合かな……っと、わぁ!?」
そろそろ撤退するべきかと思った矢先、眼前に砂嵐が生じた。轟天号のオートバリアがかろうじて防いでくれたが、下方では、すさまじい勢いの砂槍が崩壊音波を突き抜けて食い倒れ人形の胴体を貫き、バラバラに四散させた。砂が飛んできた方向に眼をやると、灰色の髪をした顔色の悪い不気味な男が、自転車と同じ高さの空中に浮かんでいた。
「よもや空想具現化を行使できる者がいるとはな……しかもそれが術者でも能力者でもない只の夢見人の小娘というのだから、世の中はなんと不可解なことが多いものよ」
「うわ、ボスキャラ?」
「私は『星の智慧派』の司祭、マグヌス・オプス。我が力をみよ」
マグヌスが五指を広げると、砂の塊が砲弾のごとく撃ちだされる。ネフレン=カの墓所の上を覆い尽くす砂漠の砂、彼はそれを自在に操ることができるのだ。
砂弾の一撃目は轟天号のバリアに弾き返されたが、二撃目は貫通して後部に立つ少女の顔面を直撃した。仰向けに倒れかけた身体を必死に踏ん張って立て直し、香月は涙目で頭をくらくらさせた。
「香月ちゃんだいじょうぶー?」
「う、あ~、脳震盪おこすかと思った……あんなの何度も喰らったらお陀仏だわ。明石焼き、回避しつつ攻撃!」
「なんと……直撃を受けて大事に至らぬだと? どうやら侮れぬようだ」
レン高原の縞瑪瑙と融合している明石焼きがそばにいることで、夢見る人としての香月の防御耐性が著しく上昇しているのだが、この場の誰も知りえることではない。
戦闘機並みの運動性能で攻撃を回避する自転車。特殊な重力制御が働いているのか、外部干渉を受けない限り、運転する明石焼きはもとより後部に立つ香月もバランスを崩すことはない。
轟天号の各部からミニドリルが一斉発射されるや、ミサイルのように、宙に浮かぶ男めがけて飛んでいく。しかし、マグヌスの全身を取り巻いた砂塵によって全弾防がれてしまった。
「そんなもので暗黒のファラオの墓所に連なる砂を破れるものか」
「あかん、砂バリアーや。どうするん香月ちゃん」
「防御してくるってことは、当たればダメージは通るってことなんやろうけど……」
「はっ、逆転ホームラン! それやったら、防御されても当たりにすればええねん」
「なんというテラチート発想……いや、そうか、それや!」
ピンとひらめき、香月は明石焼きにごにょごにょと耳打ちした。明石焼きが念を集中し、空想を具現化させると、香月の手のひらに極小サイズのCR機が現れた。
「よしっ、明石焼き、しばらくのあいだ回避に専念しててっ」
CR機に手を添えてパチンコを始める香月。言われたとおり回避に専念する明石焼きだが、執拗な砂の攻撃は完全に振り切るのは難しく、徐々に追い詰められていく。息が切れ始める明石焼き。焦る香月。
その時――画面にマークが三つそろった。
「きたぁーっ! 確・率・変・動!」
画面に確変大当たりの映像が流れ、香月はすぐさま攻撃を指示した。多数のミニドリルがマグヌスへ飛来する。それらは彼を取り巻く砂塵に阻まれ、先刻同様その場で爆発した。
「愚か者め、効かんと言って――ぐぉぉ!?」
直撃を受けたかのように身をよじるマグヌス。攻撃は全て砂塵が防いだはずなのに。
「馬鹿な……何故だ」
「あなたが攻撃を防御する確率をゼロに変動させたのです。本来命中するべき攻撃は、すべて当たったものとして事象変換されるのですよっ!」
得意満面で人差し指を突きつける麻生香月。
マグヌス・オプスは、ぎりりと表情を歪ませ、初めて感情の起伏を見せた。
「うぬぅ……空想具現化、おそるべし」
地上の一角で行われる激しい空中戦。単体で空を舞う男と、ドリルのついた空飛ぶ自転車を駆る二人の少女。戦いは後者のほうが若干優勢だった。機動力と攻撃力はマグヌスに分があるが、空想具現化の確率変動により防御無視で確実にダメージを与えることができる明石焼きと麻生香月のほうが有利なのだ。
「よし、このまま一気にたたみかけるっ」
「体当たりでOKやー」
「ちがう明石焼きっ、それは一気やなくて一揆や!」
接近してミニドリルミサイルを一斉発射する轟天号。相手の機動力が高くとも、数撃てば当たる。すべて回避できる距離ではなく、マグヌスは渋面で大ダメージを覚悟した。
砂塵に阻まれて爆発するドリル。本来命中するはずのものは当たったことになるはずだが、不可解なことにマグヌスが直撃を受けた様子はなかった。
「あれれ? はっ、まさか……うわ、やっぱり!」
CR機の画面に確変終了が表示されており、思わずぎょっとする香月。近くに眼を向けると、マグヌスの冷笑がはっきりと見えた。
「どうやら変則時間は終わりのようだな」
「まずいっ、逃げろ逃げろー!」
「急にそんなん言われても……わ、わあ~」
方向転換して急速離脱に入る轟天号。強烈な砂弾を連続で受け、激しい衝撃に空中できりもみ状態となる。そこへ追い撃ちの砂槍が加わり、大きくバランスを崩した香月は後部荷台から足を踏み外し、まっさかさまに転落していった。助けに向かう明石焼きは間に合いそうもなく、少女の死が秒速で近づいた瞬間――
「サイモンアルティメットブーストッッッ!」
女の子を助けたい――女の子を守りたい――その想いが男を戦士に変える!
加速装置もかくやといわんばかりの高速で疾走してきたサングラスの男が、揺るぎなき跳躍で落下中の少女を受け止めると、そのままの勢いで轟天号の後部に着地した。
「俺の名はサイモン、愛の戦士さ!」
「わ~、サイモンさんやー」
「おおおっ、ありがとうございますっ。そしてなんという美味しい登場!」
眠りながらにして少女の危機を察知したサイモンは、熱き想いをハートに焦がし、「夢見る人」として覚醒したのだ。
「ふん、いまさら夢見人が一人増えたところで、お前達の死は定まっているぞ」
「それはどうかなっ」
足場の位置を調整しながら、香月が自信に満ちた顔で声を張り上げる。
「人が死ぬときは、その命が尽きるときではないのです。生きることを諦めたときが、その人の死なのです。私たちはまだ生きています。生きているんです!」
「勝てないと思って挑んで勝てる相手など無い。思い出すんだ、俺たちの紡いできた熱き思いを。俺たちの本当の力を!」
「あんたにはわからへんのや。一つになった心の強さがぁ~」
香月、サイモン、明石焼きがそれぞれ思い思いのセリフを繋いでいく。その異様なテンションはどこから生じるのか、マグヌスは理解できぬものを見る眼差しで眉を寄せた。
「なんだこいつらは……いったい何を言っている」
いまや夢見る人の三者は、勝手に壮大な脳内展開をつくりあげ、ボルテージを上昇させていた。だが幻夢境の物理法則に浸食されたこの場では、夢が、想像が、すべてとなるのだ。
「あなたなんかに負けない! 私はもう負けない! 私の中にみんながいる限り、私は諦めない! 絶対に諦めない!」
「お前には決してわかるまい! 思い知れ! みんなの想いを! 心を! 紡ぎ束ねた力の、本当の強さを!」
「コタツの中でぬくぬくあったまって神様にお祈りする覚悟はええかあー?」
「わけのわからないことをいつまでも……全員バラバラにしてくれる!」
魔力を集中させたマグヌスが、凄まじい砂の波動を放出させた。
退かず、媚びず、省みず、真正面から特攻する轟天号。
唸りをあげて回転する巨大ドリルが、荒れ狂う砂の波動を突き抜けていく。
マグヌスが驚愕に眼を見開いた。
「ドリーム・インパクトォォォォーーーーーーッ!」
三人の声が、心が、一つに重なる。
其のドリルは――あまねく夢を貫くドリルなれば。
静けさが戻ったとき、マグヌスは地面に仰向けで倒れていた。上体を起こすこともせず、中空に浮かぶ自転車を茫と眺めた。
「なぜ……私を殺さなかった」
彼を貫いたドリルは、物理的攻撃ではなかったのである。
清々しい表情の三者。サイモンがよくわからないポーズを決めて言った。
「俺たちは人は殺さない。その怨念を殺す」
またも理解不能なセリフだったが、マグヌスはふっと眼を閉じた。その口もとはかすかなほほえみを湛えていた。
ヴィエとリアを背に乗せたナイトゴーントは北方の暗澹たる闇の中をひたすら飛翔し、上昇し続ける。途中、象のごとき巨体を持つシャンタク鳥が何度か現れたが、夜鬼の姿を認めるや、みな狂乱した声をあげて逃げ去っていった。
やがて濃密な闇を突破し、雲の薄れた頭上で星がぼんやりときらめいた。それでもさらに空高く舞い上がり、途方もない速度、軌道をめぐる惑星の速度にせまるほどの急上昇を続けているのだが、幻夢境の物理法則に支配された領域内の次元特性ゆえ二人に身体の影響はなく、想像を絶する高みにありながら、大地はなおも眼下に広がっているのだった。
ついには永遠の夜の領域に達し、青白い光が一つ、前方の稜線に見えた。その光景に声一つ出せないでいる間も上昇は続き、北方の空の半ばが銀歯状の円錐形の塊にかき消されるまでになった。青白い篝火はなお上にあり、地上の全ての山峰をしのいでそびえ、遥か眼下に浮かぶ高みの雲もそのふもとの縁飾りでしかなく、大気の最上層すら、その山の腰を取り巻く帯でしかなかった。ヴィエはそのまたたきを瞳に映すと、自分たちが既に成層圏どころか熱園を抜けたことを知った。
謎めいた月と狂った惑星が旋回する原子一つないエーテルを味到する、青白くまたたく光はなおも高く、天頂の最も高い星と混ざり合い、少女たちを見下ろしていた。そしてついに、星を背景にして、黒々とした輪郭の巨大きわまりない山頂を眼にするに至った。計測もかなわぬ至高の頂にあるのは人間の考えの及ばぬ城であり――未知なるカダスの頂にある、大地の神々の度し難く信じられない住処に他ならなかった。
「これが……カダスの居城」
あまねく感動と感嘆と歓喜と驚愕と茫然と感慨を一瞬に集約したような表情でかすれ声を発したヴィエは、縞瑪瑙の城の巨大さそのものが殆ど冒涜的なものであることを悟った。リアなどは口を馬鹿みたいに開いて、ただただ絶句するばかりだ。
するうち巨大な城門を通り抜け、夜闇に包まれた中庭を飛行し、迫持造りの入り口を過ぎると、内奥の黒い闇を進み始めた。ヴェエとリアの眼にはいかなる光も燈せぬ真の闇であるが、ふたりを乗せたナイトゴーントは縞瑪瑙の迷宮のなかを曲がりくねりながら飛翔し、ついに、青白い光がぼんやりきらめく、高みの窓がある塔の房室へ到達するや、広大な縞瑪瑙の床に着地したのである。
「ようこそ、現に顕現した未知なるカダスの居城へ」
薄れてゆく霞の向こうに、ひとりの少女が立っていた。
純粋であり、このうえなく儚げな存在感――ミエシーツ・ウビジュラ。
「未知の星たちの二重冠と謎めいた月が悠遠と輝くこの場所こそ、わたしとお姉ちゃんが存在の泡沫を決する夢の跡に相応しいと思いませんか?」
フヴィエズダとミエシーツ。
星と月。
「そうだね、舞台としては申し分ないかな。たとえ仮初めの擬似具現でも」
本物の精巧な再現に過ぎないが、それでも、ランドルフ・カーターしか辿り着くことのできなかったカダスの居城を目の当たりにした感動は筆舌に尽くしがたい。
「いまは仮初めですが、あと一時間もしないうちに完全に顕現し、第二のカダスが地球に誕生することになります」
「ふうん、人間にとって悲惨な結果にしかならないことは間違いないのに?」
「わたしは隆志さんが望むからそうしているだけです。ぜんぶ彼のためです」
「なんであんたは隆志のやつに手を貸してるの? 何かわけがあるの?」
ミィエとの共存や円満な解決は絶対に無理だとヴィエに念を押されたので、話し合いは諦めている。だからせめて、隆志に協力している理由だけは知りたいリアだった。
「隆志さんが好きだからです。そして彼もわたしの想いにこたえてくれました」
「……そ、そうなんだ」
「なーんだ、タカくんもロリコンだったんだ」
「違います。隆志さんを変質者のように言わないでください。お姉ちゃんの恋人さんと一緒にされては困ります」
「甘い、サイモンくんは立派なロリコンなんだから」
少しむくれた顔で否定するミィエと、得意げに胸をそらすヴィエ。
なんなんだこの会話は。リアはジト汗を浮かべた。
「ま、こんなことでせっかくの雰囲気を壊すのもなんだし……そろそろはじめようか」
腹部のアーチ門を開くヴィエ。周囲がさらなる夢に覆われていくなか、リアが想いの力を強める。縞瑪瑙のブローチが淡く輝き、蒼の輪郭が巨大な刃を形成した。
ヴィエは遥かな高みの天井に漂う幾つもの光球を見やった。間違っても恐るべき蕃神どもではありえない。窮極の盲唖の蕃神を具現化するなど不可能だ。とすると脆弱なる大地の神々に見立てた球体であろう。
星のまたたきと月明かりを背景に、ミィエが幻想的な動作でステップを踏んだ。
「さあ、奏でましょう――星と月のソナタを」
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