第8話
どこかから、フクロウの鳴き声が聞こえてくる。月の無い夜である。
簀子に座り、夜風に当たりながら、惟幸と虎目は酒を呑んでいる。
横に控えて時に酌をし、時に空いた
「……こんにゃにのんびりと酒を味わえるのは、久しぶりかもしれにゃいにゃー」
「たかよしはザルだからね。のんびり呑んでたら、無くなっちゃうでしょ?」
「まったくにゃ。……はー……これで、憂い事が何も無ければ、本当に旨い酒にゃんだけどにゃー……」
空になった虎目の土器に酒を注ぎ足してやりながら、惟幸は「そうだね……」と頷いた。
「憂い事って言うのは、やっぱり……弓弦の事?」
「今の状況で、他に何があるって言うんにゃ」
「栗麿の巻き起こす騒動とか?」
「あー……あの馬鹿の事を忘れてたにゃ……。って言うか、こんにゃ時に余計にゃ事を思い出させるんじゃにゃーわ」
ごめんごめんと笑う惟幸に、虎目は溜息をつく。これは恐らく、何を言っても無駄だ。そう悟った虎目は、これ以上栗麿の話題が続くのを避けようとするかのように、本題を切り出し、事の顛末を語った。
葵には即座に襲い掛かった式神が、弓弦には牙を剥きかねていた事。式神に連れ回された割に、弓弦に傷一つ無かった事。弓弦が見詰めた途端、式神に一瞬の隙ができた事。そして、虎目の能力で弓弦の未来を見る事ができなかった事。
「何て言うのか……まるで、何者かに弓弦の未来を見れにゃいよう、妨害されているようにゃ感じだったにゃ。それと……いくら助けられたとは言え、弓弦があそこまで短い時間で葵に懐いてるのも、引っ掛かるにゃ」
全てを聞き終えた惟幸は目を細め、天を仰ぐ。月の無い暗い空が、そこにはあった。
「……なるほどね。ところで、そもそも今日の使いに紫苑じゃなくて葵が来たのは、虎目が未来千里眼で〝葵が使いに行くと途中で何かが起こる〟と知ったからだってたかよしから聞いたけど。……それはやっぱり、この事件の事を示していたのかな?」
「……はっきりとは、わからんにゃ」
言葉を濁しながら、虎目は酒を舐める。
「オイラに見えたのは、光を掴む葵……にゃんていう抽象的にゃ未来にゃ。その未来が、紫苑が使いを受けそうににゃった時にフイッと見えにゃくにゃった。そして、葵に行かせようという話ににゃった時、再び見えるようににゃったんにゃ。だからオイラは、葵が使いに行くよう、隆善と紫苑に勧めたにゃ。にゃにせ……ほら、葵もアレだからにゃ……」
「……そうだったね……」
静かな声で惟幸が同意し、しばし、その場に静寂が訪れる。やがてその静寂は、虎目のあくびによって破られた。
「くあぁ……。流石に、オイラも眠くにゃってきたにゃ……」
「夜行性なのに?」
惟幸が面白そうに問うと、虎目は「あのにゃ……」と呆れた様子で目を細めた。
「オイラは京で、紫苑や葵のお守りをしてるようにゃモンにゃんにゃ。今日だって、キレた紫苑に追い回され、あの馬鹿を締め上げて、葵と一緒に山を登って……昼間活動してるのに、夜行性もクソもあるワケ無ーわ」
そう言って虎目は、空になった土器はそのままに、部屋を出て行こうとする。その後姿と、いつの間にやら懐から取り出した隆善からの文。その二つを見比べながら、惟幸はぽつりと呟いた。
「おろちの誕生、か……」
「にゃ? 何か言ったかにゃ?」
振り向く虎目に、惟幸は「いや」と首を横に振り、文を再び懐にしまう。それから、「あ、そうだ」と呟き、いつになく真剣な表情で虎目を見た。
「虎目」
「にゃ?」
「君を、紫苑と葵の後見役と見込んで、頼みがあるんだ。……蛇には、気を付けて欲しい」
惟幸の言葉の真意が読めず、虎目は首を傾げた。
「蛇ぃ? そんにゃ、紫苑も葵も、もう童子じゃにゃいんだし……オイラが気を付けてやるほどの事でもにゃいと思うんだけどにゃ」
その言葉に、惟幸は同意しない。ただ、真剣な目で真っ直ぐに虎目を見詰めている。
「……何か、ワケがあるんだにゃ?」
惟幸は、黙って頷く。その態度に、虎目は皆まで言わず頷いた。
「わかった。……惟幸が気を付けろ、にゃんて言うようにゃレベルの奴に、オイラがどこまで対処できるかはわからにゃいが……気を付けられるところは気を付けておくにゃ」
「……頼むよ」
どこかほっとした様子で微笑む惟幸に、虎目は「って言うか」と言葉を続けた。
「そんにゃにヤバいにゃら、惟幸自身が紫苑と葵に直接言ってやれば良いじゃにゃーか。にゃんにゃら、おみゃーが京まで来て、二人を守ってやるって手もあるにゃ?」
言われて、惟幸は「それができればなぁ……」と苦笑した。
「僕が気を付けろ、なんて言ったら、二人が必要以上に警戒して暴走しそうだしね。たかよしのせいで、僕は当世一の実力を持つ陰陽師なんだって二人に認識されちゃってるみたいだし。あと、僕が京にそうそう行く事ができないって事は、虎目も知ってるだろう?」
「惟幸の事情にゃんて、オイラには知ったこっちゃにゃいにゃ。隆善の言葉を借りるにゃら、惟幸が駆け落ち失踪してから早二十年。おみゃーの事を覚えている奴にゃんてほとんどいにゃいから、気にする事にゃんか全く無いにゃ。……あぁ、ついでに隆善が常日頃から惟幸に言いたがってる言葉も伝えておくにゃ。とっとと京に戻って来い。そして紫苑と葵をとっとと引き取れ。いつまで俺に保護者をさせるつもりだ。自分ばっかり嫁とよろしくやってんじゃねぇぞ。いつか呪い殺してやる。……だそうにゃ」
惟幸は、少しだけ情けない顔で苦笑した。
「たかよしらしいなぁ。……というか、その〝呪い殺してやる〟って、文や伝言を貰う度に聞かされて、そろそろ言霊で殺されそうだよ。……友達を呪詛返しで殺したくないからやめてほしいって、何度も言ってるんだけどなぁ」
「……そういう事を言ってるから、隆善に〝結構にゃ性格〟って言われるんじゃにゃーか。……あぁ、もう本当に限界にゃ。まだ話があるにゃら、続きは明日にして欲しいにゃ……」
またも大あくびをする虎目に、惟幸は再び「ごめんごめん」と謝った。
「もう僕から頼む事は無いよ。……おやすみ、虎目」
「にゃー……」
不安定な鳴き声を残し、虎目は部屋から出て行った。フクロウの鳴き声だけが聞こえるようになった部屋で、惟幸は一人、手酌で酒を呑む。先ほどまでと違い、あまり旨そうではない。
「……やっぱり、酒って雰囲気で呑むものだよねぇ……。たかよしは、よくこんな物を一人でいくらでも呑んでるよ……」
少しだけ寂しそうに、惟幸は酒を呑む。酔いが回ったのか、少しだけ愚痴っぽく、独りごちた。
「……そりゃ、僕だって、できる事なら紫苑と一緒に暮らしたいよ。家族揃って、仲良く暮らしたい。けどさ……」
土器を簀子の上に置き、空いた右手を懐に突っ込んだ。そして、履き物も履かずに庭に出ると、声も無く呪符を数枚、暗闇の中へと投げ付けた。
暗い空にバチィッという音が響き、火花が散る。その明りで一瞬、もがき暴れる妖しの物の姿が見えた。人の二倍以上の身の丈を持ち、角が生えている。
惟幸は表情を変える事無く、す、と右手を上げて妖しの物を指差した。すると、どこからともなく優雅な女性や精悍な武人――惟幸の式神達が姿を現し、一斉に妖しの物へと襲い掛かる。
惟幸が簀子に座り直し、空になった土器に瓶子から酒を注ぎ、そして口を付けるまでの間に、妖しの物は影も形も無くなっていた。式神達も姿を消し、後には再び、フクロウの鳴き声が聞こえるだけの静かな世界となる。りつは勿論、葵や虎目、弓弦も、今の気配で起きる事はなかったようだ。
酒を口に含み、呑み込んで。寂しそうな声で惟幸は独りごちた。
「……仕方無いよね。いくら強くなっても、こんな風に常に鬼達に狙われているようじゃ……りつと紫苑、二人共を守りきる事なんてできないんだからさ……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます