第10話 ジークと伯爵領
「私が……ジークの執事? 師匠である私が部下になるのは問題があるでしょう。それにジークが嫌がると思います」
「師弟関係を解けば問題ないわ。貴方が執事になればジークも助かるでしょうし、文句も出ないわよ。能力も十分ですしね」
「師匠が執事? それなら俺は大歓迎ですよ! いいですね!」
立場を利用してグリーナにセクハラする夢想をするジーク。
師弟関係が解ければ、グリーナと結ばれる可能性も出てくる。
ジークにとっては願ったり叶ったりの展開だ。
「な!? ま、待ってください! 私が執事になりますわ!」
「執事って人気の仕事なの? 私もやってみたい!」
ハリティは諦めたくない様子だ。
プリシャも食いついてきたが、恐らく何も考えていない。
のりで立候補している。
「では、ハリティとグリーナが執事で、私が家令で決まりですわね」
「え!?」
「え!?」
「ふぁ!?」
「……家令って何?」
家令とは、執事よりも偉い主人の右腕である。
事務や会計を管理し、全ての使用人を監督する責任者だ。
執事はあくまでも、その下である。
「お師匠様! なんでお師匠様まで出てくるのですか? お師匠様が家令になったら大変なことになります。ジーク、絶対に断るんですよ」
「そ、そうです! それなら私が家令をしますわ! 一番最初に立候補したのは私ですもの。後から言い出すのは、ずるいですわ!」
「じゃあ! 私も家令するよ!」
「皆さん落ち着いて! ゆっくり話し合って決めましょう」
「この中で一番偉いのは私ですもの、私が家令で文句がありますの?」
「ぅ、文句はありませんわ!
でも、ミディランダ大公家の者が、伯爵の下に就ける訳がないですわ!」
「ハリティの言う通りです。前代未聞で大公の恥になりますよ!
お師匠様は、ご自身の立場を考えてください。」
「関係ないですわ。私は権力を捨てた身ですもの。生きたいように生きますわ」
セドナも意固地になり譲らない。場は混沌としてきた。
「セドナさんや師匠を部下にはできませんよ。さすがに気が引けます」
「そうですわ! 妹弟子の私が家令を務めますわ!」
「私も!」
「プリシャ、家令は一人ですわ。私がやります」
「えー、じゃあ執事になる!」
このままだと妹弟子が家令と執事になりそうだ。
良い事なのか悪い事なのか、判断に困るジーク。
何せ初めての経験だ。正解が分からない。
「2人とも本気ですか? 俺の部下になるんですよ? 右も左も分からないですし、満足する給料も払えるかどうか……後悔しませんか?」
「後悔なんてしませんわ! ジーク卿の片腕になり、お仕え致しますわ!」
「なるよ! やってみたいし。ジークと一緒にいたい」
妹弟子から伝わってくる愛情と信頼に、ジークは心が温かくなった。
「ハリティはともかく、プリシャは心配ね。やはり私が……」
「お師匠様は黙っててください! どうせ面白おかしくしたいだけでしょう?」
「うっ……」
グリーナの猛反対で、セドナは渋々諦めた様子だ。少し不貞腐れている。
「ハリティとプリシャが本当にやりたいなら、俺はいいですよ」
「やりたいですわ!」
「やるよ!」
「……ハリティ、プリシャ、本気なのですね? ジークもいいのですね?」
「師匠、俺は問題ないです。2人にやる気があるなら、むしろありがたいです」
「粉骨砕身して仕えますわ! ジーク卿の家令として頑張りますわ!」
「うん、執事やってみる!」
「わかりました。3人で力を合わせて頑張るのですよ。何か困ったことがあれば、すぐに言ってください。できる限りの手助けをします」
「師匠、ありがとうございます」
こうしてハリティは家令になり、プリシャは執事となった。
「後は、従僕などの使用人が複数必要ですね。俺としては、仕事の出来よりも信頼できるかで決めたいですね」
「お任せ下さい、ジーク卿。募集は私の方でしておきますわ」
「私も手伝うよ! 募集に来た人の面接とかもするの?」
「面接は俺が直接するよ。やっぱり自分の部下は自分で決めたいし」
「あらあら、急に張り切りだしたわね。やる事がなくて退屈だわ」
「弟子達の事を見守るのも、私たち師の務めですよ……」
最初は視察だけの予定だったが、しばらく屋敷で生活することになった。
「使用人が見つかるまでは、俺達で掃除をしないとですね。このままだと、埃がすごくて眠れない。それに、部屋も全て回って把握したいですし、やる事が多いですね」
「では、手分けしてお掃除ですわね! せめて眠る部屋だけは終わらせましょう」
「そうだね! 久しぶりに掃除頑張るよ!」
「私も手伝いますよ! お師匠様も、たまには働いて下さい」
「めんどくさいわぁ……なんで私まで」
ぶつぶつと文句を呟きながら、セドナも掃除を手伝った。
屋敷の中は広すぎて、この人数ではとても手が足りない。
夜になるまで頑張るも、まったく掃除は終わらなかった。
「はぁ、疲れた。まったく終わらない。この屋敷は広すぎる」
「お疲れ様ですわ……私も疲れましたわ。今日はぐっすり眠れそうですわね」
掃除中、屋敷の一室でジークとハリティは2人きりになった。
「ジーク卿……改めまして、これからよろしくお願いしますわ。
私、ジーク卿のために頑張りますわ。ジーク卿のために……何でも……」
ハリティは、潤んだ瞳でジークを見つめ始めた。
思わずジークの胸が高鳴る。期待のせいか、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「は、はい。これからよろしくお願いします。良い伯爵になるように頑張ります。あと、恥ずかしいので卿はやめてください。ジークでいいですよ」
「それなら、私もハリティと呼び捨てにして下さい。もう私の方が格下なんですから……それと、好きに命令してもいいですわよ?」
彼女はジークに顔を近づけてきた。
「じゃ、じゃあ今度から、ハリティと呼びますので、卿は止めてくださいね」
「わかりましたわ! では、私もジークと呼びますわね」
「はい。よろしくお願いします、ハリティ」
「……フフフ、よろしくお願いしますわね。ジーク」
ジークはハリティと打ち解けた気がして嬉しかった。自分のことを慕ってくれる、そんな人がいるだけでやりがいを感じたジーク。しばらく2人で掃除をして、ハリティと夕飯を食べに食堂へ向かった。
「あ、ジーク! ご飯出来てるよ。見つからないから先に食べちゃった」
「ああ、ごめん。掃除に夢中で遅くなった。今から食堂に行くところだよ」
「ハリティも一緒だったの? 何か、顔赤いけど平気?」
「え!? ええ、平気ですわ! なんでもないですわ!」
「そう? じゃあ、ご飯食べに行きなよ。私はお風呂に入ってくるね」
「わかった。じゃあハリティ、一緒に食べに行きましょう」
「はい、ジーク。……フフフ」
食事の後、師弟5人で明日の予定を話し合った。明日からは忙しくなる。使用人の募集に領地の視察、町の重役との話し合いも必要だ。やるべきことは多い。この日は掃除で疲れて、それぞれは気に入った部屋で休むことにした。ジークは明日からの仕事に備えて、今日はゆっくりと眠りに就いた。
翌日。
伯爵になっても、朝食を作るのは相変わらずジークだ。彼は家事能力が高いため、師弟には頼られている。料理の腕前はかなりのもので、特にシジール芋を使った料理は至高の一言。巷では、芋の魔法使いという二つ名で呼ばれた男。
「美味しい! シジール芋のバター焼き大好き!」
「おかわり、いっぱいあるからね」
屋敷の食堂で皆と朝食をとる。プリシャは頬に手を当てて、蕩けた表情を見せて料理を褒めた。
「この干し肉と芋のスープも美味しいですね」
「本当。ジークはお店も開けますわ」
「ふあぁぁぁぁぁぁぁ、おはよう……いい匂いね」
「セドナさんおはようございます。セドナさんの分もできてますよ」
「ありがとう。頂くわ……」
5人には広すぎる食堂だ。使用人や客人がいても、椅子が余る広さで落ち着かない。それから皆は朝食を終えると、本日の仕事の準備を始めた。今日は、伯爵邸から遠目に見える、近くの街に向かう予定である。そこで、視察や挨拶、伯爵に相応しい馬車の購入、そして使用人の募集などをする予定だ。
「準備はできましたか? そろそろ出発しましょう。午後には着く予定です」
「ええ、私の準備はできました。いつでも行けますよ」
「私の準備もできましたわ。家令として、使用人募集の張り紙を作りましたわ!」
「私も準備できたよ! 執事として頑張るね」
「ふあぁ。私もできましたわ。着いたら起こしてね。寝てますわ」
「では、行きましょう。ヴォルムスの街へ!」
3台の馬車を走らせ、伯爵一行は街を目指した。長閑な田畑を眺めながら、ライン川に架かるニーベルンゲン橋を渡ると、そこには伯爵領最大の都、ヴォルムスの街が姿を現す。その中に入るため、ジークは街の門番に話しかけた。
「こんにちは、私の名前はジーク・ザイフリート・シグルズ。ニーベルンゲンを治めることとなった、新しい伯爵です。これが、それを証明する王国の証書です。街の責任者に会うため、中へ入ってもよろしいですか?」
「なっ!? ジ、ジーク卿でございますか? い、今、確認させていただきます!」
門番は名前を聞いた瞬間驚き、一行の顔を確認する。すると、グリーナを見て納得した様な表情を浮かべた。緑色の大魔導師の容姿で察したらしい。流石である。証書の確認も終えた門番は、最大限のお辞儀とともに門を開いた。
「竜殺しの英雄、ジーク卿にお会い出来て光栄です。どうか、ヴォルムスの街をよろしくお願いします。市長はこの道をまっすぐ行った、一番大きな屋敷にいますので、すぐに分かるはずです」
「道案内ありがとうございます。門番も大変でしょうが、街の治安のためによろしくお願いします。それでは、ごきげんよう」
英雄と呼ばれることに照れ臭さを感じるジーク。破顔しないように精一杯耐えながら門をくぐり、ヴォルムスの街へと足を踏み入れた。ラーナの街には及ばないが、人々の活気はなかなかある。ジークは一目でヴォルムスの街を気に入った。
「ここがヴォルムス。ニーベルンゲン最大の街か……」
「なかなか大きいね! 屋敷じゃなくて、こっちに引っ越そうよ!」
「確かに。こちらで暮らした方が便利そうですわ」
「そうですね。屋敷とは別の家を持った方がいいでしょう」
「すやすや……」
「お師匠様、起きてください。着きましたよ」
「……んん? ふあぁぁぁぁぁ、着いたの?」
一行は、ヴォルムス一帯の有力者である、市長の下へと向かい挨拶を交わした。
今後のことを軽く話して、この日は終わりを迎える。後日、改めて話し合おうとのことだ。一行は宿をとり、本格的な行動に備えて床に就いた。そして、一週間の時が流れた。
ニーベルンゲン伯爵領、ヴォルムス伯爵邸、応接間にて。
この日、使用人募集の張り紙を見て、多くの求職者が訪れていた。
その中には、耳の長い見慣れない種族がおり、周囲は騒然としていた。
「騒がしいな。ハリティ、何があったんですか?」
「そ、それが……使用人に応募してきた中に、エルフがいましたの」
「エルフ? この辺りに住んでいるのかな? 聞いたことないけど」
「ジーク! それでね、そのエルフの子がね、ジークにどうしても頼みがあるから、会って話がしたいって泣いてるの! お願い。話を聞いてあげて!」
「……わかった。とにかく、その子と話をしよう。何処にいる?」
「応接間の隣の小部屋にいますわ」
「わかった」
ハリティとプリシャに他の求職者を任せ、ジークはエルフの子と別室で話をすることになった。そして、この出会いが、新しい冒険の幕開けとなる。
「貴方が、貴方が竜殺しの英雄、ジーク様ですね! あぁ、良かった。やっと希望が生まれた……あぁ……」
綺麗で長い金髪をなびかせた少女が泣いている。扉を開けたジークを見た瞬間に少女は泣き崩れた。美しいエメラルドの瞳が、涙で輝いている。
「……どういうことですか? 落ち着いて、詳しく話してください」
「……はい。すみません。やっと会えて、嬉しくて」
泣き止んだ少女は、ジークを真っ直ぐに見つめて話しだした。
震える手を抑えながら。
「今、私達エルフの暮らす国が滅びの危機にあります。エルフの戦士達は勇敢に戦いましたが為す術なく敗れました。それで、国を救うために私は勇者を求めて旅に出ました。そして貴方の名前を聞いたのです。竜殺しの英雄の名前を……ジーク様……どうか、どうかお力を貸してください。竜を殺す力で、私達を救ってください。どうか、悪竜ファーヴニルを倒してください!」
「悪竜……ファーヴニル……」
後の吟遊詩人は語った。
英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』
彼の死闘の幕開けを、歴史に残るエルフの国を救う大活躍を、吟遊詩人は語った。
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