3-6
*
「あははは、あの娘はそんなことをしているのか」
奥まった部屋で、皇子は晴れやかに笑った。隅にかしこまっていた壮年や老年の者らが、恐れたように顔をしかめる。
伏していた羽黒の顔をあげさせ、皇子は鋭く目を細めた。
「面白く暮らしているか。お前に、褒美でも取らせねばなるまいな」
「おそれ多いことでございます」
「そうだな、たまには顔が見てみたい。連れて来よ」
羽黒の肩が、少し緊張する。見抜いて、皇子が笑いの残った声をあげた。
「ほう? 妹として引き取らせはしたが、本当に情でもわいて、離したくなくなったか?」
「いえ。そのようなことは決して。殿下の望まれた通り、お預かりしているだけのこと。いつ、こちらへ呼びましょう。今ですか」
「そうだな。また、追って連絡しよう。今日はもうよい。下がれ」
政治の話の合間に、そんな会話をして、羽黒は部屋を出る。
貴族としてはうまくやっている、つもりだが――。なぜか暗澹とした気持ちで、宿舎へ戻った。
*
日が暮れ、夜空にちらちらと星が瞬く。
「誰だっ」
暗がりに、松明の火が向けられる。
積まれた籠の中で、兎などの食糧達がそわそわと動いた。
白露王も、顔を上げる。
「何だ? 話し声がした気が、するんだが」
わふっ、と、白露王ががんばって鳴いてみると、何だ犬か、と、兵達は持ち場に戻っていく。
静かになったあと、近くの茂みから、灰色の毛並みがのっそりと現れた。
「白露王ともあろう方が、犬みたいな吠え方をまねるなんて」
その険しい口調に対して、
「うまいだろう?」
白露王はさらりと返す。
「お前が、人の格好で近づいてくるからだぞ」
「貴方を、そんな籠なんかから出して差し上げるためですよ」
「人に出してもらわずとも、自分でやれる。見てみろ」
白露王は得意げに、籠の棒を引き抜いた。
呆れた顔で、闇夜のせいで灰色に見える白狼が、ため息をついた。
「自分で出られるなら、なぜ帰ってこないんです」
「うーん。ましろのことも心配だしな。無事に暮らしていけそうなら、帰ろうと思っていたんだが、何だか不穏な気配もするしで……」
「……貴方、あの子をどうしたいんです」
「うん?」
微妙な沈黙が、辺りを漂った。
「言い方を変えます。あの子は、そんなに特別ですか」
「うぅん? 何が言いたいんだ?」
「この鈍感野郎が」
部下であるはずの狼に小声で吐き捨てられたが、白露王は首を傾げるばかり。
*
日はくるくると変わっていく。
変わりばえのしない日々――とはいえ、些細な変化はいくつか、あった。
その日、羽黒の元へ訪ねてきたのは、恰幅のよい、年輩の男だった。
へらへらと笑いながら、羽黒に世辞をたくさん言った。羽黒が適当にあしらい、見事な笑みで、ましろを呼ぶ。
羽黒はましろの耳を隠させ、普通の娘のようにしていた。外から来る者に、耳をいちいち説明するのが面倒であるらしい。それでも、男は不審げに、あの、この方は、と聞く。
羽黒はしれっと、遠縁の娘ですが、布に興味があるもので、貴殿の材を見せていただければ大変喜びますので、と微笑んだ。
既にあれこれ褒められ、機嫌のよかった男は、それで了解したようだ。
あらかじめ羽黒に頼まれていたのだろう、長持ちからいろいろな衣装を取り出した。きらびやかなもの、質素に見える中に手の込んだ織りをしたもの。様々あった。
面白いけれど、まずは母親の、布を探さなくてはならない。ましろは気を引き締める。
布の売り込み先を見つけるのだ。そこから、母がどこへ行ったか、分かるかもしれない。
違う、これも違う。
豪華すぎる、質素すぎる、織り方が違う。ましろは違う理由を、小声で――恥ずかしがりの娘を装って、「お兄様」に伝えながら、少しずつ、母の手に似たものを揃えていく。
「あっ」
さやさやと、布地自体が歌うような、囁くような、光に輝く、綺麗な布が紛れていた。一枚の紗だ。
「あぁそれは、いただいたものですよ。衣装持ちの仲間がおりましてな」
男が、気に入りましたかなと首を傾げる。
ましろは、口を開けて布に見入った。手応えを感じて、羽黒が聞く。
「これは、どちらの品でしょう」
「さて、どこでしょうな。今度聞いて参りましょう、そう高いものでは、なかったはずですが」
「それでは、これと、それと、あれについて、お頼みします」
本命以外のものも頼んで、目当ての品を分からなくしてから、羽黒は男を下がらせた。
「……ありがとう、「お兄様」」
「どうせここからしばらく動けないなら、気になっていることを片づけて行けばいい。俺は他の仕事に戻る。また進展があれば、話す」
ましろは嬉しくて、でも、母が見つかるか、不安もあって、妙な顔で羽黒を見送った。
*
とんとん、からっ、とんとん、からっ。
繰り返す音が、さざ波の中に打ち込む軽やかな楔くさびのよう。キツツキが虫を探すよう。
ましろは無心に機を織る。
利緒が不在の間、見とがめる者もいなくて、ましろは人の部屋で織っているのだった。
それを見ていた、留守番仲間の少女が、不思議そうに呟いた。
「どうしてそんな、か細い糸が、そんなふうに布地に変わるのかしら」
「皆が絹のくずをくれたから、ちょっとは丈夫なものができるんじゃないかしら」
大型の織機は持ち込めないし、そもそも持っていない。ましろは先日、幅狭い布が織れる簡易織機を作った。少ししか織れないけれど、それでも、女達が使っている帯の、端の方の飾りにはできそうだ。
「何だか、お母様の膝の上にいるみたい」
少女が呟いて、脇息に頭を預ける。
うるさいわねと、隣室の住民が戻ってきて文句を言ったら、そこで終了だ。
今日はどこまで織れるだろう。
(この、ひと目ひと目を織るときは、ちゃんと、自分で生きている気がする)
絹はきらきらと輝いて、こちらを見上げている。ましろは、色糸を選んで、ここに来る道中で見た、明け方の海を再現する。
冴え冴えとした夜空が、徐々に明るくなり、海は広々として、紺碧の上にも太陽の淡い、黄色みを帯びた優しい光が投げかけられる、そんな景色。
私にできるかしら、とは、もう思わない。
母さんならもっと、的確に選んだだろう。けれど、ましろは、ましろの見た景色を、気持ちの通り、選び取って、縦糸と横糸を絡めていく。
(白露王にも、帯をあげるって前に言ったんだ)
思い出して、ましろは次に織るものを心に描いて、微笑んだ。
*
「あんた、しょっちゅうはぐれてるねえ」
炊事場で食べ物をもらいながら、白露王はあははと笑いを返した。
「ほんとのんびりして。大丈夫かい」
女達は白露王を置いて、炊事場の片づけを再開した。
「しかし、あれだね。あの落ち着きっぷり……まさか、いいとこのボンボンが、新兵に混じって遊んでんじゃないだろうね」
「えっ」
女達が、それぞれ背筋をぞっとさせられて黙る。
「でも、それにしちゃあ田舎の子だよ」
「そ、そうだよねえ」
女達の後方から、噂の主が、食べ終えた食器を運んで来る。毎回、律儀に礼も言うのだ。
「こんなとこにいて、いいのかい」
「そうだよ、あんた休憩時間が長すぎて、怒られちまうよ」
女達に追い払われた白露王は、さて、と庭を見回した。
立ち枯れていたはずの梅の木に、小さな、つぼみがあるのを目に留める。
「……あぁ、やっぱりなぁ」
これはまずいかなと呟いて、白露王は首を傾げる。
まぁ、今のところ誰も気づいていないようだ。放っておいてもよいだろう。
その後、白露王は仲良くなった新兵の下っ端に混じり、演習をさぼって買い出しに出かけたり、うろうろするのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます