3-6

「あははは、あの娘はそんなことをしているのか」

 奥まった部屋で、皇子は晴れやかに笑った。隅にかしこまっていた壮年や老年の者らが、恐れたように顔をしかめる。

 伏していた羽黒の顔をあげさせ、皇子は鋭く目を細めた。

「面白く暮らしているか。お前に、褒美でも取らせねばなるまいな」

「おそれ多いことでございます」

「そうだな、たまには顔が見てみたい。連れて来よ」

 羽黒の肩が、少し緊張する。見抜いて、皇子が笑いの残った声をあげた。

「ほう? 妹として引き取らせはしたが、本当に情でもわいて、離したくなくなったか?」

「いえ。そのようなことは決して。殿下の望まれた通り、お預かりしているだけのこと。いつ、こちらへ呼びましょう。今ですか」

「そうだな。また、追って連絡しよう。今日はもうよい。下がれ」

 政治の話の合間に、そんな会話をして、羽黒は部屋を出る。

 貴族としてはうまくやっている、つもりだが――。なぜか暗澹とした気持ちで、宿舎へ戻った。

 日が暮れ、夜空にちらちらと星が瞬く。

「誰だっ」

 暗がりに、松明の火が向けられる。

 積まれた籠の中で、兎などの食糧達がそわそわと動いた。

 白露王も、顔を上げる。

「何だ? 話し声がした気が、するんだが」

 わふっ、と、白露王ががんばって鳴いてみると、何だ犬か、と、兵達は持ち場に戻っていく。

 静かになったあと、近くの茂みから、灰色の毛並みがのっそりと現れた。

「白露王ともあろう方が、犬みたいな吠え方をまねるなんて」

 その険しい口調に対して、

「うまいだろう?」

 白露王はさらりと返す。

「お前が、人の格好で近づいてくるからだぞ」

「貴方を、そんな籠なんかから出して差し上げるためですよ」

「人に出してもらわずとも、自分でやれる。見てみろ」

 白露王は得意げに、籠の棒を引き抜いた。

 呆れた顔で、闇夜のせいで灰色に見える白狼が、ため息をついた。

「自分で出られるなら、なぜ帰ってこないんです」

「うーん。ましろのことも心配だしな。無事に暮らしていけそうなら、帰ろうと思っていたんだが、何だか不穏な気配もするしで……」

「……貴方、あの子をどうしたいんです」

「うん?」

 微妙な沈黙が、辺りを漂った。

「言い方を変えます。あの子は、そんなに特別ですか」

「うぅん? 何が言いたいんだ?」

「この鈍感野郎が」

 部下であるはずの狼に小声で吐き捨てられたが、白露王は首を傾げるばかり。

 日はくるくると変わっていく。

 変わりばえのしない日々――とはいえ、些細な変化はいくつか、あった。

 その日、羽黒の元へ訪ねてきたのは、恰幅のよい、年輩の男だった。

 へらへらと笑いながら、羽黒に世辞をたくさん言った。羽黒が適当にあしらい、見事な笑みで、ましろを呼ぶ。

 羽黒はましろの耳を隠させ、普通の娘のようにしていた。外から来る者に、耳をいちいち説明するのが面倒であるらしい。それでも、男は不審げに、あの、この方は、と聞く。

 羽黒はしれっと、遠縁の娘ですが、布に興味があるもので、貴殿の材を見せていただければ大変喜びますので、と微笑んだ。

 既にあれこれ褒められ、機嫌のよかった男は、それで了解したようだ。

 あらかじめ羽黒に頼まれていたのだろう、長持ちからいろいろな衣装を取り出した。きらびやかなもの、質素に見える中に手の込んだ織りをしたもの。様々あった。

 面白いけれど、まずは母親の、布を探さなくてはならない。ましろは気を引き締める。

 布の売り込み先を見つけるのだ。そこから、母がどこへ行ったか、分かるかもしれない。

 違う、これも違う。

 豪華すぎる、質素すぎる、織り方が違う。ましろは違う理由を、小声で――恥ずかしがりの娘を装って、「お兄様」に伝えながら、少しずつ、母の手に似たものを揃えていく。

「あっ」

 さやさやと、布地自体が歌うような、囁くような、光に輝く、綺麗な布が紛れていた。一枚の紗だ。

「あぁそれは、いただいたものですよ。衣装持ちの仲間がおりましてな」

 男が、気に入りましたかなと首を傾げる。

 ましろは、口を開けて布に見入った。手応えを感じて、羽黒が聞く。

「これは、どちらの品でしょう」

「さて、どこでしょうな。今度聞いて参りましょう、そう高いものでは、なかったはずですが」

「それでは、これと、それと、あれについて、お頼みします」

 本命以外のものも頼んで、目当ての品を分からなくしてから、羽黒は男を下がらせた。

「……ありがとう、「お兄様」」

「どうせここからしばらく動けないなら、気になっていることを片づけて行けばいい。俺は他の仕事に戻る。また進展があれば、話す」

 ましろは嬉しくて、でも、母が見つかるか、不安もあって、妙な顔で羽黒を見送った。

 とんとん、からっ、とんとん、からっ。

 繰り返す音が、さざ波の中に打ち込む軽やかな楔くさびのよう。キツツキが虫を探すよう。

 ましろは無心に機を織る。

 利緒が不在の間、見とがめる者もいなくて、ましろは人の部屋で織っているのだった。

 それを見ていた、留守番仲間の少女が、不思議そうに呟いた。

「どうしてそんな、か細い糸が、そんなふうに布地に変わるのかしら」

「皆が絹のくずをくれたから、ちょっとは丈夫なものができるんじゃないかしら」

 大型の織機は持ち込めないし、そもそも持っていない。ましろは先日、幅狭い布が織れる簡易織機を作った。少ししか織れないけれど、それでも、女達が使っている帯の、端の方の飾りにはできそうだ。

「何だか、お母様の膝の上にいるみたい」

 少女が呟いて、脇息に頭を預ける。

 うるさいわねと、隣室の住民が戻ってきて文句を言ったら、そこで終了だ。

 今日はどこまで織れるだろう。

(この、ひと目ひと目を織るときは、ちゃんと、自分で生きている気がする)

 絹はきらきらと輝いて、こちらを見上げている。ましろは、色糸を選んで、ここに来る道中で見た、明け方の海を再現する。

 冴え冴えとした夜空が、徐々に明るくなり、海は広々として、紺碧の上にも太陽の淡い、黄色みを帯びた優しい光が投げかけられる、そんな景色。

 私にできるかしら、とは、もう思わない。

 母さんならもっと、的確に選んだだろう。けれど、ましろは、ましろの見た景色を、気持ちの通り、選び取って、縦糸と横糸を絡めていく。

(白露王にも、帯をあげるって前に言ったんだ)

 思い出して、ましろは次に織るものを心に描いて、微笑んだ。

「あんた、しょっちゅうはぐれてるねえ」

 炊事場で食べ物をもらいながら、白露王はあははと笑いを返した。

「ほんとのんびりして。大丈夫かい」

 女達は白露王を置いて、炊事場の片づけを再開した。

「しかし、あれだね。あの落ち着きっぷり……まさか、いいとこのボンボンが、新兵に混じって遊んでんじゃないだろうね」

「えっ」

 女達が、それぞれ背筋をぞっとさせられて黙る。

「でも、それにしちゃあ田舎の子だよ」

「そ、そうだよねえ」

 女達の後方から、噂の主が、食べ終えた食器を運んで来る。毎回、律儀に礼も言うのだ。

「こんなとこにいて、いいのかい」

「そうだよ、あんた休憩時間が長すぎて、怒られちまうよ」

 女達に追い払われた白露王は、さて、と庭を見回した。

 立ち枯れていたはずの梅の木に、小さな、つぼみがあるのを目に留める。

「……あぁ、やっぱりなぁ」

 これはまずいかなと呟いて、白露王は首を傾げる。

 まぁ、今のところ誰も気づいていないようだ。放っておいてもよいだろう。

 その後、白露王は仲良くなった新兵の下っ端に混じり、演習をさぼって買い出しに出かけたり、うろうろするのだった。

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