5.記憶は残る
『進、お前は相手が人だろうが妖怪だろうが変わらず仲良くできるか?』
一瞬、玄内
その時、卵ほどの大きさの鉄球が進の脇腹を突いた。傘の先端に取り付けられた鉄球は、予想もつかない速さで進をあらゆる角度から突いていく。
「戦いに集中してください。玄内家の25代目なのでしょう。知ってますよ、長く生きていると妖怪というものは多くの知恵を身に付けていきますから。」
進の動きは確実に鈍っている。飛縁魔の一撃の一つ一つの衝撃を和らげながら受けるのが精一杯で、気をぬくと
「進さん、反撃しないと殺られますよ!」
両手を強く握って縁側に立ち上がる少女は、運動部の後輩設定を強要してきた同居妖怪、座敷童子。
「私は、人間が憎いのです。」
「あなたも元は人間だったのでしょう。だったら、何で?」
「進さん、あなたは知っているのでしょう?私がなぜ人間が嫌いか。いや、あなたは知っていてこの質問を私にしていますね。」
「はい。」
あの時、何の抵抗もしない女に向けられたのは紛れもない軽蔑の眼差しだったのだろう。
飛縁魔の鉄球が進の溝に入る。その直後、進は地面を蹴って後ろに跳ぶが全てを避けることはできない。
鉄球からの進の身体にかかる圧力は鉄球の重みと勢いで跳ね上がる。しかし、先端に重い鉄球を付けた和傘を振り回すというのは並の人間では限界がある。しかし、その持ち主が妖怪であるのならば話は別だろう。
「もしも、あなたが私の生い立ちを知っていて手を抜いているのならば、私はあなたを確実に殺せますよ?もっと言えば、私は人間が憎いのですから、あなたを殺るのに何の
右の横腹を抑えながら、キツそうに進は真っ直ぐ飛縁魔を見た。そして、進は痛みをこらえながら笑う。
「何がおかしいのですか?」
「俺が手を抜いて何がおかしいんだ?」
「は?」
「自分がどういう妖怪かその特徴を忘れていると言っているんだ。」
「封化師の少年、いや、玄内 進、あなたの言っている事が私には理解できない。」
進は木刀を地面に突き刺すと、飛縁魔に向かって勢いよく走って行った。
「何ですか!」
飛縁魔は、鉄球を振り上げ進の肩に思いっきり落とした。
ゴスッと鈍い音が鳴るが進は表情一つ変えずに飛縁魔との距離を縮める。
「何だと聞いているんです!」
傘を持ち直して鉄球で進を突こうとしたその瞬間。動きは止まった。
飛縁魔の頭は進の腕の中にあった。動揺する飛縁魔に優しく進は耳元で囁く。
「あなたは、男を翻弄し滅ぼす妖怪なのでしょう?だったら、俺があなたに翻弄されて攻撃を全力で行えなくても変な話では無いはずですよ。」
飛縁魔は言葉が出なかった。人の腕の中の感触。忘れかけていたはずの温もり。愛した人がその家ごと滅んでいく姿を目の当たりにしても何もする事の出来ない自分は、ただ住んでいる場所からバケモノと追い出される事しかされない。幸せだった時間はすぐ遠くの物となり消えていくが決して忘れてしまったわけでは無いのだと、心から思えた。
「あたたかい。」
進は優しく笑う。
「これで、2回もあなたに心を持って行かれちゃいましたよ。」
「私は、ただ好きな人と最期まで一緒に居たかっただけなのかもしれません。」
進はいっそう強く、飛縁魔の身体を肩を近づけて抱いた。
「思い出せなくてもいい。次は後、数百年間。この温もりを忘れないでいてくれますか?」
真剣なトーンで飛縁魔にはなしかけ、その顔を覗き込んだ。そこには、男を翻弄する魔性の妖怪として何年も1人で寂しさと戦い、それが憎しみに変わってしまった妖怪としての顔ではなく、久しぶりに人の温もりを思い出した赤く頬を染める美しい女の横顔がそこにはあった。
ゆっくりと飛縁魔は進の身体から離れると一歩下がってお辞儀をした。
「優しいのですね、進さん。私は、人というものを誤解していたのかもしれません。」
「全てが誤解だったとは俺は、思って欲しくないです。あなたが人間を心から憎いと思っているように思えなかったんだ。最初に会った時、あなたが俺の肩にくっついてきて、微かに嬉しそうに口元を緩めていた。その表情がどうしても忘れられなかったんです。」
愛するものに肩を預けたことを思い出したかのように女は口元は笑っていた。
***
飛縁魔は、深々と頭を下げてお礼を言うと、旅に出て行くと進たちの家を後にした。憎しみから解放された飛縁魔は、凄く清々しい顔をしていた。
その夜、土曜日だったので進は自室でのんびり課題を行っていた。2時半ごろ。
ガチャリとドアが開くと座敷童子が心配して入ってきた。珍しく餡子色の振袖を着ている。こうやって見るとやはり妖怪なのだと進は時々思う。
「怪我とか大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫。」
あと少しで英語の週末課題であるプリントの長文読解が終わるところだった。
「英語ですか?わぁ!全く分かりませんね。」
わざとらしく、座敷童子は机の下に回り込み、進の膝に飛び乗った。そして、ゆらゆらと体を横に揺らし始めた。
「あっ、あと1問だ!ファイトです!」
とりあえず、最後の解答を適当に書いてファイルにプリントを差し込んだ。
「午前中の飛縁魔さんの想いの受け止め方、感動しました。」
座敷童子は見た目に似合わない丁寧な口調で進を褒めた。
「でも、何で封印や荒事にしないで解決しようと思ったんですか?」
「いや、飛縁魔がどんな妖怪か昔、読んだことがあったからさ。かわいそうな境遇だと思ったし。」
座敷童子の口調がいつになく真剣になる。
「進さん、決して妖怪に同情はしないでください。私たち妖怪は進さんにとって居るべくしていて、見えぬべくして見える存在なんですから。」
しかし、遠くを見ながら語る座敷童子のその瞳は、いつもと変わらず優しく暖かい。
「わかってる。でも、今、この瞬間が俺の日常で何代にも続いてきた封化師の背負うべき生活だから。」
頭を撫ぜながら話し、ふと座敷童子を見ると軽くうつむいて眠っている。
「言いたいこと言うだけ言って、寝てたんかい。」
幼い表情で寝ているその頬に肩ほど伸びる髪を耳にかけながら進はじっと座敷童子を見つめる。
お前こそ、俺なんかよりずっと長く存在して、物凄く多くの事を経験して。俺よりも重くて分厚いものを背負ってきているんだよな。いつか、俺に話して少しでも気持ちを楽にしてくれてもいいんだぞ。いつも、座敷童子は見た目に似合わない敬語を使いどこか無理をしていないか、いつも進は不安になる。
「はぁーい 、進さん。」
突然の返事に驚きつつ、寝言だということに気づく進だった。
***
基本、玄内家は代々家事は分業制であり、それは若き当主の代になっても変わりはしない。しかし、昔と今とでは人数差が大きい。何十といた式神も今は0に近い。その代わりにカウントするとしたら、トイレ掃除のみを行うトイレの地縛霊ミツ、たまに掃除をする座敷童子、意外と大きい家のため三人で毎日掃除をするのは骨が折れる作業であり、部屋ごとに掃除をする日を決めている。
有難いことに朝、昼とご飯は
日曜の午前、朝早くから起きて鍛錬をして進は限られたお金で食料品を何を買おうか考えながらトイレに入った。する事を済ませるとズボンを上げながら立ち上がろうとした時、足を思いっきり掴まれた。しかし、進は一切動じない。右の壁からスッと#華奢__きゃしゃ__#な白い腕が脇腹を人差し指で突っついてきた。
「ぬんっ!」
謎の声を進は上げて、ムカついたように腕を掴み返そうとするが、床と壁の手はスーッと進の手をすり抜けた。
「下から~うわっ!」
ミツが長い髪を振り乱してドアから正しくはドアの板から飛び出して進の顔を両手で優しく撫ぜて、次に空中で一回転をして天井にすり抜けていく。
「ミツ!!!」
「前はミツちゃんって呼んでくれたのに、そんなにそっけなくなっちゃったのぉ~~?」
どこからともなく聞こえるミツの声。ミツがたまに陥る《おちい》ウザ絡み状態だ。面倒な性格バージョンと進が命名している。稀にあまり話しかけなかったり冷たくするとミツがこうなる。
あらゆる角度からミツが出たり入ったりを素早く繰り返し始めた。360度モグラ叩きである。全方位からミツの声が聞こえて騒がしい。
進は、ゆっくり目を閉じて息を軽く吐いて意識を集中する。
ベシッ!
思いっきり、床から出てくる寸前のミツの頭頂部を足の裏で制した。無論、かかとでは無い。
「ミツ・・・ちゃん、買い物に行ってくるけど何か買ってきて欲しいものとかある?」
頭に乗っかる足を軽快に横に払い、ミツは進に抱きついて頭を撫ぜながら声を上げる。
「進~~~、かわーいーいー。私は進がぁ、欲しいよー。」
(ウザい、凄くウザい)
進は心の中で一言漏らすと、真顔でトイレからムーンウォークすると勢いよくドアを足で蹴って閉めて封印の札を取り出す自分の腕を自我で掴みながら後ずさった。
家を出ると長い坂を降りて、行きつけのスーパーマーケットに歩みを進めた。最も品揃えのいいスーパーマーケットまでは意外と距離がある。
途中、進の横を一人の眼鏡をかけた初老が杖を突きながら通り過ぎようとしていた。すれ違うその瞬間、進は異様な感覚に鳥肌が立ち目眩に襲われた。初老を視界から見失った後に瞬時に振り返った。
しかし、そこには誰も居らず《おらず》嫌な胸騒ぎだけが残った。
「気の・・・せいだよな。」
妖気など微塵も感じない、進は自分の勘違いである事を祈りつつ歩みを再開した。
玄内家は、何重もの結界が家そのものを囲っており、それは進の親であり二十四代目の当主である
「人間がどれだけ能力を使おうとも所詮は人間のやることだ。」
一人の初老が玄内家のドアの前で立ち止まり、表情を一つ変えずに眺める。顔にあるシワの一本一本をピクリともさせずに、木製のドアに手をかける。青い炎が初老の手の甲のあたりを行き来する。
「封化師の一族は、今は私を息子に害を与える存在として判断するか。」
並の妖怪では歯が立たないであろう何重もの結界がその姿を初老の目にはハッキリ見えていた。
「たわいない。」
初老が杖でドアの付け根を軽く突いた。
その途端、シャボン玉でも割れるように、しかしバリバリという効果音が似合う割れようで窓ガラスに近いかもしれない。結界の表面が砕けていく。
ゆっくりと、初老は玄内家の敷地をまたぐ。
何処から湧いたのか、黒かったり、形は様々であれども、この世の者では無い何かが勢いよく進と沙由香の担当している地域の外側、内側の境界線から、かの百鬼夜行とも比べるに足りる数が玄内家に向かって一点集中迫り来る。
玄内家の玄関への扉までの庭で初老は、空を眺めて悠々と
「
初老の顔のシワが初めてピクリと動いた。
その次の瞬間、京紫色の光が玄内家を中心として進たちの担当区域をめいいっぱいに包み込み、この世の者では無い妖怪の半端ものどもが一瞬で灰が飛び散るように吹き飛んだ。
初老は、何があったでも無いふうにドアを手を使わずに一人でに開かせると玄内家の和室にゆっくりと座った。
「進くん!今、とんでもない妖気がここに・・。」
隣に住む一人の少女が敷地を飛び越え庭から障子を開いて飛び込んでくる。
「おお、可憐道家の娘か。」
「あっ、はい。」
「お茶を一杯淹れてはくれんかの?」
どこから来た老人かという問いが生まれてきながらも、どこにでもいるようなベストを着た老人に丁寧にお茶を要求されたので普段通りに慣れた手つきでお茶の葉を
『ご丁寧にどうも。』と茶をすすると、老人は一切顔色変えずに沙由香に訊ねた。
「可憐道家の娘よ、お主は・・・。」
なんとも言い難い貫禄と間により沙由香が緊張に固まる。
「茶を淹れるのに慣れておるな。」
沙由香は意外な言葉に安堵する。しかし、こちらにも聞きたいことはある。
「おじいさんは、進くん、、、玄内さんの主人に用があったのですか?」
「いや、用は済んだわい。
「はい。」
「しかし、随分この家も寂しくなったのう。昔は賑やかだったのにの。」
「昔ですか?」
「儂は23代目の頃の話しをしとるんだが?」
その時、初めて沙由香は先ほどの妖気がこの老人が源としていたのだと気付いた。老人の言葉からは人の寿命を超えすぎている事が理解できる。
「まぁ、お前の両親もあれほど、鬼相手に奮闘出来たのだから、お主にも期待はしておるぞ。がぁはっはっはっは。」
一瞬、沙由香の心に静まり返っていたはずの恨みとする感情がむせ返しそうになりながらも、絶対に相手に回してはいけないとした自制心で必死に理性を止めようとしていた。
「あなたは、、、私の両親を知っているのですか?」
沙由香の背中を嫌な汗がつたう。
「では、そろそろ失礼するかの。」
「あなたは私のお母さんとお父さんがどいつに殺されたのか知ってるんですか!」
目の前に現れた、両親の仇へのヒントを逃すまいかと沙由香は大声をあげて老人を止めようとして立ち上がった。いや、立ち上がれなどしなかった。身体が節々が軋むような感覚。気づくと目の前にいた老人の姿は消えていた。
玄内家の家の前で数匹の小さな鬼を引き連れて着物の裾にぶら下がる鬼たちを床に落とすと、初老・・・ぬらりひょんはひょうたん頭を撫ぜてから一言呟いた。
「茶、美味かったぞ。」
***
進は、買ったものを詰め込んだエコバッグを右手に持ちながら肉の塊に乗って歩道を駆け抜けていた。肉の塊、脂肪の塊の方が似合うのかもしれない。『ぬっぺふほふ』という大きなすべすべ、ぽちゃぽちゃとした白い妖怪にまたがっている。妖怪の表面が風により波打つ。
「さっき、俺の家の方にヤバイ数のヤバイ奴らがヤバく飛んで行ってたんだ!」
焦りすぎて言葉の使い方も狂い始めている。
「家の結界も一瞬だけ力が薄まった気もするし、何か関係があるのかもしれない!」
風に打たれるぬっぺふほふに掴みながら疾走し、数分で家に着く。
「ありがとう!ぬっぺふほふ!」
身体を上下に揺らせながらぬっぺふほふは手を振る。
進は玄関を横切り、開いていた縁側からコケながらも急いで家に入った。
「何があったんだよ!」
すると、沙由香が進に勢いよく頬に涙を浮かべて抱きついてきた。
「進くん、私、私ね。」
進もこれほどまで取り乱している沙由香を見て、ただごとではなかった事に気付いた。
「座敷童子!ミツ!どっちでもいいから返事してくれ!」
進の声に反応したかのように座敷童子がゆっくりと力無く歩いてきた。
「進さん、あのご老人は妖怪の頭領と言ってもいいクラスの方です。」
「そいつが、内の結界を破ったのか?」
ゆっくりトイレのドアが開き座敷童子の代わりにミツが疲れ果てたように答えた。
「ええ、破ったけど、その後に一瞬で修復したの。」
そんな事ができる妖怪など進の脳裏には
「ぬらりひょん。あいつはぬらりひょんに間違いないと思う。」
その名を聞いて進も悟った。まさかと思うがミツが言うのだからそうなのだと。
長い静寂が玄内家を包んだのは言うまでもなかった。
一章 『「何かようかい?」とか言うヤツちょっとそこ並べ 』完
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