第2話 まわり道(後)
風に揺らぐ湖面の音が聴こえる。ふと気がつくと、私は大きな、本当に大きな公園まで歩いてきていた。眼前には公園内にある貯水池が広がっていた。湖の端を目視することは叶わず、その様子はまるで大海原のようだった。私は濡れた前髪をかきあげて、もう一度だけ脇腹をつまんでみた。私の身体に要らないそれは、依然としてそこにあった。こんちくしょう。
私は貯水池にかかる橋の真ん中で、眼下の水面を眺めていた。正確に言えば、湖面に浮かぶ浮き草を見つめていた。浮き草は風とともに、右へ、左へ。のらりくらりと、ゆらゆらり。風に身を委ねるばかりの浮き草をみていると、私は自身の内面の言語化できない部分が、不安定というか、有耶無耶というか、宙ぶらりんというか。そんな風になっていくのを感じた。かいつまんで言ってしまえば、悩んでいる、ということなのだろうか。ただ一体何について悩んでいるのかは不明瞭だった。まあ、かの高明な孔子様でさえ、齢四十にしてようやく不惑と申したのだ。きっと私のような平々凡々が迷うことない自分に、つまり不惑の境地に至るのは、よく見積もって棺桶の中でだろう。下手をすれば棺桶の中でさえ惑っているかもしれない。
私はそこで一旦、思索の世界から離れると、ため息を一つ。橋の欄干に背中をあずけた。おもむろに煙草を咥え、火をつける。煙草の煙を肺に溜め込んでから、月に向かってふきかけた。雨雲は未だそこにいるものの、雨はだいぶ弱まっていた。吐き出した紫煙は月には到底届かず、じんわりと大気に混じって消えた。三日月と半月のちょうど真ん中くらいの月が、まるで嘲笑うかのように、私を照らしていた。
くう、と、微かに腹が鳴った。そういえば講義を終えてまわり道を始めてから、何も口にしていなかった。腹がへった。私は今朝、確認したばかりの冷蔵庫の中身を思い出す。何が残っていただろうか。調味料とミネラルウォーターと、半玉のキャベツ、しかなかったような。家路の途中に外で食べるにしても、今月は金欠だ。外食の余裕はない。途中、スーパーにでも寄って食材を買わないと。私は半玉のキャベツをうまく活用できる献立を考えながら、残りわずかの煙草を喫んだ。
吸い殻を持参した携帯灰皿に捨てる。コートの水滴を手で払う。家に帰ったら、シャワーでも浴びて身体を温めよう。私は自分が住まうアパート周辺の激安スーパを頭にリストアップしながら、帰路につこうと、歩き出した。
✳︎
かつん。こつん。かつん。
交互に響く、革靴の音。それは橋の向こう側から聞こえてきた。私のものではない。だって私の、スニーカーだし。
こつん。
私は歩みを止めた。
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