49 暗転1

 目を開いても真っ暗だ。

 居酒屋で修一らと別れてすぐ、夏樹は薬品のようなものを嗅がされて気を失ってしまった。

 どうやら手足をロープか何かで拘束され、ベッドの上に寝かせられているらしく、手足を動かそうと思っても体を捩るのがやっとで全く自由がきかない。


 辺りの様子を窺おうと思っても、目隠しをされているため、どこかの部屋のベッドの上に寝かされていること以外、自分がどんな状況にあるのか見当もつかない。

 せめて大声を出して助けを呼ぼうと試みてもみたが、口にタオルで猿ぐつわを噛まされているため大声どころか、くぐもった呻き声をあげるのが精一杯だ。


 今朝、夏樹の勤務先へ具合が悪いので休みますと電話をさせられた。手足は拘束されたままだし、目隠しもされている。さらには背後から首筋に刃物のような冷たくて硬い感触のものを当てられていたため、夏樹は抵抗することができなかった。

 唯一、助けを呼べるチャンスだったかもしれない。今ごろになって、どうしてあの時、山路に助けを求めなかったのかと後悔ばかりが押し寄せてくる。


(あの人、何で今ごろこんなことをしたんだ?)


 今のような状況に陥れた人物を夏樹は知っていた。

 『彼』とはお互いに面識はあったし、会話をしたこともある。だが、ここ最近、特に交流などはなかったはずだ。夏樹自身、彼の存在については忘れかけていたのに。

 夏樹がベッドの上で色々と考えを巡らせていると、静かにドアを開ける音とともに誰かが入ってくる気配がした。


「…………」


 目隠しの内側でぎゅっと目を瞑る。

 緊張で体を固くさせたまま、夏樹は近づく気配に唯一自由のきく耳をそばだてた。


(――あれ?)


 近づいてくる気配と足音が複数だ。今朝までは例の男一人だったので、夏樹はてっきり彼の単独行動だと思っていた。仲間がいたなんて予想外だ。

 何人かいるうちの一人が夏樹の横たわっているベッドに腰かけた。ベッドが軋む僅かな音がして、マットレスから人の動く振動が夏樹に伝わってくる。


(何? 何なんだよ、あの人一人じゃなかったのかよ)


 夏樹も一応、男だ。たとえ自分よりも体の大きな相手でも、一人だけなら何とかなるかもしれないと思っていた。だが相手が複数なら話は別だ。

 隙をついて逃げ出すこともほぼ不可能な状況に、夏樹の頭の中は真っ白になってしまった。

 絶望的な状況に、もうどうすればいいのか分からなくなってしまった夏樹は、ベッドの上で自由のきかない体をただ小さくするしかない。


「――なつき」


 不意に耳元で名前を呼ばれた。

 どこかで聞いたことのある声のような気もするが、息を殺して囁くような声なため、その正体が一体誰なのか全く想像がつかない。だが、名前を呼ぶあたり夏樹のことを知っている人物なのは確かで、どうやら男性のようだ。


 男は今度は夏樹の髪をそっと撫でた。柔らかな癖毛を撫でる手つきはとても優しげで、夏樹に危害を与えようとしているなんて想像もつかない。

 しばらくゆっくりと夏樹の髪を撫でていた手が、頭の左側へと差し掛かった時、ピタリとその動きが止まった。


「…………」

「えっ!? 違う、私は手出しなんてしてない!」

「…………」

「頭? たんこぶ? 何だそれは、そんなの知らない!」


 夏樹の髪を撫でていた男が、頭にできたたんこぶを見て夏樹を拉致した男が暴力を振るったと勘違いしたらしい。

 二人の間で押し問答が続いたが、しばらくすると夏樹の髪を撫でていた方の男が部屋を出ていってしまった。


 階段を駆け降りるような足音が聞こえた。どうやら夏樹が閉じ込められている部屋はどこかの家の二階か三階らしい。

 側にいた人物が離れたことで夏樹の緊張も幾分解けたのか、真っ白になって思考が止まっていた頭の中が働き始める。


(何なんだ?)


 夏樹のことを拉致監禁までしていおいて、たんこぶひとつで大騒ぎするなんて訳がわからない。

 とりあえず今、部屋の中には例の夏樹を拉致した男一人らしい。今なら逃げ出すことは難しくても、拘束を解いてもらうことはできるかもしれない。

 それにもう一人の男がたんこぶを見つけた時の慌てようから、少なくとも夏樹に危害を加える可能性はなさそうだ。

 夏樹は不自由にしか動かせない体をモジモジと動かした。

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