48 頑張る男と伝わらない気持ち7

「久志さん。ここにいたんですね」

「ん? どうした、芹澤」


 作業場兼リビングの隣の部屋で、応接セットのソファに腰かけた久志が、あたかも今芹澤の存在に気づいたように顔をあげた。手には明日からの出張先の企業の資料がある。


「……まあ、いいでしょう。そのまま打ち合わせをします――失礼」


 内ポケットで着信を知らせる携帯を芹澤が取り出した。


「はい、芹澤……」

『芹澤さん、山路です! 先程、芹澤さんから依頼いただいた件について報告ですっ!』

「山路くん」

『はいっ!』

「報告はメールでいいと私は言ったはずですが」

『はい。でも、どうしても直接芹澤さんへお伝えしたくて、お電話しました!』


 もうため息しかでないのだろう。芹澤が大きく息を吐く。


「――それで?」

『芹澤さんの指示どおり、専務の隣の部屋を押さえました!』

「ああ、はい。わかりました……それでは……」

「おい、芹澤」


 通話を切ろうとする芹澤を久志が呼び止める。


「山路くんだろう、夏樹は今どうしている? 様子を聞いてくれないか」


 芹澤も夏樹の様子は気になる。昨日転んだ時にぶつけた頭と肩は大丈夫だろうか。


「山路くん、松本くんの様子を教えてください」

『松本ですか? 松本は今日、休みでしたが』

「え?」

『何でも風邪気味らしくて、本人から直接連絡がありました。疲れでも出たんでしょうね。俺が対応したんですが、そこまで酷いようでもなかったので今日はゆっくり休むように言っておきましたが』

「そうですか」


 おそらく風邪ではないだろう。昨日芹澤が見た限り、結構大きなたんこぶが出来ていた。もしかしたらたんこぶの腫れが引いていないのかもしれない。気にはなるが、本人が直接連絡を寄越したのならそこまで心配する必要もないだろう。


「では、私からも後で連絡を入れてみます。山路くんも様子を見に行ってもらえますか?」

『はあ……そうしたいのはやまやまなんですが、実は甥っ子が入院しまして……』

「そうですか。お大事にしてください」

『ありがとうございます。すみません』


 山路が沈んだ声で答えた。携帯の向こうで項垂れている山路の姿が想像できる。

 彼が甥っ子の健太のことを我が子のように可愛がっているのを芹澤も知っている。久志のわがままで、あまり山路にばかり無理をさせるのも可哀想だ。夏樹もたんこぶが落ち着くまでは、外をうろうろすることもないだろう。

 そう判断した芹澤は山路に労いの言葉をかけると通話を切った。


「おい、夏樹に何かあったのか?」

「いえ……ちょっと風邪気味で今日は会社を休んだそうです」

「何だって!? こんな所でゆっくりしている場合じゃないぞ、芹澤、今すぐ帰るぞ!」

「落ち着いてください」

「夏樹の一大事に落ち着いてなんかいられるか」

「休む連絡は松本くんから直接あったそうですし、対応した山路も酷いようではなかったと言っていました」


 焦る久志とは対照的に落ち着いた声で芹澤が続ける。

 夏樹からは、久志のシャツを被っていて転んだことを言わないでほしいと頼まれていた。余計なことは言わない方がいい。


「それに、たまには久志さんがいない方が松本くんもあまり気を使わずにゆっくりできると思いますが」


 確かに久志が家にいると、夏樹は体調が良くなくても久志のために食事や身の回りの世話をしようと無理をするだろう。

 体調が悪いのに無理をする夏樹の様子を想像した久志が、言葉を詰まらせる。


「ですから久志さんは久志さんで、しっかりとやるべき事をやってください」

「…………わかった」


 芹澤が床に落ちた資料を拾い上げ、久志に手渡す。久志はそれを黙って受け取ると、ソファに腰を下ろした。

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