42 頑張る男と伝わらない気持ち1

「夏樹、営業の山下くんの話は聞いたか?」

「山下ですか? いえ、特には」

「今月の新規契約、営業課の中で断トツでトップだったそうだ――はい、これ変更分」


 プリンターから出てきた用紙を山路が夏樹へ手渡す。

 夏樹は渡されたプリントへ目を通し顔を上げた。


「新幹線の変更はどうしますか?」

「ついでにしておいて貰うと助かる」

「わかりました、俺やっときます」


 いそいそと自分の席へ戻り、山路から渡された出張計画表を確認しながら、夏樹がインターネットで乗車便の変更をする。変更完了のメールを確認し、山路へ報告した。


「――ところで、何で山路さんが山下のこと知ってたんですか?」

「さっき総務に寄ったんだけど、結構噂になってた。それに今度の専務の出張も山下くんが同行することになったし」

「え? この一名追加って山下のことだったんですか?」


 夏樹は改めて出張計画表を見直した。

 計画表には同行者として営業課から二名とだけあり、誰が行くのかは記入されていない。


「今回の関西行きは専務と先方の都合で日程が変わったんだが、そうすると同行するはずだった営業の予定と合わなくなってな。それで山下が代理で行くことになったんだよ」

「はあ……」


 課でトップの営業成績に、代理とはいえ役員の出張への同行。入社して半年足らずだというのに素晴らしい活躍ぶりだ。


「山下、本当に凄いな……それに比べると俺なんかまだまだだな」


 夏樹と山下は年齢もそれほど変わらなかったはずだ。

 仕事だけではない。普段から落ち着いていて人当たりのよい山下に、落ち着きなくふわふわしている自分。

 山下と張り合うつもりはないが、やはり男としては少々悔しく思うところもある。


「夏樹、どうした」


 突然静かになった夏樹の頭に山路の大きな手が乗る。


「いえ、山下ってすごいなあと思って」

「夏樹もすごいぞ」

「――え?」


 頭に手を乗せられたまま夏樹が顔を上げると、少し高い位置から山路が目を細めていた。


「お前はみんなから好かれているじゃないか」

「そんなこと……」

「そんなことあるよ。どんなに良いヤツでも何人かは必ず苦手に思っているもんだ。だけど俺が知っている限り、夏樹のことを悪く言ったり苦手だと言ったりしてるのを聞いたことがない」


 戸惑う夏樹の頭を山路がくしゃくしゃと掻き回す。


「人から好かれることも、りっぱな才能なんだ。俺はもっと自信をもってもいいと思うけど?」

「山路さん」


 結局、朝になっても久志は帰ってこなかった。

 朝早くに久志の着替えを取りに来た芹澤から、そのまま出社することを聞かされただけで久志と直接連絡はとっていない。

 可愛らしくて気の合う誰かと朝まで一緒に過ごしたらしい久志に、何を話せばいいのかわからなくて、夏樹から連絡できなかったというのもあるが。

 久志が帰ってこなかったことで落ち込む一方、夏樹は心の片隅でホッと安堵もしていた。普段と変わらない調子で久志が家に帰ってきても、夏樹にはいつも通りにしていられる自信がなかったからだ。


「――ん? どうかしたか?」


 頼もしい先輩に、つい弱音を吐きそうになった夏樹を山路が覗き込む。

 本当は心の中のモヤモヤしたものを全部ぶちまけてスッキリしてしまいたかったが、気を使ってくれている山路にこれ以上心配や迷惑をかけたくない。

 喉まで出かかった愚痴を夏樹はぐっと飲み込んで、山路へ笑顔を向けた。ちゃんと笑えているはずだ。


「いえ……何でもないです」


 あれだけ毎日のように好きだ好きだと言われて、久志が夏樹以外の誰かへ少しでも心を動かすなんて思ってもいなかった。

 所詮、久志は自分みたいな何の取り柄もない小柄な男が珍しかっただけなのかもしれない。

 おまけに同年代の山下の仕事ぶりを目の当たりにして、さすがの夏樹も二十四年の人生の中でワーストスリーに入るくらいに気分が落ち込んでしまった。

 大丈夫と言いながら気丈に振舞う夏樹の頭を、小さな子供にするように山路がぐりぐりとやや乱暴に撫でる。


「少なくとも俺は夏樹と一緒に働けるようになって、お前の働きぶりにはとても助かっているし、感心している」

「山路さん……ありがとう、ございます」


 どれだけ我慢していても、どうしても溢れてしまう涙で大きな瞳が潤んでくる。

 山路は夏樹が落ち着くまで、小さな頭を乱暴に撫でてくれた。


「何か、すみません」


 心配とか迷惑とかかけたくなかったのに、結局夏樹は山路の優しさに甘えてしまった。


「気にすんなって。新しい環境で夏樹は本当に頑張ってると思うよ。たまには息抜きしないとな」

「……はい」


 最後にもう一度、山路は夏樹の頭をくしゃりとかき混ぜると、夏樹のためにコーヒーを淹れてくれた。

 ミルクと砂糖がたっぷり入ったコーヒーが、卑屈になって小さくなっていた夏樹の心をゆっくりと解かす。


「さあ、もう少し頑張ろうか」

「はい」


 今度は明るい声で返事を返すことができた。

 詳しいことを山路に打ち明けることはできなかったが、いく分心が軽くなった夏樹は、気持ちを切り替えて仕事に取り組むことができた。

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