40 知っている人にもついて行ってはいけません2

 夏樹が帰宅すると、先に帰っているはずの久志はまだ戻っていなかった。夕食は出来たての方が美味しいだろうと、ジャガイモとベーコンの下ごしらえを済ませて、あとは卵で包むだけにしてある。

 だが、久志が帰ってこないなら下ごしらえを済ませても意味がない。

 二人分の食事の準備にすっかり馴染んでしまい、自分ひとり分の食事を作る気も起きず、夏樹はリビングのソファに体を投げ出した。


「どうしようか……ジャガイモもベーコンも明日の朝ごはん用にすればいいとして――」


 出張なのは別として、同居するようになって久志が外泊するのは初めてだ。どんなに遅くなっても必ず帰ってきていたのに、今日は可愛らしくて気の合う相手と過ごすらしい。

 自分のことをあれほど好きだ好きだと言っていたのは、ただの暇潰しだったのかもしれない。晩熟な夏樹の反応が面白くて相手をしていただけなのかも。

 久志は今夜その可愛らしい相手と何をするのだろうか。夏樹の体に触れたように、その相手にも触れるのだろうか。

 ソファに体を横たえたまま、夏樹は思わずため息を洩らした。


「コンビニで何か買ってこよう」


 このまま久志のことばかりぐるぐると考えても、頭に思い浮かぶのは嫌な想像ばかりだ。

 夏樹はソファから立ち上がり、財布と携帯を握った。



 コンビニに来るのも久しぶりだ。久志の所へやって来てからは全然立ち寄っていない。

 ちょっと来なかった間に新発売のお菓子など初めて見るものもいくつかあり、あれもこれもと選んでいるうちに夏樹の持つカゴの中はお菓子でいっぱいになってしまった。


「――あった」


 レジ横にあるデザート類が並ぶ陳列棚で目当てのものを見つけると、さっそくそれを二つカゴの中に入れる。

 夏樹の好きな某コンビニ限定のコーヒーゼリーだ。ゼリー自体が少し柔らかめにできており、口の中に入れると舌で潰さなくてもスッと溶けてしまう。

 甘さ控えめだが、ゼリーの表面を覆っているクリームと一緒に食べると、その美味しさにスプーンを持つ手が止まらなくなる。


「これ、ここのコンビニにしか売ってないし……どうしよ、もう一個買っておこうかな」


 どうしようと言いながら、もうひとつカゴに入れる。ちなみに夏樹が今来ているコンビニは、夏樹の部屋の近くの店だ。

 芹澤から自宅周辺を一人でうろつかないようにと言われていたが、部屋に侵入されたのも一度だけだし、その時だって特にこれといった被害はなかった。


(盗撮って言っても写真撮られただけだし、部屋に入られても何も盗られてないし……会社の人みたいだけど、別に働いてて何かあったこともないし……もう犯人も飽きたんじゃないのかなあ。芹澤さんもちょっと大げさなんだよ)


「あれ? 松本くん?」


 夏樹が四個めのコーヒーゼリーに手を伸ばした所で、ふいに背後から名前を呼ばれた。


「――山下?」


 振り向くと夏樹の背後に山下が立っていた。


「どうしたの? 買い物?」


 人懐こい笑顔を浮かべた山下が夏樹の側へやって来る。


「あ、うん。夕食、家に何もなかったから」

「それにしてはお菓子ばかりだね」

「これから弁当を選ぼうと思ってたんだ」


 遠慮なくカゴを覗き込む山下へ、夏樹が決まり悪そうに答える。


「松本くん、夕食まだなんだ。それなら家で一緒に食べる?」

「――えっ?」

「実はこれから今村くんも来るんだ」

「修一も?」

「うん。今村くんの持ってない食玩が家にあるんだ。僕は同じのを何個か持ってるし、あげようかと思って」


 そう言えば、山下も修一も食玩集めが趣味だった。

 以前修一が、山下のコレクションはなかなかのものだと言っていたのを夏樹は思い出した。


「修一が来るなら、俺も行こうかな」

「そう? ならおいでよ。僕の部屋、ここから結構近いんだ」


 ぱっと嬉しそうな顔を見せた山下が、待ちきれないとばかりに夏樹の手を取る。

 普段から穏やかで、強引な所など見たことがない山下がいきなり夏樹の手を取るなんて。山下らしくない行動に夏樹が目を瞠る。


「や、山下?」

「どうしたの、早く行こうよ」


 すぐにでもその場から夏樹を連れて行こうとする山下の手から逃れようと夏樹が手を引くが、それ以上の力で山下が手首を握り返してくる。


「――あの、わかったから……先にお金を払いたいんだけど」

「あ、ごめん」


 それでも山下は夏樹の手を掴んだまま離してくれない。


「山下、手。離して、お金払えないから」


 困った様子で夏樹が訴えたことで、やっと山下は夏樹の手を離してくれた。

 レジでお金を払う間も山下は夏樹の背後にぴったりとくっついており、まるで夏樹のことを逃がさないとでもいうようだ。

 さすがの夏樹も山下の行動を不審に思い、ちらりと背後を振り返ったが、山下は「どうかした?」と相変わらず人懐こい笑顔を浮かべているだけだ。


「山下……俺、買い忘れがあった。ちょっと買ってくるから外で待っててくれる?」


 清算を済ませ、店から出た所で夏樹が山下に言った。

 夏樹は山下の返事を待たずコンビニの中へ戻ると、ちょうど山下から死角になる場所で携帯を取り出した。


『はい?』

「あ、修一?」

『おう夏樹か。何、どうした?』

「今日なんだけどさ、山下とご飯食べる約束した?」

『したけど。何で?』

「いや、何でもない。それじゃまた後で」

『後で? え、夏樹――』


 山下が修一と夕食をとる約束をしたのは間違いないらしい。

 身を隠した陳列棚の陰から夏樹がひょいと顔を出すと、山下と目が合ってしまった。山下は夏樹と目が合うとにっこりと笑い掛けてきたが、夏樹は笑い返さず出した顔を引っ込めた。


(大丈夫、だよな)


 夏樹が山下の部屋へ行くことを了承してからの彼の様子に引っ掛かりを感じ、念のため修一に連絡を入れてみたのだ。

 間違いなく後から修一が合流することを確認した夏樹は、ほっと息を吐くとコーヒーゼリーをもうひとつ買って店の外から夏樹の様子を窺っている山下の所へと急いだ。

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