39 知っている人にもついて行ってはいけません1
とあるマンションの一室に久志と芹澤が訪れていた。
リビングである広い部屋の一角にはずらりとパイプハンガーが並べられ、赤やピンク、黄色などカラフルな色調の洋服がぎっしりとかけてある。
また、その対面には白い色をした人の手足や頭などのパーツが入った箱が積み上げてあった。
「紺野さん、いらっしゃいませ。それと久しぶりだな芳美」
「久しぶりですね。
「野添くんだなんて他人行儀だな、芳美。もう俺のことを名前では呼んでくれないのか?」
野添と呼ばれた男が芹澤の肩へ親しげに腕を回した。
「誰が、いつ、あなたのことを名前で呼んだことがありましたか? 野添くん、一部の人たちに誤解を与えるような言い方はやめてください」
肩に回された腕を芹澤が鬱陶しそうに払い除ける。芹澤の態度を野添は気にした様子もなく、へらへらと笑っている。
「ところで先日注文していたものは?」
「すみません、そうでした。今お持ちします」
久志の声に野添はそれまでのふざけたような笑みを引っ込め、別室へと消えた。
「――久志さん」
「なんだ?」
「午後の予定をキャンセルしてまでどこへ行くのかと思えば、なぜよりによって野添なんかの所なんですか」
不機嫌さを隠そうともせず、芹澤が久志に詰め寄る。
「マウスを作った時、それに合う衣装を夏樹に着せたくなったんだ。私のイメージ通りに作るなら野添に頼むのが一番だ。大体、私に彼を紹介したのは芹澤じゃないか」
確かに野添を久志に紹介したのは芹澤だ。久志から言われていることが事実なだけに芹澤が口を噤む。
野添は芹澤の学生時代からの知り合いだ。大学に入学して間もなく、いきなり野添から自分の理想どうりの容姿をもつ人間に出会えたと迫られ、それ以来ずっと付きまとわれている。
野添本人は芹澤のことを特別な人だと昔から言っているが、芹澤にしてみれば、どこか得体のしれない雰囲気を持つ野添にはただの知り合い以上の付き合いはしたくないのだ。
「最近やっと彼からの連絡が減ってきたというのに」
正確には減ったのではない。
久志はその筋では有名なフィギュアの造形作家である野添に頼みをきいてもらうかわりに、彼へ芹澤の情報を流していた。そのせいで野添から芹澤への接触の機会が減っていたのだ。
ばれた後の芹澤を想像すると恐ろしいので、この事は絶対に芹澤へ知られてはいけない。
「すみません、お待たせしました」
別室へ行っていた野添が何やら大きな箱を抱えて戻ってきた。
「こちらが、先日紺野さんからご注文頂いていたものです。まだ仮縫い段階で申し訳ないのですが」
そう言って、野添は抱えていた箱を部屋の中央にある作業台の上に置いた。
「開けても?」
「どうぞ。素材と色合いについては先日の打合せ通りとして、全体のフォルムの確認をしてもらってもいいですか? 変更点があれば、遠慮なく仰ってください」
久志が箱の中から茶色い毛布のようなものを取り出す。一見ただの毛布のようだが、久志の手によって広げられたそれは明らかに人の形をしている。
久志の手で広げられている茶色い人型の毛布は、おそらく夏樹に着せるつもりのものなのだろう。
細部まで細かくチェックしている久志の姿に、思わず頭痛を覚えた芹澤がこめかみに手を当てた。
野添はフィギュアの造形作家とは別に、コスプレの衣装や着ぐるみなどの創作もしており、特殊なものほどその完成度は高い。なんと某戦隊ヒーローものの悪役コスチュームや映画の特殊衣装なども手掛けているのだ。
「あの……久志さん、それは松本くんに着せようと?」
「ああ。あのどんぐりの出来がなかなかだったから、どうしても衣装も合わせたくなったんだよ」
「――ああ、そうなんですね」
久志の妙に高いテンションに、芹澤にはかける言葉が見つからない。
「紺野さん、いかがでしょうか」
「そうだな……袖はこのままでいいが、足元を短めにした方がいいな」
「どのくらいにしますか?」
「膝丈、膝小僧が見えるくらいかな」
久志が首を傾げながら茶色い人型毛布の足元を見ている。野添も普段の得体の知れない変人ぶりはなりを潜め、真面目な顔で久志の指示を聞いている。
「頭はどうでしょうか」
「悪くはないが、いまひとつ可愛さに欠ける」
「もう少し耳を大きめにしてみましょうか」
「そうだな。耳には少し丸みをもたせて……もうちょっとコロンとした感じにはできないか?」
「うーん……出来ないこともないですが、重みで耳が倒れそうですね……」
耳に芯を入れたらどうかとか、やっぱりあまり厚みはないほうがいいのではとか、大人の男が二人、ケモミミの形について真剣に議論している。
恐らく耳の問題が解決しても、次は尻尾のことでもまた時間を取りそうだ。
「久志さん」
「何だ?」
「遅くなるようでしたら、どこか食事の予約をとりましょうか?」
「そうだな。野添くんも一緒にどうだ?」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
久志に軽く頭を下げた野添が、芹澤の方を見て口許だけでニヤリと笑う。野添と偶然目があってしまった芹澤が苦虫を噛み潰したような顔をした。
「わかりました。では、久志さんと野添くんの二名の予約で。お店はいつもの料亭でいいですか?」
「三名だろ。芹澤が抜けている」
「私は結構です。どうせなら松本くんもご一緒してはどうですか?」
「いや、夏樹はいい。この衣装のことは夏樹に内緒にしておきたいからな。夏樹の驚く顔が楽しみだ」
そりゃあ驚くだろう。別の意味で。
「芹澤、遠慮はするな。三名で予約を」
「いえ、遠慮はしてないで……」
「芹澤」
「…………はい」
半ば久志に押しきられる形で、芹澤は三名分の予約を入れた。
「松本くんに、帰りが遅くなると連絡を入れておきましょうか?」
「すまない、頼む。ちょっと耳の微調整で手が離せないんだ――あ、野添くん、右耳は少し垂れた感じで……」
茶色い人型毛布を広げている野添から数歩離れた位置で、久志が指示を出している。その様子を横目で見ながら芹澤は夏樹の携帯に連絡を入れた。
『はい』
「松本くんですか?」
『芹澤さん。どうかしましたか?』
「久志さんですが、今日は遅くなるので食事は不要とのことです」
『――えっ? ああ、食べてこられるんですね。わかりました』
「それに、この分だと今日は帰れないかもしれませんね」
『……はあ』
「私の知人と妙に気が合うようでして……全く、耳の大きさなんてどうでもいいのに」
携帯を耳に当てたまま芹澤が久志らの様子をちらりと見た。
『――耳?』
「いえ、こっちの話です……あ、ちょっと久志さん! 何をやっているんですか! いくら可愛いからって……」
『…………』
「すみません、そういうことですので。また連絡をします」
夏樹が何か言う間もなく、通話は切れてしまった。
「――可愛い?」
いくら可愛いからって、と芹澤は言っていた。可愛い相手に久志が何かをして、それを芹澤が注意していたらしい。
「可愛い相手と気が合って……今日は帰れないん、だ……」
等身大夏樹フィギュアに着せたリスの着ぐるみ姿があまりに可愛らしすぎて、それに思わず抱きついた久志を芹澤が注意していたなんて、携帯越しの夏樹にはわからない。
自分を好きだと言いながら、久志は気が合った相手と朝まで一緒に過ごすらしい。
芹澤から告げられた内容に、夏樹は携帯を持ったまま、ただ呆然とするしかなかった。
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