19 流されたわけじゃない!1

「イヤです」


 正面に座る久志へ夏樹がきっぱりと言い切った。

 いくら不審者の存在を身近に感じて心細かったとはいえ、自分から久志に抱きついてしまった。

 これまで好きになっても片思いで、そっと陰から見ていることしかできなかった夏樹にとって、久志のようなかっこいい男性に自分から抱きついてしまうなんて思い出すだけで顔から火が出てしまいそうな気分になる。


「夏樹、私を困らせないでくれ。多少の君のわがままは可愛いが、これだけは譲れないよ」

「お、俺だって……ゆっ、譲れないです」


 テーブルの表面を見つめたまま、頑なに首を横に振る夏樹に久志がため息をつく。


「昨日鍵を替えたばかりで、また誰かがこの部屋に入ってきたんだろう? もし君が寝ている間に入って来られたらどうするんだ」

「内側からチェーンをかけます」

「あんなチェーンなど、それなりの道具があれば簡単に切れる。鍵だって簡単に開けられているじゃないか」


 久志の言葉に夏樹が口を噤む。


「だ、だからって……何で俺が紺……久志さんの家に行かないといけないんですかっ」

「私のところの方がここよりも遥かにセキュリティー面で安心が出来る。君は何が気に入らなくて私の所に来るのをそんなに拒むんだい?」


 男同士だし表面的には特に何も問題はない。だが、夏樹の恋愛対象は男性だ。

 それだけでも十分問題なのに、顔を合わせれば夏樹のことを好きだと言って、人目もはばからずくっついてくる男とひとつ屋根の下で寝起きをするだなんて、恋愛スキルの乏しい夏樹には無理としか言いようがない。

 はいそうですね、なんて口が裂けても言えない。


「夏樹、顔を上げてくれないか? ちゃんと君の顔を見て話したい」


 いつもは自信に満ちている久志の珍しく弱った声に、夏樹が思わず顔を上げた。


「心配なんだよ。今日はたまたま私が近くに来ていたから良かったが、君が私の目の届かないところにいる時に知らない誰かが部屋に押し入ってきたら、君はちゃんと立ち向かうことができるのか?」


 久志の言うことはもっともだ。部屋に夏樹ひとりのときに、また見知らぬ誰かがやってきたら……想像しただけで背筋にぞわりと悪寒が走る。


「それじゃあ、こうしよう」


 久志はテーブルの上に置かれた夏樹の手の上に自分の手をそっと乗せた。


「君は私の所に来る」

「だ、だからそれはイヤですって……」

「ちゃんと最後まで聞きなさい。あともうひとつ、私がここに来て君と一緒に生活する」

「――――は?」

「まあ、この場合は君が一人にならないようにするために、常に私と行動を共にしてもらうことになるけれども」


 この男は何を言っているんだと夏樹が目の前の男の顔を見ると、久志は夏樹の手を自分の手でやんわりと包み込んだまま、眼鏡の奥の瞳を細めた。

 今ここで答えなさいという無言のプレッシャーを感じる。


「どちらでもいい、夏樹が選んで」


 正直どちらも遠慮したい。だが遠慮したところで、久志のことだ。今度は夏樹のマンション周辺に大袈裟なくらいの人数の警備員を配置するかもしれない。これ以上人さまに迷惑はかけられない。


「……わかりました。俺がこ……久志さんの所に行きます」


 夏樹の決死の決断に、久志が良くできましたとばかりにニコリと笑みを浮かべた。

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