18 狙う男と狙われた男4




「ありがとうございました」

「いえ、では気をつけて。ちゃんと戸締まりをしないといけませんよ」

「わかってます」


 コンビニを出てから五分もしないうちに車は夏樹の自宅へ到着した。

 子供へ言い聞かせるような口調で芹澤は言って、夏樹をマンション前で降ろしそのまま帰っていった。


「――疲れた」


 玄関ドアの鍵を開けて部屋の中に入る。

 靴を脱ごうと、夏樹がふと靴箱の上へ目をやるとそこに見慣れない封筒が置いてあった。


「何だこれ」


 こんな所に封筒を置いた記憶はない。もしかして昨日、久志たちがやって来たときに忘れていったのだろうか。

 封筒を手に取ってみると五ミリほどの厚みがあり、思ったよりも重さがある。


(だけど、今朝出るときにはなかった……よな)


 夏樹はいつも玄関の鍵を靴箱の上に置いている。今朝出かけるときにはそこに封筒はなかった。

 またもや留守中に誰かが侵入したらしい。玄関のカギは昨日替えたばかりだ。夏樹は恐ろしさに目を瞠り、震えた手から封筒が落ちた。


 封筒の口が開いていたらしく、中身が夏樹の足元にばらまかれる。

 撮られた覚えの全くない自分の写真。会社の中や外出先、それに自宅でくつろいでいるものまである。

 足元に広がる何枚もの写真に夏樹は言葉を失い、崩れるようにその場に腰を落とした。


 鞄の中から携帯の着信音が聞こえる。

 いつだったか修一が勝手に設定した、日曜夕方に数人の落語家が出演する長寿番組のテーマソングだ。

 緊張感のない間の抜けた陽気な音楽に、現実に戻った夏樹が鞄から携帯を取り出す。


「――――はい」

『夏樹? ちゃんと帰り着いた?』


 携帯の向こうから聞こえる久志の声を聞いて、強張っていた夏樹の肩からふっと力が抜けた。


『夏樹?』


 なかなか返事をしない夏樹に久志が訝しげな声を出す。


「あ、はい。すみません……今、家です」

『それならよかった。今日は送ってあげられなくてすまなかったね。どうしても外せない用があったんだよ』

「そんな……紺野さんも忙しいのに……」

『夏樹、紺野さんじゃないだろう?』

「――久志、さん……っ」


 もしここに久志がいたら、久志を名前で呼んだ夏樹のことを良くできましたとばかりにぎゅっと抱きしめてくれるかもしれない。

 強引で戸惑うことも多い久志だが、それ以上に優しい。

 今一人でいることの心細さもあって、言葉を詰まらせた夏樹は自分で自分の肩をぎゅっと抱いた。


『反抗的な夏樹も可愛いが、素直な君も可愛いね。すぐにでも抱きしめたいのに、君がここにいないのがもどかしいよ』

「なっ、何を言ってるんですかっ」


 さらりと恥ずかしいことを言う久志に、いつもの調子で夏樹が声をあげた。だが少し声が震えてしまう。

 携帯越しでよかった。きっと今の夏樹の顔を見たら、勘のいい久志のことだ、すぐに夏樹に何かあったのだとバレてしまう。


『元気になったようだね』

「……あ」

『夏樹。何でもいいから何かあったら私に教えて欲しい』

「はい……あの……」

『うん』

「あの……っ、お、お疲れさまでしたっ」


 夏樹は最後の一言を早口で言うと、自分から通話を切った。

 昨日の今日で誰かが部屋に侵入したかも知れないとか、撮られた憶えのない写真が置かれてたとか、本当は久志に全部言ってしまいたかった。


 もっと素直に相手に甘えればいいのかもしれない。

 だが、これまで誰とも付き合ったことのない夏樹にとって、たとえ勘違いからのこととはいえ自分のことを恋人だと公言している久志に頼りきってしまうのは、とてもハードルが高い。


 周りから人懐こいと言われるくせに、素直に相手に頼ることができない。これだから今まで恋人のひとりもできなかったんだと、夏樹が心の中で一人悶々と考えていると、ふいに夏樹の部屋のインターホンが鳴った。


「え……」


 もうそこそこ遅い時間だ。こんな時間に一体誰が訪ねて来たのだろうか。もしかしたら写真を置いて行った人物がやって来たのかもしれない。

 誰ともわからない人物が玄関扉一枚むこうにいると思うと、夏樹は体が竦んでその場から動けなくなってしまった。


「大丈夫。鍵もドアチェーンもちゃんとかかってる」


 ドアへ目をやり元気づけるように自分に言い聞かせ、気持ちを奮い立たせる。だがそれも、続けて何度も鳴るインターホンの音にあっさりと萎えてしまった。

 とにかく誰かに連絡をしなければと携帯に手を伸ばすが、指が震えて思うように操作ができない。


「だ、大丈夫……っ。落ち着け…………落ち着け」


 夏樹はカタカタと小刻みに震える手で携帯をぎゅっと握りしめた。目許がじわりと潤む。

 今にも涙が溢れそうになった目許を手の甲で拭い、もうダメだと挫けそうになったとき、ドアのむこうから声が聞こえた。


「夏樹? いるんだろう? 私だ」

「――っ」


 ついさっきまで携帯で話していた相手、まだ耳に残っている声だ。

 夏樹は夢中で玄関のドアを開け、そこに立っている人物に抱きついた。


「おっ、と。夏樹? どうした?」


 ドアが開くやいなや抱きついてきた夏樹を久志が難なく受け止める。そして自分の胸元に顔を埋めたままの夏樹へ優しく声をかけた。

 夏樹は久志の存在を確かめるかのように、背中に回した腕にぎゅっと力を入れると逞しい体にしがみついた。


 顔も見せず抱きついたまま動かない小柄な体を、久志が長い腕で包み込む。

 何かに怯えたように震える夏樹を落ち着かせるために、手のひらでぽんぽんと背中を叩いた。


「夏樹。ほら、もう大丈夫だから。君の可愛らしい顔を見せてくれないか?」


 久志が横から覗き込もうとすると、夏樹はイヤですと小さく呟いて久志の胸元へ額をくっつけたまま首を横に振った。


 先程の携帯でのやり取りをしていた時、実は久志は夏樹のマンション前まで来ていたのだ。声だけ聞いてそのまま帰るつもりだったが、様子のおかしい夏樹のことが気になって部屋までやって来た。


 久志は玄関先に散らばったままの写真に目をやると、夏樹の体をしっかりと抱きしめたまま眉間に皺を寄せた。

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