11 遺失物3

「夏樹? どうかしたのか?」

「え? いや、何でもないよ」

「ははあ……もしかして彼氏に見とれていたとか」

「ばっ、修一! 何が彼氏だよ」


  修一からそう言われ、すでにオムライスを食べ終えていた夏樹は慌てて久志から目を逸すと、デザートにコンビニで買っておいたコーヒーゼリーの蓋を開けた。

 中身は別として容姿に関しては久志は夏樹のもろ好みだ。あんな出会い方をしていなければ、今ごろはきっと遠くから久志のことを憧れの眼差しで見つめていたことだろう。


「――彼氏? それって何のこと?」


 それまで一言も発せず、夏樹と修一のやり取りを見ていた山下が口を開いた。


「ああ、実はな紺野専務は夏樹の……っ」

「っわーっ! 修一、ストップ!」


 ガタンと音を立てて椅子から立ち上がった夏樹が、テーブルに身を乗り出して修一の口を塞ぐ。

 久志が恥ずかしげもなく自分は夏樹の恋人だと宣言しているせいで、夏樹と久志が恋人同士だという話が社内で広まりつつある。

 もちろん久志が冗談で言っているだと思われているようだが、もうこれ以上ことをややこしくしたくない。


「私は夏樹の恋人だが」

「こ、紺野さん!」


  夏樹が必死で修一の口を塞いでいる横で、久志が山下に告げた。


「え、専務も松本くんも男ですよね……ああ、冗談なんですね。松本くんってからかうと面白いから」

「冗談ではないが。もともと私は性別にこだわる方ではないし、それに告白してきたのは夏樹の方からだ」

「こ、こ、紺野さんっ!」

「夏樹……何度言えばわかるんだ? 紺野さんではなくて久志、だろう? ほら、言ってごらん」

「――っ」


 表情は夏樹を咎めるようなそれだが、声音と口調はかなり甘い。

 夏樹は修一の口を押さえたまま、耳まで真っ赤にして上目使いで久志のことを睨み付けた。


「こら、そんなに可愛い顔をみんなの前で見せるんじゃない。それは私と二人の時だけにしなさい」


 そう言いながら、修一の口元を塞いでいる夏樹の手をさりげなく外す。さらには、夏樹が他の男に触れていたことが気に入らなかったのか掴んだ夏樹の手の甲に唇を寄せた。

 背後では芹澤がこめかみを押さえて俯いており、いつの間にか夏樹たちの周りには、昼食のためにやって来た社員らが遠巻きにことの成り行きを見守っている。


「な……な、何やってるんですかっ」


 取られた手を夏樹が慌てて引っ込める。

 だが久志は何でもないことのように夏樹の手を引き、自分の胸元へ夏樹の頭を抱き込んだ。


「紺野さん、離して下さいっ」

「久志、だろう。しょうがないなあ……そんなに照れなくてもいいのに。それと、離すのは却下だ。君のその可愛らしい顔を誰にも見せたくない」


 耳朶を軽く食むようにして囁かれ、夏樹は腰に響く久志の低音に膝から力が抜けてしまった。

 危うくその場に崩れそうになる夏樹の体を久志の力強い腕が難なく支える。


「専務、もうその辺で。そろそろお時間です」


 二人の世界――主に久志の――に、すっかり静まり返ってしまった社員食堂内に何事もなかったように芹澤の声が響く。


「もうそんな時間か? 夏樹といると時間の経つのが妙に早くなるな。芹澤、今日の夜の予定は?」

「本日は特に」

「そうか。夏樹、今夜食事に行こう。時間は後で知らせる。それまでいい子でいるように」


 最後の一言は夏樹にしか聞こえないように、頬を擦り寄せるようにして囁く。

 恋人たちがするような他人との触れ合いに免疫のない夏樹は、久志からの遠慮のないスキンシップにすでに放心状態だ。

 くったりと力の抜けてしまった夏樹を久志は軽々と抱き上げ、そっと椅子に座らせた。


「それじゃあ夏樹。今夜、楽しみにしているよ」


 テーブルに額をくっつけている夏樹の頬を、久志が人差し指の背で軽く撫でる。そして一瞬、眼鏡の奥の瞳を細めると、その場を後にした。


「なつきー、大丈夫かー」

「……うん」

「生きてはいるようだな」


 テーブルに額をくっつけたまま放心している夏樹と、それを覗き込む修一は、久志の背中を鋭い視線で見つめている山下の不穏な気配には気づかなかった。

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