8 二十年前の出来事3
「ただいま戻りました」
退屈としか言い様のなかったお見合いを終えて久志が自室でくつろいでいると、芹澤がやって来た。
「――よう」
「お見合いはどうでしたか?」
「いつも通り」
久志が読みかけの小説を机に置きながら答えた。
お見合いとは言っても、久志の父親の仕事相手でもある相手の父親が自分の娘に将来有望な久志を引き合わせようと強引に進めたもので、娘そっちのけで何とか久志の気を引こうと喋り続ける相手の父親の話を久志は延々と聞かされただけだ。
「それで、子猫は?」
見合いの間もずっと気にかかっていたことを久志が芹澤に尋ねた。
延々と聞かされた見合い相手の父親の下らない話が久志の耳に入らなかったのはもちろんだが、十二才の久志より明らかに年上の相手女性からの媚びた視線を感じるたび、物置小屋で久志に真っ直ぐに向けられた子供の無垢な瞳を思い出してしまいそれが頭から離れなかった。
「それがですねえ」
苦笑いを浮かべながら、芹澤が小振りなカゴを久志に見せる。
「芹澤……それ……?」
「子猫です」
芹澤がカゴの蓋を開けた。すると中にはふわふわとした白くて小さな 塊が入っていて、久志がその白い毛玉へ顔を近づけてよく見てみると、呼吸に合わせてお腹のあたりが微かに動いているのがわかる。
「芹澤、何で?」
久志の声に反応したのか白い毛玉がもぞもぞと動き、毛玉の中から小さな耳がぴょこんと飛び出した。
「なっちゃん――ああ、あの子の家まで子猫と一緒に送って行ったんですが、なっちゃんのお母様が猫アレルギーだとかで、飼うことができないとお断りされてしまったんです」
芹澤は「引っ越す予定なのだが引っ越し先ではペットが飼えなくて困っていた所、偶然出会った子供に子猫が思いの外なついたため飼ってもらえないだろうか」と、子供を家に送った際にそう伝えたそうだ。
「それで?」
久志が不機嫌そうにカゴヘ目線を戻す。
あの子供が楽しみにしていた子猫を芹澤が持ち帰ってきたこともそうだが、あの子のことを芹澤がなっちゃんと呼んだことが何となく面白くない。
自分がつまらないお見合いの席で退屈な話を聞かされていた頃、芹澤があの子供と一緒に楽しそうに子猫を選んでいたことだとか、芹澤があの子供と自分よりも仲良くなったことなど、いろいろと考えているうちにだんだんと気分が滅入ってくる。
久志がじっと子猫のことを見つめていると、視線を感じたのか子猫が小さな声で甘えるように鳴いた。
この子猫、あの子の家で飼えないのなら自分が飼ってやってもいいなと久志は思った。そうすれば、もしかしたらあの子供とまた会えるチャンスがあるかもしれない。
「なあ芹澤。その子猫、引き取り手がいないなら俺が飼ってやってもいい…………」
「なので、私が飼うことにしました――――久志さん? 何か言いましたか?」
「……いや」
「この子、可愛いでしょう? 何となくなっちゃんに似ていると思いませんか?」
確かに子猫のくるりとした瞳があの子供のそれに少し似ている。だから久志も飼いたいと思ってしまったのだが。
「名前は何にしましょうか? ねえ、猫ちゃん?」
そう言って、子猫を抱き上げた芹澤が子猫の鼻先にちゅっとキスをした。
「――っ、おい! 芹澤!」
「何ですか?」
「いや……何でもない。名前が決まったら教えてくれ」
(何なんだ。芹澤はただ子猫にキスをしただけだ。なのにどうしてこんなに腹がたつ?)
体つきと頭脳はもう大人と変わらないのに、このわけの分からないモヤモヤとした感情の正体が一体何なのかが久志には分からない。
十二才の久志は、初めてもったこのもやもやした気持ちをどう処理すればよいのか分からず持て余すばかりだった。
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