7 二十年前の出来事2

「――――ひっ! い、痛いっ、やめてくれっ!」

「なんだ。全然手応えがないじゃないか」


 うつ伏せになった男の背中に久志が乗り上げ、腕を締め上げる。通常とは逆の向きに曲げられた腕から、ミシリと嫌な音がした。

 間もなく、これ以上力を加えると男の腕が折れてしまうという所で、芹澤が警備員を引き連れてやって来た。


「久志さん! …………大丈夫……そうですね」

「芹澤、遅いぞ」

「これでも急いで来たんですよ。まあ、あなたのことだから心配ないとは思っていましたが――それより、手を離したらどうですか? その人、もう気を失ってますよ」

「ああ、本当だ」


 久志が男から離れると、警備員たちが男を連れ出して行った。


「未遂ですか?」

「そうだな。二度とこの近辺には近づきたくなくなるようにシめといてくれ」

「分かりました」


 芹澤が携帯を取り出し、どこかへ連絡を入れる。恐らく先程の警備員に久志の指示を伝えているのだろう。


「大丈夫か?」


 久志が物置小屋の隅に座っている子供に近づく。そして、目線を合わせるようにその子の前にしゃがんで声をかけた。

 自分の身に何が起きたのか、全くわかっていない子供がこてんと首を傾げる。


「おい、聞こえているのか?」

「ねこちゃんは? なっちゃんねえ、ねこちゃんにあいにきたの」


 人を疑うことなどとは全く無縁な、大きな瞳が久志のことを真っ直ぐ見つめている。

 久志は今十二才になるが、学校以外、周囲にいるのは父の事業関連の大人ばかりだ。一番年の近い芹澤も久志より四つ年上で、自分より年下、しかも幼児なんて相手にしたことがない。


 いつもは大人相手に堂々とした態度で接している久志だが、目の前の子供にはどう接したらいいのかが分からず言葉を詰まらせる。


「久志さん? 何やってるんですか?」


 電話を終えた芹澤がやって来た。

 子供を見つけて表情を緩める。


「ああ、なんて可愛らしい。こんにちは」

「こんにちは」


 芹澤が声をかけると、子供がにっこりと微笑んだ。

 久志には笑顔を見せなかったのに。二人の様子を見ていた久志の眉間に皺が寄る。


「お年はいくつかな?」

「よんさいだよ。あのね、なっちゃん、ねこのあかちゃんにあいにきたの」

「――猫? なるほど……子猫に会わせてやると言って連れて来られたんですね」

「ねこちゃんいないの?」

「そうですね。残念だけど、猫はここにはいないですね」

「……そう……」


 よほど子猫に会いたかったのだろう。しょんぼりと子供はうつ向いてしまった。


「芹澤」

「はい、なんでしょう?」

「――子猫を一匹用意しろ」

「は?」


 芹澤が背後にいる久志の方を振り向く。

 久志は芹澤と目が合うと、ばつが悪そうにふいと目を反らし横を向いてしまった。


「……なっ、何だよ」

「いいえ、別に。子猫ですね……ええと、なっちゃん? どんな猫が好きですか?」

「しろくて、ふわふわしたの!」


 よほど好きなのだろう、猫の話になった途端、子供の顔がぱっと明るくなった。

 嬉しそうにしている子供の可愛らしい笑顔に、なぜか久志は目が離せなくなる。


「分かりました。じゃあ、私と一緒に見に行きましょう」

「うん!」


 子供はとびきりの笑顔をみせると、差し出された芹澤の手をきゅっと握った。


「え……俺は?」


 久志を置いたまま、子供と手をつないで出ていこうとする芹澤を久志が慌てて引き留める。


「そうでした。久志さんはすぐに戻ってください、奥様が探していました。お客さまがお待ちです」

「何で? 父さんは?」

「聞いてないんですか? お見合いですよ、久志さんの」

「はあ!?」


 そう言って、芹澤は呆然としている久志に軽く頭を下げると、今度こそ子供と一緒に出ていってしまった。

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