3 遭遇2
「そうなの? じゃあ私も帰ろうかな」
「――――え?」
「時間も遅いし、送ってあげるよ。松本くんみたいに可愛い子を一人で帰らせるなんて危ないからね」
「いや、俺……僕、もう大人ですし、ご心配頂かなくても大丈夫です」
「遠慮なんてしなくていいんだよ」
そう言いながら、青嶋が夏樹の肩に手を回してくる。夏樹は自分の肩に回された手を何とか外そうと身を捩った。
だが、夏樹のささやかな抵抗など経験豊かな六十手前のタヌキには通用しない。夏樹は抵抗むなしくタヌキにお持ち帰りされるはめになってしまった。
週末の夜の繁華街は終電の時間など関係なくあちこちできらびやかに電飾が輝いている。
青嶋からの接触をぐずぐずとかわしているうちに終電を逃してしまった夏樹は、ため息をつきながらタクシー乗り場へ向かって歩いていた。
「松本くん、どこへ行くんだね?」
「はい?」
自分が送ると言ったとおり、店を出てからも夏樹の隣には青嶋がべったりとくっついている。
とりあえずタクシーに乗って先に帰ってしまえば何とかなるだろうと、タクシー乗り場へと急いでいた夏樹を青嶋が呼び止めた。
「え? どこって……」
夏樹がタクシー乗り場の方向を指差す。
「違うだろう。ほら、こっち」
「……え、えっ?」
青嶋が夏樹の肘を掴んで、タクシー乗り場とは反対の方角へぐいぐい引っ張っていく。いったい自分をどこへ連れていこうとしているのかと夏樹は青嶋の進行方向へ目を向けた。
「――えええっ!? ちょ、ちょっと待って下さいっ!」
夏樹の視線の先には、ご休憩だとか、タイムサービスだとか、ご宿泊などという怪しげな看板が軒を連ねている一画がある。
休憩なんて必要ないしタイムサービスも利用したくない。ご宿泊なんてもってのほかだ。
「ここまで来て何を言うのかね? 君も分かってて私と一緒にいるんだろう?」
いや、あんたが勝手にくっついて来ただけだろうがと言いたいのだが、驚きと焦りで言葉が声にならない。どうしようもできなくて、夏樹が口をぱくぱくさせて青嶋に訴える。
「ほら、君も本当は待ちきれないんだろう? 照れなくてもいいんだよ」
「……やっ、俺……何も待ってませんからっ」
ほろ酔い加減のタヌキに夏樹の声など届いていない。
青嶋は夏樹の腕を掴む手に力を入れると、ご休憩の看板が掲げてある建物の中へ夏樹を連れ込もうと力任せに引っ張った。
「すみませんっ! 俺、ほんと……に用事があるんですっ!」
ここでタヌキに負けたらおしまいだ。
一応、夏樹にだって夢はある。初めては大好きな人に捧げたい。できればロマンチックなシチュエーションで。
それをこんな信楽焼のタヌキに奪われてしまうなんてこの世の終わりだ。夏樹は渾身の力を込めて、ご休憩できる建物内へ連れ込まれるのを阻止した。
「……松本くん?」
頑な夏樹の態度に、どうやら本気で自分が拒まれているらしいと、やっと気づいた青嶋が、夏樹の腕を掴む力を緩めた。
「あ、あのっ……俺、えっと……待ち合わせ……そう! 待ち合わせをしているんです!」
夏樹の説明に、青嶋が眉間に皺を寄せて怪訝な顔をする。
ただの待ち合わせでは説得力がないのかもしれない。夏樹はさらにだめ押しした。
「すみません。実は俺、付き合ってる人がいて……もうすぐここに来るんですっ!」
「――本当なの?」
訝しげな顔をしている青嶋からやっとのことで離れた夏樹が、ぶんぶんと何度も首を縦に振る。
実際の所は夏樹に付き合っている人なんていないし、待ち合わせもしていなければ、その相手が来るはずもない。だが、そうでも言わなければ夏樹の貞操がタヌキに奪われてしまうのも時間の問題だ。
とりあえず誰でもいい。酔っていなくて、真面目そうで、強そうな人が通りかかったら協力してもらおう。
夏樹は鞄を胸に抱え、ちょっとずつ青嶋と距離をとりながら適当な人物がいないか辺りを見回した。
「松本くん?」
夏樹の態度に青嶋が苛立ったような声をあげた。
「は、はいっ……あ、来ました! この人です!」
もう、この状況から逃れられるなら誰でもいい。夏樹は偶然側を通りかかった男の腕を掴んだ。
「俺、この人と今付き合ってるんですっ!」
咄嗟に腕を掴んだ男へ夏樹が無理やり作った笑顔を向ける。
すると眼鏡をかけた長身の男は夏樹より頭ひとつ高い位置から無表情で夏樹の引きつった笑顔を見下ろしていた。
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