第2話 ラノベ読みの初めて

 僕の住む街の駅前には、8階建てのビル1棟丸々使っている巨大な書店がある。本が売れないこのご時世、次々書店が潰れていく中で良く踏ん張ってるな、とは思う。僕が手伝えることがあるとすれば、大手通販サイトに浮気することなく、お気に入りの書店で本を買うことくらいしかできない。無力なラノベ読みですまない……。

 そして今、僕たちがいるのはその書店——ではなく、そのビルに隣接するカフェ。高校生のお財布にも優しい大手チェーンの中でも比較的安く飲み物を提供している店だ。


「勢い込んで書店に乗り込もうとしたが……良く考えたらまず聞かないとならないことがあった」

 

 僕と篠原、それぞれ注文を済ませ飲み物を受け取ると席を探す。駅前という立地ではあるが、そう混んではいないため席を確保するのは簡単だった。


「天河くん、聞かないといけないことって?」


 対面の席についた篠原がアイスレモンティーを半分ほど一気に飲んでから言う。篠原……おまえさん、緊張したから喉乾いたんだな。


「そうだな。いや、そのまえに……」


 ホットコーヒーに大量の砂糖をぶちまけると、こほんとひとつ、咳をしてから僕は篠原にある提案をする。


「その『天河くん』ってのは止めてくれ。友人はみんな下の名前で読んでるから篠原もそうしてくれると嬉しい」

「え?」

「それにラノベでも良くあるだろ? 親しくなると下の名前で呼び合うようになる展開。あれと一緒だ。僕と篠原は同じラノベ好き同士、もう立派な友人だ!」


 胸を張って言い切る。篠原の反応はというと……目を点にして僕の顔を見ていたかと思うと、次の瞬間、突然笑い出した。


「あはははっ!」

「ど、どうした⁉︎」


 お腹を抱えて笑っていた篠原は「ごめん、ごめん!」と謝ると、目に溜まった涙を拭いながら続ける。


「天河くんのこと気になってクラスの女子に聞いたんだけどさ。聞いた子全員『訳の分からないことを普通に言う』って口揃えてたから。や、噂どおり訳の分からないこという人だなー、と納得したらおかしくなっちゃって!」

「……さっきの会話、そんなに訳が分からなかったか?」


 そう質問すると篠原は今度は困った顔を浮かべる。表情がコロコロ変わる人だ。


「あー、あたしは分かるんだけどね。というか分かっちゃうというか。でもラノベがどうこうとか、普通の人には伝わないよ」


 僕にとって会話の中にラノベという単語を出すのは普通のことなんだが……日本語ってムツカシイ。


「とにかく僕のことは下の名前で呼んで欲しい」

「うん、分かった。これからは天河くんのことをコタローくんって呼ぶね!」


 お? なんだ『コタローくん』と呼ばれた瞬間、背中がムズムズっとしたが、決して嫌な感覚ではないぞ。できればもっと呼んで欲しい!


「じゃあコタローくんもあたしのこと下の名前で呼んでね!」

「は?」


 今世紀最大級の阿呆な顔をしてしまう。


「は、じゃなくて。だってコタローくんが言ったんじゃん? 『下の名前で呼び合う展開』って。だったら、あたしだけが下の名前を呼ぶのおかしいでしょ? そう思わない?」

「思います」


 確かに『下の名前で呼び合う展開』と自分で言った。あれ? なんで僕、相手を下の名前で呼ぶことを想定してなかったんだ?


「じゃあ、あたしのことも下の名前で呼んでね!」

「お、おう…………あ、茜ッ‼︎」


 人は多くないとはいえ、それなりに話し声が飛び交う店内に響き渡る。一瞬、周囲の会話が止まりこちらに視線が集中してしまう。あ、篠原……茜の顔が赤くなったぞ。


「コタローくんは声がでかい……」

「すまない……」

 

 芝居かかった仕草でため息を吐く茜。しかし奇妙な感覚だ。ラノベ好き同士だと認識し合ってからまだ三十分と経っていないのに、もう下の名前で呼び合う仲になっている。そうお願いしたのは僕だけどな! これは恋仲になるのにそう時間はいらないんじゃないか?


「コタローくん、なんかキモチ悪いこと考えてない?」

「察しがいいな。なぜバレた?」

「……顔にそう書いてあったよ」


 顔は心を写す鏡というが本当だったんだな。僕が顔を揉んでいる内にレモンティーを飲み干した茜が話を本題に戻す。


「それで、あたしに聞きたいことって?」

「嗚呼! そうだった。聞きたかったのは勿論、ラノベのことだ! まず茜のラノベ読みとしての歩みを聞かないとオススメするにしても何をオススメして良いか分からないからな」

「なるほろ……って『ラノベ読み』ってなに? そのままラノベを読む人ってこと?」


 おっと、そこからか。


「基本的にはそうだが『特にラノベを好んで読む人』を指していることもある。まあ定義はないので、ラノベが好きな人を僕はそう呼んでる」


 中には「年間○○冊以上ラノベを読んでる人しか『ラノベ読み』として認めない」という過激派もいるらしいが……僕は出会ったことはない。


「そういう意味でいうと、あたしはラノベ読み歴半年ってところかな?」

「ちなみに僕はラノベ読み歴16年だ」


 ラノベがとにかく大好きな両親のもとに生まれ育った僕。父はベビーベッドをラノベを積み上げて作り上げ、母は絵本の代わりにラノベを僕に読み聞かせてた。その話を他人にする度に「おまえの両親は頭がおかしい」と言われる。父が読みたいラノベをベビーベッドから引っこ抜いて崩壊、僕を転落させ、母は読み聞かせてたラノベに夢中になり泣いてる僕を放り出して読み耽ることが良くあった、らしい。確かにうちの親は頭がおかしい……あれ? もしかしておかしいと思うポイントが違う?


「16年⁉︎ スゴッ!」

「いや、別に凄くはないが……」


 これは本音。どれだけラノベを長いこと読んでいても「凄い」「偉い」などということは当然ない。むしろ数多くの面白いラノベとこれから出逢うことができる真っさらな状態の若いラノベ読みを羨ましいと感じる。


「ラノベ読み歴半年、か。そもそも茜は何を読んでラノベにハマったんだ?」


 そう問いかけた途端、難しい顔をしたのを見逃さなかった。その理由を探る前に茜が答える。


「電撃文庫の『ソードアート・オンライン』だよ」

「おお。SAOか。面白いよな、あれ!」


 もはや内容について説明不要のタイトル『ソードアート・オンライン』か。アニメ化・ゲーム化もして売れに売れている。この作品をきっかけにラノベを読み始める人は多い。


「僕は1巻の緊張感が堪らなく好きだな! 閉鎖されたゲーム世界。死んでしまったらそこで終了の容赦ない設定がツボで……どうした?」


 何故かキョトンとしている茜。僕の反応、何か間違っていたのか?


「や、バカにされるかなあ、と思ってさ」

「ん? どういうことだ? バカにするところなんてなかったぞ?」

「あたしの単なるイメージなんだけど……ラノベをなが〜く読んでる人は、あたしみたいに超メジャータイトルをキッカケにラノベを読み始めた人のことをバカにするのかなってちょっと思ったの。ニワカ? そんな感じの扱いをして」


 嗚呼、そういうことか。しかしそれを言ってしまうと——


「僕が最初に読んだラノベは『スレイヤーズ』なんだが……」

「『スレイヤーズ』……あ、聞いたことある。スゴイ昔の人気作品でしょ?」


 き、聞いたことある? スゴイ昔の人気作品? ……時代の流れを感じぜ。

 今のラノベの源流を作った伝説の作品、それが富士見ファンタジア文庫『スレイヤーズ』だ。こういうとあっちこっちから異論が飛んできそうだが、僕はそう考えている。

 壊滅させた盗賊団から金品を巻き上げ、ドラゴンもまたいで通るほどおっかない天才美少女(?)魔導士・リナの活躍を描く剣と魔法のファンタジーだ。僕が生まれる前から存在する作品のため、最盛期に立ち会うことができなかったが当時の人気は凄まじいものだったようだ。作者が長者番付に載るレベル。


「僕も『スレイヤーズ』から読み始めたからな。茜の言う基準でいうと、僕もニワカということになるが。大抵の人は人気作品に手を出してそのまま沼にハマっていくものだと思うぞ」

「沼……なにそれこわい」


 怯え始める茜。

 ダイジョブ、コワクナイヨー。

 しかしさっきも言ったとおり、長い期間ラノベに触れていれば凄いというものではない。ないのだが……確かに茜のような若いラノベ読みを「ニワカ扱い」するような言葉を投げつける人はいる。僕の時にもいたな、そんな人たちが——


「朝日ソノラマ時代の老害どもがッ‼︎」


 急に叫び出した僕に茜だけでなく店内中の客が何事かと驚く。


「すまない……発作が出た」

「……コタローくんと友達になったの間違いだったかなー」


 肩を竦めて茜が冗談を言う。冗談だよね?

内心の動揺を見透かされたのか、茜は小さく笑って「ジョーダンジョーダン」と告げる。


「それじゃあ話を戻して。あたしは従兄の影響でもともとアニメは良く観てたんだけど、本を読むのが苦手だったからマンガでも原作を読まなかったのね。小説なんて『文字をいっぱい読むのメンドーだなあ』って思ってたからラノベも触れてこなかったけど……」


茜はそこで一呼吸置いた。


「でもSAOのアニメ1話を観た次の日に本屋に駆け込んで原作ラノベを買って一気に読んだ。苦手意識なんて吹き飛んでた! だって続きが気になるんだもん! この物語がどんな結末を魅せるのか、そればっかり考えちゃうんだから!」


 何かを好きになるなんて一瞬のこと。僕もそうだった。


「それからはもう止まらなかった。最新刊まで一気に読んで、読み終わっちゃったら落ち着かなくなって。他にも同じように面白い物語があるかもってネットで人気作を調べて……『とある魔術の禁書目録』とか『灼眼のシャナ』とか『とらドラ!』とか『はたらく魔王さま!』とか色々読んで、どれも最高に面白かった! あ! SAOだと私は7巻の『マザーズ・ロザリオ』が大好き! 1巻も好きなんだけど、緊張しっぱなしになって読んだあと本当に疲れる。でもその読了感、余韻がまた最高なんだけどね!」


 身振り手振り、大興奮しながら説明する茜を見ればどれほどラノベに魅力されているのか分かる。他の客が「またあのテーブルか……」と言った視線を寄越すが無視を決め込む。


「電撃文庫の人気作品は結構読んでる感じか……」

「うッ……!」


 痛いところを突かれた、と言わんばかりの呻き声を上げた。


「そうなんだよねえ……電撃文庫以外のレーベルだとなに読んでいいか分からないから手を出せない感じ」


 その感覚は理解できる。僕も最初は富士見ファンタジア文庫の作品ばかり読んでいた。ビバ、富士見ッ子!


「なら、まずは他のレーベルでも面白い作品があるということを知って頂こうか。読んでる作品の傾向からすると、そうそう駄目な作品なさそうかな」

「うん! ヨロシク!」


 元気良く頷いた茜と一緒にカップ類を片付けると僕たちは隣の書店に向かった。

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