桃太郎裏話
ある日の夕方。裕福な身分の少年は、公園のベンチに一人の男が腰かけているのを見かけた。
男は大変みすぼらしい服装に、ハンチング帽というちぐはぐとした格好をしていて、それが少年の興味をひいた。
「おじさん。こんなところで何をしてるの」
少年が声をかけると、男は夕日に照らされて赤く染まった顔を上げた。
「おじさんはね、昔話を思い出していたんだ」
「どんな話?」
「桃太郎の、お話だよ」
「それなら僕、ママに絵本を読んでもらったことがあるから知ってるよ。桃太郎が、都で悪いことをした鬼をやっつけたって話でしょ」
「うん。ねえ、こんな話を知ってるかい? 実は、桃太郎って昔、本当にいたんだって」
「ええっ。嘘だあ」
「嘘なんかじゃないさ。本当の話なんだよ。しかも、絵本の桃太郎の話と、本当の桃太郎の話は少し違うんだよ」
「本当? 信じられないなあ。だったら、その本当の話っていうのを僕に聞かせてよ」
「少し長くなるけど、いいかい?」
「うん!」
少年が元気よくうなずくと、男は静かに目を閉じた。
そして、ポツリポツリと昔語りを始めた。
君が生まれるよりも、ずっとずっと昔の話。今はなくなってしまったけれど、鬼が島も本当に存在していた。
名前の通り、そこには鬼達がたくさん住んでいたわけだけれど、その鬼や鬼が島っていうのも、昔話とは少し違うんだ。
お話では、鬼はとても凶暴で、人を襲う奴らだって言われているよね。でも、鬼っていうのは本当は気さくな奴らで、姿もそう人とは変わらなかった。ただ、頭に角が生えていて、少しばかり力が強い。それが鬼だった。
鬼が島は、そんな鬼達に開拓されてとても豊かな島だった。酪農や農業も盛んで、食べ物にも恵まれていた。金銀も豊富に採れて、簡単に言うなら楽園みたいなところだった。
鬼と人間は、昔はとても仲が良かったんだ。もちろん、都の人間達とも交流があって、鬼が困れば人間が助け、人間が困れば鬼が助ける。理想的な関係が、昔はずっと続いていたんだ。
……でも、そんな生活は、突然めちゃめちゃに壊された。
ある日、鬼が島に桃の絵が描かれた帆が貼られた大きな船が来たんだ。鬼達は「人間が遊びに来たのか? それにしても、大きな船だなあ」なんてのんきに言いながら、海岸まで集まった。
そしてしばらくすると、船の中から桃太郎とお供の犬・猿・キジが出てきて、鬼達に向かってこう叫んだ。
「都で悪事を働く鬼どもめ。この桃太郎が成敗してやる!」
鬼達には、何の事だかさっぱりわからなかった。鬼は人間と仲が良かったから、都に遊びに行ったことはもちろん何度もあった。でも、当然悪事を働いた鬼なんて一人もいない。お話と違って、鬼は凶暴でも何でもなかったから。
「あの、何を勘違いをして……」
誤解をどうにか解こうとした、鬼の一人がどうにかして桃太郎をなだめようとした。その時だった。
「行けっ! 都の平和を取り戻すんだ!」
この号令をきっかけに、鬼はたちまちお供達に飛びかかられて身動きがとれなくなった。そして……刀を抜いた桃太郎に、その場で真っ二つに切り捨てられた。
それから先は、思い出すだけで胸が苦しくなる。
楽園だったはずの鬼が島は、地獄へと変わっていったんだ。
桃太郎達は、『正義』の二文字を瞳に宿しながら次々に鬼の命を奪っていった。抵抗しないで逃げようとする鬼も、男の鬼も、女の鬼も、老いた鬼も、子供の鬼も関係なく。目に映った鬼を、片っ端から刀で切りつけていった。
鬼達が住んでいた村は焼き払われた。そして、島が立ち直れないくらいにボロボロになった頃、桃太郎達は鬼が溜めていた金銀財宝全部と、船に積めるだけの資源を持って都へと帰っていった。
血の焦げた匂いが漂う島の中では、かろうじて生き残った鬼達が海の彼方へと消えてゆく船を涙を流しながら見つめていた……。
しばらくして、鬼達は気がついた。桃太郎という名の少年が、どうして鬼を悪者だと思い込んでいたのか。
そう。桃太郎は、都に住む人間達に騙されていたんだ。
過去に一度、都で悪い病気が流行ったことがあった。その病気を治すには、遠くにある別の都から薬を買わなければいけなかった。その薬はとても値段が高くて、「都にはそこまで多くの薬を買えるほどの金はない。このままだと都は終わりだ」と人間が鬼達に泣きついたことがあった。もちろん、鬼達は都に自分達が持っている金銀を分けて、その危機から救ってあげた。鬼にとっては、困っているときはお互い様だったからね。
でも、その出来事がきっかけで、都の人間達は鬼がたくさんの財宝を持っているのを知ったんだと思う。そして、都の人間達は考えた。
どうすれば、鬼達の宝を自分達のものにできるだろう。
そこで考えついたのが、桃太郎を騙すことだったんだ。
桃太郎は都から少し外れたところに住んでいる、正義感が強い少年。そんな彼が「鬼達はとても悪い奴らで、都の財宝を全て奪っていく。お願いだから、助けてくれ」なんて言われたら、信じてしまっても無理はない。一緒に住んでいるおじいさんとおばあさんも、都については詳しくないはずだから、都の人間の嘘に気づけなかったんだ。
純粋に育てられたがために、人を疑うことを知らなかった桃太郎は、その話を鵜呑みにしてしまったんだ。そして、自分が正義のヒーローと信じて疑わなかったから、鬼達の話に耳を傾けようともしなかった……。
これが真実だよ。これが、おじさんが知ってる桃太郎の本当のお話。
「嘘だあ。桃太郎や人間が、そんな悪いことをするわけないよ」
少年は笑いながら言ったが、語り続ける男の顔は真剣そのものだった。
「でも、悲しいけれどこれが本当の話なんだ。実際、鬼が島が滅びた後、その都は一気に栄えてとても華やかで豊かなところになった。それは、鬼から奪った財宝を使ったからさ。でも、表向きにそんな話を伝えたら、自分達は、一生悪い奴らだって言われ続ける。だから、都の人間達は話を都合のいいように変えて、後世に伝えていくことにした。だから、本当の話は今の人間達は誰も知らない。例え真実を聞いたとしても、おじさんの話を誰も信じようとしない。みんな、自分と同じ人間が正義で、自分とは違う鬼の方が悪者だって信じているから」
「そんなあ。ねえ、じゃあ桃太郎はその後どうなったのさ。ずっと、騙されたままだったの?」
「そういうことになるのかな。桃太郎は、きっと何も知らない。あ、そうそう。桃太郎も鬼退治のお礼として、一生では使いきれないくらいの財宝を、都から受け取ったって言われているよ」
「そうなんだあ。ねえ、何も知らなかったんだったらさ、桃太郎はそこまで悪くないんじゃないの? 悪いのは、桃太郎を騙した都の人間だよ」
「君はそう思うんだ……。でもね、おじさんは違う。おじさんは、もし桃太郎が自分の目で真実を確かめようとしていたら……せめて、鬼達の話を少しでも聞こうとしていたら、鬼が島は滅びないで済んだのかもしれないって思ってる。都の人間達から聞いた話だけを信じて、自分の力で何も知ろうとしないまま鬼を悪者と決めつけて殺していった、桃太郎にもおじさんは罪があると思ってる」
「ふーん。ねえ、鬼ってもういなくなっちゃったの?」
「さあ。ただ、それから人間が嫌いになって、どこかで見つからないように暮らしてるって聞いたことがあるなあ。そう、どこか遠くでひっそりと……ね」
男は小さく息をつくと、細めた目で夕日を見つめながらベンチに深くもたれかかった。
そんな様子を見て、少年は不思議そうに首をかしげる。
「どうかしたの?」
「……何でもないよ。あのさ、君のパパとママは元気かい」
「うん。元気だよ」
「パパとママのことは、好きかい」
「もちろん。パパは、僕が欲しいっていうものを何でも買ってくれるし、ママはとっても優しいんだ。たまに『勉強しなさーい!』って怒ってくることもあるけど、それでも大好きだよ」
「そうか……。それは、よかったね」
男はフッと笑みを浮かべ、ゆっくりと目を閉じる。そして、さらに深く息をついた。
「おじさん?」
「ん、ああ。おじさんもさ、自分のパパとママのことを思い出しちゃったんだ」
「おじさんのパパとママは、どんな人?」
「パパは気が優しくて力持ち。自慢のパパだった。ママはとても心がきれいな人で、誰からも愛されるような人だった」
「今でも、元気?」
「……」
少年からの問いに、男は小さく首を横に振る。
答えを口にして返したのは、少し間を置いてからだった。
「死んだよ。とっくの昔に、殺されたんだ。桃太郎に……君の、ご先祖様にね」
男はおもむろに手を動かし、ハンチング帽をそっと脱ぐ。
その下には、金色に輝く二本の角が生えていた。
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