第2話 リカちゃん(後編)

 完全に酩酊状態であった。


 姫二郎ひめじろうは肩から布バッグをたすきがけにし、右手にビールのロング缶、左手にレモンチューハイのロング缶というアル中の権化となり、交渉寺の参道をフラリフラリと歩いていた。


 大会終了後はまだほろ酔い程度であったが、ついつい二次会に参加してしまったのだ。


 この一年間でたまりにたまった、「人形に関するウンチクをもっと、とことん語りたい」という欲求が、そうさせたのである。


 当然二次会は、さらに盛り上がった。


 N市は地下鉄が発達しており、市内の地下を縦横無尽に線路が張り巡らされている。ただ二十四時間走っているわけではない。

 そのため二次会は、終電ギリギリで解散した。


 姫二郎のようなお気楽な大学生にとっては平日も休日も変わりはないが、二次会参加者は会社員や自営業者がほとんどであったのだ。


 すでにこの時点から意識が遥か彼方に飛んでいた姫二郎は、それでも酔って倒れることもなく下宿するアパート目指して帰途についていた。


 アパート最寄りの駅は中京都ちゅうきょうと大学前であり、交渉寺こうしょうじを抜ける近道を姫二郎はは千鳥足で歩いている。まだ飲みたいらしく、駅近くのコンビニでロング缶二本を買い込んで。


「フウッと。今日は、最高に上機嫌ですなあ、ぐへへっ」


 独り言をつぶやきながら、ニンマリと笑みを浮かべた。アルコールにより麻痺した状態で、意識が定かではないことにまったく気が付いていない。


 境内の中は真の暗闇ではない。外灯は申し訳程度にしか灯りを点けていないが、なんといっても街中である。お寺の近くにはビルが建ち、木々の間に光を投げかけている。


 樹上で変化が起きた。


 姫二郎が参道を歩いてくるのを待っていたかのように。

 ザンッ! 幹や葉が物体の移動によって音を立てる。


 よーく目を凝らせば、参道の真ん中にヒト型の影があることがわかった。実体は視覚に写らないが、森に差し込む光がそのもの影を土の道に落としているのだ。


 シャキーンッと金属の鋭い音が空気を震わせる。星明りが反射した。何もないはずの空間に、鋭利な鎌のような刃が突如出現した。


 姫二郎の視覚はぐるぐるとあらぬ方向を向いており、気付かずにヨロヨロと近づいていく。


 ビュンッと鋭い擦過音とともに、刃が姫二郎の頭部に打ち込まれた。


「アッ!」


 刃が脳天を叩き斬る寸前、姫二郎は土道に露出していた木の根につまづいたのだ。


 空を切る刃。


 直後、大量の液体が宙を舞った。ビシャッと刃を振り降ろした影に降り注ぐ。


 バチバチバチッ!


 甘酸っぱい香りを漂わせる発泡性の液体は、影に思わぬ影響を与えてしまったようだ。


 火花を散らし陽炎のようにゆらめくと、影は星明りの下にその姿を現した。


「ああぁ、つまずいてビールとチューハイをこぼしちゃたよ」


 姫二郎は両膝をついたまま、それでもまだしっかりと持ったままの両手のロング缶を見た。アルコールで麻痺している視神経は焦点が定まらない。


 目の前に突如現れた存在にも、まったく気付いていなかったのである。


〜〜♡♡〜〜


 広大な宇宙。

 我々人類以外にも高等生物は存在する。


 宇宙人エイリアン


 中には地球人以上の科学力を持ち、好戦的な種族がいることも考えられる。


 光学迷彩の戦闘用スーツをまとい、身体中に武器を装備し、地球人に気づかれないよう宇宙船に乗って侵入してきていたとしたら?


 姫二郎は今まさにそんな宇宙人と対峙するはめにおちいっていた。 


 ステルスタイプの船に乗ってきて、やすやすとこの緑に惑星に上陸できた。原住民たちはある程度の文明を築いているようだが、赤子同然。


 この調子なら本能を満足させる交戦がやりたい放題だ、と考えていた。


 だが最初に出会った原住民は、瞬殺

できるはずの刃をかいくぐり、しかも手にした液体状の武器で目にも止まらぬ速さで返り討ちにしてきたのだ。


 戦闘用スーツの弱点である関節部分に、的確に謎の液体武器を使用した。おかげで電気回路がショートして、光学迷彩装置が破壊されてしまった。


 奇怪な形状のヘルメットの奥で、宇宙人は憎悪に光る四つの眼球で目の前の原住民を睨んだ。


「ぐへっぐへっ、もったいないけど仕方ないですなあ」


 姫二郎はケタケタと笑いながら立ち上がろうとした。


 宇宙人の戦闘用スーツにはあらゆる武器が装備されていた。次は肩に取り付けた金属製の矢を姫二郎めがけて発射する。 


 ところが急激に酔いが加速し、姫二郎は立ちくらみに襲われる。


「あらっららー」


 意思とは無関係に、今度は臀部でんぶから地面に転がってしまった。


 シュンッ!


 バシッ!


 戦車の装甲板をも貫く金属矢は姫二郎が立ち上がろうとした位置に、正確に突き刺さった。


 それよりも姫二郎が転がるほうが早かったのだ。


 尻から転がらなければ矢に貫かれ、即死間違いなしであった。もちろん本人は気づかずに転がったままである。


「も、もう、だめらぁ。ぐへへへーっ」


 宇宙人は驚愕した。


 まさか二度も攻撃をかわすとは――


 この宇宙人、それこそ何百と言う惑星に侵入し、土着の原住民相手に殺戮さつりく行為を行ってきている。


 ほとんどは最初の刃で一撃必殺であった。それがなんらかの方法を用いてかわされても、金属矢は必ず相手を射ぬいてきた。


 それが外れたのだ。

 ありえない。


 味わったことのない屈辱、怒り、焦りが襲ってくる。

 しかも音声と言う原始的な意思疎通手段で、どうやら宇宙人を嘲笑し、「いくらでもかかってこい」と言っているようなのだ。


 宇宙人は発声機能を使わず、精神感応テレパシーで意思疎通を行う。これは高等生命体のほとんどがそうなのだ。


 だから標的となった相手の心を読み取ることができる。しかし、目の前の原住民、心を読み取ってもまったく理解不能であった。精神のみが感染しそうな、恐ろしい心であった。


 未開の原始人にコケにされた。

 こうなったら全力で闘うしかない。


戦闘用スーツにはあらゆる兵器が内蔵されている。

 使用することになるとは考えたこともなかったが、どんな手を使おうが必ず息の根を止めてやる。


 四つの眼球が一度閉じ、カッと見開かれた。


 両腕、胸元、背中、腰、脚部に仕込まれた武器が一斉に火を噴いた。


 姫二郎は転がったことにより、酔いが急速に回り始めた。

 立ち上がろうとしているのだが、神経がどう伝わっているのか先ほどよりもフラフラに足がもつれ境内の土道を転がり始めた。


「アアっ、ち、ちがう、地面が、逃げていくぅ」


 こんな夜更けにお寺の境内に近寄る人は皆無であったが、もし姫二郎の様子を見ていたら、多分柔道部員が夜中に黙々と受け身の練習をこなしているように映ったであろう。


 もはや意識が完全にぶっ飛んだ姫二郎は、大地を転げまわるのが目的になったようだ。


 縦横無尽に転がるその後に、宇宙人の放った攻撃が一瞬遅れで地面に穴を穿うがつ。致命傷をおわせるどころか、一発も当らない。


 大地が炸裂し、土が舞い上がる。樹木の枝葉が音を立て、次々と弾けていく。


 宇宙人は悲鳴に近い叫び声を上げた。 


 すべての武器がかわされ、使い果たしてしまったのだ。


 最後に残されたのは、己の身体だけであった。

 肉弾を武器として、宇宙人はわめきながら走る。


 姫二郎は笑いながら転がっていた。すでにロング缶は手から消え、眼鏡さえもどこへ飛んでしまっていた。


「よーし、も、もう一回ッ」


 転がろうとしたとき、身体になにかがぶつかってきた。そのままぶつかったモノを抱えるように、しつこく転がり続ける姫二郎。


 宇宙人は原住民に体当たりし、動きを制御しようと試みたのが逆に捕縛されてしまった。


 参道を転げまわる姫二郎と宇宙人。


 どれくらい経過したのか。宇宙人は地面に投げ出され、気を失いかけている。


 姫二郎は抱きかかえたモノが何であるのか関知せず、宇宙人が横たわった隣でようやく四肢を投げ出した。


 ラストチャンス! 


 宇宙人はすかさず姫二郎の上にのしかかり、素早くヘルメットを取り去った。

 最後の最後、武器は相手の急所を噛み破る己の口吻こうふんにはえた鋭い牙であった。


 今までそんな攻撃はしたこともなかった。する必要もなかったからだ。


 ガアッ!


 原住民の頭部に牙を突き立てようとした。


「うっ、うう。き、気持ち悪いぞぅ」


 酔った身体で地面を転げまわったため、姫二郎は急激な吐き気を催した。喉元にせり上がった胃の中味を飲み込もうとしたが、できなかった。


 アルコールと胃酸の混ざった吐しゃ物が、勢いよくすぼめた口からピューッと飛び出す。


 今まさに牙を突き立てようとしたその時に、宇宙人の口吻めがけて原住民が謎の液体を噴射した。


 宇宙人は反射的に口吻を閉じたが、すでに手遅れであった。


 強烈な激臭と強酸の攻撃に、宇宙人は敗北という文字を辞書に追加しなければならなかった。


 戦闘意欲を消滅させるには、充分であったのである。


 ゲロまみれの牙を押さえるように、悲鳴を上げながら横に転がった。


「フーッ、なんだか、スッキリしたな。グヘヘヘッ」


 姫二郎は胃の腑を空にしたことで、悪酔いが少しだけ醒めた。


(戦士ヨ、オぬしノ勝チダ)


 突然頭の中に、金属的な音が響いた。


 姫二郎は寝転がったまま、あたりを見回した。アルコールで麻痺した神経は回復したわけではない。


 すぐ横に、チカチカと明滅する人影を見た。


「えーっとあなた、どなたか存じませんが、何か言いましたかあ」


 眼鏡を失くしたため、よく見えない。ただ横に誰かが同じように寝転がっているのはわかった。


(音声ハ苦手ダ。ソウ、考エルダケデ、コミュニケーションハ、取レル)


(あっははーっ、何これ? 酔っぱらってるから、わけがわからなーい)


(戦士ヨ。オ主ハ、“ダザグ四天王”ノヒトリデアル、拙者ヲ見事ニ打チ負カシタ。

 コレデ、九千九百九十九勝、ソシテ、コノ一敗)


(ええっと、何のことかサッパリわかんないんですけどぉ)


(コノ惑星ニハ、オ主ノヨウナ、気高ク、強イ戦士ガ大勢イルコトダロウ。液体以外ノ、武具ヲ持タズニ闘ウトハ。オソレイッタ。

 拙者ハ、コレデ我ガ故郷ニ戻ル。オ主トイウ、偉大ナル戦士ニ出会ッタコトデ、我ガ慢心ヲ知ッタ。反省ダ。

 コレハ、オれいダ)


 宇宙人は起き上がると、胸元のプロテクターから透明な数個の欠片を取り出した。


(コレハ、百年前ニ、惑星ゴト消滅サセテヤッタ、“イルンヤー”ノ戦士カラ、戦利品トシテ奪ッタ、鉱物。

 コノ惑星デ言ウ、ダイアモンドノ原石ダ。十個アル。貴君ノ惑星デハ、ソウ、数十億円ノ価値ダ)


 瞬間にテレパシーで姫二郎の知識を探り、ダイヤモンドの価値を確認したようだ。


 ダザグ四天王のひとりは、小指の先ほどあるダイアモンドの原石を姫二郎に握らせた。


(何だぁ、これは? キラキラと綺麗だねえ)


 宇宙人は立ち上がると、ヘルメットを拾い上げた。


「あっ、ちょっと待って! コスプレサバイバルゲームの人」


 姫二郎は相手を、コスプレしながらサバイバルゲーム中の人間かなと思ったのだ。上半身をおこし、たすきがけのバッグをお腹に乗せて開いた。


 受け取ったダイアモンドの原石を適当に放り込み、代わりに黄色い花柄ワンピースをまとったリカちゃん人形を取り出した。


(どこの誰かわかんないけど、さっきの欠片のお礼にあげるよ。僕が大切にしているリカちゃんだよ)


 宇宙人はリカちゃん人形を受け取ると、じっくり眺めた。


(コレハ、貴君ノ持ツ、闘イノ女神ナノカ?)


(なんだ、よく知ってるじゃん。そうさ、リカちゃんは女神さまだよ)


(オオッ! コレヲ、持ッテイルコトデ、先ホドノヨウナ、闘イガデキタノカ)


(うぅんと、何言ってるのかまたまた理解不能。リカちゃんはまだアパートに持ってるからさ、それは差し上げまーす。かわいがってあげてよね)


(オ主ノ女神、シカト受ケ取ッタ、カタジケナイ。デハ、行ク)


 宇宙人はヘルメットをかむり、両手でリカちゃんを大事にかかえた。

 次の瞬間、宇宙人は消えた。地球の成層圏外に停めてある、自身の宇宙船へテレポートしたのである。


 姫二郎は、ボーッと夜空を見上げた。満月がくっきりと夜空に浮かんでいる。


 いつになく無数の星々が、月につき従うように輝いていた。


〜〜♡♡〜〜


 こうして宇宙の殺戮者から地球を守ったことはつゆとも知らず、姫二郎は気持ちよさそうに再び大地に寝転がり、静かに寝息を立て始めた。


 ダザグ四天王のひとりはその後も自身の腕を磨き、色々な惑星に舞い降りては本能のおもむくまま、闘い続けた。


 一敗のあとは、負け知らずであった。


 胸元にはいついかなる時も、鎖に取り付けたリカちゃんが微笑んでいたのである。

                           

                                了

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