第33話

 勇者と弟子の二人旅。その道中は変わることもなく続いていた。

 魔物が出現していれば打ち倒し、アデルが町へ赴き事件や異変がないか調査する。

 たいていはなにもないか、既に何事かが起きたあとで、手出し出来るものはなかった。だが時折は破壊工作を行うイントリーグ国の兵士と鉢合わせる。

 彼らを発見した際には、必ずヘイルを呼ぶように示し合わせていた。これはヘイルからの提案であり、自身が出向き、『兵によって退けられる魔王』を演じるためのものだった。曰く、下手に撃退すれば再びその地が狙われるかもしれないから、らしい。

 アデルは兵士を捕らえることでイントリーグ国の陰謀を暴き、勇者の汚名を払拭させようと考えていたが、それは強く止められた。

 決して兵士と敵対するなと忠告してくるヘイルに対して、アデルは不服を覚えたが、なんらかの真意がありそうな彼の様子にひとまず頷く。ただし、そこに秘めたものが語られることはなかった。

 しかしそれでも、旅路は今までに比べて穏やかなものになっていた。心労と疲弊は常に増していくが、ヘイルはそれを僅かずつながらも語り、アデルも熱心にそれを聴いた。彼が憔悴した顔を見せなくなったことに、最も喜んだのはアデルだろう。

 そのおかげで、彼女はいつもよりも気を楽にしながら町へ調査に向かうことが出来ていた。

 ヘイルが忌避されている現状には変わらず、町の人々も変わらず魔王の存在に怯えているが、それでもアデルの心中はどこか安らかになる。

 ――もっとも、事件の方は全く無関係に発生したが。

 いや、それ自体は事件と呼ぶほどのことでもなかったかもしれない。アデルにしてみれば実に些細なことだろう。ヘイルに連絡を取るほどでもない事件。

 どうあれ。それはアデルが平穏な夕刻を見せる町の中へ入った直後のこと。聞こえたのは悲鳴だった。

「誰かその男を捕まえて! ひったくりよ!」

 見ればそこには、バッグを抱えた男の姿。小さな少女、例えばアデル程度ならすっぽりと隠れてしまうほど大柄で、いかにも粗野な風体をしている。彼は咄嗟に止めようとしたらしい通行人の一人を、その体躯に任せて弾き飛ばし、こちらへ――つまりは町の外へ逃げようと向かってくる。

 アデルはどうということもなく男を見つめた。もう相手は間近まで迫り、「ガキが邪魔するな!」などと叫んでいるが――

 返した行動はほんの僅か。ただ、相手の脅しに構わず無造作に片手を突き出ただけだった。

 そしてそれだけで、アデルは体当たりを仕掛けてくる大柄な身体を受け止めた。男の胸に手を当てた直立の格好で、微動だにせず踏み止まる。

 ひったくり犯はひどく驚愕したようだった。アデルを避けて再び逃げ出そうともせず、固まっている。もっとも逃げたところで即座に再び捕まっていただろうが。

 そして同時になぜか、周囲の人々も言葉を失っていた。アデルが犯人を捕らえ、バッグを取り戻し、被害に遭った女の手に返す間、誰もなにも言わなかった。女が目を丸くしたまま、戸惑い気味に礼を言ったくらいだろう。

 本格的に人々が言葉の存在を思い出したのは、アデルが近くにいた数人の男に犯人の身柄を任せてから、なにか事件が起きていないかと聞いて回り始めた頃だった。

 しかしそれも、返答のための言葉ではない。彼らはアデルの問いに対しては、ただただ困惑したような、曖昧な言葉を返すだけになっていた。代わりに用事を思い出した様子ですぐさまその場を離れると、少し遠ざかったところでこちらを盗み見ては、近くにいた住民とひそひそ話を始めてしまう。

 それは先ほどのひったくり事件を目撃した者であれば、誰もが同じような反応だった。

 中には僅かながら話が通じる相手もいる。しかしその大半は、

「嬢ちゃん、妙に強いようだけど……あぁいや、なんでもないんだ。気にしないでくれ」

 そういった意味合いの言葉を言ってから黙り込んでしまう。

 人助けをしたはずなのに、町が不可解なほど不穏な空気に包まれ、アデルは多少なりとも不安を覚えた。自分が忌避されているような気配を察知して、それがなにかを探ろうとした。

 真っ先に思いつき、実行したのは、聞き耳を立てることだった。遠巻きにひそひそと話す住民たちの声に、どうということもない素振りをしながら意識を向ける。

 だが――アデルはすぐに、その行動を後悔した。

 そこで聞こえたのは……

「ほら、あの真っ黒なローブ姿。間違いないわよ!」

「でも子供みたいじゃない? 本当にそうなの……?」

「子供だからこそ不自然じゃない! さっきも見たでしょ? あんなこと出来る人間なんて他にいないわよ」

「じゃあやっぱり、あの子が……」

 不意に、アデルはそこで耳を塞ぎたくなった。そうしなければならないと直感か、本能が命令してくる。

 しかしそれを行うことは出来なかった。アデルはもはや硬直していた。そうした直感か、本能が察知した、彼女ら住民たちの発する不穏な気配の正体に。そのせいで、致命的な言葉が耳に届くのを止められない。

 住民は言った。不安と恐怖と、嫌悪の混じる声で。

「あの子が……魔王の仲間だっていう女の子なのかしら」

 ぞくりと、アデルの背に悪寒が走った。

 魔王ヘイルと共にいる、同行者の女――それはイントリーグ王の毒殺事件直後から伝わっていながら、忘れ去られていたはずの話だった。

 勇者が魔王へと変貌したという衝撃の大きさ故に、人々の口に上ることなかったアデルの存在。そのおかげで、アデルはヘイルの代役として町や村での調査を行うことが出来ていた。

 だが今、感付かれ始めている――彼ら、彼女らの間に、その同行者の噂が流れ始めている。それは初めてのことだった。そして非常に、好ましくない事態だった。

 さらにそれを意識し、注意深くすれば、そうした会話がひとつだけではないと知れる。というよりも、人々が先ほどからざわめき、また怯えるように言葉を濁している要因は全て、そうした推測によるものに他ならなかった。

 彼らが未だ、その推測を確信にまで至らせていないのは幸いかもしれない。しかしそれでもアデルにとっては脅威であり、危険であることに変わりはない。下手なことをすれば、今まで自分が恐怖し続け、自傷にまで追い込まれた状況へ戻ってしまう。

 まして今は、それだけでは済まない――ヘイルがいる。

 ここで自分が町の人々から忌避されるようになれば、彼の望みを支えることが出来なくなってしまう。

「…………」

 アデルは愕然としながら、どうするべきかと逡巡した。どうすればその疑いを――事実ではあるが――払拭出来るのか。

 考えて、考え抜き……今この場で出来る行動として、アデルはゆっくりと歩き出した。不信感を煽らぬよう、なんら後ろめたいことがない風を装いながら、堂々と町を突っ切っていく。

 そうして自然と人目のない場所へ辿り着いてから急ぎ駆け出すと、町を抜け出した。

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