第32話
数日の旅によって、二人は目的の地に辿り着くことが出来た。
さほど苦も無い旅路ではあった。せいぜいの困難といえば、近付くにつれて草木が鬱蒼と生い茂り、何年も手入れされていない無軌道な成長によって、天然の壁を生み出していたことくらいだろう。
夜の間に通り抜けることは困難なほど月明かりを遮っていたため、何日かぶりに昼の日差しの中を歩くことになった。とはいえそれでも薄暗さを感じる程度には陽光も遮断されていたが。
獣道すらない雑草をかきわけ進んでいくと――そこに、多少は開けた空間が広がっていた。
「ここが俺の故郷、レスト村だ」
前を歩いていたヘイルがそう言って、紹介するように横へずれた。
かといって、それはさほど誇らしげでも、得意げでもない。彼は村の方向を見つめ続けている。
いや――元々は村だった場所と言うべきか。今はただ廃墟として、風雨に曝されるがままに任せていた。
「ヘイルの故郷……」
アデルは数歩進み出て、その光景を目に焼き付けようとした。決して逸らさず、しっかりと心に留めようと。
村はそれほど小規模なものではないはずだが、今となっては正確な面積を導き出すことも困難だろう。通ってきた道と同じく草木が茂り、特に端へいくほど森と融合しているような様子が見受けられる。
民家の大半は蔦が絡まるか、草木に取り込まれるかしながら崩落していた。しかしその原因が自然によるものだけでないことはわかっている。一部は明らかに恐るべき力で粉砕されていた。魔物に襲われた恐怖を伝えるように、その残骸を未だ露にし続けている。
当然だが、村人はいない。少なくとも十年以上に渡って存在していないように思う。
事実、魔物がいなくなった後にも村が放置されたのは、村人が全員移住してしまったためだとヘイルは言う。そのために、ここをあえて復興させる必要はないと判断されたのだろう、と。
その話を聞き、アデルはなおのこと沈痛な面持ちで村を見渡した。心が締め付けられ、軋むような痛みを与えてくる。
乱雑に目をこする。そしてその手を悔恨で強く握り締めた時、隣に立つヘイルは、その心中を察したようにそっと告げてきた。こちらは向かないままで。
「俺の家族のためになら、ここで祈りを捧げたりしないでくれよ? ここは悲劇に見舞われた場所だが、惨劇があったわけじゃない。俺と母さんは生きて逃げることが出来たし、父さんだって――ここではきっと負けていない」
少なくとも、村を守ることは出来たはずだ――ヘイルは今でもそう信じていると話し、アデルもそれに頷いた。
否定する理由はなにもない。それは精神論だけではなく、現実として信じられるものだった。自然の働きによって朽ちる余地を十分に残していることが、その証だろう。
二人はそのまま、草木によって隠された村の入り口に立ったまま、風に吹かれた。
なにもない、穏やかとも言える廃墟の村。風に煽られるローブを押さえて、アデルは心からの感情を口にした。
「ヘイル……ありがとう。私を連れてきてくれて」
「感謝されることなんかなにもない。本当なら見せないまま、旅を続けていたかったんだけどな」
それは照れ隠しでもなんでもない本心だっただろう。奥底には自嘲のような、諦観のようなものすら見て取れた。己の決心を貫けなかったことへの悲観かもしれない。
そうまで落胆することとも思えなかったが、アデルは慰めの意味も含めて、告げる。
「それでも、私は嬉しいんだ。ヘイルの故郷に触れることが出来て」
新緑の香りが通り抜ける。村本来の匂いではないかもしれず、そこには廃墟独特の硬質な臭気も混じったが、アデルはそれでも身体の中いっぱいに吸い込んだ。
心痛の中にも清涼さが湧き、素直な前向きさを与えてくれる。自分はこの悲劇を受け止め、だからこそ勇者の弟子で在ろうと。
「さて、それじゃあ行くか」
「もう行くのか?」
一歩も前に出ることなく踵を返したヘイルに驚き、引き止める心地で彼を追って振り向く。
だがヘイルはあくまでも、これ以上留まる気がないようだった。アデルに気を遣い足を止めこそすれ、もう故郷を振り返ることもなく告げてくる。
「廃墟を見て回ったってしょうがない。俺が思い出せる風景はそんなに多くないしな」
そうして、肩をすくめた。
「それに元々、礼儀みたいなものだ。生まれた土地にもう一度足を踏み入れておこうってな」
「……わかった。行こう」
彼の決心が固く、そこには彼なりの考え、信条があってのことだと理解し、アデルは頷いた。無闇に引き止めることはない。今それをすることは残酷なことかもしれない。
もう一度来ればいい――濡れ衣を晴らし、再び胸を張ってこの世界を旅出来るようになった時。
アデルはそう決意しながら、勇者の故郷を後にした。
森林深い村の跡から、少しずつ離れていく。前を行くのは変わることもなくヘイル。彼は決まりきった目的を持っているような、確固たる足取りで進んでいた。元より順路に関しては、当てなどなくとも優柔不断な場面を見たことがないのだが。
それでもその足取りが、今までとどこか違う深刻なもののような気がして、アデルは早足で隣に並びながら尋ねかけた。
「行き先は決まっているのか?」
出来る限り簡素で、何事もない問いかけをしたのに対し、ヘイルは意外なほどあっさりと頷くことに抵抗した。やがては曖昧にしながらも、言葉を濁す。
「……お前に話すのはやめておくよ」
「言えないような場所なのか!?」
反射的に赤面すると、彼は酷く呆れた様子を見せた。だがそれで少しは気がほぐれたのか、語り口だけは先ほどまでの霞掛かったものとは違う、明白さを持っていた。
「今は言っても混乱させるだけだ。それにお前は地理に弱いからな。人に道を尋ねられて、なにも答えられずおろおろする姿を見たことがあるぞ」
「うぅ、やめてくれ……思い出しただけで死にたくなる」
「久しぶりだな、それ」
落胆し、ローブの中で身悶えると、ヘイルは可笑しそうに笑った。
しかしアデルが不服そうな顔を向けた時、彼は微笑のまま言ってくる。そっと、優しく囁くような声音だった。
「けど、本当に死ぬのは許さないからな。お前には生きていてほしいんだ」
「ど、どうしたんだ、ヘイル。突然そんなこと」
「突然でもないさ。ずっとそう思ってる」
お前を殺さないために連れて来た――そう言われたことは、アデルも覚えていた。それが当初、彼の頭の中で一番近くにあった理由だったのだろう。根源の一つとも言えるかもしれない。
とはいえ、面と向かって言われるのは気恥ずかしいものがあった。おかげで「むぅ」と呻くしか出来なくなる。
先ほどよりも目深にローブを被り、顔全体を覆おうとしていると、ヘイルはまた笑った。
けれど今度は――アデルがちらりと見上げた頃、彼はふと笑みを消し、深刻な横顔を見せた。
訝り、首を傾げる。ローブから顔を出して何事か尋ねようとするが――
それよりも早く口を開いたのはヘイルの方だった。一瞬前の深刻さなど風に吹かれて消えたように、いつも通りの淡々とした表情を浮かべている。
「そうだ。なにか食べたいものでもあれば早めに言うんだぞ。店の場所を教えるくらいなら出来るからな」
そう言うと、彼はまた頭を撫でてきた。
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