第31話

 旅は続く。終わりない勇者の旅。

 ヘイルは相変わらず旅人のような、土色を基調とした軽装に身を包み、それとは不釣合いな剣を帯びながら、金色の短髪を夜風に揺らしている。

 アデルも相変わらず黒いローブで全身を覆っていた。先の戦いで破れた分は、ある程度はヘイルが補修してくれた。新しいものを購入するべきだと促されたが、断っている。大した理由はないが、愛着と呼べるかもしれない。これをまとっていることで、隣を歩く勇者の弟子として認められているような、そんな感覚。

 そんな代わり映えしない二人のままで、旅路も変化なく夜間の道。しかしそれでも、差し込まれる月の光はいつもより少し明るく見えた。闇夜の中でも視界が冴え渡る。

 何日にも渡る夜旅の中で目が慣れただけかもしれない。けれどアデルは、それが自分の心中を、そしてヘイルの心中までも表しているのだと信じて疑わなかった。

「本当は、行くつもりはなかったんだけどな」

 街道から少し外れた雑草地を歩きながら、ヘイルはそう言って肩をすくめた。

 ここ数日の間は、以前のように沈黙が続くことも少なくなっていた。ヘイルがたくさんの話をしてくれることを、アデルは喜んだ。

 今この時の会話は、さほど手放しで歓喜出来るものでもなかったが――それでも今までのように落胆し、悲観しながら恐る恐る会話をすることもなく、自然と問いを返すことが出来る。

「どうして急に、行こうなんて言い出したんだ?」

「そうだな……」

 ヘイルは呟いて、しばし考え込んだ。見上げる横顔はどこか寂しげで、遥か彼方に思いを馳せるようでもある。

 ほんのしばらく、足音と夜風、草葉の擦れる音が黙考の間を埋めて。やがて彼は苦笑した。

「なんとなく、かな。今のうちにもう一度、顔を見せておくのもいいと思ってな」

 最初に立てていた予定では、イントリーグの城を出てから北上を続け、そのまま国を越え、大陸の最北端を目指すことになっていた。

 だとすれば、自らが生まれたこの国には当分の間は戻ってこられまい。だからこそヘイルは、それを言い出したのだろう。「故郷に寄ってもいいか?」と。

 この状況――イントリーグ国の謀略によってヘイルに魔王の烙印が押された今となっては、そう容易くこの国に出入りすることは出来ないのだから。

 アデルはそれ以上深く触れることをやめ、「そうか」とだけ答えて別の話題を探した。

「あ、そうだ。そういえば、昨日は不思議な夢を見たんだ」

「またか」

「また、とはなんだ。今度のは間違いなく凄いぞ。なにしろヘイルが――」

 暗闇に引きずられ気分が落ち込むのを避けるためにも、アデルは自分なりに明るい話を選択し、ヘイルもそれに応えた。

 相変わらず、食いつくに違いないと思った話が粗雑に扱われるとショックを受けるが、今はそれを話の種として盛り上がることが出来る。

 話題自体も、毎度食いつきの悪い夢の話ばかりではない。町の調査を行う際に見かけた出来事や、そこで聞いたこぼれ話、ちょっとした知識――これはたいてい、ヘイルの方が数段豊富だったが。

 なんにせよ。一緒に旅をしながらも、少し違った視点から会話をすることが出来る。アデルはそれを無性に楽しく感じていた。

 そんな中で――ふと、ヘイルが思い出したように言う。月がゆっくりと、薄い雲の中に囚われようとする頃。

「そういえば……こうやって旅を続けて、どれくらいになるんだろうな」

 影が落ちて、彼の表情は見えなくなった。アデルはどうともわからず、ただ自然なままきょとんと言葉を返す。

「どうしたんだ、急に」

「いや、なんとなくな。お前とは、もうずっと一緒にいるような気がしてさ」

 次第にまた雲が晴れると、ほのかな明かりが視界を開けさせる。彼はこちらを向いていた。頬の力を抜いた微笑にも似た表情で、こちらの頭にそっと手を置いてくる。

 アデルは気恥ずかしさに顔を紅潮させながらも、それを払うことはしなかった。少しだけ首を縮めて、頷く。

「……そうだな。私も、ヘイルとは長く共に旅をしているように感じる」

 お互い、そのはっきりとした理由はわからなかった。

 ひょっとすれば、勇者と魔王――出会う前から互いに意識し続けていたせいかもしれない。アデルはそんなことを考えるが、それを口にするのは憚られて、かぶりを振った。軽く頭を撫でてから手を離し、再び前を向いたヘイルも、同じことを考えているように思えたが。

「何年前か――旅を始めた頃は、こんなことになるなんて思ってもいなかったな」

 ヘイルは感慨深げに、ぽつぽつと自らの思い出を話し始めた。

 自分が旅に出てからのこと。苦労話にも似ていたが、たいていは各地の紹介のようなものだった。

 この町にはこんなものがある、あの村ではこういうものを見かけた、北方には雪と氷で覆われた大地があって、遥か南には海に囲まれた孤島がある――

 それぞれの地で出会った人々のこと。そこで知り得た知識、情報、あるいは土地に根付く風習。果ては気をつけるべき生物や、サバイバル術まで。

 話が進むにつれ、もはや思い出というよりは講義の様相を呈していた。

 アデルはそれでも、今後も彼と共に旅をする中で直面することになるだろうそれらの知識に関して、熱心に聞き入っていたが。

 そうやって話を大きく逸らしながらも、彼の語る旅路は少しずつ進んでいった。そしてやがて……魔王城の前に立ったところで終結する。

 そこから後のことは語る必要もない。二人の中に、ひと時も欠けることなく刻まれていた。

 ヘイルはそれを胸中で噛み締めるように、しばし黙する。細く長い息を吐き出して、彼がこちらを向く。

「お前がいてくれてよかったよ、アデル」

 ずっとヘイルの顔を見つめていたことに、アデルはその時になって気が付いた。触れ合った視線の先で、彼が優しく微笑みかけてくる。

「今でも俺がこうして立っていられるのは、お前がいてくれたおかげだ」

「な……なにを言うんだ、突然! その、は、恥ずかしいじゃないか」

 慌てて視線を逸らす。紅潮する頬を見られたくなくて、ローブで懸命に顔を隠そうとするのを見たヘイルは、可笑しそうに笑っていた。

 しばしして、「笑いすぎだ」と肘で脇腹を小突かなければ止まらなかったほどに。

 笑みのまま悪かったと謝るヘイルに、アデルはこれみよがしに拗ねた様子を見せ、ローブの中で口を尖らせたが。

 夜の暗闇の中、そしてローブの奥でもわかるほどに顔を赤くするアデルの頭に、彼はもう一度、優しく手を置いた。

 そうして、ぽつりと囁く。風に乗って、その言葉はアデルの耳にも届いた。

「それに――勇者の弟子としても、立派に成長してくれたからな」

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