第22話

 勇者の存在が知れ渡った結果としてか、それからは街に出ると同じようなことが起こるようになっていた。そしてアデルは何度でも死にたくなり、ヘイルは何度でもそれを慰める――

 そんな日々が、幾度か繰り返された頃。

 その日は久しぶりに、何事もなく街を歩くことが出来た。

 とはいえ、それも当然かもしれない。その日は普段の散策とは違う理由を持ち、人々もそれを理解していた。

 ヘイルたちが向かう先は王城。簡単だ、王から会食の誘いを受けたのだ。

 恐らくはスィール国へ送った使者が帰還を果たしたためだろう。その結果が捕縛ではなく会食の誘いだということは、ヘイルが偽りのない勇者であることが正式に認められた、という意味でもある。

 城に着くと、案内したのは大臣だった。

 彼は慇懃無礼を思わせるほど深々と頭を下げると、ヘイルたちを先導して複雑な構造をした城の中を進んでいく。不要に思えるほどいくつもの角を曲がっていく道順は、注意を払っていなければ帰り道を忘れてしまいそうだ。

 城の中は静かだった。陽光と穏やかな風を取り入れる窓からは外の喧騒が聞こえてくるものの、内部からの音というのは聞こえない。廊下の途中で見張りをする兵士に出会うことはあったが、彼らは剣と鎧の置物のようにじっとしていた。厳粛に努めているのだろうか。

 そんな静寂のおかげで、大臣の声はよく響いた。聞き取り辛い方がよかったかもしれないが。

「お前の武勇は多く伝え聞くことが出来た、勇者ヘイル」

 アデルがぴくりと吊り上げた眉を指先で無理矢理下ろしながら、ヘイルはそれを聞く。

「特に行く先々で魔物を討伐しているようだな。素晴らしい成果であることは認めよう。しかしそうまで魔物に出会う旅路とは、よほど好かれていると見える」

 彼がこちらに顔を向けなかったので、どのような表情でそれを言っているのかはわからなかったが……少なくとも真っ正直な笑顔ということはないだろう。皮肉の微笑ということはあるかもしれない。

 どうあれ、本物の勇者である正式な確認が取れたにも関わらず、大臣はヘイルに対するそうした態度を変える気はないようだ。

 むしろ悪化しているように思える――と語るのは、膨れ面をしたアデルだった。いーっと犬歯を剥き出しにする顔は、ヘイルによって止められた。その代わりにこそこそと耳打ちしてくる。

「あいつ、なんか嫌な感じだ」

「そんなこと言うもんじゃないぞ。誰にでも人間関係の相性はある」

「そういうこととは少し違うような気はするが……」

 曖昧に言って、しかし具体的な違いを言葉にすることは出来ず口を尖らせるアデル。そうこうするうち、三人は食堂に辿り着いた。

 大きな扉を開けると、そこは奥へ向かって長細く広がる空間だった。

 二十人ほどが集うことの出来る食卓、暖炉と燭台、装飾など王城としては一般的な造りになっているが、ここでもやはり剣と盾が目に付く。そして壁際に配備された兵士たち。

 「食事の席に物騒な」などと気取っているアデルはさておき、ヘイルは食卓の最奥に座る王へ向けて頭を下げた。

 その王によって、ヘイルたちには少し離れた席が割り当てられる。あまり顔を近付けながらというのも息が詰まるだろう、と説明された。大臣は王の傍らに立ち、使用人に食事を運ぶよう伝えた。

 それらが並べられるまでの間に、王は事務的な挨拶をこなしてきた。つまりは数日前に多少なりとも疑いを見せたことへの謝罪、ヘイルの言葉が紛れもない事実であると確認されたこと、そして改めて歓迎するといった意味のものだ。

 ヘイルはそれを厳かに受け止めると共に、隣で料理にはしゃぐアデルをこっそりと窘めた。具体的にはローブを軽く引っ張っただけだが、彼女は恐ろしい反応速度でそれを止め、ひとまず大人しくなる。

 相変わらず頭からすっぽりと覆われた黒のローブ姿であることについては、「宗教上の理由により、人前でみだりに顔を露出することが出来ない」と説明することで難を逃れた。おおむねは間違っていないだろう。

 料理はほどなく並べられ、会食が始まった。

 ヘイルは数度こうした経験を得ているため、会食の場におけるおおよその雰囲気というものを知っていた。たいていの場合、王は和やかに努めようとしながら、しかし周囲の気配がそれを許さないという、ちぐはぐな雰囲気になる。

 しかし……イントリーグの王はそうしたヘイルの経験に全く当てはまらなかった。時折、二三言ほど話をしてくるが、それは和やかさを強調しようとしたものではなく、どれも実に簡素なものだった。また、こちらから問い返す言葉に対しては曖昧に濁して話を打ち切ってしまう。

 食事を進める手も遅く、謁見の際と同様になんらかについて苦悩していることは明白だった。ちらりちらりとヘイルに視線を送っては、悔やむように歯を噛み締めている。

 そうして会話が弾まなくなる分だけ、弟子と勇者は二人きりでのやり取りが多くなった。珍しがって酒の瓶に手を伸ばそうとするアデルをヘイルが止め、しかし違法な年齢ではないはずだと主張し取り合いになる、というようなものだったが。

 王は――そんな二人をしばし見つめてから、こっそりと大臣を呼び寄せ、耳打ちした。二人には決して聞こえぬように。

「本当に、これでいいのだろうか?」

 そこで改めて躊躇うように、もう一度ヘイルの方を見やってから、続ける。

「この国で勇者が死んだとなれば、どのような非難を浴びるか……」

 その言葉が意味する恐るべき謀略に、しかし大臣は当然知らぬはずもなく、そしてそれを自らが提案した際と同じ冷徹な微笑を浮かべながら頷いた。「心配無用です」と。

「魔物との戦いで討ち果てたと公表すれば、我々に非難は及びません。そして勇者の没した地として名を広めながら、徐々に現在の事業を修正していけばよいのです」

 悪魔のような囁き声が、王の脳に染み渡る――勇者を亡き者とし、時間を稼ぐ。勇者が死ねば大陸全土の士気は下がり魔物が絶えるまでの時間を引き伸ばすことが出来る。そして国を整備し直すまでの余裕を、勇者の死によって作り出すことが出来る。大臣の語った、『全てを一挙に解決する策』というのはそういったものだった。

 もっともそれは単なる時間稼ぎでしかないのだが、王に他の打開策が思いつかないのも事実だった。

 勇者には感謝こそあれ恨みなどないが、こうでもしなければ国が潰えてしまう。やむを得ないことだ――王は胸中でそう繰り返していた。

「……王? 御気分でも?」

 ふと、こちらの顔色に気付いたらしい勇者が唐突に顔を向け、尋ねてくる。王は慌てて顔を上げると、気にすることではないと手を振った。

 彼が訝りながらも退く間に、次なる料理が運ばれてきた――会食はまだ始まったばかりだが、料理はそれが最後となるだろう。

 毒味を隠すため、香辛料を多く使用したスープ。その芳香に、勇者の弟子が感激した声を上げている。

 彼らは二人とも殺す手筈になっていた。王はそんな礎――国を生かすための生贄である、この大陸で最も羨望を受けるべき、そして失われれば最も多くの落胆をもたらすであろう二人を前に、どうしようもなく目を伏せた。

 急ぐあまり舌を火傷した弟子を勇者が慰め、水を飲ませてやる。そんな親子のような光景を見ることも出来ず、王はただ無心で自らの前に置かれたスープに口を付けた。

 ――直後。

「ぅ、ぐ……ごはっ……!」

 王は喉をおさえ、突如として悶え苦しみ出した。食器をひっくり返しながら椅子から転がり落ち、倒れ伏す。

「イントリーグ王!?」

 大臣と同様にヘイルたちが急ぎ駆け寄ると、王は明らかな毒の症状によって目を見開き、無言のまま口を開閉させていた。そこに浮かんだ悲壮な色は困惑を示していたが、刹那には全てを悟った激昂に染まる。彼は怒りと命の揺らぎとによって震える腕を、どことも知れぬ虚空へ伸ばした。

 しかし……それはなにも掴むことがないまま、力を失って床に落ちる。

 横たわる、イントリーグ国の王――

 最後の言葉すらなく彼の命が唐突に失われてしまったことを、その場にいた誰もが悟った。

 混乱と絶望の中で静寂に固まる。誰も、どうすることも出来ない。ヘイルは王の傍らにしゃがみ込んだまま愕然とし、隣に立つアデルも口を押さえて震えている。

 その空白のような間の中で、叫んだのは大臣だった。

「勇者だ! 勇者ヘイルが、我らが王を毒殺した!」

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