第23話

 勇者が王を毒殺した――

 大臣の発したその言葉を号令として、周囲にいた兵士が一斉に抜刀し、ヘイルたちに刃を向けてきた。その手際はまるで――王が倒れた瞬間からこちらを取り囲んでいたようですらある。

 どういうことなのか、瞬間的には理解出来ない。そうした混乱の間を置き、叫び返したのはアデル。彼女は兵士たちによる過剰な敵意に対して怯えた様子を見せながらも、けれどそれ以上に、勇者を穢す行いに怒りを覚え反駁する。

「なにを馬鹿な……! 私たちがそのようなこと、するはずがないだろう!」

 だが、大臣もそれで退くことはなかった。

「ならば王の臣下たる我々の中に、謀反人がいるとでも言うのか!」

 自分と、周囲にいる兵士たち全員を手で示しながら言ってくる。さらには「内紛を誘発しようとする勇者の陰謀だ」と続け、兵士たちの切っ先はますますこちらへ近付いてきた。

「俺たちが王を手にかけようとする理由はなにもないはずだ」

「当人がどのような感情を抱いているかなど、わからぬものだ。しかし……」

 ヘイルの反論を返しながら、大臣は冷笑を浮かべた。

「お前には理由があるはずだ、『勇者』ヘイル」

「理由……?」

 まったく身に覚えのない指摘を問い返しながら、しかしそれに対する答えは得られなかった。大臣が兵士たちに向けて次なる指示を出す。

「これはイントリーグ国に対する明確な反逆だ! 勇者ヘイルを捕らえよ!」

 兵士たちが一斉に剣を振り上げ、襲いかかってくる。

 最も近くにいた一人の突きを躱し、ヘイルたちは食卓の上に飛び乗った。刺激的な芳香漂うスープの皿が床に落ち、派手な音を立てて砕ける。倒れた燭台に火が灯っていないのは幸いだった。

 しかし兵士は変わらず大臣の指示通りの敵意を向けてくる。

「どうなってるんだ、これは……!」

「ヘイル、こっちだ! ここにいたらまずい!」

 狼狽する中、アデルはそんな勇者の腕を掴み取ると、人間外の跳躍力によって一息にその場から飛び退いた。

 向かう先にあるのは食堂の入り口だった。彼らは正確に統率された動きを見せているが、最も単純な出入り口を塞いではいなかったらしい。長大な食卓を一足で飛び越えるほどの脚力など想定していなかったのか。

 いずれにせよ廊下を出ると、そこでも兵士たちは危機を察知し、抜刀した姿で待ち構えていた。「ヘイルを捕らえろ」との大臣の命令が飛ぶなり、彼らもまた動き出す。

 アデルたちはやはり彼らと戦おうとはしないまま、その散発的な包囲をかいくぐって城の中を駆けて行った。目指すのは無論、城外。

 しかし、そのための道順は正確に思い出せるものではなかった。元より複雑だった道を逆順に辿るのは困難を極める。あるいはそのおかげで兵士が大挙して追い詰めてくることもなかったのか――

 そう考えながら、しばししてどうにか門を抜け、外気に触れることが出来た時。その考察が全くの的外れであったことを悟る。

 城を出た先には、既に多くの兵士たちが武器を手にして待ち構えていた。その中には大臣の姿もある。恐らくは二人に見せることのなかった単純な、『本来の順路』によって、容易に先回りを果たしたのだろう。

 城の中に戻り抜け道を探すことは出来なかった。背後から、こちらも待ち構えていたように兵士の群れが顔を出す。門を抜けた先で、二人は挟み撃ちの形で包囲された。

 剣や槍によって作られた壁の先では、何事かと集まった住民たちがざわめいている。隙間から状況を見て取り、勇者を庇う批判的な声を上げる者もいた。やがてそれは多くの住民へ広まっていくが……

 兵士たちの先頭に立ち、ヘイルと対峙する大臣は、その感情が頂点を極めるまで待っていたように、やがて大音声で演説し始めた。

「聞け、イントリーグの民よ! 我が国王が先ほど、会食の席で何者かによって毒殺された!」

 喧騒が一瞬で静まり、硬直する。突然の訃報に、その事実をあっさりと信じられる者はそう多くなかっただろう。だが彼らが混乱し、ざわめきを取り戻す頃、大臣はさらに続けた。

「いいや、何者かなどと隠す必要もない。王を毒殺したのは、そこにいる勇者ヘイルだ!」

「まだそんなことを言っているのか! どうして私たちがそんな――」

「これは勇者ヘイルの謀略である!」

 反論するのはアデルだが、それを言い切らせるつもりはないらしかった。

 言葉を遮りながら、もはや大臣はヘイルたちの方など見向きもせず、兵士の先にいる民衆へ向けて演説している。最初から、こちらと議論する気など一切なかったように。

「勇者ヘイルは、世界の各地で魔物を討伐してきたと伝えられている。しかしそれは間違いだ! 勇者ヘイルは魔物を討伐していたのではなく、魔物を呼び寄せていたのだ!」

 民衆のどよめきが大きくなる。

 大臣の身振り、口調は演劇のように芝居がかったものだったが、それは同時に人々の注意を十分に惹きつけるものでもあった。集った住民たちは、長年付き従った王の補佐官の言葉に熱心に耳を傾けている。

「現に今、我が国には魔物が近付いている! 勇者がこの国へ到着した直後に現れたものだ!」

 そこまで言うと、もはや民衆の中に彼や兵に対する批判的な声は上がらなくなっていた。そして、mそれがそっくりそのまま別の方向へ向かい始める。

「魔に触れ、魔に魅入られた勇者ヘイルは、そうして各地で魔を呼び寄せ、世界を混乱に陥れようとしている!」

 演説は最高潮の時を迎えようとし、民衆は魔物の出現という事実に恐怖する中で、その元凶への憎しみを膨れ上がらせていく。

 その感情に似たものを、ヘイルは知っていた。そして同時に、アデルも絶望的なまでに理解する。太古より己に向けられ続けていたもの。気が狂うほどに怯え、自らの死をもって終結させようとした感情。

 大臣は最後の言葉を発した。民衆の怒りを爆発させるように。

「もはや奴は、勇者などではない――ヘイルこそ、新たな魔王である!」

 群集が悲鳴を上げる。それは怒りと恐怖の入り混じった咆哮だったかもしれない。

 彼らは口々になにかを叫んでいた。 それぞれの声を正しく判別することは出来なかったが、そのうちの一つは妙にハッキリと聞こえてくる――「魔王ヘイルを殺せ!」

 大臣もまた、それを聞いたのか。あるいはそうでなくとも、彼は遂にヘイルの方を振り返ると、兵士たちに攻撃の命令を下した。

「魔王討伐は未だ果たされていない! 世界を恐怖させる、魔の元凶を討つのだ!」

 兵が武器を構え、一斉に襲いかかる。

 ヘイルはただ動揺し、呆然と立ち尽くしていた。

 だが、そんな彼の手を取ったのは他でもなく――アデルだった。

「アデル……」

「逃げるぞ、ヘイル!」

 そう言った直後、彼女は駆け出した。なによりも速く、そして決して離さぬよう手を強く握り締めながら。

「待て、アデル! 俺は……!」

「待たない!」

 抵抗しようとするヘイルに、しかし彼女は一切の抗議を許さなかった。今まで一度も見せたことのないほど強い意志、ここだけは断固として譲るわけにはいかないという決意を見せて、悲痛に叫んでくる。

「このままじゃヘイルは殺される! だったら、逃げなくちゃダメだ!」

 一心に向かうのは、正面。

 大臣は演説の中で、道を空けるようにその場を離れていた。そしてそれに釣られる形で、兵たちの包囲もその部分だけ手薄になっている。その中に突撃し、突っ切っていく。

 魔法によって無理矢理に吹き飛ばすことはしなかった。それがヘイルの信条に反することを、アデルは理解していた。今は呆然としたまま、どうするべきかわからず手を引かれるまま並走する青年――人々を守り、可能な限り人を傷付けまいとし、過剰なほど世界の平和を望む勇者。

 その彼を、これ以上苦しめるわけにはいかない。

 辛うじて反応した兵士が、横手からこちらに向けて剣を薙いでくる。アデルはそれを受けるでも、反撃するでもなく、ヘイルの身体を引き寄せながら跳躍し、飛び越えた。

 そうした着地した先は既に兵士たちの包囲の先、民衆の只中。

 一瞬、恐怖に竦み、どよめく彼らの姿を一瞥する。ヘイルも同じように、人々の青ざめた顔を見ただろう。見てしまっただろう。

 アデルはなにも言わなかった。様々な思いが頭から口に直結し、それをぶちまけそうになるが、堪える。目元を数度拭って、アデルは駆けた。

 今はなにも言っても意味がないことを、誰よりも自分が知っている。そしてなにより、今はそんなものを吐き出している場合ではない。

 勇者を――ヘイルを少しでもこの場から遠ざけるために。アデルはひたすらに駆け続けた。

 そうして二人が、遠ざかっていく。

 民衆が恐怖しながらそれを見送り、兵士の数名が追いかける中、しかしその隊長たる人物だけは引き止められた。

 振り向けば、大臣が鎧の肩に手を触れさせながら、耳打ちのように囁いてくる。

「わかっているな? 決して捕らえるな。この国から遠ざけ、逃がせ」

「……やはり、ですか」

 苦渋の表情に、しかし当然だと頷く。

「魔王が捕らえられれば処刑されてしまう。それではいかん。それでは再び魔王が――我が国の踏み台が滅びてしまう」

 吐き出す言葉のひとつひとつに、暗く邪悪な嘲笑が含まれる。実際、彼は笑っていた。

 悪魔じみた微笑。それを湛え、愉悦に歯を見せている。

「いいか、奴は決して殺すな。我が国のためにも、奴には生き続けてもらわねばならん」


---


「ヘイル、こっちよ! 早く!」

 母が自分の手を取り、走り出そうとする。

 自分はそれに半ば従いながらも、けれど同じように駆け出そうとはしなかった。母が背を向け、遠ざかろうとしている故郷の村の方をどうしても見つめながら、

「でも、おとうさんが……」

 そう呟いて、しかし完全な抵抗も出来ない――ほんの幼子だった自分にも、それをすることがどれほど母を苦しめるのかわかっていた。どちらも捨てがたい、耐えがたい選択を強いられる中で、それでも少しずつ故郷から、父から離れていく自分の足を憎く感じる。

 母はそんな自分を、その時はまだ純粋な気持ちで慰め、励まし、勇気付けようとしてくれていたはずだ。そして母もまた、自分の言葉を確かに信じていたのだと思う。

「お父さんなら大丈夫。きっと魔物を倒して、帰ってきてくれるから」

 その間も決して足を止めることはしなかった。父の帰還を信じながら、だからこそ振り返らずにいたのだろう。

 父が帰って来る。そしてきっと、またこの村で過ごす時が来る。その平和が訪れる。そう信じて。

「だから、今は逃げなくちゃいけないの。お父さんの帰りを待つために、私たちは生きるのよ」

 自分はその言葉にようやく頷いて、母と共に駆け出した。

 背を向けた故郷から轟音が響き、魔物の声が聞こえてくる。それが断末魔だったのか、勝ち鬨だったのかは、わからない――

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