第21話
夜。暗がりの一室。
燭台に灯る火がテーブルと、その周囲の人物を淡く照らす。
恰幅のいい中年の男。黒い髪と髭を生やし、常に不服そうな表情を湛えている――イントリーグ国の大臣を務める男。
彼は、対面に座るもう一人へ向かって静かに囁きかけた。恭しく、しかし決して及び腰にはならない語り口で。
「王――使者が戻るまでには数日。ひとまずの時間は稼ぐことが出来ましたが」
「うむ……」
対面のもう一人――国王は小さく頷いた。その弱々しさは、二人の立場が逆ではないかとさえ錯覚させる。
「その間に、なにかしらの対策を立てねばならん、ということか」
「勇者ヘイル……我が国の情勢を思えば、立ち寄るべきではないとわかりそうなものだろうに」
逆恨みのように吐きながら、忌々しげに拳を握る大臣。
王はそれを窘めた。苦悩を隠さぬまま嘆息して。
「やむを得まい。どのみち、魔王討伐の話が大陸全土へ広がるのは必然だ。我が国においても、それは信憑性の高い噂として広まっている。これ以上の情報管制を敷くことは難しいだろう」
それらが勇者の到来による影響だろうということは、示唆されるまでもなかった。
炎が揺らぐ。それは大臣が激情に任せてテーブルを叩いたせいだ。
「しかしそうなれば、我が国は大きく傾ぐことになってします! 現在は辛うじて魔物が残っているとはいえ、まもなくそれも失われていくはずです。このままでは――」
一息にそこまで言ってから、トーンを落とす。しかし憎々しげな感情だけはいっそう強いものにしながら。
「このままでは……魔物による被害を装った工作も困難になるでしょう」
「わかっている。なればこそ、こうして策を練っているのだからな」
だがなんらの案を口にすることなく、代わりに細く長い嘆息が漏れる。
そうして僅かに静寂が落ちた時――部屋の扉が激しく叩かれた。
それは城に仕える兵士によるものだった。無礼ながらも緊急を要することだとして、扉の先で慌てふためいた様子を見せている。
入室の許可を得るなり、兵士は転がるように入ってきた。回らぬ舌を辛うじて動かしながら報告する。
「現在、北方に魔物の姿を確認! 数は不明ですが、こちらへ向け進行中とのことです!」
「なんだと!? このような時に!」
「……魔物、か」
兵士が狼狽し、大臣が八つ当たりのように激昂する。しかしそんな中で、王はひとり淡々としていた。
独りごちるように囁くと、兵士を下がらせてから改めて吐息する。
もはや疲弊しきった様子で、彼はやはり独り言のように呟いていた。
「こうなれば、勇者ヘイルに任すという手もあるか」
「王! そのようなことをすれば、我が国の寿命を早めるだけかと」
しかし王は、当然ながらわかっていると告げ、続ける。
「勇者ヘイルがその情報を聞きつければ、間違いなく戦いに挑もうとするだろう。各地でそうした蛮勇を揮い、魔物から人々を救ったという話は多く聞かれている」
「それは……」
大臣は反論に窮した。実際、彼もそうなってしまうだろう未来は推測出来ていた。
王が呟く。もはや憔悴し切った、諦観の眼差しで揺らぐ炎を見つめながら。
「魔王復活から十七年。混乱に乗じ、多くの者たちの恐怖を糧に成り上がってきたが……やはり民を食らうなど、国の為すことではなかったのかもしれんな」
口の中に不快な苦味が広がるのを、大臣は自覚した。
なにに対してかはわからない。ただ彼はどうすることも出来ず忌々しげに俯き――
しかしふと、ある考えが頭をよぎった。
ゆっくりと顔を上げる。全てを諦め、もはや未来を見失った王の顔を見つめて。
「……王、諦めるのはまだ早いかもしれません」
「どういうことだ?」
問うてくる老いた男に、彼は冷ややかな微笑を向けた。
「ひとつ、全てを解決に導く策を得ました――」
---
イントリーグ国にやって来てから数日。
謁見の際には、少なからぬ疎ましさが隠されもしなかったとはいえ、その後の待遇にはなんら不都合もなかった。
元より目的が果たされるまで都市に留まる予定だったヘイルにとっては、都市を出るなという制約など無いに等しい。加えて都市内は夫婦喧嘩以外の目立った問題も発生しておらず、昼間のうちでも、アデルを連れて歩き回ることを妨害するものはなにもなかった。
……いや、一応はあったが。
「あっ、勇者様! 勇者様だ!」
「きゃー! ヘイル様ー!」
都市の中心地でもある広場に辿り着くと、各所からそのような声が上がる。
停泊する数日のうちに『魔王を討伐した勇者』の到来は知れ渡ったようで、町の人々はその姿を見つけるたびに声を上げて駆け寄って来るようになっていた。
そしてたいていは握手を求められ、その後に応援か励ましか、あるいは問いを投げかけられる。「魔王を討伐したって本当なんですか!?」と。
彼らは今まで、それを正式な事実としては認識していなかったらしい。魔物は未だに存在するため無理からぬことかもしれない――と、ヘイルは納得していた。
問いに対してヘイルは、『魔王の脅威が去った』という点については確かなものであると伝えた。大きな都市だが、それは彼らの口によって間もなく都市全土、あるいはさらに別の町や村まで行き渡るだろう。
……それはいいのだが。アデルを連れて歩くことを妨害する最も厄介な問題は、全く別のところで発生していた。
数名の女性がヘイルを取り囲むように駆け寄り、言ってくる。
「ヘイル様。よろしければ、そのたくましい腕を触らせていただけないでしょうか?」
「あのっ、わたしはお腹を!」
「足の、特にふくらはぎ辺りを触らせてもらえれば、と……」
「えぇと……」
最初は一人の女性が、握手の代わりに腕を触りたいと言い、それに応じた。
しかし翌日にはそれが二人、三人と増え、今やこうして集団に囲まれるまでになってしまったのだ。そういう意味では、都市内の散策を制限する存在だと言える。
さらに、なにより厄介なのは彼女たちではなく。
「…………」
「いつも思うんだが、どうしてお前が不機嫌になるんだ」
ひとしきり身体を撫で回される儀式が終わった後、隣に立つアデルの方を見やると、彼女はいつも口を尖らせていた。そして決まってこう答えてくる。
「……別に不機嫌ではないもん」
そっぽを向き、頬を膨らませながら言われても全く信憑性はなかったが。
さらにアデルは、こんなことを言ってくる時もある。説教じみた口調で。
「不機嫌ではないが、無闇に人気になりすぎだ。だらしないぞ。軟派だ」
「もっと騒がれてもいいのに、とか言ってたくせに」
「むぅ、そうだけども」
反論されると、不服は崩さぬまましゅんと項垂れる。
しばし自分の指をいじくり回してから、彼女は素晴らしい異論を閃いた様子で顔を上げた。
「ほら、あまり浮ついた印象を与えると、勇者としての信頼に関わるだろう!」
「そういうこともあるかもしれんが」
ヘイルが曖昧に肯定すると、彼女はそれで満足したようだった。何度もうんうん頷き、「今後はああいった者たちが迂闊に近付かないよう厳重に警備してやろう」などと意気込んでいる。
そんな時――
「きゃああああああ!」
背後から悲鳴が聞こえた。
一瞬で緊張が場を支配する。慌てふためき、困窮するような女の声に、ヘイルは剣の柄に手をかけながら振り返った。隣ではアデルも同様に緊迫した様子を見せながら同じ方角を向く。
共に目にした声の主は、やはり女だった。広場の片隅で勇者の到来を祝した店の宣伝活動をしていたらしく、店名や店の場所などが記された手持ち看板を足元に置いている。だが彼女が視線を向けているのは宣伝相手である民衆ではなく、頭上だった。
広場の外周には、都市の美観と清涼さを求めた大きな木々が立ち並んでいる。彼女が焦燥した瞳で見つめるのは、まさにそのうちの一本だ。力強い枝が青々とした葉を湛えるそこに――なにかがだらりと垂れ下がっていた。
ヘイルは急ぎ駆け寄り、庇うようにその女と木との間に割って入った。アデルもそれに続き、彼女をすぐさま危険から遠ざけることが出来るよう、身体を抱き寄せる。
「どうした、なにがあったんだ!」
聞きながら間近で見れば、垂れ下がっているものは球体を複数連ねたような、不気味な姿をしていた。
目はなく、口もない。代わりに糸状のものを無数に垂れさせている。妙な光沢のある肌を露出させ、その身体は怪しくも、球体ごとに様々な色に分かれているらしく――
「…………」
そこまで観察して、ヘイルは黙した。アデルも同様に、もはや危機感など無関係に女の身体を離し、唖然と木を見上げている。
女の方はどこかバツが悪そうにしながら、顔を紅潮させて頬をかいた。視線を逸らし、小さく囁いてくる。
「いえ、あの……宣伝用の風船を、木に引っ掛けちゃって」
「…………」
ヘイルは一度彼女の方を振り返ってから、また向き直った。そして無言で木に歩み寄り、太い幹を登っていく。枝に到達すると、そこに引っかかっている球体を割らないように注意しつつ、それらを抱えて飛び降りた。
そうして救出された風船の束を渡すと、彼女はとても喜んだようだった。
「助かりました! これを失くしちゃったら、店長になんて言われていたか……本当にありがとうございます!」
「いや、まあ……気をつけるようにな」
何度も頭を下げる女に、ヘイルはどうとも出来ずそう注意を促した。彼女はやはりバツが悪かったのか、あるいは場所が悪いと考えたのか、風船と看板と抱えてすぐに行ってしまったが。
しかしそれと入れ代わりに、再び先ほどの群集が駆け寄ってくる。
「流石は勇者様です!」
「勇者様のおかげでこの都市は守られているんですね!」
「えぇと……」
賞賛を浴びせてくる彼女らに気圧され、ヘイルはただ呻くしか出来なかった。その隣から、アデルが不愉快そうに呟く声が聞こえてくる。
「……過剰に褒められすぎじゃないか?」
「俺も少しそう思うが……まあ喜んでくれるならいいだろう」
困窮しながらもそう言葉を返す。
だがヘイルを取り囲む女たちの一人は、姦しく声を上げながらもアデルの言葉を聞きとがめたようだった。
「ちょっとあなた! なによ、さっきから!」
「なっ、わ、私か!?」
急に矛先を向けられ、しかも敵対心を剥き出され、アデルは思わず恐怖するように後ずさった。それと同時に、他の何人が同様に犬歯を見せながら詰め寄ってくる。
「そうよそうよ! 勇者様に向かって偉そうに!」
「だいたいアンタなんなのよ! そんな変な格好しちゃって!」
「い、いや、私は……ヘイルっ、助けてくれ!」
怯えきった様子で逃げ出し、ヘイルの背に隠れてしがみつく。
だがそれもよくなかったのだろう。彼女らはなおさら怒りの炎を燃え上がらせたようだった。
「なに勝手に勇者様に抱きついてるのよ!」
「離れなさいよー!」
「そこはあたしの席になる予定なんだからね!」
そうして、当のヘイルを挟んで攻防が繰り広げられる。
アデルは引き剥がそうとしてくる彼女らの攻撃を懸命に防ぎながら、同時にローブが肌蹴ぬようにと身を縮こまらせていた。
「あー……」
ヘイルは呆れとも諦めとも付かぬ呻き声を上げながら、しばしがくがくと振り回されるに任せていたが……
やがて正気を取り戻して彼女らを諭すと、それであっさりと戦いは終了した。
そうして、その場はひとまず宿に戻ることにした。それは事件や異変がなさそうだと判断したからというよりも、ヘイルの服を未だ懸命に掴んでいるアデルが、「もう死にたい」と涙声で繰り返し呟いていたからに他ならない。
そのためヘイルは、その日の残りの時間を彼女を慰めるのに費やすことになった。
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