第20話

「勇者ヘイル……報告は受けている」

 この国へ来た目的は観光や、まして故郷の紹介などではなく、王との謁見にあった。

 そしてそれが果たされた時、彼――イントリーグの王は静かにそう言って頷いた。

 厳しい顔つきに疲労を滲ませ、実際の年齢もかなりのものだろうが、それ以上に老けて見える。口元を覆う白い髭は、それを隠すよりもむしろ強調させていた。王冠や煌びやかな衣の刺繍すら色褪せて見えるのは錯覚だろうか。

 しかしそれに現実味を帯びさせるように、跪くヘイルとアデルの二人を前に、王はそれきり黙してしまった。不可解なほど、なんらかの懸念材料を抱えているように苦悩を滲ませる。魔王討伐が果たされた事実が、この謁見によって明確にされたというのに、だ。

 目を閉じ、なにかを思案する王の真意がわからなぬまま、その間にヘイルは周囲を見回した。

 天井の高い巨大な空間。入り口からは真っ直ぐに絨毯が敷かれ、数段ある段を上ると、そこに玉座が置かれている――謁見の間というのはおおむね、どこの城でもさほど差を見出せなかった。魔王城も含めて。

 謁見という目的が正常に果たされるために最適化した空間だとすれば、当然かもしれない。せいぜい色彩や装飾が異なるくらいだろう。イントリーグ国の場合は剣と盾、あるいは甲冑の飾りが目立った。

 それと同様に、周囲に控える兵士も目立つ。単純に数が多く、装備も相応に堅牢そうなものを揃え、有事の際には正確な力を発揮することだろう。

 王の周囲を固めるのは、身辺警護を果たす近衛兵と、王を補佐する役目を与えられた大臣だった。さらに小さな子供もいるが、王の子息なのだろう。アデルよりも幼く見えるほどの年少で、父の苦悩の中身など一切知らない様子で退屈そうにこちらを見つめている。王妃が既に逝去しているという話は伝え聞いていた。

 やがて、それらの中で口を開いたのは大臣だった。

 王よりは幾分か若いだろうが、明確な中年の体躯と容姿を備えた男。薄い黒髪と僅かな顎髭を蓄え、その顔つきが酷く卑しいものに思えた。それは未だ苦悩する王の隣で、彼がヘイルに対し敵意とも取れる視線を向けてきたせいだろう。

「確かに我々は、勇者ヘイルが魔王を封じたという報告を受けた。しかし……お前が本当に勇者ヘイルであるという証はあるのか?」

「なっ……!」

 瞬間、アデルはいつぞやのように激昂の気配を露にした。顔を隠すことも忘れて立ち上がり、犬歯を剥き出しにしようとするが――

 それら全ての動作に先んじて、ヘイルが頭を押さえつける。

 「むぎゅぅ」と悲鳴を上げる少女を余所に、ヘイルはあくまでも冷静に頷いた。

「疑惑の余地を考えねばならぬ理由を持ち合わせておりません。必要とあらば、スィール国の王に確認していただければわかることです」

 というよりも、本来ならば確認せずともわかっているはずだった。ヘイルたちの仔細な情報が王に届いていないはずもないだろう。

 それでも念のためにと言い、これ見よがしに兵へ向けて真偽の確認を指示したことについて、アデルは怒りを増幅させたようだったが。

 しかしそれも、ヘイルによってこっそりと窘められることで収まる。「ここで反発することは、大臣の無用な疑いを後押しする結果にしかならない」と。

「そうだな……前も、私が堪えなかったせいで余計な荒事を……」

 アデルはそう呟いて、項垂れた。さらに小声で、死んじゃえばいいんだの歌(アデルが自ら名付けていた)を歌い始めてしまう始末だったが。

 そんな中、大臣はまたヘイルたちを疎んじるような口調で告げてきた。

「正式に疑惑が晴れるのは確認が取れてからのことだ。それが終わるまでは、この都市を出ることは許さん。いいな?」

 それが実質的な王――やはり難しい思案顔を浮かべ続けているが――からの命令だろう。

 隣から微かに届く軽快で陰鬱な旋律を聞きながら、ヘイルがその指示を素直に受け入れることで、その日の謁見は終了した。

 項垂れたままのアデルを連れて去り行く際、「疑惑が晴れるかどうかはわからんがな」と呟く大臣の声を耳にするが――ヘイルは、死んじゃえばいいんだの歌の方に集中することにした。

 アデルがそれを歌い終えたのは、手配された宿のベッドに倒れこんだ後のことだった。とはいえここはヘイルの部屋であり、本来の彼女に割り当てられた部屋はひとつ隣なのだが……今は見逃しておく。

 彼女はしばしベッドの上にうつ伏せて、うだうだと左右に転がった。歌は終えても悔恨は残り続けているらしい。

 とりあえずヘイルは、窓の近くにある椅子に腰を下ろした。呻き声をあげる弟子を適当に慰めながら、夜には自分の部屋に戻るよう言い含める。

 そうするうち、アデルははたと思い出したように顔を上げた。

「そういえば、今回はすぐに出立しないんだな」

 どうやら歌と落胆にのみ熱心で、話を聞いていなかったらしい。

 ひとまず彼女に事の次第を穏便に説明してから――ヘイルは背もたれから少しだけ身体を離す。アデルとは視線を合わさず、足の上に腕を置きながら続けた。

「俺がヘイル本人だと確認が取れた後には、民に対しても発表がなされるだろう。それを待つ必要がある」

「どうしてだ? 日頃、名誉などどうでもいいと言っているではないか」

「ああ……けど、人々に安堵をもたらすのが『勇者の肩書きを持つ者』の存在であるなら、俺にはそれが必要だ」

 剣の柄に手を触れされて、ヘイルは窓から空を見上げる。

 アデルは静かに起き上がると、「そうか」とだけ呟いて彼の隣に並んだ。

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