第14話
夜――
風はなく、どこかわからぬ遠方から夜鳥の鳴き声だけが不気味に響いてくる、夜の町。
青白い暗闇の中にぼんやりと浮かび上がる、人通りのなくなった大通りに、男は一人立っていた。
鎧を纏い、剣を帯びる男。野犬の遠吠えに紛れて、彼はぶつぶつと呟く。
「勇者、か」
ギリと骨の軋む音は、奥歯を噛み締めたためか。男はそうしながら剣帯から鞘を外した。
一般的なものよりも幅広の感がある長剣。その分だけずしりと重く、それが並大抵の代物ではないことを伝えてくる。
「偽の勇者……真の勇者」
ゆっくりと、男は黒い息でも吐き出すように、暗澹たる声音で囁く。
俯く顔は暗闇に紛れて表情をわかりにくくされていたが――
やがて、そこに笑みが生まれた。口の端を吊り上げた薄気味悪い微笑。あるいは嘲笑か。僅かに開いた口から犬歯を見せながら、彼は嗤った。
「丁度いいじゃねえか。そういう奴が現れてこそ、俺の名前に箔が付く。真に勇者として町を支配し、永劫に語り継がれるってもんだ」
剣を引き抜く。それは単なる銀色の刃ではなかった。
月明かりの反射とは全く違う、不可解な淡い白光を湛える刀身。夜の闇の中で邪悪ささえ感じさせるその剣は、しかし男にしてみれば勝利の栄光だった。
「これで俺は、更に確固たる地位を手に入れる――これでもう誰も、俺に楯突くことなんて出来ねえ!」
剣を振り上げ、闇夜に吼える。
夜鳥の鳴き声も、野犬の遠吠えも、いつの間にか消えていた。代わりに振り上げた剣に絡みつくように、奇怪な夜風が渦巻き始める。
男はそのどれにも気付いていなかった。不穏な結末を予兆するどんな暗示的な出来事であれ、今の男には全く無意味なものだった。
なにしろその中心に立つのが、男そのものなのだから。
「賊だろうと、兵士だろうと、魔物だろうと! それが例え勇者だろうと、俺には逆らわせねえ! 俺がこの地を支配するんだ!」
男は白光する刃を、地面に突き立てた。
---
夜を待ってから。
ヘイルは言われた通り、停泊する昨夜と同じ宿の裏手へ足を向けた。
そして隣には、アデルもついてきている。「一人では心配だ」と、保護者か護衛のような心持ちでいるらい。一人で来いとは言われていないので、ヘイルも構わなかった。
彼女は執拗に周囲を警戒しながら、常に同じ警告を発し続けていた。
「なにか壮絶な罠かもしれない! それも淫靡な!」
「せめて攻撃的な罠だとは考えないのか」
いずれにせよ、ここは単なる店と塀の隙間程度の空間であり、こんな場所に仕掛けられる罠というのはそう多くない。ヘイルがその数少ない罠への対抗策をいくつか考えていると――しかしローブの女は意外なほどにあっさりと、無防備に姿を現した。
アデルは「それがなおのこと怪しい!」と耳元で囁き警戒を続けるが、女の方はそれを見越し、またそのような事実がないことを証明するように、不意にローブを脱ぎ捨てた。
現れたのは若い女。ヘイルと同じ程度の年齢だろう。月明かりに映えるのは、陰湿な鈍色の魔術的なローブとは正反対に清涼とした、銀色の長髪だった。琥珀のような瞳がヘイルたちを真っ直ぐに見つめ、無抵抗を示して小さく両手をあげながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。
やがて目の前にまで辿り着いた時、彼女は深く頭を下げた。どこか儚げな声が静寂と同化しながら聞こえてくる。
「まずは昼間のこと……申し訳ありません」
それが偽勇者とアデルの言い争いのことだと気付くのには、少し時間を要した。詫びられるようなこともないので、ヘイルは気にするなとだけ言って手を振る。元より、応戦した自分たちにも非がある。
ちらりと隣を見やると、アデルは自分の警戒とは全く正反対に素直な彼女の様子に拍子抜けし、同時に死にたくなっていたようだ。赤面する顔を押さえ、うずくまっている。
それはさておくとして――ヘイルはそれよりも早速、本題に移った。どうして自分たちを呼び出したのか、と。まさかこの謝罪のためではあるまい。
「や、やっぱり篭絡とか……」
未だにその可能性を捨てていないアデルが呟くが、ローブの女は当然、首を横に振った。
そして、囁くような弱々しい声を返してくる。
「あなた方に……どうか、彼を止めてほしいのです」
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