約束の道

なつのあゆみ

第1話


 恵理菜が来てくれた。エリー、あたしの親友。あたしの名前は玲菜。レナ。  

 お互いにそう呼び合っていると、まるで海外ドラマのティーンエイジャーみたいで素敵だった。

 だからいつもドライブの時は、洋楽しか流さない。邦楽はファック、人数が多いだけのアイドルグループの音楽はゴミ箱の中へ。

 エリーは近頃、あたしの様子がおかしいって心配して、かけつけてくれた。

 さすが親友。昨晩、真夜中の三時にウツっぽいってツイートしたもんね。

 ちゃんと見てくれていた。


 近頃、どうもおかしくて。

 ラインは既読がついたまま、誰一人返ってこないのよ。既読すらつかないメッセージもたくさん。先週、キス以上のことをした男も。例のクラブのあいつだけ、あたしに情報を送ってくる。

 暗号めいた文はたまに読むのに時間がかかる、頭が冴えてないときがあって。


 エリー、せっかく来てくれたのに、ごめんね。部屋はひどいありさま、まるで地獄だよね、せめて一番いいクッションを使って。

 そのベビーピンクにウサギさんのプリント、素敵でしょ。エリーはクールだからカワイすぎるものは似合わないけど。


 今日のそのレザージャケット、すごく似合ってるし、ピンクのエクステって最高だよ。

 本当だよ、あたし、お世辞を言えないほど、バカだもん。

 でも、どうして急に来てくれたの。ラインは無視してたのに。


 あ、煙草、いる?

 いらないの? まさか禁煙、エリーに限って。


 あ、うん。調子はあんまり良くないかな。春ってなんだか体が重たくなる。コートを脱いでワンピース一枚だけでもね。

 どうしてだろう。すごく眠いし、ぼんやりする。

 さっはきから、あたしばかりしゃべってる。


 エリー、最近はどうしてた?

 あの男とはもう寝たの? 


 そう、なんにもない? 珍しい。エリーってあたしにいつも話題を持ってきてくれたのに。



 あたしはしばらく黙って、煙草を吸う。煙ごしに見てもエリーは素敵だ。きりっとした目にさらさらのロングストレート、腰がきゅっと締まってDカップ。

 逆ナンして断った男は今までいなかった。飢えた狼みたいにやたらとクラブで男に声をかけるのは、海外ドラマの影響だった。過ぎた遊びに痛い目を見て、やめた。

 アソコにお薬を塗るのは、もうコリゴリ。



 レナは避妊手術をしたことがある。それを知っているのはグループ内であたしだけ。あたしは誰にも言ってない。友達のヒナコが二股かけてるのを知った時は吹聴してやったけれど。

彼女が嫌いだったから。そういえば大学を辞めて、もう何年になるだろう。煙草を吸ってるのに頭の回転が良くならない。



「肌が荒れてる」

 レナが言った。

「あたしがあげたオーガニックの化粧水は?」


 使ってるよ、とあたしは言った。ちゃんと使い続けている。だけど化粧を落とさずに寝たダメージは回復できない。だって昨日の客、多かったもん。ベッドの上で、わざとらしいあえぎ声を上げなきゃいけない、喉は渇くしとても疲れる。ベッドで横になっているのに、寝ることは許されない。家賃、美容費、飲み代、それから借金を払うため。そして、アレを買うために、あたしは毎日のように臭いソーセージを舐める。

 エリーにこの事を話していない。

 デザイナーを目指して頑張ってる、キレイなエリーに聞かれたくない。



 あたしは、ばっちい。

 昨晩、シャワーを浴びたっけ?



「おそろいで買ったサマンサタバサの財布、まだ使ってるね」

 エリーが言った。なんだか今日の彼女はクールじゃない。うっすらぼやけてるのは気のせいかな。


 クスリのせいかな?

 ファック、あたしってばもう、親友の顔もよく見えないのかな。

 あたしは煙草を慌ててもみ消し、じっとエリーを見つめた。


「バイト代で買ったあの財布、ボロイしサマンサって年でもないし、買い換えたら?」


 何言ってるの、エリー。あんたこそ、会うたびに口癖のようにミュウミュウの財布欲しいって言いながら、ぼろくてダサくなったあの財布、使ってるくせに。

 オシャレなあんたに不釣合い、あたしに合わせてるなっていつも、カフェの会計の時に思ってたよ。

 

 でも、言えなかった。だって一緒に買って、同時に箱から出してスクールバッグに入れたもん。

 デブの店長が仕切ってたファーストフード店で稼いだバイト代を引き下ろして、制服のままショップにかけ込んだ。


 高校時代の三年間、あたしとエリーはコンビを組んでた。彼氏をコロコロと変えて、結局、いつも一緒に行動してた。



 何言ってるの、エリー。あたしはもう一度、言った。

 エリーは立ち上がった。



「あたしのこと、忘れて。あたし、あんたの前に出てきたくなかった。でも、このまま見ていられないよ」


 エリーが泣き出した。


 なに、なんなの?


 あたしは少し怒って、問い返した。


「あんたは確かに、運転をミスってあたしを殺した」


 何言ってるの、エリー。

 死んだのにどうしてここにいるの、エリー。


 しまった禁断症状か? たまに客の細いソーセージが本当のソーセージに見える時がある。罵倒で目覚めるひどい朝がある。

 だけど、エリーの前でクスリ、使いたくない。

 

 あたしは無言でエリーを睨んだ。


「そして、衝突したミニバンを運転してた主婦も殺した。彼女には十四歳の息子がいて……あたしのママはあんたを罵って、主婦の旦那には目の前で号泣された。あんたの人生、いきなり狂ったね」


 エリーが近付いてくる。

 

 これは幻覚だ、幻聴だ。

 あたしは頭を抱える。エリーが隣にいる。香水の匂い、甘ったるくない少しスパイシーな香り。幻覚って匂いつきなの?

 エリーがあたしの震える手を握った。


「目を閉じて」


 エリーの一言で、あたしは催眠にかけられたみたいに目を閉じてしまった。

 そして思い出した。

 あの夜、終電を逃がしたエリーからヘルプの電話がかかってきて、あたしは家を出た。親友のヘルプを断るのはバカのすることだから。


 涙が流れてくる。


 ヒナコの悪口で盛り上がっているとき、あたしは注意を怠った。


 対向車に衝突した。


 エリーは死んだ、あたしは死にかけたけど生きてた。めちゃくちゃに割れた対向車の緑色のかわいい車は真っ赤だった。焼きついている、モウロウとする意識の中で見たあたしが起こした事故の悲惨な血の海。あたしはそこで溺れ死ねばよかったのに。



 どうして、あたしは生きてるの?


 目を開けて、あたしはエリーに聞いた。


「それは、あたしが願ったからよ、レナ、死なないで。レナ、かわいいレナ、死ぬんじゃないって」


 エリーがあたしの涙に触れる。


「あたしみたいに素敵な野望が欲しいって、あんたいつも言ってたね。けれどレナ、あたしはあんたになりたかった。誰とでも打ち解けられるあんたにはいろんな可能性があって。

あたしなんて実は、カッコつけるのに必死なんだよ。このピンクのエクステ、たまにすごくかゆいんだ」


 エリーが少し笑った。



 ねえ、エリー、今あなたは幽霊?



 あたしは尋ねる。


「そうよ。幻覚じゃない」


 エリーがあたしの肩をつかんだ。幽霊なのに力がある。確かに幻覚じゃない。あたしは泣いた。


「大変だったよね。賠償金の借金で、あんたの親は妹ばかり可愛がって、あんたを見捨てて。それで大学もやめちゃって、あれだけバカにしてたビッチに成り下がった、売春婦に。セックスはしたいけど、ちゃんと相手は選ぶって約束したのに、今はお金で誰とでも寝てる。そしてその痛みを忘れるため、あんたは薬中になった。体は売らない、クスリはしない。

あたしとの約束、全部破って……あんたバカだよ、ほんとバカだよ……でもそれ全部、あたしのせい! あたしが迎えに来いってあんたを足に使ったから!」


 エリーが泣きながら、あたしを抱きしめた。

 あたしもエリーを抱きしめた。ぜんぜん、柔らかくない。ハグしたらエリーのDカップ、柔らかくあたしの小さな胸を押し潰しそうだったのに。


 違う! 

 あたしは叫んだ。

 エリーのせいじゃない、あたしがバカだった。


「わかった、分かったなら、あたしが消えたらすぐに自首しなさい。罪をつぐなったら、クスリを止めるために病院へ行って。わかった? これ以上、ルール違反しないで。お願い、親友。あたしとの約束を守って」


 エリーはあたしを最後にぎゅっと抱きしめ、消えた。あのおっぱいの弾力を確かに感じた。


 あたしは下着いれの底からパックに入った白い粉を出して、グーグルマップで近くの交番を検索した。

 スウェット姿にぐしゃぐしゃの髪で、ピンクのクロックスを履いて、あたしは歩き出した。

 真昼の太陽が眩しい。


 親友との約束の道を、あたしは歩き出した。




                     

             end

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

約束の道 なつのあゆみ @natunoayumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ