机上の空、論。(3)

【一〇六六年 風の月 二十三日】


 フーへ私信。

 候補としてヌシへ例の件を打診した。

 現在ヌシの回答待ちなんで、もしヌシが来たら応対よろしく。

 また、第一の〆切は風の月いっぱいだから、形だけでも間に合わせておいて欲しい。

 よろしく頼む。

 ――ノーグ・カーティス


 ……演劇仮面も巻き込むのか。応対については了解。

 まあ、奴なら暇だからあれを任せるには適任だとは思う。俺らが卒業した後も何だかんだで残ってそうだしな。

 ただ、気になるのは、奴が航空部員じゃないという一点だな。

 ――セイル・フレイザー


 確かに、ヌシはうちの部員じゃないけれど、航空部がこうやってきちんとした形になったのは、少なからずヌシのおかげだと思っている。

 だから、俺の中ではヌシはれっきとした航空部の仲間なんだけど、フーは異論あるだろうか。

 もし、人選に問題があるとか、他にいい候補があるとかいう話があれば、遠慮なく言ってもらえると助かる。

 ――ノーグ・カーティス


(リベル上級学校航空部日誌 一冊目より抜粋)


 


 

 ――第二の地図 「悪魔は笑う、聖女も笑う。幸せの色を夢見て笑う」


 

「遅いぞ、ブルー!」

 ひよひよ、という声が部長の声を追いかける。

 自分が広場に着いたころには、部長はとっくのとうに調査を開始していた。

 リベルの中央広場は、東西南北の大通りが交わった場所にあり……ライブラ国の都市に特有の設計で、首都ワイズもほぼ同じ構造だ……広場を通りぬける人や並べられた椅子で足を休める人、彼らを相手に商売する商売人で賑わっている。

 特徴的なのは、広場のあちこちにおどろおどろしい姿の黒い石像が置かれていることだ。これはこの町が魔王イリヤに支配されていた頃の名残で、魔王とその仲間である悪魔の姿を彫ったものであるという。

 歴史学のヒーガル先生によれば、こうやって石像をあちこちに建造することで、魔王イリヤは己の権力を誇示すると同時に、人々に対して「いつでも悪魔はお前たちを見ている」ということを示したのだと言われている……が、部長は「どうだかなあ」と首を傾げたものだった。

「俺は、魔王イリヤがそんな悪趣味な奴だとは思えないんだけどな」

 かつて、そんなことを真正面からヒーガル先生に言って、こっぴどく怒られていたのを見たことがある。その後、何故そんなことを言ったのか、と問うてみれば、部長はあっけらかんと笑って言った。

「歴史なんて、誰がどう歪めちまってるかわかったもんじゃないってのに、なあ、ブルー?」

 その問いには、頷くことも首を横に振ることも出来なかったことを思い出す。

 それは……一歩間違えれば、異端研究者と何も変わらない。

 異端。それは楽園が女神ユーリスによって創られたという事実を疑い、また女神と神殿によって紡がれてきた歴史を疑うことに他ならない。

 疑ってはいけないのだ。ただ平穏に、毎日を生きるだけならば。少しだけ引っかかることがあっても、素直に女神の言葉を信じ、神殿が語る今までの歴史を飲み込んでおけば、それでいい。それだけでいいのだ。

 けれど、その「平穏な毎日」に背を向けて、喉に引っかかった小骨を取り出そうと……誰もが語ろうとしない、女神の創世の秘密や歴史の謎に挑もうとするのが異端研究者という人種だ。

 その中でも極端な思想を持った奴は、同じ志を持つ者を集めて結社を作り、『真実を隠す』女神ユーリスと神殿に真っ向から反逆を試みたりもする。その筆頭が今もなお楽園に影を落とす異端結社『エメス』と、その長であるノーグ・カーティス。

 神殿と『エメス』の争いは未だ止まない。数百年前のように楽園全土を巻き込んだ戦争にはなっていないまでも、今も、どこかで、誰かが争って傷ついて、時には死んでいるのだと聞く。あくまでラヂオ越しの、さっぱり現実感のない世界のお話ではあるけれど。

 ……全ての実感が無いままに、自分だけ平穏に生きていることに何の意味があるのかと、自問したくはなるけれど。

「ブルー、どしたん? 具合でも悪い?」

「あ……いえ、すみません、ぼーっとしてました」

「無理はすんなよ、今日は暑いしな。何だったら寮に戻っててもいいぜ?」

「いいえ、大丈夫です。大丈夫ですから」

 口の中で呟くように言って、ずれかけていた眼鏡を押し上げる。

 色々と頭の中に渦巻く思いはあるけれど、それでも今はただ、今目の前にあるものを片付けるのが先だ。

「ええと、『悪魔は笑う、聖女も笑う』でしたっけ」

「『悪魔は笑う、聖女も笑う。幸せの色を夢見て笑う』だな。聖女っていうと、多分あれだよな」

 部長は視線を広場の中心に向ける。そこには、悪魔の彫像とはまた違った、白い石で作られた綺麗な女性の像がある。聖ライラ祭の舞台の上で見たそれと似た、甲冑をまとい空に向かって槍を掲げた女性……聖ライラ。

 そっと、像の載せられた石の台座に触れてみる。数百年の時を経ているらしい像と台座は、定期的に施されているという魔法によってその形を維持しているものの、ところどころが擦れたり煤けたりしている。

「これ以外に聖女に当たるものはありませんからね。しかし、これが何を示しているのかは……?」

 台座を触っていると、つるりとした感触とはまた違う感覚に気づく。ちょうど像の影となってよく見えない場所に、何かが掘り込まれている、ようだった。よくよくそこを見てみると、それが深く掘り込まれた文字であることがわかった。

 ……い、いいのかなあ、これ。

 この像、一応神殿にも認められている、価値のあるものだと聞いているのだけれども。その像を……台座だけとはいえ……傷つけたとバレたら相当問題なんじゃなかろうか。

 部長もこちらの顔が露骨に引きつっていることに気づいたのだろう、「どしたん」と手元を覗き込んで、対照的に満面の笑顔になった。部長にとっては、像の価値やら何やらよりも、航空部のお宝の方が絶対に大切なのだろうなあ……

「けど、これ一文字だけじゃ何もわからねえな」

「もしかして、他の悪魔の像にも、同じものが書いてあるんじゃないですか? 『悪魔は笑う、聖女も笑う』ですから」

「それだ!」

 それからは、二人で手分けして広場に点在する悪魔の像を見て回ってみた。文字が彫ってある、とわかればその後は同じことだ。それぞれの像の位置と文字の対応をメモして、部長とメモを照らし合わせる。

 けれど。

「……何だろ、これ。全然わかんねえな」

 導き出された文字をどう組み合わせても、言葉にならない。変わった文字も入っているから、作れる単語は限られてくると思うのだけれども……頭を捻っていると、不意に、服の裾を掴まれた。

「わっ」

 驚いてそちらを見ると、足元で小さな男の子がにこにこしていた。見覚えのある子だな、と思っていると。

「あれ、ブルー。部室にいるんじゃなかったの? ……ほら、ブルーが迷惑してるから離したげなさい」

 買い物帰りなのだろう、荷物でいっぱいの紙袋を抱えたエルルシア先生が、もう片方の手で男の子の手を取った。男の子はしぶしぶながらもこちらの服から小さな手を離してくれた。

 そうか……見覚えがあると思ったら先生の息子さんか。

 エルルシア先生って、人間なのに生徒みたいな顔をしているから、子供がいるっていうのをつい忘れてしまいがちだ。エルフであったり、人間からは年齢の掴みづらい獣人であったりするなら多少は納得するのだけれども。種族問わず、女の人って本当に年齢不詳だよな……

 部長は「元気だったかー?」とにこやかに男の子の頭を撫でている。部長の方が顧問との付き合いも長いだけに息子さんともしょっちゅう顔を合わせているのだろう、二人して楽しそうに何かを話し始めた。……部長の思考の仕組みを考えるに、あのくらいの子供と一番話が合うのかもしれないと思うのだが、それは言い過ぎだろうか。

 エルルシア先生はそんな二人を微笑ましそうに見つめながら言う。

「それで、今日は何につき合わされてるの? どうせ空部に引きずりまわされてるんでしょ」

「わかりますか」

「そりゃあねえ。好き好んでこんな暑いさ中に出歩いたりはしないでしょう。特にブルーは」

 何だかんだで、エルルシア先生はよくわかっている。

 そう……夏は、苦手なのだ。

 別に暑いのが苦手というわけではなくて、ただ、何となく外に出る気が失せてしまう。こうやって部長に誘われなければ、きっと部室か寮で延々と本を読みながら、新学期を待っていたことだろう。

 いつの間にか額から落ちてきていた汗を拭いて、何だかやけに盛り上がっている部長を横目に経緯を話しておくことにする。

「実は、部長が初代部長と部員たちの隠した『宝の地図』とやらを見つけまして。それが本当に『宝』かどうかはさておき、何が隠してあるのかは気になったので、部長に付き合って宝探しですよ」

 子供騙しに付き合わされてる気分ですけど、と付け加えて肩を竦める。ただ、子供騙しでも何であろうとも、ここで見なかったことにして退くのは後味が悪いし、何より負けを認めるようで悔しいではないか。

 そう、言葉に出して言うと「ブルーってそういう性格だったっけ」と部長にすごい目で見られると思うから、絶対に言わないけれど。

 まあ、エルルシア先生なら、また馬鹿なことをやって、と笑い飛ばしてくれるだけだろう。そう思いながら先生を見て……息を飲んだ。

「初代部長……そうね、アイツはそういう子供っぽい遊び、好きだったもんね」

 そう言った先生は、何かを思い出すような、遠いところを見るような目で空を見上げていたから。

 そこで、今までさっぱりこっちに意識を向けていなかったはずの部長が口を挟んだ。

「モニカせんせってもしかして、初代部長と同級生だったりします? 確か年は同じくらいじゃなかったでしたっけ」

「――え?」

「こら空部。レディの年齢をおおっぴらにするような真似は慎むように」

 エルルシア先生に睨まれて、部長はぺろりと舌を出して……それから少しだけ改まった様子で口を開く。

「でも、モニカせんせがうちの卒業生だってのは有名だし。初代のこと、知ってるにしろ知らないにしろ、いつか、きちんと話を聞きたいなって思ってたんだ」

 先生はそんな部長からほんの少しだけ視線を逸らした。それでも部長は真っ直ぐに先生を見上げ続けていて……やがて、先生の方が折れて口を開いた。

「空部の言うとおり、初代部長とは同期に当たるよ。ただ、私は当時航空部だったわけじゃないから、航空部としてのアイツのことはほとんど知らないの。それに、卒業してからのこともね」

「……そう、なんですか」

「私が知ってるのは、アイツが相当の変わり者で、本当に空を愛した『空狂い』だってことくらい。ごめんね、あんまりお役に立てないけど」

 心底申し訳なさそうな顔をするエルルシア先生を見ていると、とんでもないです、と手を振らずにはいられなかった。部長も「そっか」と言ったきり何も言わなかった。

 すると、先生の息子さんが、部長の手のリボンをつんつんと引っ張って言った。

「空部、おかーさんをいじめるなよ」

「はは、悪い悪い。いじめてるつもりはなかったんだけどさ。それじゃせんせ、俺らはこの辺で」

 エルルシア先生は部長にそう言われて初めて我に返ったのか、はっとして目をぱちぱちさせた。

「あ、うん。それじゃ、無茶するんじゃないよ、二人とも」

「はい」

「わかってるって」

 自分と部長がいつも通りの返事をしたことで、やっと先生もいつも通りの先生に戻ったのかもしれない。普段と何も変わらぬ軽い別れの言葉と共に、手を振る息子さんと広場の人ごみの中に消えていく。

 それを見送りながら……部長に問う。

「どうして……エルルシア先生にあの人のことを聞いたんです? 同級生じゃないかという推測までしていて、今まで聞いたことなかったことの方が不思議でしたが」

「んー、確信が持てなかったからさ。でも、こいつにはモニカせんせの名前もたまに出てくるんだよ。だから、つい聞いてみたくなっちまっただけ」

 こいつ、というのは鞄の中の日誌のことだ。

「だって、ブルーだって気になるだろ?」

「気にならない……わけじゃ、ないですけど」

 だけど。

 別に、あえて知りたいとは思わない――知る必要なんて、どこにもないじゃないか。

 それよりも、部長が初代の話を出した瞬間、エルルシア先生が見せた遠い視線が、頭の中に焼きついてしまっていて。

 それは、エルルシア先生にとってどのような記憶なのだろう。考えることは出来るけれど、きっと、自分には聞くことは出来ない。もう一度同じ顔をする先生を見たくはなかったから。

 先生と息子さんの姿がすっかり人ごみに紛れて見えなくなってしまってから、部長は気を取り直すように二枚目の地図を広げる。

「何か、見落としてることってあるかな……」

 一緒になって、地図を見直してみるけれど……この広場を指していて、書かれているのは『悪魔は笑う、聖女も笑う』……それから。

 それから?

「……わかりました。部長、メモ貸してください」

「お、おう」

 自分のメモと部長のメモを確認して、広場を見渡す。

 色々な形の悪魔の像。それらは何一つ同じ顔はしていないし、何も考えずに見ていては、永遠に共通点らしきものは見当たらなかっただろう。だが……地図の条件に合致するものは限られている。

「『幸せの色を夢見て』、で絞るのです。多分、こうなるのではないでしょうか」

 印をつけていくと、部長もすぐにこちらの意図に気づいたのか、ぽんと手を打った。

「なるほど、幸せの色は空の色、ってやつか」

 『幸せの色』というのは、それだけで『空の青』を表す。つまり、青空を夢見る像、空を見上げる姿勢になっているものに書かれた文字が「当たり」だ。導かれた文字を繋ぎ合わてみると――

「イリヤ、の、羽……」

「イリヤ像の羽を見ろ……ってことかな」

 部長は聖ライラの像の横に聳え立つ魔王イリヤの像を見上げる。魔王、とはいうけれど、姿は他の悪魔の像と違い限りなく人に近い。

 そもそもイリヤは楽園の人間で、異界の存在である悪魔を従えたからこそ『魔王』と言われたのだという。ただ、像を見ると、人には明らかにありえない、蝶々のような翼が生えている。純白の石で作られた聖女ライラや、漆黒の石を切り出して作られた悪魔たちと違い、黒と白のまだら模様を描く石で形作られた魔王の姿は……不謹慎かもしれないけれど、素直に「綺麗だ」と思う。

 ただ、この羽を見ろ、といわれても。

 魔王の像は、自分を二人縦に並べたくらいの高さがある。もっとかもしれない。

 さすがの自分でも、そこまで手が届くとは思えな……

「部長おぉぉぉぉ!」

 ちょっと待っていきなり登り始めるとか非常識にもほどがあると思いませんか部長。ものすごく人が見ていますけど。あああ目が痛い目が痛いすみません無関係ですこっちは無関係なんで同じような目で見ないでください。

 シェルを頭に乗せたまま、リスのようなちょこまかした動きで像の腕をよじ登った部長は、一対の羽の間から何か手の平大の箱のようなものを取り出して、大きく空に掲げた。

「ブルー! あったぞー!」

 シェルも一緒になって勝利のさえずりを上げる。

 もちろん、それに驚いて、今まで部長に気づいていなかった人まで部長に視線を向けるわけで。その視線の中には当然自分も含まれてしまうわけで。

「大声出さないでください、頼みますから他人のふりさせてください!」

 まあ……自分が部長の関係者だなんて、町の人ならみんな知ってるんだから、今更他人のふりしたところで効果はたかがしれてるのだけれど。

「はは、またやってるなあ、空部は」

 愉快そうなしゃがれ声が聞こえて、反射的にそちらを向く。いつの間にやら、横にはいつも像を掃除しているおじいさんが、バケツとモップを手に立っていた。流石にこれはまずい、と思って慌てて頭を下げる。

「な、何かすみません、いつも部長がご迷惑かけて」

「なあに、子供はあのくらい元気な方がいいもんさ」

 子供といっても、神殿の定めごと上では部長も自分も成人しているのだけれども……成人が十六歳、という基準がそもそも時代遅れな気はしなくもない。特に部長を見ていると。

 おじいさんは何かを懐かしむように、魔王像を滑るように降りてくる部長を見やる。

「色んな子供を見てきたが……空部を見ていると、昔のあやつを思い出すもんだよ。あやつもよく像にいたずらをしては、こっぴどく叱られていたもんだ」

「……どなたのこと、ですか?」

 問うてみると、おじいさんはにっといい笑顔を浮かべて、皺だらけの口を開く。

「お前さんもよく知っている奴だよ、ブルー」

 ――そう。いつも、あの人を知っている人はそう言うけれど、


 そんな彼を、自分は知らない。

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