机上の空、論。(2)

【一〇六六年 風の月 二十二日】


 遅かったな、ノーグ。遅すぎたと言ってもいい。

 貴様のせいで慣れない仕事をさせられたんだ、今度はこの苦しみを貴様が味わう番だ。待ち受けるありとあらゆる仕事を押し付けてやるから覚悟しておけ。

 追伸になるが、演劇仮面が貴様を探していた。後で連絡を取っておくように。

 ――セイル・フレイザー


 本当に、今回はフーには迷惑をかけ通しだったと思う。ごめん。

 これからは、卒業まで残りの時間がそんなにあるわけでもないけれど、今の俺にできることなら何でもしたいと思っている。何か要望があればすぐに言ってくれ、こっちで対応するから。

 ヌシの件は了解。こちらからも話したいことがあったから、後で連絡つけとく。あいつ、まだ卒業はしてないよな?

 ――ノーグ・カーティス


 あれがそう簡単に卒業すると思ったか?

 それと……ああは書いたが、無理はしなくていい。

 貴様は俺たちが何も言わなければ勝手に無理をして、今回みたいなことになるんだ。別に俺はそれでも一向に構わないが、貴様が無理をすればそれだけ迷惑する奴が出てくるんだ、それをそろそろ自覚した方がいい。

 ……何よりも、無理をしてる貴様は見ていて鬱陶しいんだ。

 とにかく、謝ってる暇があれば仕事しろ。適度にな。

 ――セイル・フレイザー


(リベル上級学校航空部日誌 一冊目より抜粋)


 


 

 ――第一の地図 「丘の上から眺める空は、はるかに高く、はるかに遠い」


 

 翌日、宝の地図に従って、向かった先は町外れの丘の上。

 冬、聖ライラ祭の前夜に飛空実験に失敗した、何とも苦い思い出のある場所だ。

 しかし、部長はそんな思い出なんてとっくのとうにゴミ箱に捨ててしまったのだろう、丘の隅に置かれている古びた長椅子に手を置いた部長は、何を思い出したのかくすくすと笑いながら言った。

「夏の終わりに、いつもここで友達と会うんだ」

 友達。部長の言うことはいつも要領を得ないけれど、一番謎に包まれているのがこの「友達」だ。話には出てくるけれど、どんな人物なのか部長が詳しく語ることはなくて、未だにそれが男か女かすらわからない。

 ただ、今の言葉で、一つだけはっきりしたことがある。

「会う……って、この町の人じゃないんですか?」

「旅人だから、今はどこにいるやら。話を聞く限り色々危ないこともしてるみたいで、ちょっとだけ不安なんだけどな」

 頭の上でシェルを遊ばせている部長は肩を竦めて言う。友達というから、同年代の自分の知らない学生だとばかり思っていたけれど、部長の言葉から考えるにずっと年上の友達なのかもしれない。

「部長の友達って、本当に何者なんですか……」

「んー、実はよく知らねえ」

「知らないって、それ本当に友達なんですか?」

「友達、秘密主義でさ。でも、ここの学生だったんじゃねえかな、とは思ってるよ。初代部長の宝のことも知ってたんだ、その頃の学生だったのかもな」

 本人に聞いたわけじゃねえから、想像することしかできねえけど。

 部長は何かを懐かしむような顔になって、空を見上げる。一緒になって見上げる空は、何処までも青い。南の空に聳える世界樹もいつもよりずっと青々として見える。

「それで……宝の場所、本当にここなんですか?」

「印はここだし、書いてある内容もここみたいなんだけど……っと?」

 部長は何かに気づいたのか、しゃがみこんで椅子の下を見て、迷わず手を突っ込んだ。ごそごそと椅子の脚の辺りを探っているようだが……

「何かあったんですか?」

「ん、ほら」

 土やら何やらですっかり汚れてしまった部長の手には、丁寧にも水避けの油紙で包まれた何かが握られていた。この厚さからすると、中身は紙か何かだと思うのだけれども。

「これが……宝、ですか?」

 あまりにあっさり見つかってしまったので、拍子抜けした気分だ。部長も「こんなに簡単に見つかっていいものなのかな」と不安そうだ。

「とりあえず、中身を確かめるか。話はそれからだ」

「そうですね……もしかしたら全く関係のない誰かが残した、関係のない手紙かもしれません」

 関係のない、誰か……と部長は呟いてから、不意にこちらを見て言った。

「まさか、恋文とか?」

「どうしてそうなるんですか。そうだとしたら切なすぎますよ」

 この包みの汚れ方を見る限り、最低でも数年はここに置かれたまま誰にも見つけられていないということだ。愛する人に探してもらおうとでもいうのなら、失敗もいいところだ。伝えたい伝言の一つも伝わらないまま、雨風にさらされた手紙……考えるだけで悲しくなってくる。

 ……ある意味、このノーグ・カーティスとその仲間たちの仕掛けた「宝探し」も、誰とも知らない後輩に対する愛の伝言、ではあるのだろうけれど。

 そんな不毛な想像を繰り広げている間に、部長はさっさと油紙を取り除き、封筒の封を開けていた。

 そこに入っていたのは……

「地図だ」

 航空部室で見つけたものとほとんど変わらない、町の地図。しかし、印は丘ではなく町の中心にある広場につけられていて、その横に書き記されている言葉も先ほどとは全く違う。

「……そういうこと、ですか」

「だな」

 あえて言葉に出さなくても、わかる。

 自分たちは、試されているのだ。

 果たして、初代部長たちの出す問題を一つずつ解いて、彼らが残した「宝」にたどり着けるのか。

 記憶の向こうで誰かが笑う。心をざわつかせる声が、響く。

「俄然燃えてきたぜ! よし、ブルー! さっさと町に戻るぞ!」

 言い終わらないうちに、部長は地図を片手に駆け出していた。頭の上のシェルがはた迷惑そうな声を上げたのは、気のせいだったのか、否か。

 部長からかなり遅れて、歩き出す。行くべき場所はわかっているのだ、全力で駆けていく部長にあえて追いつかなくてもいいだろう。ただでさえ暑いのに、あんな全力疾走して辛くないのだろうか、部長は……

 思いながら、去り際に丘の上の長椅子を見る。

 ここで、かつての航空部員たちは自分たちの船を飛ばしたのだろうか。町を見渡せる丘の上から、遥か遠くの南の海に向けて。まさに今の自分たちが挑んでいるように。

 自分はその頃の彼らを知らない。知るはずもない、自分はそこにはいなくて、知る機会も理由もなかったから。

 けれど、どうしてだろう。空を見上げるいくつもの影を、幻視する。その影の中で一際目立つ、のっぽの影が空を見上げていて……思わず、一緒になって空を見上げてしまう。

 頭上の空はどこまでも青くて、吸い込まれそうなほどの……夏の青空。一番好きで嫌いな色がいっぱいに広がっていて、息が苦しくなってくる。

『俺は、飛べないから』

 掠れた声で呟いた、誰かの言葉が頭に響く。

 その声を振り切るように、部長を追って駆け出した。

 もう、幻は見えなかった。

 あの人の影は、見えなかった。

 ただ、視界の端に何か黒い影が映ったような、気がした。

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