夏 - 机上の空、論。

机上の空、論。(1)

【一〇六六年 風の月 二十日】


 正式な情報来たよ!

 ノーグ先輩と同室のコラルさんからの情報だからほぼ間違いないと思う。

 明日には、部室に顔を出すかもしれないってさ!

 ――パスカル・ダルセー


 

【一〇六六年 風の月 二十一日】


 ただいま。パスカルの情報の速さに驚いた。

 皆、心配かけてすまなかった。それに、フーは部長代理ご苦労だった。

 色々あったが、交渉の結果、春期の単位は貰えることになった。フー……残念だが俺より先に卒業する、というお前の目論見は崩れ去ったぞ。

 とにかく、来年の芽の月には卒業が決定している。それまでに、出来る限りやれることはやっておきたいと思う。

 それで、フーにはさっき軽く話したが、俺とフー、来期で卒業予定の二人で何か作ってみようと考えている。今更熱の月の大会には間に合わないと思うが、それでも、卒業までに何か一つ、ちょっとしたものを残せたらよいと思っている。

 纏まらないけれど、今日はこの辺で。

 ――ノーグ・カーティス


(リベル上級学校航空部日誌 一冊目より抜粋)


 


 

 ――一〇八〇年、風の月


 

『……二十三日のニュースをお伝えします』

 窓を開け放ち、扉も開け放った航空部室は、それでも人体に明らかな悪影響を及ぼしそうな熱を溜め込んでいた。立地のせいか、それとも今日の風向きのせいか、不快な湿度を見事に保っている。

 肩の上のシェルも、相変わらず敵愾心こそむき出しだが、髪を引っ張る勢いは弱い。

 そんな中、部長がゴミ捨て場から拾ってきて修理した魔石ラヂオが、机の上で雑音交じりのニュースを淡々と流していた。

『異端結社「エメス」を名乗る集団が、旧レクス北部……の神殿を襲撃し、騎士との交戦の上で捕縛されました。……と思われる男は「我らの導き手、ノーグ・カーティスを取り戻すための戦いだ」と……』

 不意に、机の向こうからにょっ、と伸びたリボンを巻いた手が、ラヂオを探してちょこちょこと動く。やっと手に触れたラヂオのつまみを適当に回すと、ニュースの声は途絶え、この空気には少々不釣合いな、落ち着いた音楽が流れ始めた。

 弦楽器と木管楽器、そして打弦奏盤によって奏でられる変拍子――記憶が正しければ、題は『幸福追求者』。弾き語りの歌姫アリア・レイヴァンスの遺作、だったはずだ。

 どうか君よ、幸せに。

 とんでもなく下手くそな節をつけて歌っていた誰かを思い出して、何ともいえない気分になった、その時だった。

「ブルー、ちょっといい?」

「あ、はい」

 部室の扉を開けて、顧問のエルルシア先生が顔を出した。何だろう、と思っていると、エルルシア先生はにっこりと笑ってこちらの手を握った。

「おめでとう、ブルー! 先週の昇位試験、合格だって。来期から緑位だよ」

「本当ですか? ありがとうございます」

 よかった、と胸を撫で下ろす。入学が人よりも数年遅れているだけに、半期に一度の昇位試験を利用して追いつこうと目論んでいるのだが、今回も何とか上手くいったみたいだ。早くここを卒業して、飛空艇技師の資格を取りたいのだ、こんなところで足踏みしている場合ではない。

 エルルシア先生は自分のことでもないのに嬉しそうに笑っていたが、不意に手を離し、頭を抱えて溜息をつく。

「それに引きかえ、空部は……」

「部長が何か?」

「ま、すぐにわかるわよ。そういえば、今回の休みはどうする? 家には帰らない?」

 家……級友やたまに部室に顔を出してくる他の部活の連中は皆、夏休みは実家に帰ると言っていた、けれど。

「いいえ、今年の夏はここに残るつもりです」

 なるべく、感情を表情に出さないように気をつけながら、首を横に振る。それでも、エルルシア先生がちょっと驚いたような顔をしたから、すぐにこう付け加えておく。

「部長が張り切ってるんですよ。今年の夏のうちに、人を飛ばせる滑空艇を作るんだって。だから、出来る限りはお手伝いしたいなと」

 決して、嘘はついていない。部長の望みは本当だし、自分がそれに協力すると言ったことも本当だ。それが、家に帰らない理由になっているかどうかは、また別の話だけれど。

 それでも、エルルシア先生は何とか納得してくれたようで、軽い溜息混じりに言う。

「……そんなに真面目に付き合わなくたっていいのよ? 飛ぶ、飛ぶって言いながら未だ飛んだ試しないんだから、空部は」

「失礼言うなよなー、モニカせんせ」

 部長が、頬を膨らませて部室の机の向こうから顔を出した。エルルシア先生からはちょうど見えていなかったのだろう、「何だ、空部もいたの」と目を丸くする。

 部長は「いたよー」と言いながら机の上に座り、定規片手に言う。

「別に無理やりつき合わせてるつもりはねえし、ブルーだってやりたいって言ってくれたんだから。な、ブルー」

「はい」

 色々と思うことがないわけではなかったけれど、それを言葉に出す意味もない、はずだ。今年の夏休みは、部長と一緒に何も考えずに船を作る。家には、手紙の一つでも出しておけばきっとわかってくれると思う……そう、思い込んでおく。

 エルルシア先生は「ふうん」と納得したようなしていないような顔をして、それから長いまつ毛に縁取られた大きな目で、部長を見やる。

「空部……そうは言うけどね、アンタの方が帰らないとまずいんじゃないの? この前、親戚から帰ってこいって手紙来てたんじゃなかったっけ?」

 その言葉に、部長は「ん?」と視線を虚空に彷徨わせる。別にごまかしているわけではなく、本当にエルルシア先生の言っていることがわからなかった、という顔だが……すぐに思い当たったのだろう、手をぽんと打ち鳴らした。

「ああ、あれかあ。そんなのいつものことだって」

 部長はあくまであっけらかんとしたものだ。そんなの、というけれど、あれはまともな手紙じゃなかった。封筒がはちきれるくらいに便箋を詰め込み、そこには豆よりも小さな字で「帰ってこい」という内容があらゆる言い回しで書き込まれていたのだ。

 その手紙にもぞっとしたけれど、呪いの手紙と見まごうそれを、一通り目を通しただけですぐに笑いながら手の中で燃やしてしまった部長に一番肝を冷やした。燃やしていいのか、という問いに、部長はやっぱり愉快そうに笑って「いいの、いいの」と言ったものだったけれど。

 ――部長と親戚は、一体どんな関係なのだろうか。気にはなるけれど、何とも怖くて実際に聞けたことはない。

 今も、部長はにやにやと笑いながらエルルシア先生に言う。

「いちいち付き合ってちゃきりがねえし、親父は体面なんか気にしないで好き勝手にやればいいって言ってくれてるからさ。今年の夏ももちろん好きにやるつもりだぜ?」

「別に今更空部の『好き勝手』をどうこう言う気もないけど、ブルーの寿命を縮めるような真似はやめてよね、こっちの心臓にも悪いから」

「ん、それは心しとく」

 本当に心しているんだかいないんだか、部長は軽く請け負う。

 まあ、確かに部長と一緒にいると寿命が縮みそうな思いをすることもあるが、どちらかというと毎回毎回、自分ではなく部長の寿命が順調に縮んでいるような気がしなくもない。主に入院回数的な意味で。

 エルルシア先生も「本当にわかってるんだか」と肩を落とすけれど、次の瞬間には少しだけ真面目な顔になって、部長とこちらを交互に見た。

「それと。夏休みの活動は自由だけど、一つだけ、顧問として言っておかなきゃならないことがあるの」

「何でしょう?」

 珍しく改まった雰囲気のエルルシア先生に押される形で背筋を伸ばしてしまう。部長も、机の上に座ったままではあったが、真面目な顔でエルルシア先生の言葉を待つ。

 エルルシア先生は小さく咳払いをしてから、神妙な表情で話し始めた。

「春のこと、覚えてるよね? 入学式の翌日に、ここが荒らされたこと」

「ああ。結局、何も盗まれてなかったアレだろ?」

 別に、忘れてはいなかったけれど……結局、盗まれたものも無ければあの後何もなかったから、部長もその話題はすぐにしなくなったし、自分としてもあえて思い出す理由がなかった。

 しかし、エルルシア先生は腕を組んで難しい顔になる。

「それが、この辺をうろついてたっていう黒服の男が、また目撃されるようになったみたいなの。だから、きちんと戸締りはすること。絶対に、一人で出歩かないこと。それに、何かあったらすぐに知らせて欲しいの。了解?」

 ……あの時に見た、黒尽くめの人影が。

 あれが犯人だったかどうかもわからないままだったけれど、確かにそれは気をつけるには越したことがない、はずだ。

 前回は戸締りしたところで窓を割られてしまったからさほど意味があるとは思えない、という本音は胸の中に閉まっておくとして、素直に頷いておく。

「はい、わかりました」

「りょーかーい」

 部長もひらひらとリボンを結んだ手を振った。エルルシア先生は「わかればよろし」といつ見ても小さな胸を張る。

「それじゃ、夏休みを精一杯楽しむこと! 何かあれば、先生は町にいるからすぐに呼んでね」

 その「何か」が起こらないことを祈りつつ……軽い足取りで去っていくエルルシア先生を見送って。その背中が見えなくなった頃には、ラヂオは別の曲を流し始めていた。今度の曲は、聞きなれないやけに陽気な曲だ。この爽やかな音色が嫌な湿気もろとも吹き飛ばしてくれるならいいのに、と思いながらソファに体を埋める。シェルが肩の上で跳ねて、ソファの上にころんと落ちた。

「で……設計図は出来たんですか?」

「ん、今度こそ平気なはず。確認頼んだ」

 部長は無造作に手元の紙を投げてよこした。設計図、と言ってもあくまで部長の頭の中の想像を描いただけの代物だ。自分の役目は、この荒唐無稽ともいえる想像図をきちんとした「設計」として書き起こすことなわけだが……

「部長、これは無理です。飛びません。十中八九、というか確実に墜ちます」

「ええ、そうかあ?」

 部長が描いたのは、蝙蝠のような翼を広げた、滑空艇だ。動力を持たず、ただ空気に乗せて浮かばせることを目的とした船。形だけ見れば、確かに空を飛ぶには相応しい形状に見える。

 しかし、滑空艇はそれ自体が飛ぶ力を持つわけではないだけに、人が背負うことが出来るほどに軽量で、かつ人の体重を支えることができ、その上で風を掴むだけの翼の面積を持つ……最低でもこれだけの条件が満たされなければならず、他にも考えなければならない要素はいくつもある。

 どれか一つを満たそうとすれば、どこかが抜け落ちる。

 まさしく、部長の描いてみせた図も、それだった。

「これじゃあ、まず強度が保てませんよ。この骨の材質、魔法で強化してもさほど耐久力が上がるわけじゃないんですよね?」

「そうなんだよなあ、それが引っかかるところだったんだけど。やっぱり駄目かあ」

 部長は「ちぇー」と天井を仰ぐ。ざっと見直して、何か代替物で強度を補ってこの形を保つことはできないかと考えてもみたけれど、悔しいことに部長の描いた以上のものを思い浮かべることができない。

 部長は極めていい加減な設計をするが、「空を飛ぶ」という観点での発想は悪くない……どころか必ずこちらの斜め上を行く。だからこそ、部長は第五代部長たりえたのだろうし、自分も未だに部長の横にいる。

 逆に言えば、この発想力を持ちながらとことんいい加減だったせいで、他の人はついてこられなかったのではないか、とも思うけれど。

 何とも複雑な気分で設計図を見ていると、ひょいと手が伸びて設計図を摘み上げた。あ、と言う間もなく、いつの間にやら机を下りて目の前まで来ていた部長の手の中で設計図がくちゃくちゃになって、あれよあれよと言う間にごみ箱へ直行。

 呆然と設計図の行方を見届けてから、眼鏡越しに部長を見上げて問う。

「……捨てていいんですか」

「捨てちゃ駄目だったか? 次、もっといいもの描けばいいだろ?」

 一つのことにさっぱりこだわらないのも、部長の部長たる所以だ。

 唯一部長がこだわっているのは……「空を飛ぶ」という目的そのもので。それ以外のことでは何一つ、この人は足を止めやしない。誰かと足を揃えることもなく、自分なりの歩幅で鼻歌交じりに歩き続ける。それが部長って奴だ。

 部長は窓の外に広がる真っ青な空を見上げて、深く溜息をつく。

「ノーグ・カーティス曰く『空は不自由で、不可解で、あまりにも残酷だ』」

「……何ですか、その恥ずかしい詩みたいなの」

「初代日誌に書いてあったの」

 ――そういえば、部室が何者かに荒らされたあの日、部長が勝手に持ち出していたのだったか。あの後、結局自分は一度も見ないままになっていたけれど、きっと部長は舐めるように読み込んだに違いない。

 案の定、部長は鞄から取り出した……常に持ち歩いてたのか……分厚い日誌を手に、夢見るような顔つきで空を見上げる。

「やっぱり、ノーグ・カーティスはすげえよな……俺と変わらない年で手製の滑空艇を飛ばしちまったり、あんな誰も思いつかないような船を考えちまったり。天才って絶対に頭のつくりが違うんだろうな」

「それでも、人としては最低だと思いますがね」

「人格と功績は無関係だろ。人が語る噂もな」

 まあ、それはそうなんだけども。

 部長の主張は終始一貫している。部長にとって、初代部長ノーグ・カーティスは憧れの人で、目指す場所であって……彼が異端研究者で、異端の集団を率いて楽園への反逆を謀ったという事実、そして今も彼がばら撒いた火種があちこちで燻っている、という認識はほとんど部長の中にないと言っていい。

 いや、当然事実として理解してはいるだろうけれど、「興味がない」のだ。

 部長の憧れる「ノーグ・カーティス」像は、どこまでもどこまでも、この部室で過ごした数年間のノーグ・カーティスなのだ。

 そんな風に単純に考えられてしまう部長が、羨ましくすらある。

 部長はしばしぱらぱらと古い日誌をめくって自分の世界に浸っていたが、ふと手を止めて顔を上げた。

「そういや、ブルー。ちょっと、これ見てくれよ」

 部長は日誌の最後の頁を示す。そこは、見覚えのある字と知らない字が入り混じり、何とも混沌とした様相となっていた。

 一目でわかったことといえば、それが芽の月……つまり卒業の時期に書かれたもので、卒業生であるノーグ・カーティスとセイル・フレイザーへ向けた航空部員たちの送る言葉、そしてそれに対する答えであるということだ。

「……これの、どこを見ればいいんですか」

「ここ、ここ」

 部長が指差したのは、紙面の隅に書かれた小さな文字。明らかなノーグ・カーティスの筆跡で書かれた文章。


 

 最後に、一つだけ。

 俺とフーで、このリベルの町に宝を隠した。

 宝と言っても大したものじゃない、きっと俺たちのような『空狂い』の阿呆にしか理解出来ない、『机上の空』。

 いつか、この部室のどこかにある地図を見つけて、俺たちの隠した宝を探そうとする阿呆が現れることを願っている。


 

「『机上の空』……と、地図?」

 そういえば……聖ライラ祭の時、部長がそんなことを言っていた気がする。机上の空に夢を見た、初代部長が残した宝が隠されている、なんて。

 人の心がわからぬ冷血、『機巧の賢者』なんて不名誉な二つ名で呼ばれるノーグ・カーティスがそんな遊び心のある人だとは思えないのだけれど……ここに書かれていることが嘘だとは、思えなかった。

 思えるはずもなかった。

 顔を上げると、部長はにやにや笑顔で、「じゃーん」と何かを鞄から取り出した。

 それは……町の絵といくつかの文字が描かれた、一枚の紙で。

「それ、もしかして」

「そう、宝の地図さ! 昨日、やっと見つけたんだよ!」

 部室を片付け直した後も、暇さえあればずっと何かをごそごそ弄っている思ったら……なるほど、日誌の文面を本気にして、地図を探し回っていたのか。

 ……宝の地図なんて言われても、部長のように無邪気に喜べるわけじゃないし、隠された宝とやらに何かしらの期待を抱いたわけでもない、けれど。

「なあ、ブルー!」

「言いたいことがわかった気がします」

 それでも、

「宝探し、始めようぜ!」

 その言葉には、頷きで返した。

 真っ直ぐな部長の笑顔を、自分のわがままで陰らせる理由も、なかったから。

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