大掃除狂騒曲(4)

「……部長?」

「違う! 流石に違うぞブルー! 何でもかんでも俺のせいにしないでくれ!」

「それが日ごろの行いってもんです……冗談ですが」

 部長は阿呆だが決して救いようのない馬鹿ではない。昨日やったことを今日も同じように繰り返すことはないはずで。

 故に――二人して、昨日以上の魔界と化した部室を、呆然と見つめることしか出来ない。

 机の上には本や書類が散乱し、今日にでも部長の目を盗んで焼却炉に突っ込んでこようと思っていた箱はことごとく崩されて中に入れたものが床の上にぶちまけられている。大事な模型は何とか無事なようだが、窓は無残にも叩き割られていて硝子があちこちに降り注いでいる。

 これは……

「泥棒、ですかね」

「かなあ……」

 部長がちらりと扉の方に視線を向ける。つられてそちらを見ると、隣の部室やそのもう一つ向こうの部室の部員たちが、野次馬根性丸出しで開いた扉から顔を突き出していた。部長は別にそれを咎めようともせず、よく通る、子供のような声で問う。

「なあ、そっちの部室って何もやられてねえの?」

「ないない。綺麗に航空部室だけ狙われたっぽいぞ。お前ら、何かやらかしたのか?」

 新聞部の部長が愉快そうに笑いながら問い返してくる。ああ、きっと次の新聞の見出しは『航空部室襲撃!』とかになるんだろうな。部長はぷうと頬を膨らませて「今回は何もしてねえよ?」と不機嫌そうな顔になる。

 今回は、って辺り、一応は自分の日ごろの行いを理解していると見える。理解しているなら少しは改善して欲しい。

 何やら好き勝手なことを口々に話している野次馬たちだったが、「そういえば」とその中の一人……部長も兼部している魔道研究部の副部長が言った。

「最近、部室の周りで、何か黒ずくめの変な男を見たって話を聞くけど……そいつだったりして」

 黒づくめの……変な、男?

「あ、その人、昨日見ました」

「マジで?」

 部長がはっとしてこちらを見る。今の今まですっかり忘れていたのが悔しい。昨日見て気になっていたのだから、すぐにでも結びつけるべきだった。

「黒い服で、部室の側を走っていくのを。ずっと狙ってたのかもしれません」

「とは言っても……こんな場所から盗むもんってあるのか?」

 めちゃくちゃになった部屋を半眼になって見つめる部長。自分で言ってちゃ世話はない、と思うけれど同感だ。飛空に関する資料の多さは自慢だけれども、所詮金もコネもない学生が集めたもので、専門機関には及ぶべくもない。こんな場所から盗んで得するものなんて、何一つ無いと思う。

 しかし、この状態では何がなくなったのかも判断できないから困る。そもそも、自分はまだ二年目になったばかりで、ここにどんな資料が眠っているのか全てを知っているわけではないのだ。

「何か、心当たりはあります?」

「ねえなあ。あるとすればあの船くらいだけど、綺麗に残ってるし」

 部長が視線を向けた先には、初代部長の模型。確かにあれは、他のところではお目にかかったこともない。作った人も作った人だから、希少価値は高いかもしれないが……これも残されているとなると、さっぱりわからない。

 単なる手の込んだ嫌がらせだろうか、という考えすら浮かんできた時、高い声が響いた。

「はいはい、野次馬は散った散った! 見世物じゃないんだからねー」

「あ、エルルシア先生……」

 野次馬たちを半ば押しのけるようにして現れたのは、顧問のエルルシア先生だ。おそらく、この騒ぎを聞きつけてやってきたのだろう。二つに結んだ茶色の髪を揺らし、大きな目を更に大きく見開いて、部室の惨状をまじまじと見つめた。

「うわあ……これは酷くやられたものね。空部、ブルー、アンタたちは大丈夫?」

「はい。来た時点でこの状態でしたので……」

「そう。衛兵の方に連絡回しておくから、ここはこのままにしておいてね。特に空部、勝手に弄るんじゃないよ」

「はーい」

 とても元気のいい返事をする部長。肯定のように聞こえなくもないが、これは言うことを聞く気がない、という明確な意思表示だ。長年航空部の顧問をやっているエルルシア先生も、部長の人を食った態度には慣れているのだろう、溜息混じりに言う。

「……まあ、期待はしてなかったけどね」

「部長はこっちで押さえときますんで、エルルシア先生は連絡の方をよろしくお願いします」

 今にも部室の中に足を踏み入れそうになる部長の肩をぐっと押さえる。部長は「痛い痛い痛い」と喚いているが、さほど力を入れていないのだから大げさに過ぎる。本気でやったら痛いでは済まないと思うけれど。

「よろしく頼むね、ブルー。それじゃ、行ってくるよ」

 小柄なエルルシア先生の背中が遠ざかって、見えなくなったのを確認して……刹那、手が急に熱くなって、反射的に部長の肩から手を離してしまった。その隙に、部長はするりと部室の中に足を踏み入れてしまう。よく見れば、いつ腰から抜いたのか、緑のリボンを結んだ右手に杖が握られていた。

「ごめんな、ブルー!」

「部長、魔法は反則です!」

 しかも、発声抜きの魔法なんて高位の専門家がやることだというに。手がいやにひりひりするけれど、火傷にはなっていない。この加減の絶妙さもまた腹立たしい。

 部長は床の上に散乱した資料を一つ一つ確かめているようだったが、こちらに向けた背中がぴたりと動きを止めた。

「……部長?」

 声をかけると、部長は振り向いてへらりと笑う。

「いや、何でもねえ。案外見たことねえ資料もあるなあと思ってさ」

「部長でも知らないものってあるんですね……」

 決して広い部屋ではないのに、一体どこにどうやってこれだけの資料を詰め込んでいたのか、今更ながらに不思議に思う。収納の魔法は神殿の一部に伝わっているのみでほぼ遺失となれば、歴代の部員たちの物理的な収納術が素晴らしかったのだろう。

 もしくは、部長の代に入ってから部長が部屋の収納限界を考えずに物を持ち込んでしまったか。

 ……後者な気がひしひしする辺り、頭が痛い。

「お? これ、何だ?」

「……今度は何を見つけたんです?」

 エルルシア先生には悪いけれど、好奇心に駆られて部室に踏み込み、部長の手に握られたそれを見る。机の上に無造作にぶちまけられていたものの一つ、らしいが……

「ノート、ですか?」

 部長は頷き、ぱたりと表紙を示してみせる。

 分厚いノートの表紙に大きく書かれていた文字は、『航空部日誌』。

 ――見覚えのある、あまりにも綺麗すぎる文字。

「一〇六三年から始まってる……航空部創立当時の日誌だ」

 表紙の日付を指でなぞる部長の声は、確かに上ずっていた。

「ある、って聞いてはいたんだけど。実物を見るのは、初めてだ」

 ゆっくりと、色あせた表紙をめくると……そこには、印刷と見まごうばかりの文字で、こう記されていた。


 

【一〇六三年 花の月 三日】


 本日をもって、航空部が正式に部として認められた。設立のために協力してくれたヌシに感謝を。

 これからの活動如何で部の存続が決まることもあり、普段は記録なんて二の次なのだが、これからの航空部の活動は日誌の形で残しておくことにする。

 現在の部長は自分、ノーグ・カーティス。部員はセイル・フレイザー。以上二名。

 本航空部の活動としては、熱の月に行われる人力飛空艇大会への出場、可能であれば優勝を目標に据えていきたいと考えているが、とにもかくにも人数が足らない。まずは部員の勧誘から始めようと思う。

 以上、本日の日誌。

 ――ノーグ・カーティス


 追伸、フーへ。何を書いていいのかわかんないから、明日以降はよろしく。


 

「すげえ、ノーグ・カーティスの直筆!」

 部長は目をきらきらさせて、ノートを持ち上げる。憧れの人のサインを貰った子供のような顔をしている。

 ある意味では、その比喩で全く間違ってはいないのだろうけれど……少しは声を抑えていただきたい。ノーグ・カーティスって、部長のような『空狂い』ならともかく、普通の人が聞いたら耳を塞いでしかるべき名前なのだから。

「というか……部長としてこれはどうなんでしょうか。記録なんて二の次とか、何を書いていいかわからないとか」

「今まで必要なかったんだろ?」

 確かに、異端研究者ノーグ・カーティスが絶対記憶の持ち主で、ほとんど研究記録を残していない、というのは有名な話だけれども。

 それにしても……稀代の天才とは思えない、何とも中身のない日誌だ。何故か見ているこちらが情けなくなってくる。

 それと、もう一つ。気になることといえば。

「セイル・フレイザーって、あの、魔道機関のセイル・フレイザー博士ですよね?」

「だろ。フレイザー博士もここの部員だったのか……何かわくわくしてくるな!」

 偶然に、同じ時代、同じ場所に居合わせた天才、か。

 果たして、彼らはこの部室でどんな日々を過ごしていたのだろう。その答えも、この日誌の中に書かれているのだろうか……

 思っていると、鋭い声が響いた。

「こら、弄るなって言ったでしょ! ブルーまで一緒になってちゃ意味ないよ!」

 はっとして振り返ると、エルルシア先生が腰に手を当て、小さな胸を張って立っていた。その後ろには、町を見回る衛兵さんの姿もあった。

「す、すみません!」

 頭を下げ、慌てて部室を出る。部長も今回ばかりは言い訳も抵抗もせずに一緒に部室を飛び出した……上着の下に、初代の航空部日誌を隠して。

「部長」

 小声で非難すると、部長は白い歯を見せてにっと笑う。

「いいのいいの、どうせ誰も気づかねえって」

「なら、いいんですけどね……」

 エルルシア先生は、部長が隠したものには気づいていなかったのだろう、「さっさと授業に行きなさい」と手にした杖を振って言う。確かに、朝の自由時間も終わり、そろそろ授業が始まろうとしていた。サボりの常習犯である部長はともかく、こっちはまず単位を取って卒業することが優先なのだ、授業を逃すわけにはいかない。

「それじゃあ、部長、また放課後に」

 始業の鐘が鳴る前に教室に向かおうと鞄を抱えて足を踏み出しかけたが、そこで部長が何とも言えない表情で言った。

「なあ、ブルー」

「……何ですか? 神妙な顔で」

 部長は、珍しく言いづらそうに部室とこちらとを見比べて……ぽつりと言った。


「勧誘、しばらくできそうにねえな」

「あっ」

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