机上の空、論。(4)

【一〇六六年 風の月 二十四日】


 ノーグさん、フーさん不在のためこちらに。

 例の件了解です、俺なんかでよければ使ってやってください。

 ただ、フーさんも前の日誌で言っていましたけど、ノーグさん、何か無理してるように見えます。

 ノーグさんは、確かにやれば一人で何でもできちゃう人ですけど、もう少し弱音吐いたり、誰かを頼ったりしてもいいんじゃないかなって思うんすよ。

 部外者の俺がこんなとこで言うのも何なんですけど、きっと、航空部の皆さんだって、ノーグさんにもっといっぱい頼ってもらいたいんじゃないかな、って思ってるんす。俺がノーグさんに頼られて嬉しいんですから、皆さんはもっと嬉しいんじゃないかなーと。

 なーんて、大きなお世話っすかね。もし迷惑だと思ったら遠慮なくこの文面消しちゃってくださいね。

 それじゃ、お邪魔いたしました。

 ――ヌシ


 

【一〇六六年 風の月 二十七日】


 悪い、ヌシ。

 今日までここに書いてくれてたのに気づいてなかった。

 ありがとう。それと……本当に、ごめん。

 ――ノーグ・カーティス


(リベル上級学校航空部日誌 一冊目より抜粋)


 


 

 ――第三の地図 「大樹の下、青い扉のその向こう」


 

 そして、宝探しは見事に行き詰まった。

「大樹、大樹なあ……」

 部長と一緒に、部室に戻って額を突き合わせる。部室の窓は開けっ放しにしているのに、やっぱり暑い。もう日は半分くらい落ちかかっているというのに、だ。風の月の下旬でこれなのだから、熱の月に入ったらどうなってしまうのだろう……考えたくもない。

 ともあれ、広場で手に入れた地図を見てみるけれど、今回の地図には今まで書き入れてあった印がなくなっていた。ただ、地図……他と見比べていてわかったけれど、この細かい地図、多分魔力複写じゃなくていちいち手で描いている……の上に、今までと同様に小さく整った文字でこう書かれていたのだ。

『大樹の下、青い扉のその向こう』

「樹齢のある木なんて、いくらでもありますからね、この町……」

「魔王城前の木が一番でかい、ってのは聞いたことあったけど、何も見つからなかったしな」

「それが正しかったとして、『青い扉のその向こう』がわかりませんよね」

「だよ、なー」

 二人して「うーん」と腕組みしてしまう中、シェルだけは我関せずといった様子で机の上をあちこちうろうろしてはひよひよ鳴いている。

 ひよこはのん気なものだ、と思うけれど……そういえばこいつ、いつにわとりになるのだろう。にわとりの生態はよく知らないけど、既に飼い始めてから半年だ、雛でいる時間が長すぎやしないだろうか。

 そんなちょっとした疑問が頭を掠めつつ、とりあえず意識を地図に戻す。病的な丁寧さで描かれた地図は、ほぼ間違いなく初代部長ノーグ・カーティスの手によるものだ。彼は人間離れした記憶力を持ち、「実際にあるものを正しく書き写す」ことに関しては誰よりも得意だったはずだから。

 これを書いた初代部長とその仲間は何を思ってこんなわけのわからない宝探しをさせようと思ったのだろう。こんなの、航空部の活動とは何一つ関係ないと思うのだが。

 そう、何も関係ないのだ。

 確かに初代とその仲間たちは偉大だったかもしれない、けれど、何も自分たちが彼らが残したものを見つけてやる義理は何もない。何もないではないか。当然気にならないといえば嘘になるけれど、それ以上ではない。

 そうやって自分に言い聞かせてみると、真面目にやっているのが途端に馬鹿馬鹿しくなってくる。というよりも、こんな夏の空の下、紙切れ一つに踊らされている自分が空しくなったのかもしれなかった。

 もちろん……そんなこと、部長に言えるはずもなくて。

 とりあえず、思っていることとは全く違うことを言葉にする。

「部長」

「あー?」

「今日はこの辺にして、一旦寮に帰りませんか? 今日、我々が夕飯の手伝いだったはずですし」

「んー、もうちょっと考えてみたいんだけど」

「明日だって、宝物は逃げませんよ。我々しか知ってる人もいないんですから」

 そして、知っていたとして探す気になるかどうかもまた別の問題で。案外歴代の部長たちはこれを知っていて、あえて探そうとしていなかった可能性すらある。自分が来た頃にはとっくに航空部の部員は部長一人だったから、それを確かめる術も無いけれど。

 部長はポケットの中に手を突っ込んで、しばし何かを考えているようだったが、やがて「そうだな」と立ち上がって、窓を閉める。いつもは結構戸締りもいい加減な部長だけれど、さすがにエルルシア先生から言われたばかりだからか、きちんと閉じたことを確認して、ついでに何かぶつぶつ呟いている。

 ……魔法の使えない自分には、部長が何をしようとしているのか目で見てわかるわけではなかったけれど、何か『仕掛け』を施しているのだろう、ということくらいは推測がつく。

「……厳重ですね」

「一応な。ブルーも、明日の朝来てもすぐには触るなよ、痛いから」

 痛いから、とは随分あっさり言ってくれるものだが、泥棒避けの仕掛けということは、多分いつも部長がいたずらで仕掛けてくるような痛みじゃ済まされないのだろうな……心しておこう。

 扉の鍵はこちらが持っていたから、部長とシェルを追い出して、扉を閉めて鍵をかける。こちらは自分たち以外の、たとえばエルルシア先生なんかが触るかもしれないから、あえて魔法の仕掛けは施さないでおくことにした。

 ……まあ、エルルシア先生は魔道実技の先生だから、部長が仕掛けた罠程度にはかからないことも経験上わかってはいるのだけれど……部長の悪いいたずらだと思われるのも困る。部長が、というよりもこっちが困る。

 鍵がきっちりかかっていることを確認し、外に出て……その瞬間に、部長が「あれ」と小さく声を上げた。

「フィデルせんせだ。珍しいな、部室棟の方に来てるの」

 部長の視線を追うと、部長の言うとおり背の高い影が歩き去っていくところだった。微かに緑がかった銀色の髪を伸ばしたエルフの先生といえば、魔道理論のレヴァーポップ先生しか考えられない。

 ただ、レヴァーポップ先生とは授業以外の機会で姿を見たことがなかったことに気づく。多分、部活の顧問をやっているわけでもないはずだ。やっていれば、部室棟で顔を合わせていてもおかしくない。

 何をしているのだろう……と思って見ていると、こんな暑いのに正装である黒い法衣を纏った先生は、いつも通りのどこかふわふわした足取りで道を曲がり、見えなくなった。

 ……黒い、法衣?

 何か引っかかるものを感じつつ、それでももはや建物の向こうに消えてしまった先生をあえて追いかけることもせず。ただ、レヴァーポップ先生が向かっていった方角……時計塔を見上げてから、寮への帰途についた。

 帰ってみると、寮の中はやけに静かだった。そういえば、朝の時点で荷物を抱えた生徒たちが数人外に出かけていってたから、帰省してしまったのだろう。普通は大体そうだ、部長みたいな変わり者は置いておくとして。

 ただでさえそう大きくない寮だから、数人いなくなっただけで急にがらんとしたような気分になってしまう。心細い……というわけではないけれど、いつもそうであることが急に変わってしまうと、やっぱり不安になるものだ。

 これも、夏休みの間だけ。思いながら、荷物だけ置いてリムリカさんのいる台所に顔を出す。

「ただいま帰りました。遅くなってすみません」

 夕飯の支度をしていたリムリカさんは、「あら、おかえり」と笑う。

「今日の手伝い、すっかり忘れられてるのかと思っちゃったよ」

「いえ……」

 実は途中まで忘れていたけれど。リムリカさんが煮物でいっぱいになった鍋を持ち上げようとするので、代わりにテーブルまで運ぶのを手伝う。「ありがと」とにこにこしたリムリカさんは、優しい声で言葉を続ける。

「夏休みに入ると、みーんな時間を忘れちゃうもんだからね。今日は暑い中何をしてきたんだい?」

「ええと……」

 どう答えようかと思っていると、どたばたと階段を下りてきた部長が代わりに答えてくれた。

「初代部長の隠した宝物を探してたんだ!」

 それだけでは、何が何だかわかったものじゃない。リムリカさんもどう返していいか困ると思うのだが。

 しかし、リムリカさんは「へえ」と目を見開いて素直に部長の言葉に驚いた。

「あの悪ガキが隠した宝物なんて、ろくなもんじゃないと思うけどねえ」

「悪ガキ、ですか……」

 この寮に、元々ノーグが住んでいたというのは聞かされていたけれど……改めて町の人やリムリカさんの反応を見ていると、学生の頃の彼はどれだけやんちゃをしていたのだろう、と思わずにはいられない。

 ……どちらかというと、そういう遊び心とはかけ離れた人格として語られていて、自分もまたそう思っていただけに、なおさら。

 知らないままでいい、そう思いながらも口は勝手に言葉を放っていた。

「あの……学生の頃は、どのような方だったのですか?」

 リムリカさんは皿を並べながら「知らないのかい?」と首を傾げて問うてきたが、すぐに合点がいったと頷いてみせ、当時を思い出すように視線を遠くに投げかける。

「今は色々言われてるし、何をしているかもわからない。大きな声で言うだけで、あの子を知らない人は嫌な顔をするけどね。でも、当時は阿呆なことばっかりしてた、ただの悪ガキさ。うちの物置を漁っては変なもの引っ張り出してくるし、校長室に忍び込んで胸像に『ここが実物と違う』『もっと鼻は低い』とかいちいち書き込んでた時には、親父さんも呼ばれて大変な騒ぎだったねえ」

 その話……どこかで聞いたような気がするのだけれど。気のせいだろうか。気のせいだと思いたい。

「頭はいいし、素直で真面目なんだけど、どこかが決定的にずれてる子でね。それがまた面白いところではあったと思うよ……だから、今もね、信じられずにいるのさ」

 それ以上は、リムリカさんは何も言わなかった。

 ……言うべきでは、なかったから。

 部長なら大っぴらに言ってしまうだろうけど、それはあくまで子供だからだ。このリベルという庭で生きている学生で、それ以上でも以下でもないからできること。リムリカさんは、かつての彼を知っていて、だからこそ思うことがあっても、決して言葉には出来ないのだと思う。

 ただ、リムリカさんの言葉を聞いていれば、優しそうな目を見ていれば、かつてこの寮で暮らした一人の男子だったノーグ・カーティスを、今もなお悪く思ってはいないことくらい、わかる。

 そして――何故、今この楽園の敵として、何よりも恐ろしい存在として、女神に牙を剥いているのか。その事実が信じられず、何故、と何度も何度も問い続けているであろうことも想像できる。それに答えられるのはまさしくノーグ・カーティス自身だけなのだが、きっと彼は二度とこの町を訪れることはないはずで。

 何故か胸がちりちりしてきて、そっと手で押さえる。

 いつも胸の中でちくちくするような感情が渦巻いているのはわかっていたけれど、今日は普段よりも酷い。どうして、とは問うまでもなくて、それでもこの棘の生えた感情を外には向けないよう、できる限り穏やかな表情を心がける。

「すみません、変なこと聞いてしまって」

「なーに、アンタが知りたいって言えば、いくらでも聞かせてあげるさ」

 リムリカさんは健康そうな歯をむき出して笑う。そんな風に笑ってもらえるだけで、少しだけ心の棘が払われた気がした。

 あの細長い影が脳裏にちらつきさえしなければ、心はこれだけ軽くいられるというのに。それが自分の心の持ちよう次第だってことも、よく知っている。知っていても、どうしても立ち止まってしまう自分がいる。

 ……駄目だな、自分。

 夕食の準備に意識を向けよう。意識をそちらに向けていれば、その間だけはこの胸の痛みを忘れていられるから。

 いつもよりも数の少ない皿を並べ、他の部屋に残っている生徒たちに一通り声をかけたところで、ふと気づく。

「あれ、部長は?」

 無心で用意をしていたから気づいていなかったけれど、いつから部長は台所から姿を消していたのだろう。普段ならちょこまか手伝いながら、隙あらばこちらの邪魔をしてくる部長の手が出てこなかったのだ、実は最初の方からいなかったんじゃ……

「見つけたー! おいブルー、早く来いよ!」

 その時、部長の声が遠くから聞こえた。反射的にそちらに向かって駆け出して、寮の裏手の扉を開ける。

 すると、寮で使わないものを押し込んだ大きな物置の前に座り込む部長の姿があった。その手には、見覚えのある地図。まさしく四枚目の地図だった。

 ……どうして、と思ったところで、気づいた。

 物置の扉が、薄汚れた空色に塗られていることに。多分、十年くらい前までは鮮やかな青だったに違いない。

『大樹の下、青い扉のその向こう』

『うちの物置を漁っては、変なもの引っ張り出してくるし』

 ――そうか。そういうことか。

 ここにはかつて初代部長が暮らしていて。

 この寮の名は――『白樫寮』。

 リベルの町ではよく見られる、白い幹を持った大樹の名を、冠していた。

「よかったじゃないですか、部長。次は何て?」

 部長は地図を開いてみせた。今度も場所は記されていなくて、趣味の悪い詩のようなものが小さく書かれているだけだった。とはいえ、三枚目の地図に比べれば、今度はあまり難しそうではない……

「部長? どうかしましたか?」

 急に大人しくなってしまった部長に気づいて顔を上げると、部長が妙に真面目な顔で真っ直ぐにこちらを見ていた。何か落ち着かない気分になって目を逸らすと、部長は小さく息をついて言った。

「や、何でもねえ」

「……部長の『何でもねえ』って、大体何かある時ですけどね」

「今回は本当に何でもねえって。人の言葉を頭っから疑ってかかるのは悪い癖だぜ、ブルー」

「人聞きの悪いことを言わないでください、それは部長の日ごろの行いの結果です」

「ひっでえ、それ俺がすごい嘘つきみてえじゃん! よっぽど人聞き悪いぞ!」

 別にそう言ったつもりはないのだけれど。それに、嘘を使わずに人を騙すタチの悪い奴がいるこの世の中、部長のごまかしなんて可愛いものだと思う。

 ぎゃあぎゃあ騒ぐ部長に対し、耳に栓で対抗しながら……地図に書かれた『時は満ちる。全ての終わりの鐘が鳴る』という言葉の意味を考えていた。


 何故、ノーグ・カーティスがこんなことを書いたのかを、考えていた。

 答えなんて出るはずなかったけれど。

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