大掃除狂騒曲(2)

 何もかもわからないまま、期待とそれ以上の不安を胸に航空部の扉を叩いたその日。

 まさしく今日と同じように、めちゃくちゃにとっ散らかった部室の真ん中に立っていた部長は、真っ黒な瞳を見開いて……それから、本当に嬉しそうに笑って言ったのだった。

「あっ、アンタ、さっき魔法実技披露会に来てた新入生だよな! ごめんな、かなりとっ散らかってるけど、見学なら大歓迎だぜ!」

 大歓迎、と言われても足の踏み場も無い状態で見学も何もあったものじゃなかった。どうしたものかと思いながら、とりあえず聞いてみる。

「は、はあ。ええと……ここ、航空部でいいのですよね?」

 壁に貼り付けられた空と飛空艇の写真や、所狭しと並べられた航空力学と歴史の書物、床にばら撒かれた船の絵や古い新聞の切り抜き……それら全てがここをリベル上級学校航空部であると示している。示しているけれど、聞かずにはいられなかった。

 部屋の真ん中に立っていた部長は、「そ」とあっさり頷いて、親指を立てて己の胸を指す。

「で、俺がここの部長。と言っても部員は俺一人だけどな」

「え……あ、あの、他の部員は?」

 恐る恐る聞いてみると、流石に部長もばつが悪そうに頭を掻いて言ったのだった。

「やー、何か皆、入ってもすぐ辞めちまうんだよね。別に何してるってわけでもねえんだけど」

「すみません、お邪魔しました」

 即決で回れ右をした。

「待ってえええええええ!」

 だが、逃げる前に部長が背中に飛び掛ってきた。

 思わぬ攻撃にたじろぎながらも、背中に掴まったまま離れようとしない部長を何とか引き剥がそうと試みる。実際、本気で引き剥がそうと思えばわけもなかったけれど、相手は先輩、下手なことは出来ないのだ。

「待ちませんよ! 何かすごく嫌な予感しかしないじゃないですか!」

「嫌になったら抜けてくれてもいいから、とりあえず体験入部だけでも! 頼む! 俺を救うと思って!」

「見ず知らずの人を無条件に救うほどお人好しじゃないんで……」

「ひどっ!」

 部長は愕然とした表情をしてから、力なく手を離した。思ったよりもずっと素直な反応に、こちらが戸惑っていると……がっくりと肩を落として呟いた。

「ま……仕方ねえよな。部員が一人もいないんだ、不安になるのも当然だよな。あーあ、ついに俺の代で潰しちゃうのかな……」

 多分片付けようとでも思って誤って落としてしまったのだろうか、横倒れになって書類をばら撒いている箱の一つを拾い上げて、こちらに笑いかけたものだった。

「悪いな、時間取らせちまって。ま、折角だから色んなところ見て回るといいぜ、結構何でもあるからさ、この学校」

 それが、明らかな落胆をごまかした笑顔だということくらいは、わかる。

 少しだけ気が引けて、改めて部長を見る。当時の自分よりも五つ上の学位であった部長は、しかし新入生と見まごうほどの童顔で体も小さい。その部長がしょんぼりと肩を落としているのだ、見れば見るほどこちらが一方的に悪者に思えてきてしまう。

 それに……部員がいないというからどれだけ不真面目な部活かと思ったけれど、部室を見る限りはいたって真面目に活動している航空部に見えて。

 部長の言うとおり、何も知らないままこの部屋を去るのも悪いような気がして。

「あの……」

「ん?」

「片づけくらいはお手伝いしましょうか? この状態じゃ、勧誘も何もあったものじゃないと思いますし」

「いいのか? 他に見学するとこあるんじゃねえの?」

 ……言われて、ちょっとだけ表情を歪めてしまったことも、よく覚えている。実のことを言えば、この時は部活に所属しようという気なんてさらさらなかったのだ。両親は折角の学園生活なのだから学業以外の活動も楽しむべきだというけれど、人より数年遅れている身としては、まずは人並みの学を身に着けなければならないと思っていたから。

 ただ……その時は、偶然『航空部』という綺麗過ぎる文字の看板を見つけて、吸い込まれるように扉を叩いてしまっただけで。

 それ以外のことなんて、何も考えていなかったのだ。

 答えない自分は、部長の目にはどう映っていたのだろう。部長はしばらく真っ黒い目でこちらを覗きこんでいたけれど、すぐにぱっと笑みになって言った。

「じゃあ、お願いしちまってもいいかな! 一人でどうしていいかわからなくて、正直途方に暮れてたからさ! よろしく頼むよ、えーと……名前、聞いてもいいか?」

 名前……当然、聞かれるとは思っていた。躊躇いがちに名乗ると、部長は「え」と口を半開きにしたまま固まった。

 そうだ、必ずそういう反応をされるのが目に見えるから、言葉が出なくなる。目を逸らしたくなる。いちいちそんな反応を受けるのが嫌だということもあって、課外活動には興味が持てなかったのだ。

 けれど。

 部長は――何故か目を俄然きらきら輝かせ、箱を放り出してこちらの手を取った。

「マジか! うわ、本物にお目にかかれるとは思ってなかった! 何、やっぱりお前さんも飛空に興味があるの? あるからここに来てくれたんだよな? 本当にごめんな、こんな駄目な空部でさ……でも、飛空の研究に関してはそれなりに頑張ってるつもりだからさ、今日だけじゃなくて気が向いたらまた覗きに来てくれると、それだけで嬉しい!」

 急に水を得た魚のように喋り始めた部長に、驚かされたのはこちらの方だった。

 ……こんな、好意的な反応を貰えるとは、さっぱり思っていなかったから。

 この時は何が何だかわからないまま、口をぱくぱくさせて、かろうじて答えたのだった。

「……すみません、まさか、こんなに歓迎されるとは思いませんでした」

「歓迎するに決まってんだろ! っと、俺の方が名乗ってなかったら意味ねえな」

 言って、部長は背筋を伸ばし、妙に格式ばった作法で名乗りを上げた。形式は旧レクス帝国の騎士のそれに似ているなあ、と思ったことを今でもはっきりと思い出せる。

 ただし部長の格式に乗っ取った態度はあくまで一瞬だけのことで、すぐにくしゃりと表情を崩して続けた。

「けど、よくある名前だし、俺のことは教師も含めて皆『空部』って呼んでんだ。だから、お前さんも遠慮なく『空部』って読んでくれよな」

「は、はあ」

「よーし、それじゃ他の連中が来る前に見た目だけでも綺麗にしねえとな! ちょっと、その辺にある書類まとめて箱の中にぶちこんじゃってくれねえかな? 箱は積んどけばごまかせるだろ」

 ごまかすだけでいいのだろうか……と明らかにこの部室の大きさには過剰すぎる資料の山を見つつも、とりあえず部長の言う通りに片付けに取り掛かった、わけで。


 

「いやー、まさか偶然覗きに来たお前さんに手伝ってもらえるとは思わなかったよな。しかもおかげさまで超手早く片付いちまったし」

「……それは、褒めてるんですか?」

「褒めてる褒めてる! 一種の才能じゃねえか、それは」

 いつものことながら、部長に褒められてもあんまり嬉しくないのは何故だろう。

 ……確かに、小さい頃から掃除は自分でやっていたし、何よりも体力だけは有り余っているから力仕事は慣れたものだ。書類の入った箱を数個重ねつつ、部長を眼鏡越しに睨む。

 部長に勝てる要素が身体能力だけ、というのも何とも情けない話だけれども、魔法も使えなければ勉強だっていくら一生懸命やったところで鼻歌交じりの部長にいつまでも敵わない。悔しいけど、それが現実ってやつである。

 部長はアルバムを元あった場所に片付け……処分という選択肢はここで完全になくなった……今度は「こんなものもあったのかー」と新聞の切抜きを張り合わせたノートをぱらぱらとめくり始めた。この人、絶対に掃除する気ないと思う。

 何とか溢れるものを箱に詰め込みながら、横目にノートを見ると、さすが航空部といったところか、飛空艇や魔道機関にまつわる記事ばかりが貼り付けられている。さっき部長が燃やすのを泣いて嫌がったポスター……ユーリス神聖国最大の天空戦艦『白竜の翼』の就航記念式典は確か今から十五年前のことだったはずだ。

 そう、ちょうど、初代部長ノーグ・カーティスがこの部室にいた頃の話。

 戦艦なんて作っても、この平和なご時勢戦う相手もいないのだから、もう少し有意義にその技術を使ってもらいたいものだと思う。もし戦艦が必要な日が来れば……その時にはあんな巨大なだけの代物、役立たずになっているに決まっているだろうし。

 そんなことばかり考えているから、いつも部長が「ブルーはつまらないことばかり言うよなー」と唇を尖らせるのだろうけれど、事実は事実なのだから仕方ない。

 部長は「ほー」「へー」と声を上げながらぱらぱらとノートをめくっていたが、ふと手を止めて顔を上げた。

「あれ、セイル・フレイザーの小型魔道機関理論ってまだ十年とちょいしか経ってなかったんだっけ」

 セイル・フレイザーの小型魔道機関。

 これもまた、飛空の歴史にはなくてはならない存在だ。

 天才魔道機関学者セイル・フレイザー。彼が天才と呼ばれる所以は、ほんの二十年前まで巨大で面倒な仕組みがなければ成り立たなかった、魔力を動力に変える装置……魔道機関を、それこそ両腕で抱えられるくらいの大きさにまで小型化させることに成功したからだ。

 これによって、飛空艇や海上船舶も一気に小型化が進み、今の空や海の交通がある。けれど、今や当たり前のようになっているこの技術も、取り入れられたのは歴史上ごく最近のことなのだと今更ながらに実感する。

 そんな楽園の広さを変えてしまった稀代の発明をしたフレイザー博士は、しかし、

「言われてみればそうですね……フレイザー博士って行方不明のままなんですか?」

 ほんの三年前……行方不明になったと言われている。

 全ての真相は闇の中で、自分も知らないことにしている、けれど。

「そのはず。見つかったって話は聞いてねえな。そういや、フレイザー博士もこの学校の出身らしいな」

「……そうなんですか?」

 それは初耳だ。部長は「そうそう」と自分のことでもないのに屈託なく笑いながら言う。

「先々代の部長辺りが教えてくれたんだけどさ。ノーグ・カーティスといいセイル・フレイザーといい、天才が集まるものなんかね、この学校。考えてみるとすげえなあ」

 部長はそう言うけれど、一応ここは楽園でもそれなりに有名な学校だ。流石に首都ワイズの学院や上級学校には及ばないけれど、学問の国ライブラ共和国第三の都市にある上級学校だ、有名人の一人や二人出ていてもおかしくはない。その中には後の世に「天才」として名を売った人がいないとも限らない。

 ……もしかして、部長はそんなことも知らずにこの学校に来たのだろうか。部長に限ってどんなけったいな理由で来ていてもおかしくなさそうなのが、怖い。

 一年部長と付き合ってきてわかったけれど、この人に対して世間一般的な常識ってやつは大体通用しないから。

 新聞の切り抜きを貼り付けたノートをまるで恋人のようにぎゅっと抱きしめて、部長は夢見心地でくるくる回る。

「ああ、早く俺も追いつかねえとなあ。こんなところで掃除してる場合じゃねえよなあ……」

 ああ……偉大なる先人たちの影響をもろに、しかも悪い方向に受けている。いきなり夢の世界に飛び立ってしまうのはこの人にはよくあることだけれど、場所と時間は選んでいただきたい。

「今は掃除している場合です。踊ってる場合じゃありません」

「何を言う、ブルー! こうしている間にも、俺らより先に新しい船を飛ばしている連中がいるかもしれないだろ!」

「誰よりも先に飛ぶにせよ何にせよ、部員がいなくてはどうしようもないと思います。違いますか?」

「違いません。すみません、掃除します」

「わかればいいのです」

 そう――航空部には、とにかく人が必要だ。

 飛ぶ、と言うは易し、行うは難し。

 女神ユーリスは人が楽園で生きていくための道具として魔法を与えたけれど、空を飛ぶ魔法は与えてくれなかった。そもそも人族は女神の形作った地面の上を耕し、育み、生きていくよう定められた生物だからだ。

 けれど、女神から知恵を与えられた人族は、何故かあえて困難な道に踏み出した。魔法だけでは決して届かない「空」ってものに憧れを抱き、その向こうを目指してしまったのだ。阿呆かと思わなくもない。そして部長も、もちろん自分もその阿呆の仲間……『空狂い』だ。

 ただ、魔法だけで飛べないということは道具が必要と言うことで、飛ぶための道具……つまり船は、一人で作れるようなものではない。部長が発明した滑空艇は何とか二人で時間をかければ組み上げられるけれど、本格的な飛空艇となると、当然人手が必要。

 そして、航空部には致命的に人手が足りず、新入生を勧誘するために掃除をする、という現在の状況に戻ってくるわけだ。

「……やっぱり、アレに近いものを組み立てるとすると、絶対に人手は必要だもんな」

 部長は床の上があらかた片付いたのを確認し、掃除用具入れから箒を取り出しながら言う。その視線の先には、机と、その上に並べられた模型がある。歴代の部長や部員たちが残してきた、様々な形の飛空艇の模型だ。

 その中でも一際異彩を放つのが……初代部長、ノーグ・カーティスの残した飛空翼艇だ。

 飛空翼艇、という呼び名は第五代部長、つまり部長が勝手につけた呼び方で正式名称ではない。そもそも架空の船である以上、正式な名前などないはずだ。ネーミングセンス皆無のあの人がわざわざ名前をつけたとも思えないし。

 その名の通り、翼を広げた鳥のような、秋の風に乗ってやってくる竜蟲のような、左右対称の姿が印象的なとても美しい船だ。

 本当にこれが空を飛ぶのか、と問われると首を傾げたくなる形状だが、鳥や竜蟲が魔力抜きで飛べている以上、「不可能ではない」とあの人は断じたのだろう。それでも未だ実現に至っていないということは……まだ、何がしかの障害がそこにあると考えるべきなのだろうけれど。

 部屋の隅に一通り箱を積み上げて、肩の上のシェルをついでに高く積み上げた箱の上に乗せてやる。鳥ではあるが空を飛べるわけではないシェルは、ぴぃぴぃと困った声を上げている。いい気味だ。

 すると、すかさず部長が非難の視線を向けてきた。

「ブルー……シェルがかわいそうだろ」

「すみません。こちらの髪の毛もかわいそうなことになりそうだったので、つい」

「ライバルだと思ってるんじゃねえの? ほら、シェル、こっちだぞー」

 ライバル……それも何だかなあ。ひよこに同格扱いされるってどうなのだろう。しかもシェルは相変わらず部長の言うことは素直に聞いているし。

 部長が背伸びしてシェルを捕まえている間に、何とか机と椅子の上も片付けて、人が座れるだけのスペースは確保。今までは床の上で作業してばかりだったから、机も椅子も物置扱いだったのだ。

 一通り必要ないものを脇に避けたおかげで、何とか魔界ではなく「少し狭い部屋」程度には収まったと思う。改めて部室を見渡して、小さく息を付く。

「……これでとりあえず、部室は何とかなりましたね」

「だな! 悪いなブルー、大体任せちまって!」

「元から部長は頼りにはしていませんでしたから、問題ありません」

 頭にシェルを乗せた部長は「む」と唇を尖らせる。何か反論でもあるのか、口を開こうとしたようだったが、先手を打って言う。

「一年前。部室を片付けた後、初めて自分の部屋を見たこちらの気持ちにもなってみてください」

 途端、何かを言おうとしていた部長の目が宙を泳いだ。

「あ、あれは……」

「今でもはっきり思い出せます。あれは春期入学式の、夕方のことでした」

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