春 - 大掃除狂騒曲

大掃除狂騒曲(1)

【一〇六五年 花の月 五日】


 今日付けでゴートが退部と相成った。

 これで航空部はついに創設時の二人に逆戻りしてしまったわけだが、今日は春期入学式。何とかここで新入生を引き入れて部の存続を図らなくてはならない。自分で創っておいて自分で潰してちゃ世話は無い。

 とはいえ、今回ばかりは演劇部のヌシを頼るわけにはいかない。どうにかして、我々で部員を獲得しなくてはならないわけだが、はっきり言って何から手をつけていいかもさっぱりだ。

 妙案求む。

 ――ノーグ・カーティス


 ここはもう、お前が脱ぐしかない。

 脱いで裸踊りでもすれば、きっと人は集まるだろう。

 ――セイル・フレイザー


 ……授業から戻ってきて、何が書いてあるかと思えば……

 即刻却下に決まってるだろ。

 確かに人は寄ってくるかもしれないが、それは十中八九衛兵という名前であると信じて疑わない。

 むしろお前が脱げ。今すぐにだ。

 ――ノーグ・カーティス


(リベル上級学校航空部日誌 一冊目より抜粋)


 


 

 ――一〇八〇年、花の月


 

「……でして、植物の持つマナと人族をはじめとした動物が持つマナは変換の指向が変わってくるわけですねぇ。皆さんの家にもルーンが常備されているとは思いますが、植物性ルーンと動物性ルーンでは、使うべき場所が変わってくるわけですねぇ」

 魔道理論のレヴァーポップ先生が放つ間延びした声には、きっと、深い眠りへと誘う魔力が篭っているに違いない――魔法についてはさっぱりだが、これだけは常々確信している。飛びそうな意識を何とかつなぎとめて周りに視線をめぐらせれば、生徒の半分くらいは既に机とお友達になっている。何という撃墜数だろう、撃墜王と呼ばれるべきではなかろうか。

 職業が教師でなければ。

 実際のところ魔力なんて高尚なものですらなく、単に穏やかな声でつまらない話をされるから眠くなるんだろうけれど。

 正直……魔道理論は入学当初から苦手だ。そもそも魔法の才能を全く持たずに生まれた以上、マナがどうたら呪文がどうたら言われても実感もくそもあったものじゃない。それでも必修である限り理論は理論として覚えなくてはいけないわけで。何故実技と一緒に免除してくれないのだろうか、と思わずにはいられない。

「さて、植物が持つマナにはもう一つ特徴がありましてぇ」

 かつかつと板書をするレヴァーポップ先生には悪いけれど、意識はとっくに教室の外。授業中であるというのに、声変わりも終わっていない子供のひそひそ声を引き連れて、ぱたぱたと足音が行きすぎる。微かに開いた扉の隙間からこちらを見ていた子供と目が合って……すぐにお互いに目を逸らす。

 昨日の春期入学式を終えた新入生たちが、学校を見て回っているのだ。

 去年は自分もそこに混ざっていたのだったな、と思うと妙に感慨深い。もう一年が過ぎたのか、と思うけれど……まだ一年しか過ぎてないのか、とも思う。

 思い返してみれば、本当に色々なことがあった。色々なことが、ありすぎた。

 大体が部長のせいなのは、気のせいだと思いたい。

 そんなことを思いながら窓の外を見ていると、新入生たちが校庭にばらばら集まり始めていた。一体何が始まるのだろう、と思っていると……見覚えのある姿が、校庭の真ん中にしつらえられた演台の上に立った。

 明るい赤毛を短く切った、学年にしてはやけに背の低い男子。こんな距離から見たってはっきりわかる、あれは我らが航空部部長だ。

 部長は集まってきた新入生たちに大きく手を振って応え、腰から杖を抜く。流石に杖を彩る羽飾りはほとんど見て取れなかったけれど、他の生徒たちよりもはるかに短い杖を片手に背筋を伸ばす。台の横には他の上級生と、航空部の顧問でもある魔道実技のエルルシア先生がいて……

 そうだ、あれは魔道応用実技の披露会だ。

 魔道応用実技はリベル上級学校独自の課程で、知識と実践とを兼ね備えた魔法の専門家「魔道士」を育成するための選択課程だと聞かされている。生活に必要な技術を学ぶ基礎実技とは違ってかなり奥深い部分を学べる人気課程らしいが、魔道士が専業で飯を食えるようなご時勢でもなし、はっきり言って趣味以外の何でもない授業でもある。

 で、そんな物好きの中でも趣味を極めた「成績優秀者」は、その成果を毎期ごとに新入生の前で披露するのが通例だ。

 今年も、部長が首席だったんだな……去年、部長の魔法を間近で見た記憶があるから、一年間その座を譲り渡さなかったと見える。ぱっと見る限り自分以上に魔法とは縁遠そうに見えるのに、魔道士の血筋と英才教育って恐ろしいものだと思う。

 そして、その生まれながらの才能と身に着けてきた技術を全く現実に生かそうとせず、趣味につぎ込み続ける辺りもとっても部長らしいと思う。

 壇上の部長は、杖をすうと持ち上げる。

 張り詰めた姿勢は、楽団を前にした指揮者に似ている。

 一度、部長にそう言ったところ、部長自身もそのつもりで杖を振るのだと言っていた。魔法の使えない身にはさっぱり理解できない領域だが、部長からすれば大気中や物質に含まれる魔力、マナが『奏者』であり、魔法は目には見えない『奏者』たちが奏でる音楽なのだという。

 誰もがそうなのかと思いきや、エルルシア先生は「そんなことないわよ」と笑ったのだった。普通は誰もが緻密な計算と理論の組み立てで魔法を扱うのであって、感覚的に魔法を扱うのは、それこそ部長くらいなのだと。

 窓の外の部長は振り上げた杖をひゅっと上に振った。弱拍の呼吸を経て、次に来た一拍目、縦の深い振り下ろしで大気中のマナが光と変わる。そして、二拍、三拍、四拍。四拍子の指揮に乗せて、光の塊が次々と空に向かって打ち上げられていく。

 音はない、けれど確かにそれは「音楽」のようだった。決まったリズム、どこまでも華やかな波長の光。空の高くまで上った塊は部長の杖の動きに合わせて、ぱっと色とりどりの光を撒き散らして消えていく。その度に歓声が上がり、拍手が沸き起こる。

 そんな新入生たちを前に、部長は楽しそうに笑いながら光を振りまいている。

 ……こんなことをやってみせちゃうから、応用実技が人気なんだろうな。決して役に立たないことはわかっていても……見ているだけで面白いのだから。自分だって、魔法を使う才さえあれば、真似してみたい。

 もう、これは純粋に生まれつきの才能であって。決して届かないことだって、わかっているのだけれど……

 肘をついて、じっと窓の外を眺めているうちに、終業の鐘が鳴った。その瞬間に机の上で眠りこけていた皆が生ける屍よろしくむくりと起き上がってくるのだから現金なものだ。

 それを微笑みすら浮かべて見ている先生もどうかと思うけれど。そんなんだから生徒に馬鹿にされるのではなかろうか。歴史学のヒーガル先生の授業なんて、決して面白くないけれど誰もが背筋を伸ばして聞くしかないのだから、少しくらいはヒーガル先生のやり方を見習ったらどうだろうか。

 ……いや、正直ヒーガル先生みたいなのは一人で十分だけれども。

 先生は教科書を閉じ、先生なんだか生徒なんだかもよくわからない、長命種エルフならではの幼い顔でにへらと笑う。

「はい、それでは今日の授業はここまでですねぇ。本日から新しい仲間たちも来たことで部活の勧誘やら何やらで忙しくなると思いますが、授業は通常通りに行いますのできちんと勉強してくださいねぇ」

 勧誘……そう、そうだった。

 新入生が来たのであれば、勧誘しなければ嘘だ。去年は勧誘される側だったし、前期は部長が入院してどたばたしていたからすっかり失念していたけれど……

 今の航空部は部長と自分、たった二人。

 しかも、来年に入れば部長が卒業してしまう、という厳然たる事実がある。一応は十五年くらいの歴史を誇る航空部、そう簡単に潰すわけには行かない。

 ついでに、新入生が入ってくれれば部長の相手を新入生に任せることだってできる。何も部長の保護者を一任するつもりはない、けれど分担くらいは出来るのではないか……そう考えるだけで夢が広がるじゃないか!

 思い立ったら即行動。まずは部室を片付けて、新入生を迎える準備から始めなくては。帰りの学級会議など上の空、さよならの声と同時に教室を飛び出して、部室に駆け込んで……

「ぎゃああああああああ」

 もう、何か、変な声しか出なかった。

 見たくなかった。何も見たくなかった。けれど、直視してしまった。

 ――まさしく、魔界と化した航空部室を。

 魔界の主は、もちろん、足の踏み場もないほどの紙と本と模型に埋め尽くされた部屋の真ん中に立ち尽くす、我らが航空部長。頭の上に青いひよこを乗せた魔王もとい部長は空っぽの木箱を両手に抱え、てへ、と笑って言った。

「ごめん、片付けるつもりがぶちまけちった」

「ごめんで済めば影追いはいらないんですよ部長……っ!」

 ……ああ、本当に、最初から予想しておくべきだった。

 自分が新入生のために部室を片付けなければ、と思ったのだから、何だかんだで生真面目な部長のこと、同じ結論に達していると考えるべきで。

 部長という男は、誰よりも行動は早いけれど、代わりにとことんいい加減で。

 そのいい加減な部長が、まともに掃除なんか出来るはずもなくて。

 その結果が、魔界にならないわけがないのだ、と。

 しばし、この場で魔界大決戦でも起こさんばかりの勢いで険悪な視線を交錯させるけれど……結局のところ、いくら睨みあったところでやるべきことは決まっている。

「片付け、しますね」

「……うん、頼む」

 部長一人に任せておけない以上、唯一の部員が動くほか、ないわけである。


 ――が。


「ブルーそれは捨てちゃ駄目だああああああ」

「黙って隅っこにちっちゃくなっててください、後は全部こっちでやりますから」

「このポスターは部が創立した年に初代部長ノーグ・カーティス自ら『白竜の翼』就航記念式典に赴いて手に入れた物なんだぞ! そんな貴重なものを……」

「そんな言ってたら永遠に片付か……痛い痛いシェルそれは痛い」

 うるさい部長は腰の辺りにひっついて離れないし、肩の上のシェルは後ろ髪をちまちま引っ張ってくるしでまともに進みやしない。とりあえず部長は無視して引きずることで何とか対処しているけれど、シェルの攻撃が地味に痛い。

 どうも、シェルは最近親の仇とでも思ってるのか、部長にはくちばし一つ立てないというのに、必ずこちらを見つけるや否や地道な攻撃を仕掛けてくる。毎日餌やってる恩はどこに行ったのやら。

 ……毎日餌をやって、大切に育てている割にさっぱり大きくならないのが少し気になるけれど。羽を染めている青い色も全然落ちないし。

 とりあえず、完全に時代遅れとなってしまった資料や、部長、それに先代以前が持ち込んだのであろう絶対に航空部とは関係のないものをより分けて箱に詰め込む。部長が引っ付いている状態では無理だけど、後で部長の目を盗んで焼却炉に突っ込んでこよう。

「って、入れた側から出さないでくださいって!」

 何か腰が軽くなったと思ったら、今度は部屋の隅に置いた箱から一つ一つ片付けたはずのものを取り出し始めてるし! 確かに隅にちっちゃくなってろとは言ったけど、何のために自分がこんな思いをしてると思ってるんだ!

 部長は名残惜しそうに祭で買った怪しげな悪魔のお面や、綺麗な石が詰まった、しかしただそれだけの小瓶などを眺めては涙目で別れの言葉を投げかけている。そういうことをされるとなおさら捨てづらくなるからやめていただけないだろうか。

 ごそごそと逆に散らかしていく部長に負けないように、その倍くらいの速度で片付けを進めていると、半べそをかいていたはずの部長が急に明るい声で言った。

「おい、ブルー、見ろよ! これ、お前が入ってきたときの写真だろ?」

「一年前の、ですか?」

 流石に手を止めて、部長の手元を覗き込む。年季の入ったアルバムに挟まった写真の中には、セピアの色彩で映し出されている部長と自分。部長はいつも通り楽しそうに笑っているけれど、自分は何とも曖昧な、笑っているんだか何だかわからない顔をしている。

 今、自分の顔を鏡で見ても、同じような顔をしているのかもしれない。

 思い返してみれば、部長のように笑うことなんて、ここしばらく無くて。いつの間にやら笑い方も忘れてしまっているんじゃないかと不安になる。部長はそんなこちらの不安なんかよそに、落ち着きなく写真とこちらを見比べているけれど。

「……何、見てるんですか」

「背、伸びたよなー、と思って」

 確かに、写真を見ると部長より少し背が高い程度だが、今では頭一つくらい違う。制服も一度買い換える羽目になったから、気のせいというわけでもなさそうだ。

「まあ、成長期ですからね。というより、部長が小さすぎるんです」

「ひどっ!」

「事実を言ったまでです」

 学位こそ四つ離れているけれど、年齢は一つしか変わらないのだから部長だって同じように成長期のはずなのだ。なのに、下手をすれば新入生だと思われてもおかしくないような背丈と顔立ちをしている。初めて出会った時は本当に一つ上なのかと疑ったくらいだ。

 部長はいたくショックを受けたような顔をしたが、すぐににへら、と笑顔を取り戻して緑のリボンを巻いた手で頭を掻く。

「ま、小さいくてもいいことはあるよな。軽ければ軽いほど飛ぶには有利だし」

「そこまで前向きに解釈できるのは、一種の才能だと思います」

「へへ、そうか?」

 褒めたつもりではなかったけれど、部長は白い歯を見せて心底嬉しそうに笑う。この人はいつだってそう、何を言ったって、大体よい方向に捉えて晴れやかに笑ってみせる。

 ……あの時も、そう。

 写真の中に閉じ込められた一年前を、自然と思い出す。

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