青色薔薇の咲く街で(2)

「な、何ですか? どうしました?」

 妙に切羽詰った声に、思わず立ち止まる。突然立ち止まってしまったものだから、人と肩がぶつかったりしてあちこちから睨まれてしまったけれど、部長は全く気にも留めずに、明るい声を上げた。

「うどんの屋台!」

「はあ?」

「ユーリスうどんの屋台、通り過ぎちまっただろ? 毎年必ず食うって決めてんだ、ちょっと寄ってくれよ」

「うどんくらい、いつだって食べられるじゃないですか」

「それはブルーが本土生まれだからだろ? 旧レクスとかこの辺じゃ、めったに食えないんだって」

 ……言われてみれば、確かに。この町に来てから、うどんを出す店はほとんど見なかった気がする。寮母さんの作る料理のレパートリーにも、うどんはなかったはずだ。そういう意味では、うどんはユーリス本土独自の食文化であるのかもしれない。

 部長の出身はユーリス神聖国でも元々は別の国だった旧レクスだから文化が違うことは知っていたけれど、こんなところまで違うとは思っていなかった。

 ふと辺りを見渡すと、ちょうど自分たちがいるところが、食べ物の屋台が並んだ場所だったことに気づく。ライブラ首都ワイズ名物ワイズまんや、テレイズのアンダーシュでよく食べられているというオール肉の燻製など、見慣れない各地の食べ物が目に入る。

 ちなみに、さっき部長に差し入れた旧レクス名物パン挟みも、病院に行く前に屋台で適当に仕入れたものだったりする。

「うどん! うどん食べたい!」

「さっきあれだけ食べてたじゃないですか……」

「うどんは別腹!」

 それは、主食級の食べ物に対して使うべき言葉ではないと思う。

 ただ、部長はとにかくよく食べる。小さな体の何処にそれだけの食べ物を溜め込めるのだろう。これだけ毎日食べているならもっと背が伸びてもよさそうなものだと思うのだけれど、何とも世の中は不思議なものだ。

 とりあえず、このまま無視してもうるさいだけだし、素直にユーリスうどんにありつくことにした。実のところ、今日は部長に差し入れただけで自分ではほとんど食べて来なかったのでちょうどよかった。

 道をちょっとだけ戻ってみると、確かに部長の言うとおり『ユーリスうどん』ののぼりが立っていて、懐かしい香りが漂っている。今年の夏は何だかんだで実家に帰っていなかったことを思い出す。

 部長を担いだまま屋台を覗くと、屋台の主人であるらしいおじさんが顔を上げて、物珍しそうにこちらをじろじろ見つめてきた。慣れているとはいえ、何とも落ち着かない気分になってどう切り出そうか悩んでいると、部長がこちらの背中越しに言った。

「おっちゃん、一年ぶり!」

「おお、いつものガキんちょじゃねえか。そっちの派手な兄ちゃんは?」

 派手、にしているつもりはないけれど、どうしてもそう見られてしまうのが切ない。そんなこっちの気持ちなんかさっぱり理解してるはずもない部長は、肩から降りて屋台の椅子に腰かけながら言った。

「今年入学してきた、部活の後輩だよ」

「後輩には見えんがなあ」

 おじさんと部長が、同時にこちらを見る。そんなにじろじろ見ないで欲しい。そりゃあ、年だけで言うなら新入生には見えないとは思うけれど……

「ブルーはでっかいからな」

「違います。部長がちっちゃくて童顔なんです」

 自分は、この年齢では平均的な身長のはずだ。一つ年上であるはずの部長が頭一つ低いから、こちらが高く見えてしまうだけで。

「とりあえず……ええと、うどんを二ついただけますか?」

 とにかく、こういう話はとっとと切り上げてしまうに限る。ニコニコ笑っていたおじさんは「おうよ」と威勢のいい声を上げて、うどんを茹で始めた。それを横目に見ながら、部長に問いかけてみる。

「で、抜け出したはいいですが、これからどうするつもりですか?」

「んー、そうだな、魔王城址でも行ってみるか? 城、見たいって言ってただろ」

 覚えていてくれたのか。すっかり忘れられているものと思っていた。ちょっと目を丸くしていると、部長はにっと歯を見せて笑った。

「劇とか、楽団の演奏もあるしな。きっと楽しいぜ」

「楽団……クラエス先輩も参加しているんですよね、確か」

 クラエス先輩は、元々部長と同部屋であったという、部長よりも二つ上の卒業生だ。ずっとこの部長と一緒に暮らしていたなんてどんな猛者なのだろうと思っていたけれど、とても穏やかで優しい、できた人であったことに感動した記憶がある。

 自分や部長と違って元々この町の出身である先輩は、町の楽団で喇叭奏者として活動する傍ら学生楽団にも卒業生枠で加わっている。今日も、学生楽団に混ざって魔王城址で行われる演奏に参加するのだと嬉しそうに語っていたことを思い出す。

「クラエスはすげえ上手いからな。この機会に聞くといいぜ」

「はい、楽しみです」

 そんなことを話していると、屋台のおじさんがうどんのたっぷり入った器を渡してくれた。部長の顔が目に見えてわかるほどに輝く。そんなにうどんが好きだったのか、部長。

 いただきます、と二人で声を合わせて、うどんに口をつける。

 つるつるとした舌触りのよい麺に絡む、さっぱりとしたスープ。故郷で食べていたものとどこも変わらない、本当に素朴なユーリスうどんだ。けれど、下手に手を加えたものよりも、ずっと素材の味が活きていて美味しいと思う。

 部長なんか、まだかなり熱いはずの麺をふうふう言いながら啜り、既にほとんど平らげてしまっている。それどころか二杯目まで頼んでいる。どれだけ底なしの胃袋をしているのだろうか。

 結局、猫舌の自分が一杯目を平らげるのと、部長が二杯目を腹の中に収めるのがほぼ同時だった。

「今年も美味しかった! ありがとな、おっちゃん!」

「ごちそうさまでした、とても美味しかったです」

「ありがとさん。来年もよろしくな」

 笑うおじさんに対し、部長は「もちろん」と笑顔を返して手を振った。

「それじゃ、おっちゃんに幸せの色が咲きますように」

「おう、お前さんたちにも幸せの色が咲くように」

 幸せの、色。

 それは聖ライラ祭を彩る薔薇の色。

 町を飾る薔薇の花飾りは、どれもが海の青、空の青をしている。本当は存在しないはずの青色薔薇は、聖女ライラが消え行く魔王イリヤに捧げた悼みの花で、聖女ライラが起こした奇跡そのものであると、言われている。

 だから、聖ライラ祭では必ず、お互いの幸福を祈る言葉を交わし合う。

 ――幸せの色が、咲きますように。

 口の中で呟いて、部長と屋台のおじさんに微笑みかける。けれど、きっとそれはとんでもなく冴えない顔だったに、違いない。

 屋台を後にした後は、真っ直ぐ魔王城址に足を向けることにした。部長はしばらくこっちの肩を借りて自力で歩こうとしていたけれど、結局再び担がれることを選んだ。身長に差があるとこういう時に不便だと実感する。別に部長一人担いだところで疲れやしないから一向に構わないけれど。

 それよりも疲れるのは、いちいち部長が面白そうなものを見つけるたびに、背中をつついてくるところだ。

 屑石売りがいればそのうち一番綺麗な石を欲しがり、古本の屋台を見つければ、そこで小一時間立ち止まって飛空に関する本を探す。巨大な悪魔の人形が欲しいと言われた時には、部屋の何処に置く場所があるのだと諭して何とか阻止したけれど、結局悪魔の仮面を買わされて、頭に引っ掛ける羽目になった。面がぶつかるたびに眼鏡がずれていくのが何とも鬱陶しい。

 これだけ店を回らされたんだから、もう魔王城址までは黙っていてくれるはず。そう思ったのも束の間、また部長が背中を激しくつついてきた。指でつつくならともかく杖の先端でつつくのは止めてくれないかなあ。正直、痛いんだけど。

「こ、今度は何ですか」

「ブルー、あれ欲しい! あれ欲しい!」

 言われて、部長の視線の方向、つまり後ろを振り向くと、何とも奇妙な屋台があった。鮮やかな青を基調にした看板に書かれている文字は、こう。

『あなたに、幸福を運びます』

 何とも胡散臭い文句だと思いながら、部長を一旦肩から下ろして近づいてみる。すると、『幸福』がどんな姿をしているのか、すぐにわかった。

「これは……ひよこ、ですか?」

 実のところ問うまでもなかった。ひよこだ。まごうことなきひよこだ。ひよひよ鳴き声を上げるかわいいひよこたちが、四角い箱から溢れそうになっている。

 その何が奇妙かって、箱の中のひよこたちが、みんな青い色をしているということだ。明らかに地の色ではないとわかる、鮮やかな空色に染められたひよこが、ぎっしりと箱の中に詰まっているのである。

 とっても、複雑な気分だ。

「青色薔薇は奇跡を呼び、空色の鳥は幸福を運ぶ、とはいいますけど……やりすぎじゃあないでしょうか」

「幸せ運んでくれるんだろ? 素敵じゃねえか」

「青い鳥は珍しいんですから、こんなところにいるはずありませんよ。この子たちだって、にわとりの雛を染めてるだけじゃないですか」

 人の勝手な都合で青く染められてしまうひよこの気持ちにもなってみてほしい。きっと迷惑しているに違いない。ひよひよひよひよと絶え間なく聞こえる声も、人に対する抗議の声に聞こえなくもない。

 部長は「むー」と眉を寄せてひよこを睨んでいたが、やがてはっしと一羽のひよこを捕まえて、ひよこの番をしている色眼鏡をかけたおばさんに突き出した。

「おばさん、この子ちょうだい」

「ちょっと待て人の話聞いてたのかアンタはあぁぁ!」

 今度こそ先輩への敬意はかなぐり捨てた。今くらいは、許されると信じてる。

 しかし部長はこちらの怒りなんてどこ吹く風、流れるような動作でおばさんにお金を払い、青いひよこを己のものにしてしまった。

 思わずぷるぷると握り拳を震わせてしまうけれど、ここで殴ったら人として負けだ。こんなところで理性を振り切るわけにはいかない。

「部長……どうして買っちゃうんですか」

 ぎりぎりのところで理性を保ち、搾り出すようにして放った声は、部長のとびきりいい笑顔とこちらを見上げるひよこのつぶらな瞳の前にはあまりにも無力だった。

「だって、こいつ、俺に買ってほしそうに見てたからさ」

「絶対に勘違いです。どうするんですかその子、寮で飼う気ですか」

「リムリカさんならきっといいって言ってくれるって」

 部長は気楽な様子で言って、頭の上にひよこを乗せてみせる。部長のぼさぼさの赤毛に、ひよこの青は皮肉なくらいよく映えた。

 すると、こちらを色眼鏡の下からじっと見ていたおばさんが、不意に微笑んだ。

「いい買い物をしたね、坊ちゃん。見る目があるよ」

「へへ、そうだろ?」

 ひよこを頭に乗せたまま自慢げに笑う部長に対し、おばさんはやけにしみじみとした口調で言った。

「その子がアンタを選んだってわかったんだから、大したもんさ。大切にするんだよ。幸せが逃げないようにね」

 ……?

 何だか、とっても気になる言い方をされたけれど、部長は「当然さ」と軽い口調で請け負って、こちらの手を引く。

「さ、行こうぜ、ブルー」

「……あ、は、はい」

 もう少し、あのおばさんに話を聞いてみたい気はしたけれど、部長が満足したというのであればここに留まる理由もない。部長はひよこを抱え、自分は部長を抱えて、今度こそ魔王城址に向けて歩き出す。

 ひよひよ、と背中からかわいい声がする。その声を聞いていると、肩に入っていた力もすっかり抜けてしまった。

「……その子の世話、ちゃんとできるんですか?」

「もちろん。ただでさえこういう雛って弱いって聞くからな、頑張って世話するよ」

「まあ……飼うと決めたなら、協力はしますよ。かわいいはかわいいですし」

 これから、まずは冬休みを越さなければならない。部長も自分も今年は実家に帰らないと決めているから世話には困らないだろうけれど、ひよこの具合には細心の注意を払う必要がある。果たして動物を飼ったこともない自分と部長が無事ひよこを育てることができるのかもわからない。

 それに。

「でも、無事成長したところでただのにわとりになっちゃいますよ。絶対に朝とか迷惑になると思うんですが」

「その時にはうちの庭に連れてって飼ってもらうからいいの」

 ひよ、と部長の声に相槌を打つようにひよこが鳴く。悔しいが、かわいい。青いのはちょっといただけないけれど、それでもかわいいのだから仕方ない。

「それで、その子の名前はどうするんですか?」

「シェル」

 即答だった。

 が、部長の答えは十分想像の範囲でもあった。

「ブルーの次はシェルですか。いきなり露骨になりましたね」

 シェル……『飛空偏執狂』シェル・ブルー・ウェイヴといえば、飛空を志す者からすれば憧れ以外の何者でもない存在だ。三百年ほど前に生きたユーリス神官であり、楽園で初めて空を飛んだ飛空の第一人者。

 現在の飛空艇の形式は、三百年前に生きたシェルが考えた原型からさしたる変化のないままに推移している。それだけ完成した形の船を、当時「空を飛ぶ」ことなんて考えられなかった時代に生きた一介の聖職者が実際に造り上げたのだ。

 空に魅せられた『空狂い』たちがそんなシェルに憧れるのは当たり前で……学内一の『空狂い』たる部長が、シェルの名にあやかろうと思うのも当然のこと。

 しかし、シェル・ブルー・ウェイヴは飛空を志す者にとっては憧れの的だが、同時にそれを大っぴらに言葉にすることはできない人物でもある。

 シェルは、異端研究者としても知られているからだ。

 異端研究者……一般的な言い方をするならば、女神ユーリスが創り上げた楽園の理に疑問を抱く者のことである。そう言われたところで実感が湧くものではないけれど、もっとわかりやすい言い方をするなら、「女神が認めていない知識や技術を研究する人」のことだ。

 例えば、魔法の力を借りずに自由に火を起こすこと。魔法で操らなくても人のように動く人形を作ること。女神が禁忌としていることは実のところ、たくさんある。

 シェルが禁忌に触れたと認定されたきっかけは、「魔力抜きで自由に空を飛ぶ方法を求めたこと」であったといわれているけれど、本当のところは誰にもわからない。何しろ、シェルの研究成果は全部神殿が焼いてしまって、当のシェルは処刑されてしまったから。

 今でも、シェル・ブルー・ウェイヴの名前は女神に弓引いた者、として一般には語られている。だから、いくら空の色をしているとはいえ、罪のないひよこにシェルの名前をつけるのはちょっとだけためらわれるのである。

 ……自分が言うのも何だけれども。

「別にいいじゃねえか、減るもんじゃなし」

「周りの我々を見る目が、更に冷たくなる気はしています」

 そんなの勝手にさせときゃいいんだよ、と部長は背中でけたけた笑う。

 部長はいつもそうやって、人の目や悪い噂なんか気にも留めずに豪快に笑ってみせる。自分だって、そうなることができれば、どれだけ楽だろうとは思う。けれど、自分は部長のようにはなれないことも、痛いほどわかっていて……

「ブルー?」

「何でもないです。部長がいいのであれば、それでいいと思いますよ」

 いつも通りにぐるぐる回り始めた思考を一旦頭の奥底に追いやって、何とか部長に答える。ぶらぶら背中で揺れる部長は「よーし、今日からお前はシェルだぞー」と嬉しそうにひよこ……もとい、シェルに話しかけているようだった。

 そんな声を聞きながら人の波に流されるままに歩いていると、やがて道が途切れて、急に視界が開けた。

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